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コロナパンデミック騒ぎに巻き込まれた現場の臨床医としての私は、文学作品とはいえ、その中で展開される医師の言動に、とても新鮮な印象と共感を覚えます。それと同時に、これまでの先行翻訳者の諸先生方とは異なる気づきに恵まれているのかもしれません。

 

 

La presse, si bavarde dans l’affaire des rats, ne parlait plus de rien. C’est que les rats meurent dans la rue et les hommes dans leur chambre. Et les journaux ne s’occupent que de la rue. Mais la prefecture et la municipalité commençaient à s’interroger. Aussi longtemps que chaque medecin n’avait pas eu connaissance de plus de deux ou trois cas, personne n’avait pensé à bouger. Mais, en somme, il suffit que quelqu‘un songeât à faire l’addition. L’addition était consternante. En quelques jours à peine, les cas mortels se multiplièrent et il devint évident pour ceux qui se préoccupaient de ce mal curieux qu’il s’agissait d’une véritable épidémie. C’est le moment que choisi Castel, un confrère de Rieux, beaucoupe plus âgé que lui, pour venir le voir.

ネズミの事件であれほど喧伝していたマスコミも、もはや何も報道しなくなっていた。ネズミは道端で死に、人間は自分の部屋で死ぬからである。そして、新聞は巷の話題しか扱わない(註1)。しかし、県や市町村の当局はいぶかりはじめていた。めいめいの医師は、それぞれ二、三の症例しか経験していないうちは、誰もが動き出そうとはしなかった。しかし、詰まるところ、誰かが集計するのを思いつけば済んだはずのことなのであった(註2)。集計数は驚愕するほどだった。高々数日間で、死亡件数も膨れ上がり、この奇妙な病気を懸念していた人々の間では、これが紛れもない疫病を意味することが明らかな事実となった。まさに、そのような折を見計らって(註3)、リゥの同業者で彼よりずっと年嵩のカステルが、彼に会いに来たのであった。

 

(註1)

新聞は巷の話題しか扱わない

les journaux ne s’occupent que de la rue

 

「新聞は街頭のことしかとりあげない。」(宮崎訳) 

 

「新聞は通りで起こることにしか関心をいだかないのだ。」(三野訳)

 

「新聞は町の話題しか取り上げない。」(中条訳)

 

 

(註2)

詰まるところ、誰かが集計するのを思いつけば済んだはずのことなのであった

en somme, il suffit que quelqu‘un songeât à faire l’addition

 

「要するに、誰かが合計を出すことを思いつきさえすればよかったのである。」(宮崎訳) 

 

「結局、だれかが合算することを思いつくだけで十分だった。」(三野訳)

 

「結局、誰かが足し算をしてみるだけで十分だった。」(中条訳)

 

 

 

(註3)

まさに、(カステルは)そのような折を見計らって

C’est le moment que choisi Castel

 

「いよいよ潮どきと見てカステルという・・」(宮崎訳) 

 

「まさにこのときを選んで、・・・カステルが・・・。」(三野訳)

 

「まさにそのとき、」(中条訳)

 

 

 

 

― Naturellement, lui dit-il, vous savez ce que c’est, Rieux?
― J’attends le résultat des analyses.
Moi, je le sais. Et je n’ai pas besoin d’analyses. J’ai fait une partie de ma carrière en Chine, et j’ai vu quelques cas à Paris, il y a une vingtaine d’années. Seulement, on n’a pas osé leur donner un nom, sur le moment. L’opinion publique, c’est sacré: pas d’affolement, surtout pas d’affolement. Et puis comme disait un confrère : « C’ est impossible, tout le monde sait qu’elle a disparu de l’Occident. » Oui, tout le monde le savait, sauf les morts. Allons, Rieux, vous savez aussi bien que moi ce que c’est.

「むろん、リゥ君、君はこれが何なのかわかっているかね?」とカステル医師は言うのであった。
「解析結果を待っているところです。」
- 「私には、それが何なのかわかっている。これ以上の解析結果を待つまでもないことだ(註4)。私には中国で過ごしたり、パリでいくつかの症例を見たりした職務経歴がある。20年ほど前になるがね。しかし、ただ、あえてその病状に病名を付けようとはしなかった、その当座にはね(註5)。世論というものは神聖で侵しがたいもの、だから、慎重が上にも慎重に、ということになる(註6)。そして、ある同僚が言ったようにうに『ありえない。それが西洋から消滅したということを知らぬものはいない。』ということだった。そうだ、みんな知っていたのだ。死んでしまった者以外はね。さてはて、リュ君、君も私と同様、それが何なのか十分知っているはずだね

 

 

(註4)

だから私には解析など無用だ。

Et je n’ai pas besoin d’analyses.

 

各人とも<je>(私)を省略していますが、たとえば世間一般の人々は、そのようには考えていないとすれば、主語を省略すべきではないのではないでしょうか。

 

「だから、分析なんぞ必要としない。」(宮崎訳) 

 

「分析の必要はない。」(三野訳)

 

「分析を待つ必要なない。」(中条訳)

 

 

(註5)

あえてその病状に病名を付けようとはしなかったのだ、その当座にはね。

on n’a pas osé leur donner un nom, sur le moment.

 

各人ともosé leur donner un nomの<un nom>を単に漠然と「名前」訳するのではなく、文脈に沿って具体的に「病名」としています。
   

何に対して「病名」を付けるか、についても、省略したり、代名詞であるため「そいつ」と訳したりするのではなく、「病態」と訳することにしました。また、各人とも「勇気が(は)なかった」と訳していますが、自らの保身のためだけでなく、既得権益の積極的な拡大を狙って「あえて・・・行わない」という立場の医師が存在することを弁えた上で翻訳したいと考えます。

 

「世間はそいつに病名をつける勇気がなかったのさ、即座にはね。」(宮崎訳)

病名をつけるのは医師であって、世間ではありません。勇気がなかったのも世間ではなく、医師たちであったのではないでしょうか。

 

「だれも即座に病名を口にする勇気はなかった。」(三野訳)

 

「すぐに病名をつける勇気がなかったんだ。」(中条訳)

 

 

(註6)

世論というものは絶対なのだ、だから、慎重が上にも慎重に、ということになる。

c’est sacré は直訳すれば、「それは神聖だ」となりますが、神聖不可侵あるいは絶対的な存在であることを示唆しますが、一方で、非科学的で、非合理的であるにもかかわらず権威をもっていることをも示唆することがあります。カステル医師のこの発言は、医師という職能集団全体に対しての警句であると、私は解釈します。そして、現代でも多くの心ある医師は、科学的根拠よりも、政府や利権組織の思惑に誘導された世論やマスコミの主流派の意見に逆らうことに困難を覚えています。

 

L’opinion publique, c’est sacré: pas d’affolement, surtout pas d’affolement.

