もう少しツボの世界を見ていきましょう。

 

 

今回は「鳩尾(きゅうび)」です。

 

 

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場所は、胸骨剣状突起のすぐ下にあります。

 

 

「気管支喘息」「肺気腫」「胃炎」「胃痙攣」「しゃっくり」等に効果があります。

 

 

<参考文献>

 

 

このツボが効く 先人に学ぶ75名穴       谷田伸治 

 

 

経穴マップ イラストで学ぶ十四経穴・奇穴・耳穴・頭鍼      監修  森 和

                                      著者  王 暁明・金原正幸・中澤寛元 

 

 

高円寺南診療所 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

C型急性肝炎(HCV)は感染すると、健康成人の感染であっても、急性の経過で治癒するのは30%であり、感染例の慢性化率は60~70%で持続感染が続き、特に輸血後肝炎に多く、またウイルスの自然消失は年率0.2%とまれです。

 

日本での一般人口におけるHCV抗体陽性率は2%、約200万人存在するとされています。

 

C型肝炎はほぼ100%ウイルスの永続的な排除が期待できる疾患です。

 

非代償性肝硬変例、肝細胞癌治療中の症例、併存疾患のため予後不良の症例を除き、原則として全例が治療適応になります。

 

HCVキャリアが無治療のとき、慢性肝炎60~70%、肝癌25%、肝硬変15%に進展します。

 

C型肝炎の治療目標は持続的なウイルス陰性化を可能な限り目指すことが治療の基本となりました。

 

HCV持続感染によって惹起される肝硬変、肝臓癌の抑制にあります。わが国の肝細胞癌の原因として最も多いのがC型肝炎ウイルスです。

 

C型肝炎の発癌リスク因子には、高齢、糖尿病、肝線維化、肝脂肪化が挙げられます。

 

C型肝炎ウイルスの肝外病変として、クリオグロブリン血症、慢性唾液腺炎、慢性増殖性糸球体腎炎(MPGN)、心筋症、慢性甲状腺炎、扁平苔癬、間質性肺炎などがあります。

 

 

まず行う検査は腹部超音波検査とHCVのRNA定量です。C型肝炎の治療方針決定に際し、ウイルス量とgenotypeは治療方針に大きく影響します。

 

 

インターフェロン治療は、わが国では1992年からC型肝炎に対する治療で、一般臨床で使用開始されました。

 

インターフェロン単独療法からリバビリン併用療法、さらにペグインターフェロンとリバビリン併用療法が標準的抗ウイルス療法となったことより著効(SVR:sustained virological response)率は向上しましたが、難治性であるHCVゲノタイプ1型・高ウイルス量の症例では同療法においてもSVR率が40~50%でした。

 

日本におけるC型肝炎はインターフェロンが効きにくいgenotype1b型が多いです。

 

 

インターフェロン単独療法の効果が良好なのは、

①RNA量が少ない、

②genotype2a/2b、

③線維化が軽度、

という条件があります。

 

またインターフェロンの副作用として、インフルエンザ様症状、血球減少、精神症状(抑うつ症状があり、自殺例もある)、自己免疫現象、間質性肺炎、心筋症、眼底出血などの問題がありました。

 

 

ゲノタイプ1型の高ウイルス量HCVにおいて3剤併用(ペグインターフェロン+リバビリン+シメプレビル)が適応になります。

 

リバビリンは腎機能低下例(Ccr≦50mL/分)や透析患者には禁忌であることをはじめ、副作用として脳出血、溶血性貧血、催奇形があります。

 

またシメプレビルは高ビリルビン血症による死亡例が報告され、ビリルビン上昇に注意する必要があります。

 

 

C型肝炎ウイルスに対する治療は2014年以降、従来のインターフェロン中心の治療から、経口直接型抗ウイルス薬(DAAs:Direct Acting Antivirus)によるインターフェロンフリー治療へと大きく転換しました。

 

DAAsは単独投与では耐性ウイルスが出現しやすいため、異なる種類のDAAs2剤または3剤併用療法が基本となります。

 