 

「世論というやつは、神聖なんだ―冷静を失うな、何よりもまず冷静を失うな、さ。」(宮崎訳)

誰に呼び掛けているのか、わかりにくい訳文だと思われます。 

 

「世間というのは神聖なのだ。パニックを起こしてはならない、とりわけパニックはいけない。」(三野訳)

世間にパニックを起こしてはならない、と警告しているように誤解を与えかねない訳文か?世間様にパニックをもたらしてはならない、という訳だとわかりやすいのではないでしょうか。

 

「世論には逆らえないからね。慎重に、いやが上にも慎重に、というわけだ。」(中条訳)


とてもこなれた良い訳だと思います。良い訳はその一文自体が分かりやすいだけでなく、前後の分との繋がりもしっくりいきます。

 

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聖楽院主宰 テノール 

飯嶋正広

 

 別科音楽理論ⅠA 佐藤誠一先生からの課題

 

別科音楽理論ⅡAは、基礎編であるのに対して、ⅠAが応用編であるのは少し戸惑うところです。しかし、その理由は、授業の時間帯によるものです。土曜日の三限目の授業がⅠA、同じく四限目がⅡAとの割り付けだからなのです。

 

さて、応用編であるⅠAの課題は、複数のなかから選択可能であるということでした。
ジャン・コクトーの詩集「カンヌ」の中から5番目の『耳』という詩に対して
堀口大學が訳した詩に曲をつける、という課題です。

 

『耳』(「カンヌ」5番)詩 ジャン・コクトー/訳 堀口大學

 

私の耳は 貝のから
海の響きを なつかしむ

 

七五調の詩なので、リズム感もあり、一口で諳んじて詠ずることも可能です。
しかし、問題は詩の理解を深めることです。

 

私の耳は 貝のから

 

ここで、貝とは、いったいどのような貝なのだろうか?

という疑問が生じます。

 

そして、素朴な疑問はさらに続きます。

 

海の響きを なつかしむ

 

一体、だれが、なぜ、なつかしむのだろうか?なのか

 

主語は、貝のから なのか、それとも、 私の耳 なのか。

 

ここでは、いったん、その主語は、貝のからであり、私の耳でもある、ということにしておきましょう。

 

なぜ 海の響き を なつかしむ に至ったのだろうか?

 

これらの疑問に対して、何らかの答えを用意しておかなければ、落ち着いて作曲することが難しく思えてきました。

 

やはり、コクトーの原詩に当ってみる他はなさそうです。

 

Cannes V

Mon oreille est un coquillage

Qui aime le bruit de la mer.

 

しかし、これで、疑問が一挙に解決したわけではありませんでした。

 

課題1:

私の耳(Mon oreille un coquillageは、単数形であって複数形でないのはなぜか?解剖学的な存在としては両耳(複数)ですが、聴覚という意味では単数扱いで問題がありません。

 

課題2:

貝のから(un coquillage )これは、生の貝そのものばかりでなく、貝殻を意味するもののようです。ただし、それはいったいどのような種類の貝なのでしょうか? 少なくともun coquillage bivalve(二枚貝)なのかun coquillage univalve(巻貝)なのか、いずれのタイプの貝なのでしょうか?

 

それは、原詩でも明らかではありません。

 

ただし、いずれにしても大型の貝のいくつかの種類の総称としては、une conqueがあります。その一つには楽器として使われる法螺貝(ホラガイ)は、文学の世界では、ギリシ神話の海神トリトンの法螺貝を意味することがあります。また、解剖学用語では、甲介(貝殻に似た構造)と訳され、耳甲介(外耳外面の貝殻に似た構造)を意味することは興味深いです。

 

またcoquillage をPetit Robert仏仏辞典で検索してみると、文学的コンテクストの中で、音楽的なイメージへ展開している用例が挙げられています。 

 

Mollusque, généralement marin, pourvu d’une coquille; spécialt un tel mollusque comestible.

(貝殻を持つ軟体動物で、通常は海産。特殊な食用軟体動物。)

 

《le coquillage pleine de rumeurs qu’ils appliquent à leur oreille》CLAUDEL

<噂の貝殻を耳に当てる>クローデル

 

《Ce coquillage qui m’offre un développement combiné des thèmes simples de l’hélice et de la spire》VALÉRY

<この貝は、螺旋(らせん)と渦巻(うずまき)という単純な主題〔主旋律〕を複合的に発展させたものだ。>

 

ヴァレリー

 

課題3:

<響き>という訳について

 

原詩では<le bruit >

 

この単語の意味は、楽音だけでなく騒音をも包含しています。雑音である可能性もあります。堀口大學は<響き>と訳しましたが、響きという言葉も、楽音のみならず雑音や騒音を意味することがあるので巧みな訳であるといえると思います。詩とはメルヘンであると考える向きにとっては、おそらく、楽音をイメージすることでしょうが、詩の存在意義や解釈は、そればかりではない可能性もあると思います。

 

なお(人の)<声>と訳すことが可能な用例もあります。さらに、言葉にならぬ(人の発する)<音声>を意味することもあります。

 

1. Sensation auditive produite par des vibrations irrégulières.

不規則な振動によって生じる聴覚的な感覚。

 

《les bruits de la maison, le craquement des poutres, des planchers, ton père qui tousse, …》PEREC

《家の音、梁のきしみ、床の音、お父さんの咳、…》ペレック

 

《On entendait les bruits des voisins, ceux de l’étage et ceux qui logeaient au-dessous et au-dessus》MODIANO

《その階とその上の階と下の階にいる隣人たちの声が聞こえていた》モディアーノ

 

2.(Sens collect.)LE BRUIT: ensemble de bruits, de sons (perçus comme gênants, pénibles).

(集合的感覚)雑音:(迷惑、苦痛と感じられる)一連の音、響き。

 

《Mes parents haïssaient le bruit. Ma mère surtout le détestait, dans toutes ses manifestations, musique, voix vraie ou télévisée, heurts, et même les soupires et les éternuements auxquels on ne peut rien.》R.DETAMBEL.

《私の両親は騒音を嫌っていた。母は特に、音楽、現実の声、テレビの声、衝突、そしてどうしようもないため息やくしゃみなど、あらゆる形でそれを嫌っていた。》R.ドゥタンベル

 

課題4:

<なつかしむ>という訳について  

<aime; aimer>という言葉の訳としては、かなり深く掘り下げられています。
日本語には<慈しむ>という言葉があり、フランス語ではaimer +人+tendrement<優しく愛す>というニュアンスになります。

 

そして、<なつかしむ>という言葉の響きは<いつくしむ>という言葉の響きとも調和するように感じられます。

 

課題5:

<海>という訳について  

海は<la mer>の定訳。しかし、私は日本語には存在しない定冠詞<la>の存在が気になるのです。<la mer>は、どのような海かというと、<l’océan>(海洋)と比べるならば、その拡がりは限定された特定の海ということになるようです。そして、この<la mer>(海)は、しばしば同じ発音の<la mère>(母)を連想させることが指摘されます。そして、以下のような用例を発見しました。
 

Le premier bruit perçu est celui de sa mère.
Bébé entend les bruits du corps de maman. La voix de la mère est l'un des premiers bruits perçus,・・・

<最初に聞こえるのは、母親の声です。
赤ちゃんはお母さんの体の音を聞いています。母親の声は、最初に知覚される音のひとつなのです・・・>

 

そこで、私は改めて、原詩を以下のようにやや散文調に翻訳してみました。

 

コクトーの原詩を朗読してみると、散文的な印象を受けたからです。

 

わたしの耳は 巻貝の耳

母なる海の ささやく声を

いつくしんでいる

 

以上をもとにして、曲を構成してみました。

以下の通りです。

クリックで開きます

 


さらに、これを、短歌調(5-7-5-7-7)にすれば、

 

我が耳は、巻貝のそれ

いつくしむ 母なる海の 潮の呟き

 

 

この短歌をフランス語に再翻訳すると、たとえば

 

Mon oreille est un coquillage.
Qui aime les murmures des marées de ma mère.

 

原詩通りの一行目はoreilleとcoquillageのillとが視覚的に反復しています。
ただし、それぞれの発音は全く異なります。

 

二行目は、aime,murmures,marées,ma,mère といずれも子音mがリズミカルに6回繰り返されます。子音mは喃語(嬰児の、まだ言葉にならない段階の声)に特有の音です。またフランス語らしさを感じさせる子音rも4回繰り返され、聴覚に訴えてきます。

 

この詩をもとにして改めて作曲するならば、かなり印象の違った曲が生まれるのではないかと思われます。

 

 

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認定内科医、認定痛風医

アレルギー専門医、リウマチ専門医、漢方専門医

 

飯嶋正広

 

肝疾患の治療薬について(No4)

 

<中高年女性に多発し、肝疾患の中にはアレルギー・リウマチ・膠原病科と密接な関係がある疾患も存在>

 

薬物性肝障害と自己免疫性肝障害

 

薬剤性肝障害の大部分はアレルギー性であるため服用前の予測は困難です。

また中毒性の代表例はアセトアミノフェンであり、これは容量依存的に肝毒性をきたします。

 

薬物性肝障害の診断のためには、まず肝障害が存在することを前提として、その後は除外診断が必要であり、

 

1)肝炎ウイルスマーカーが陰性であること、

 

2)超音波など画像診断、

 

3)飲酒歴の確認、

 

4)血清・生化学データで閉塞性黄疸、アルコール性肝障害、自己免疫性肝障害を否定できること

 

が必要です。

 

なお好酸球数の増加(6%以上)は薬剤性との診断を支持します。

 

服薬開始後5~90日の場合が多いが、それより長期でも否定はできません。

 

薬剤性肝障害が疑われれば、服用中の全ての薬を原因として疑います。

 

原因薬物の中止が基本であり、経過により、肝庇護薬、ステロイドなどが使われます。

 

 

自己免疫性肝炎(AIH)

 

これは慢性活動性肝炎であって、自己免疫が関与する疾患です。

 

すなわち、免疫学的な異常を伴い、血清学的には免疫グロブリンのなかで、IgGまたはγ-グロブリンが高値となります。また、自己抗体としては、抗核抗体・抗平滑筋抗体・LKM1抗体などを認めます。

 

中高年の女性に多く見られます。

 

診断は「自己免疫性肝炎(AIH)」診療ガイドライン(2016年)」などに基づき、他の原因を除外することでなされます。

 

治療は副腎皮質ステロイド(PSL)(プレドニン®)(註1)など免疫抑制薬が第一選択です。なお、副作用などで、やむを得ず中止する場合は免疫抑制薬のなかでプリン代謝拮抗薬であるアザチオプリン(イムラン®、アザニン®)(註2)あるいは胆汁酸利胆薬であるUDCA(ウルソ®)(註3)を使用します。

 

予後は上記治療により決定するため、肝生検による診断後に肝臓専門医の下で治療を開始します。

 

服薬中止により再発、急性増悪をみることが多く、生涯にわたり服薬を続ける必要があります。

 

(註1)副腎皮質ステロイド(PSL)(プレドニン®)

(註2)プリン代謝拮抗薬アザチオプリン(イムラン®、アザニン®)

(註3)胆汁酸利胆薬UDCA(ウルソ®)

 

 

原発性胆汁性胆管炎(PBC)
 

慢性胆汁うっ滞性疾患の一つです。

 

この疾患も中高年女性に好発します。

 

症状として、痒みがあります。

 

合併症:骨粗鬆症

 

診断は、以下の3項目のうち2項目を満たせば可能です。

 

1) 慢性の胆道系酵素上昇

 

2) 抗ミトコンドリア抗体(AMA)陽性

 

3) 特徴的な組織学的所見:慢性非化膿性破壊性胆管炎(CNSDC)など

 

治療は、UDCA(ウルソ®)が第一選択薬です。

なお、効果不十分で、脂質異常症が認められる場合にはベザフィブラート(ベザトール®)を用いることがあります。また、痒みに対して、選択的κ受容体作動薬のナルフラフィン(レミッチ®)が効果的です。この薬剤は、PBCに限らず、慢性肝疾患に伴う痒みに用いられています。

 

また、合併症である骨粗鬆症に対しては、食事療法(カルシウム、ビタミンD)と運動療法が勧められます。また、ビタミンD製剤(ワンアルファ®、エディロール®)ビスホスホネート製剤(リカルボン®、フォサマック®、ダイドロネル®)、ビタミンK₁(カーチフN®、ケーワン®)などが投与されます。

 

上記の内で、当クリニックでの処方頻度が高い薬剤には下線を施しました。

 

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声楽の理論と実践から学ぶNo.6

 

水氣道の稽古と声楽のレッスンの共通点(続・続々)

 

歌をうたうという芸術の神髄と水氣道(その2)

 

今週も、先週に引き続き、声楽教師としてのソプラノ歌手リリー・レーマンの声楽理論書『Meine Gesangskunst』(1902)(邦訳『私の歌唱法—テクニックの秘密—』川口豊訳 2010年 シンフォニア)18頁から「抜粋」して、レーマンの考え方を紹介するとともに、改めて水氣道に光を当ててみたいと思います。

 

抜粋2「歌をうたう芸術の神髄は、腹筋と横隔膜筋の働きを知り、その働きを意識して組み立てるところにある。それらの筋肉の働きによって呼気の空気圧が作り出される。次に、胸郭にある反発する筋肉 ― 息は胸の筋肉に向かって広げられるように押しつけられる ー についてよく理解し、それを意識的に働かせるところにある。息が胸の筋肉を押し広げることによって、声楽家は息をコントロールすることができるようになる。そして、息は声帯を通り抜け、長い通路を通り、たくさんの共鳴腔や頭腔へと振動を伝える。」
 

呼吸とは、本来、意識して人為的に組み立てられるシステムではなく、そのほとんどが無意識に、つまり、自然に繰り返されている生命活動です。そして、私たちは腹筋や横隔膜(横隔膜は、それ自体が筋肉で、主たる吸気筋)の働きを知らなくても呼吸し続けています。

歌をうたう行為も、呼吸という生命現象が基本にあります。ただし、声楽教師のリリー・レーマンは、歌をうたう芸術の神髄が「腹筋と横隔膜筋の働きを知り、その働きを意識して組み立てる

 

ことにあることを教示しています。つまり、声楽の基礎は呼吸筋の働きを意識することからはじめるべき、ということになります。

 

声楽のレッスンと水氣道の稽古の導入法の違いは、まずこの点にあります。水氣道は、呼吸のメカニズムを知らなくても稽古を始めることができます。水中での立位の運動を行うときに、特別の意識を払わなくても、身体に直接影響を及ぼす水が呼吸筋を直接鍛えてくれるからです。
 

吸気時に収縮する筋肉は横隔膜の他に、外肋間筋、吸気補助筋などですが、これに対して、呼気時に働くのは腹筋の働きが大であり、他に内肋間筋などがあります。

水氣道の稽古でも、横隔膜は吸息の主動作筋であり、腹筋群は呼息の強力な補助筋として働きます。これらの両筋群は互いに拮抗作用を持ちますが、共同的にも作用します。そこが、他の四肢の骨格筋群とは異なる呼吸筋の特徴であると言えるでしょう。

 

レーマンが、呼吸筋の働きを意識して組み立てることに歌をうたうように指導するのは、呼吸が発声や歌唱の基礎になるからばかりでなく、こうした呼吸筋群(呼気群と吸気群)の特性を認識することによって、より高度でより精緻な呼吸コントロールを早期に達成できるようになるからであると推測することができるでしょう。

 

一般に、互いに相反する運動を行う2つの筋肉または筋肉群のことを拮抗筋といいます。たとえば,上腕二頭筋 (屈筋) と上腕三頭筋 (伸筋) は互いに拮抗筋です。拮抗作用は,筋肉が円滑な運動をするうえに重要な役割を果しています。

 

くり返しますが、呼吸を司る筋肉である腹筋群(呼気群)と横隔膜(吸気筋)は互いに拮抗作用を持つだけでなく、共同的(協働的)にも作用します。拮抗作用については特別な注意を払わなくても無意識のうちに自動的に繰り返されていますが、腹筋群と横隔膜を協働的に作用させるためには意識的にトレーニングする必要があります。

そのためには、呼吸に関する解剖学・生理学・心理学等の科学的・医学的な知識が必要になってくるのです。

 

水氣道の稽古の課程においては、入門期(体験生)から初期(訓練生)までの時期においては、無意識の自然体の呼吸に委ねて稽古をくり返すことになります。

 

水氣道の体験生や訓練生が被る帽子の色は「白」と定めていますが、これは「肺」という臓器の色を表しています。「肺」は呼吸を司りますが、「肺」自体は筋肉ではないので自主的に収縮や拡張をくり返すことはできません。これらは呼吸筋によって委ねられているからです。つまり、「肺」は受け身の臓器であり、それ自身が意思の力によって直接コントロールされる臓器ではないことを理解しておいてください。

 

しかし、水氣道の稽古が進んでいくと、呼吸を意識的にコントロールする技術が必要になってきます。訓練生から修錬生になるということは、呼吸に関して、レーマンが教えている通り「腹筋と横隔膜筋の働きを知り、その働きを意識して組み立てることが必要になってくるのです。

 

修錬生の帽子の色が「朱」であるのは、筋肉の色を象徴しています。ただし、ここで筋肉というのは四肢の骨格筋ばかりでなく、呼吸筋が含んでいるし、心筋(心臓は筋肉性の臓器)も含んでいるものと理解しておいてください。

 

なお、「胸郭にある反発する筋肉 ― 息は胸の筋肉に向かって広げられるように押しつけられる "ー" についてよく理解し、それを意識的に働かせるところにある。

と訳されていますが、「胸郭にある反発する筋肉」とは胸郭にある呼吸筋群を意味するものであり、また「反発する筋肉」とは、互いに拮抗する筋群、すなわち、呼気筋群(胸郭内では主に内肋間筋)と吸気筋群(主に横隔膜、他に外肋間筋など)を意味するものと考えると理解しやすくなるでしょう。

 

「息は胸の筋肉に向かって広げられるように押しつけられる

という場合の息は、すなわち呼吸ですが、呼吸は呼気と吸気によって成り立っています。この場合の息とは吸気の息であり、息を吸うことによって肺が拡張し、その結果、胸郭全体が外側に向かって、つまり胸郭の壁を形成している内および外肋間筋が伸展することになります。
 

そして、進展させられた筋肉は、収縮するためのエネルギーが蓄積していきます。声楽家になるためには、呼吸筋の進展と収縮のメカニズムを知ることによって、呼吸を十分にコントロールできるような訓練が必要だ、といのがレーマンの教えであるといえるでしょう。

 

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認定内科医、認定痛風医
アレルギー専門医、リウマチ専門医、漢方専門医


飯嶋正広

 

見落とされがちな微量栄養欠乏症<亜鉛>No.3

 

<どのようなときに亜鉛欠乏症を疑うべきか?>

 

最近、指導医クラスの漢方専門医の方々と「近年、漢方が次第に効きにくくなってきた」という本音トークを交わしました。その原因は、名医たちの漢方の見立てが悪いからではなさそうなので、私は患者さん側の要因を検討すべきではないかと提案しました。

 

そして漢方の専門医は臨床栄養学を学ぶべきであるというのが旧来からの私の持論を展開しました。とくにミネラル類やビタミン類などの微量栄養素が欠乏していると漢方薬の効果が薄れてしまうことを経験しているからです。

そのような場合には、漢方薬を増量したり、他薬に切り替えてみたりしてもうまくいかないことがほとんどです。しかし、不足している微量栄養素を適切に補充すると、従来通りあるいは、それ以上に漢方薬が効き始めるのです。

 

杉並国際クリニックで亜鉛欠乏症を発見して、亜鉛補充により劇的に改善した例としては、脱毛症や味覚・嗅覚障害などがあります。

 

しかし、医師ではない一般の方に説明するには、亜鉛が足りなくなると、具体的にどのような症状があらわれるか、ということを、もっと詳しくお伝えしておくことが役に立つのではないかと思います。

 

まず、風邪などの感染症にかかりやすい(易感染性)場合や、風邪が長引く場合は一度亜鉛不足をチェックするとよいでしょう。易感染性はウイルスを退治するTリンパ球の機能低下が原因だからです。

 

つぎに、腹部不定愁訴といって、普段から何となくお腹の調子が悪いという方も、一度亜鉛不足を疑ってみると解決の糸口がつかめるかもしれません。食欲低下に加えて慢性下痢もよく見られる症状です。亜鉛は腸管粘膜の状態維持に働いているからです。ですから潰瘍性大腸炎や過敏性腸症候群といった慢性炎症性腸疾患の診断をされている方は是非、血中亜鉛濃度を測定しておいてください。


さらに、皮膚炎や傷が治りにくい方にも検査をお勧めします。

同様に蚊に刺された跡がいつまでも残ったり、化膿しやすかったりするときは亜鉛不足を疑う必要があります。皮膚炎や傷が治るためにはコラーゲンというタンパク増生が必要ですが、亜鉛が不足するとコラーゲン合成が進まず傷の治りが遅れるからです。

そもそも細胞分裂の際にはDNAが複製されます。この時、亜鉛指(ジンクフィンガー)と呼ばれる亜鉛を含んだタンパク質が働きます。したがって亜鉛が不足すると基本的に細胞分裂が盛んな組織、すなわち骨、皮膚、粘膜、味蕾、性腺組織などにトラブルが生じます。

 

鉄欠乏性貧血を治したのにどこかすっきりしない人は他の亜鉛不足症状に転じた可能性を考えた方がよいでしょう。貧血は赤血球の増殖不良や膜の脆弱化によって溶血(赤血球の細胞膜が破綻すること)しやすくなることが原因となることもありますが、鉄欠乏に合併していることがもっとも多く、この鉄欠乏性貧血に対して鉄剤投与で治りにくい貧血は亜鉛不足も疑う必要があります。

 

また鉄と亜鉛の吸収経路は共通であるため鉄剤長期服用が亜鉛吸収を妨げてしまうこともあります。

 

なお男性不妊、流産増加の原因としても亜鉛不足は要チェックです。

 

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臨床産業医オフィス

 

<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

 

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

 

飯嶋正広

 

 

<今月から、当面の間、職場の健康診断をテーマとして、産業医紹介エージェント企業各社が提供しているコラムを材料として採りあげ、私なりにコメントを加えてみることにしています。>

 

産業医紹介サービス企業各社が提供する<健康診断>コラム

 

No1.エムスリーキャリア提供資料から(その3)

 

 

健康診断の実施方法

 

健康診断の実施にはいくつかのパターンがあります。会社全体で健康診断を実施したり、会社が指定する病院で診断させたりすることが考えられるでしょう。
 

もちろん、従業員各自に受診させて結果を提出させる方法もあります。それぞれにメリットやデメリットがあるため、会社の規模や業種などによって適切な手段は異なります。複数の方法を併せて受けても問題はありません。企業ごとに判断して実施するのが重要です。
 

また、気を付けたいのはそれぞれの実施項目です。場合によっては、必須とされる診断項目が診断されないこともあります。特に従業員各自に受診させるパターンにおいては、従業員が間違えて受診してしまうケースも多いです。推奨する病院などを紹介して、スムーズに受診ができるよう促してあげるのも大切です。
 

 

一般健康診断の項目

 

従業員を雇い入れたときの健康診断や定期健康診断などは、一般健康診断という呼称で分類されます。その項目をみてみると、既往歴および業務歴の調査、自覚症状および他覚症状の有無の検査、体重、視力、腹囲および聴力の検査、胸部X線検査、血圧測定、尿中の蛋白の有無検査は、必須項目として診断を受けなければなりません。
 

ただし、定期健康診断の場合、年齢や医師の判断により、省略できる項目もあります。身長喀痰検査、血色素量および赤血球数をみる貧血検査、肝機能検査、LDLコレステロールやHDLコレステロールおよび血清トリグリセライドをみる血中脂質検査、血糖検査、尿中の糖の有無検査、心電図検査がそれにあたります。
 

しかし、雇い入れのときの健康診断ではこれらを省略することはできません。定期健康診断のときのみ省略可能なので注意しましょう。

 

【参照】一般財団法人 日本健康倶楽部

 


健康診断について企業が理解しておきたいポイント

 

健康診断を企業が行ううえでは、注意したいポイントがいくつかあります。ここではその気を付けたいポイントを紹介していきます。

 

 

費用の負担は企業側

 

事業者に実施が義務付けられている健康診断の費用は、ほとんどの場合において、事業者側に負担義務があります。ただし、たとえば人間ドックなどの高額な健康診断を受診する場合は、定期健診費用に相当する部分のみを企業側が負担するに留めることも可能です。

 

その際には、トラブルを回避するためにも、従業員にその旨をあらかじめ通知するとスムーズでしょう。また、周辺の病院の定期健診費用をもとにして、会社が負担する上限額も併せて伝えることも大切です。

 

一般健康診断においては、企業側に実施義務があり、一般的な健康確保を目的としています。そのため、業務遂行との直接の関連はなく、受診時間の賃金については支払い義務は生じないと考えられています。

 

しかし、従業員の不満などを考慮すると、支払うことが望ましいとされていることは事実です。双方が納得いく形で、健康維持に努めることが大切です。

 

なお、特殊健康診断は業務の遂行に関して必ず実施しなければならない健康診断ですので賃金の支払義務が発生することに注意しましょう。
 

 

健康診断結果の保管義務がある

 

会社側には、健康診断の結果から個人票を作成して、5年間保有しなくてはならないという義務があります。その際には、本人の承諾が必要です。病院側から本人用と事業所保管用の結果が送られてくる場合も多いです。

 

それを保管しておけば問題ありません。また、個人で受けた場合など、一般健康診断の必須項目以外の診断結果については、保管義務は特にありません。

 

派遣労働者の場合は、一般健康診断に関する健康情報の取り扱いを、派遣元事業者の責任において行うのが一般的です。派遣元の事業者は、派遣労働者の同意を得ずに取り扱ってはいけません。

 

たとえば、同意なしに派遣先事業者に健康情報を渡すことなどは禁止されています。

 

 

受診結果の報告義務がある

 

常時50人以上の従業員を雇用する事業者には、所轄の労働基準監督署に対して健康診断結果を報告する義務が生じます。この報告義務も労働安全衛生法によって定められているため、守らないと違法行為とみなされてしまいます。

 

また、50人未満の従業員数であっても、報告する義務が免れるのみという点には注意が必要です。健康診断を受けさせる義務がなくなるわけではありません。

 

 

健康診断を実施しないと罰則がある

 

前述の通り、適切な健康診断を受けさせていないということは、違法行為にあたります。労働基準監督署からの指導が入り、それを無視していると、罰金50万円以下の罰則がくだることがあるので、従業員の健康管理は絶対にするようにしましょう。

 

ただし、忙しさなどを理由に、従業員が健康診断を拒否することも考えられます。未受診のまま会社がいずれかのアクションもかけずに、結果その従業員に健康被害がでた場合、会社は安全配慮義務違反という責任を負ってしまう場合もあります。必ず受診するよう促しましょう。

 

従業員に健康診断を受けさせる意味合いは、従業員の健康や安全を担保するだけに留まりません。企業イメージや信頼の獲得につながります。特に社会の働き方に対する意識が変わりゆく中においては、従業員ひとりひとりに対する健康面での配慮が大切です。

 

前回はこちら

 


常陸國住人 飯嶋正広


夭折の詩人、立原道造をしのんでNo3

 

とらや書店2代目店主のツイッター記事の抜粋から、

 

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「暁と夕の詩」で知られる立原道造は水戸藩の学者一族の立原翠軒に繋がるという説がある。翠軒の子、杏所は著名な画家、その子朴二郎、妹の春沙ともに優れた絵かきだった。その子が立原道造といわれるが、水戸の研究者たちは一笑に付していた。立原道造本人が杏所を祖父と言っていたらしい。

 

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(中略)
朴二郎は水戸藩の闘争に巻き込まれ、若くして戦死した。長男は早世、長女羊子の子は道造とは違う。水戸藩では立原家は絶家となっている。道造が立原家に繋がると良いのだが。

 

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とらや書店主人の郷土愛から、その気持ちはよくわかるような気がします。
まず、伝承ですが、「立原道造本人が杏所を祖父と言っていたらしい。」との情報について年代的に検討してみたいと思います。
  

立原杏所が文字通り道造の祖父であると仮定して系譜を検討するならば、立原杏所は道造の母である立原とめの父に当たることになります。が、互いの生没年を比較してみます。杏所には9人の子があり、そのうち女子は6人で、長女・阿端、次女・於青、三女・栗、四女(徳川斉昭側室・喜連川縄氏の生母)・利子(夏)、五女(友部煕正妻)・辰子、六女(千葉道三郎妻)・稲子です。

 

この6人の女性の中で、暫定的に道造の母に比定できるのは、長女、次女、もしくは三女に限られてることになります。ただし、登免(光子)という名との一致はありません。次に、祖父と孫の生没年を比較すると、杏所(1786-1840)、道造(1914-1939)であることから、祖父と孫の年齢差は128歳になります。また、祖父の死亡後74年後に孫が誕生したことになります。

 

道造誕生時の母の年齢は未確認ですが、祖父杏所の最晩年である54歳時の生まれだとして1840年、道造出産時には74歳となり、常識的にいってあり得ない計算となります。先祖代々の土地を<父祖の地>と呼ぶように、道造が数代前の特定の先祖に親しみをこめて<祖父>と言っていたとしても非難するには当たらないと私は考えます。なお、道造の実の祖父とは祖母立原朝子の配偶者である養子の平衛門(中村氏)ということになります。祖父とはいえ他家からの養子ということになることも無関係ではないように思われます。

 

なお、道造の母、立原とめの談によると、登免(とめ)は翠軒の四代目にあたるとのことです。この証言をもとに簡単な直系系譜を作製すると、

立原翠軒(1)―杏所(2)―佐之介(3)―朝子(4)―登免(5)―道造(6)
という繋がりになります。

 

すると、道造が祖父と呼んでいた杏所は高祖父にあたります。

また、高祖父である杏所の男子は3人で、長男・元三郎、二男・清彦、三男(家督相続者)・朴二郎とされているのですが、いずれかが左之介と同一人物である可能性があるかどうかが問題となります。

 

但し、これは立原道造の詩集である『立原道造全集』の解説の中でも、系図上必ずしも明らかでない点が指摘されているようです。

 

前回はこちら

 

 

アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo35 

 

今回は興味深い医学的描写に満ちています。

短いながら内容の詰まったパッセージであるため先行翻訳者三氏の比較研究も、いっそう綿密に検討することになりました。

警部の最後の発言から始まります。なお、私の翻訳は、医師なるが故の若干のこだわりが反映される結果となっています。

 

―C’est le temps, voilà tout, conclut le commissaire.
C’était le temps, sans doute. Tout poissait aux mains à mesure que la journée avançait et Rieux sentait son appréhension croître à chaque visite. Le soir de ce même jour, dans le faubourg, un voisin du vieux malade se pressait sur les aines et vomissait au milieu du délire. Les ganglions étaient bien plus gros que ceux du concierge. L’un d’eux commençait à suppurer et, bientot, il s’ouvrit comme un mauvais fruit. Rentré chez lui, Rieux téléphone au dépôt de produits pharmaceutiques du département. Ses notes professionnelles mentionnent seulement à cette date: « Réponse négative ». Et, déjà, on l’appelait ailleurs pour des cas semblables. Il fallait ouvrir les abcès, c’était evident. Deux coups de bistouri en croix et les ganglions déversaient une purée mêlée de sang. Les malades saignaient, écartelés. Mais des taches apparaissaient au ventre et aux jambes, un ganglion cessait de suppurer, puis se regonflait. La plupart du temps, le malade mourait, dans une odeur épouvantable.

―「陽気のせいですな。ただそれだけのこと。
(註1)と警部は決めてかかった。
陽気のせいであることに相違なかった。昼間の時が経過していくにつれて何もかもが両手の中でべとつくようになり(註2)、リゥ医師は、往診を重ねるたびに自分の不安が募っていくのを感じていた。その日の夕方、街外れでは、件の老いたスペイン人患者の近隣の男性が、錯乱状態の最中(さなか)、両側の鼠径部を押さえ嘔吐し続けていた(註3)。腫れ物のいくつかは例の管理人のものよりもずっと大きくなっていた(註4)。そのうちの一つは、化膿し始めたかと思うと、間もなく腐った果実のように裂けた。リゥは帰宅するなり県の医薬品保管所に電話をかけた。その日の彼の業務日誌には、「否定的回答」とのみ記されている。そして、すでに他のところからも同じような症例で呼ばれるようになっていた。膿瘍を切開しなければならないのは明らかだった。メスを2回入れて十字切開すると、腫れ物からは血の混じったどろどろの膿汁が流れ出た(註5)。患者たちは傷口だらけで血まみれになった(註6)。しかし、腹部や両脚に斑点が点々と現れ、腫れ物の一つは膿排出が収まったと思いきや、またぶり返して膨れあがった(註7)。ほとんどの場合、患者は耐え難い悪臭を放ちながら息絶えていった(註8)。


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(註1)

陽気のせいですな。ただそれだけのこと。
C’est le temps, voilà tout,
   

前半Le tempsの訳は、天気、気候、天候いずれでも通じますが、発話者が意識しているのは、蒸し暑い環境についてであり、少なくとも寒冷なそれではありません。そのような気候や天候をさす邦語として、「陽気」という言葉を活かしてみたいと考えました。

後半の句、voilà tout,は慣用句です。口から反射的に発せられる表現です。ですから、標準的な辞書的翻訳のままとしました。

 

「天気のせいですな、それだけです」(宮崎訳) 

 

「気候のせいですな、結局は」(三野訳)

 

「天候のせいですな、それしかない」(中条訳)

 

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(註2)

昼の時が経過していくにつれて、何もかもが双手の中でべとつくようになり、

Tout poissait aux mains à mesure que la journée avançait

 

<Tout poissait aux mains>のmainsはmainの複数形で両手を意味しますが、暑熱環境下では両方の掌(てのひら、たなごころ)がべとつくことになります。「手の中で」(三野訳)は、この点に配慮があります。
<à mesure que~>は、慣用句、~につれて
<la journée avançait>のla journéeには毎日という意味では用いられていないと考えます。むしろ、気温や湿度がじわじわと高くなる日中(昼下がり)を意味すると考えたいです。

 

「毎日時刻が進むにつれて何もかも手にべたつくようになり」(宮崎訳) 

 

「日中の時刻が進むにつれて、あらゆるものが手の中でべとつき、」(三野訳)

 

「その日の時刻が進むにつれて、あらゆるものが手にべとつくようになり、」(中条訳)

 

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(註3)

譫妄(せんもう)状態の最中(さなか)、両側の鼠径部を押さえ嘔吐し続けていた。

se pressait sur les aines et vomissait au milieu du délire

 

<les aines>のainesはaine(鼠径部)の複数形なので、「両側の鼠径部」と訳しておきたいところです。患者自身が押圧しているのが一方の鼠径部のみなのか両側の鼠径部なのかによって姿態は大いに異なってくるはずであるし、舞台化する場合の脚本では極めて重要な意味を持ってくるのではないでしょうか。

 

<au milieu du délire>のau milieu du,すなわち、au milieu de…は、慣用句で…の最中に、…の間で、の意。<délire>は、精神錯乱、譫妄(せんもう)を意味します。ロワイヤル仏和中辞典には好適な例文が挙げられています、<Une forte fièvre peut s’accompagner de délire.(高熱は錯乱[うわ言]を伴うことがある)>。ただし、ペストの知識があって、とくに典型的な腺ペストには発熱を伴うことがあることを知っている読者でない限り、「熱にうなされながら」(宮崎訳)は、原文より一歩踏み込んだ訳出であると考えます。

 

とは言え、私は、<délire>を譫妄(せんもう)と訳したのは、この用語が医学用語の一つであり、かつ、医学用語として読解することによって場面状況がより鮮明になるからです。譫妄とは、意識の変容を伴う軽度意識障害であり、高熱状態、全身衰弱、術後などに観察されます。つまり、原因は高熱には限定されず、また、うわ言を発することもありますが必発の症状ではありません。

 

次に<au milieu du délire>譫妄(せんもう)状態の最中(さなか)、何の最中なのかということについて、先行翻訳者は三氏とも、吐瀉し続ける症状・行為と結びつけています。これらに対して、私は、両側の鼠径部を押さえ嘔吐し続けていた、という一連の行為が譫妄状態下で発生しているものと解釈しました。とりわけ、「うわごとをいいながら嘔吐をくり返した。」(中条訳)には医学的には無理があるように思われます。嘔吐をくり返している状態でうわごとを発するのは不可能ではありませんが、かなりの困難を伴います。

 

「鼠蹊部を押さえ、熱にうかされながら吐瀉しつづけた。」(宮崎訳) 

 

「鼠蹊部を押さえて、錯乱状態で嘔吐した。」(三野訳)

 

「鼠径部に痛みを訴え、うわごとをいいながら嘔吐をくり返した。」(中条訳)

 

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(註4)

腫れ物のいくつかは例の管理人のものよりもずっと大きくなっていた。

Les ganglions étaient bien plus gros que ceux du concierge.
   

<les ganglions> ガングリオンとは、皮下のしこりで俗にグリグリと呼ばれることもあり、音が似ていることが興味深いです。

ロワイヤル仏和中辞典では、<avoir des ganglions (ぐりぐりができている、リンパ腺がはれている)>という例文が挙げられています。ペストに関しては、リンパ腺に由来する「腺ペスト」という言葉が残っていますが、リンパ腺は、現在ではリンパ節と呼ばれることが普通であり、したがって、リンパ腺炎ではなくリンパ節炎とするのが妥当です。

 

また、訳出にあたってganglionsはganglionの複数形であり、この場合はとくに多数のリンパ節を表していると理解すべきです。そして、その場合、すべてのリンパ節が、先般死亡した管理人のリンパ節より大きいということではなく、いくつかのかなり大きく腫れたリンパ節が目立っていたことを描写したものであることが想定されます。ただし、ここでは、リンパ節炎あるいは炎症リンパ節と訳すより、単に、口語的に「腫れ物」と訳してみたいところです。

 

「リンパ腺は門番のより大きくなっていた。」(宮崎訳) 

 

「リンパ節の腫れは、管理人のときよりもずっと大きかった。」(三野訳)

 

「リンパ節は死んだ管理人より大きく腫れあがっていた。」(中条訳)

 

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(註5)

メスを2回入れて十字切開すると、腫れ物からは血の混じったどろどろの膿汁が流れ出た。

Deux coups de bistouri en croix et les ganglions déversaient une purée mêlée de sang.

 

<Deux coups de bistouri en croix>ここは、「十字切開」という平易な医学的慣用表現を用いました。この基本的外科手技は、排膿を促して治癒を促進させる目的で、古くから一般的に行なわれています。

ここでは、比較的実務的で写実的表現が取られているので、「膿が吐き出された。」(三野訳)と文学的に訳さない方が原文の味を損なわないような気がします。

 

「メスで二すじ十文字に切ると、リンパ腺からは血のまじったどろどろの汁が流れ出た。」(宮崎訳)

 
「メスで二すじ十字に切ると、リンパ節からは血の混じった膿が吐き出された。」(三野訳)

 

「十字状に二度メスを入れると、リンパ節から血の混じったどろどろの膿が流れでた。」(中条訳)

 

・・・・・・・・・・

 

(註6)

患者たちは傷口だらけで血まみれになった。
Les malades saignaient, écartelés.

 

<Les malades>を患者たちと訳すか、病人たちと訳すかは好みの問題もあるかもしれません。私は患者≠病人と考えています。医師の管理下にある病人であれば、患者、そうでない場合を病人、と訳し分けるようにしています。それでも、les maladesと複数形の場合は文脈上「病人たち」と訳すことがありますが、単数形le maladeの場合は、対称が個人に特定されるので社会的に見放されていない限り「その患者」と訳すことが多いのではないかと考えます。

 

<saignaient>の不定詞saignerという自動詞は出血する、という意味以外に、文語的には痛む、傷つく等の意味でも用いられます。

 

また、<écartelés>は、解釈が大きき分かれるところのようです。Les malades écartelésと捉えて直訳すると(4つに引き裂かれた患者たち)、邦語表現としては、簡単に言えば、引き裂かれた患者たち、あるいは八つ裂きにされた患者たち、ということになるかもしれません。

 

Écartèlement という名刺には、(心の)葛藤、分裂、板挟みという意味があり、患者が肉体的にも精神的にもひどく苦しんでいる(⇒三野訳)と訳すことも可能であるし、Écartelérという動詞には、確かに(手足を司法に引っ張る)という意味での用法(⇒中条訳)があります。しかし、私がカミュの簡潔な文体から感じ取れるのは、医師リゥの視点を通して記述しているのではないか、ということです。そこで、私の訳は宮崎訳に近いものとなりました。

 

「患者たちはからだじゅう傷口だらけになって、出血していた。」(宮崎訳) 

 

「病人たちはひどく苦しみ、血を流していた。」(三野訳)

 

「病人たちは四肢を突っぱらせて血を流した。」(中条訳)

 

・・・・・・・・

 

(註7)

腫れ物の一つは膿の排出が収まったと思いきや、またぶり返して膨れあがった。

un ganglion cessait de suppurer, puis se regonflait.

 

この部分の解釈に争いは少ないようですが、翻訳者の感性にしたがっ て、表現が様々に工夫されています。

 

「一つのリンパ腺は膿がとまったかと思うと、やがてまたはれあがってくる。」(宮崎訳) 

 

「リンパ節は膿を出すのをやめても、それからまた腫れ上がっていった。」(三野訳)

 

「リンパ節の膿が止まったかと思うまもなく、また腫れあがってくる。」(中条訳)

 

・・・・・・・・・・・

 

(註8)

患者は耐え難い悪臭を放ちながら死んでいった。
le malade mourait, dans une odeur épouvantable.

 

(註6)で述べたように、私はカミュの簡潔な文体から、医師リゥの視点を感じ取ることができます。そこで、「死んでいくのであった。」(宮崎訳)のように重みづけをしたり、「息絶えた。」(三野訳)のように文芸的表現ではなく、むしろ、「死んでいった。」(中条訳)とシンプルに訳した方が、かえって余韻が残るように感じられます。

 

「患者は、すさまじい悪臭のなかで死んでいくのであった。」(宮崎訳) 

 

「病人は耐えがたい悪臭の中で息絶えた。」(三野訳)

 

「病人は恐ろしい悪臭のなかで死んでいった。」(中条訳)

 

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聖楽院主宰 テノール 

飯嶋正広

 

別科音楽理論ⅡA 佐藤誠一先生からの課題

 

6月18日(土)の佐藤先生の授業が音大の業務の都合で臨時休講になりましたが、その日の授業の出席の代わりとしての課題が提案されました。

 

課題の内容は、

まず、予め先生が提示した小楽節(冒頭4小節)をもとに1部形式の大楽節(提示小楽節+新規作成4小節)を作るという課題です。

 

次いで大楽節2部形式の3類型での作曲課題です。

 

実際に作曲して、これらを繋げてみると、一つのまとまった曲が完成することに気がつきました。

 

私は声楽科に所属しているため、歌詞をつけてみました。

 

 

タイトル『歌はいつも友達』

 

1部形式:

愛に満ちた生活、歌はいつも友達

 

2部形式(a-a’-a-a’’):

愛に満ちた毎日、歌はいつも心の支え、

愛に満ちた生活、さあ、これから始めましょう。

 

2部形式(a-a’-b-a):

愛に満ちた毎日、辛いときも希望をくれる、

そんな歌に出会えたなら、

苦しみ(2番歌詞:悲しみ)などなんのその。

 

2部形式(a-b-c-d):

愛に満ちた毎日、声を合わせて歌いましょう。

暑い日でも、寒い日でも、

歌があれば爽やか(2番歌詞:健やか)。

 

 

これは、記念として、聖楽院のテーマソングとして登録させていただくことも検討したいと思います。

 

冒頭の楽章は佐藤誠一先生のご提案なので、相談してみたいと思います。

 

ピアノ伴奏譜を付して、前奏と間奏そして後奏を整えればユニゾンの声楽曲が完成します。そして、さらに研究すれば、やがて4声の楽譜を作製することもできるかもしれません。

 

実際の提出した手書きの用紙と、確認用の楽譜を添付します。

 

課題A提出したもの

 

課題A

 

前回はこちら

 


認定内科医、認定痛風医

アレルギー専門医、リウマチ専門医、漢方専門医

 

飯嶋正広

 

 

 

肝疾患の治療薬について(No3)

 

<脂肪肝とアルコール性肝障害>

 

全国の人間ドック受診者の33%に肝障害があり、その大部分は脂肪肝です。

 

脂肪肝には、1)過栄養性(肥満や糖尿病に伴う)と2)アルコール性があります。
アルコール性か非アルコール性かの区別は、1日平均アルコール摂取量で決定することができます。これには男女差があります。

 

飲酒量がエタノール換算で男性では30g/日以下、女性では20g(日本酒換算1合)/日以下の脂肪肝であれば、非アルコール性脂肪肝性疾患(non-alcoholic fatty liver disease: NAFLD)と総称します。NAFLDも、わが国で有病率の高い疾患です。

 

NAFLDのうちで、肝生検でアルコール性肝炎と類似した病理組織を呈し、進行性で肝硬変や肝癌にも進展し得るものを非アルコール性脂肪肝性肝炎(NASH)と呼びます。
しかし、実際に、日常診療で肝生検を実施できる頻度は少なく、組織による確診を得ることが必ずしも容易ではありません。そのような場合には、非アルコール性脂肪肝(NAFL)と呼びます。

 

診断の黄金基準は、肝組織診断ですが、具体的には、肝臓に脂肪蓄積(肝細胞の5%以上)を認め、アルコール、薬剤、遺伝子疾患等による二次性脂肪肝を除外して診断します。

 

NASHの診断のためには、肝細胞傷害(風船様変化)や小葉内炎症を伴います。また、画像検査や肝線維化マーカーによる低侵襲の肝線維化評価の有用性が注目されるようになってきました。

 

第119回日本内科学会講演会(2022年)の教育講演18.NAFLDの病態と治療(竹井謙之:三重大学名誉教授)によれば、「NAFLとNASHは相互移行がある.NAFLDはメタボリックシンドロームに関連する諸因子と共に、組織診断あるいは画像診断で脂肪肝を認めた病態である.内臓脂肪型肥満、それに起因するインスリン抵抗性は発症・病態進展の重要な因子である.」と述べています。

 

杉並国際クリニックでは肝生検などの組織診断は実施していませんが、画像診断として超音波検査を積極的に活用できるので、脂肪肝の診断とともにNAFLDのうちでNAFLと診断することまでは可能です。ただし、NASHと診断するためには、肝生検などの組織診断が不可欠です。

 

ただし、NAFLDと診断できた段階で、「脳・心血管イベントや多発臓器の発癌リスクとしても重要である.」(再掲:竹井謙之)ため、脂肪肝は初期の段階から積極的に治療介入する必要がある病態であると考えます。

また、「現時点でNAFLEDに対し保険適応を有する薬物は存在しないが・・・NAFLD/NASHの病態解明の進展に伴いパラダイムシフトというべき大きな変化が起こった. 肝線維化の程度が最も重要な生命予後規定因子であることが示され」(再掲:竹井謙之)たことを受けて、2020年に日本消化器学会・日本肝臓学会の「NAFLD/NASH診療ガイドライン」が全面的に改訂されました。

 

NASHの治療では、食事と運動による体重の減量(肥満症例では7~10%の減量で組織学的改善が示される)が基本です。

 

また、ビタミンEやウルソデオキシコール酸(UDCA:ウルソ®)の有効性が報告されています。

 

さらに基礎疾患(生活習慣病)合併例で有効性が報告されている薬剤を考慮します。

 

・糖尿病合併例:インスリン抵抗性改善薬(チアゾリジン薬、SGLT2阻害薬、GLP-1受容体作動薬、メトホルミン)

 

・脂質異常症合併例:スタチン系薬、フィブラート系薬

 

・高血圧合併例:降圧薬(ARB,ACE阻害薬)

 

これに対して、アルコール性脂肪肝の治療法は、節酒(断酒または減酒)につきます。
動機付け面接法などを取り入れて患者教育と生活指導を十分に行います。

 

アルコール性肝障害は常習飲酒家に発症する肝障害です。

 

常習飲酒者とは摂取エタノール60g(日本酒換算3合)/日以上に相当します。

わが国では、肝硬変の約20%を占めます。

女性では男性の2/3の飲酒量で肝硬変になり、しかも短期間に進展し易いので注意を要します。

それぞれの段階の肝病変に対する基本的治療法は、ウイルス性のものと本質的な違いはありません。飲酒に伴う低栄養だけでなく、肥満も肝障害進展の危険因子なので、過栄養に対するとりわけ、薬物療法よりも、禁酒を含めた生活指導を優先し、アルコール依存症患者には自助会(AAなど)への参加を促します。

 

嫌酒薬(ノックビン®)は、禁酒の意思を強化するために服用を勧めます。

 

また、断酒を維持する目的には、飲酒の強い欲求(渇望感)を抑えるアカンプロサート(レグテクト®)があります。また、アルコール依存症者の飲酒量の低減や肝線維化に対する効果を期待できる薬剤としてオピオイド受容体拮抗薬ナルメフェリン(セリンクロ®)があります。

 

重症アルコール性肝炎は、連続飲酒発作など過度の飲酒をきっかけに発症し致死率は約70%にも及びます。