インターフェロンフリーの直接型抗ウイルス薬(DAA)NS5A阻害薬であるダクラタスビルとNS3・4Aプロテアーゼ阻害薬であるアスナプレビルとを併用した経口療法は2014年に承認され、従来のインターフェロン不適格例や無効例に対する治療が可能になり、SVR率も80~90%に達しました。

 

新たなインターフェロンフリーの直接型抗ウイルス薬DAAであるNS5A阻害薬(レジパスビル)/NS5B阻害薬(ソホスブビル)配合薬はゲノタイプ1型のC型慢性肝炎・代償性肝硬変に対して承認され、ウイルス量に関係なく使用します。

 

この場合リバビリンは兼用しません。12週でのSVR率は99%まで向上しました。

 

ゲノタイプ1型のC型慢性肝炎・代償性肝硬変に対するインターフェロンフリー治療としてハーボニー®(各種PPI併用注意)及びヴィキラックス®(カルシウムチャンネル拮抗薬に併用禁忌・注意)に加えて、2016年にはグラゾプレビル+エルバスタビル併用が承認され、2017年には抗C型肝炎ウイルス薬グクラタスビル塩酸塩・アスナプレビル・ペクラブビル塩酸塩配合(ジメンシー®)も承認されました。

 

 

ゲノタイプ2型のC型慢性肝炎・代償性肝硬変に対する第一選択はソフォスブビル+リバビリン併用でしたが、2016年にはゲノタイプ2型のC型慢性肝炎に対してヴィキラックス®+リバビリン併用が承認されました。

 

 

2017年に、すべてのゲノタイプ(パンゲノタイプ)のC型慢性肝炎及び代償性肝硬変に対する治療薬として、グレカプレビル水和物・ピブレンタスビル配合の抗C型肝炎ウイルス薬グレカプレビル水和物・ビブレンタスビル配合(マヴィレット®)が承認されました。

 

 

HCVによる肝硬変では肝移植後にほぼ全例で再発していましたが、近年C型肝炎の治療向上により、SVR率も向上しています。

 

参照:C型肝炎治療ガイドライン(第54版)(日本肝臓学会,2017

SScでは爪上皮に出血点を認め、中指や環指に生じやすいです。非特異的ですが石灰化も認められます。

 

合併症として食道蠕動運動の低下による逆流性食道炎、食道拡張、偽性腸閉塞、腸管嚢状気腫症、腸内細菌の過剰増殖により10~30%に吸収不良や、下痢、脂肪便、体重減少など吸収不良症候群、間質性肺炎、心伝導障害などが見られることがあります。

 

また高血圧を来す場合は高レニン血症を伴う悪性高血圧を疑う必要があり、強皮症腎による腎不全(強皮症腎クリーゼ)を来すことがあります。

 

強皮症腎の腎病理組織所見では、小葉間動脈壁肥厚(小葉間動脈周囲のムコ多糖増加による内膜肥厚)、onion-skin lesionがみられます。

 

 

2013ACR/EULAR SSc分類基準に含まれているのは、皮膚硬化、指尖部病変、毛細血管拡張、爪周囲の毛細血管異常、間質性肺疾患または肺高血圧症(肺動脈性肺高血圧症)、レイノー現象、SSc関連特異的自己抗体(Scl-70抗体抗セントメア抗体RNAポリメラーゼ抗体)などです。

 

 

またSScの心筋障害には、微小冠血管攣縮(心臓レイノー症候群)が関与します。そのため、早期診断には、冠動脈造影ではなく、負荷心筋血流シンチグラフィ―が有用とされます。

 

SScの心筋症の評価において、遅延造影MRIは心筋の線維化の評価に有用です。ガドリニウム(Gd)投与後約15分後のT1強調画像が線維化の評価に有用です。

 

 

レイノー現象、皮膚潰瘍などの血管病変に対して血管拡張作用のあるカルシウム拮抗薬プロスタグランジン(プロスタサイクリン)、エンドセリン受容体拮抗薬が用いられます。

 

エンドセリン受容体拮抗薬のボセンタンは、肺高血圧症の治療薬として開発されましたが2016年に難治性皮膚潰瘍にも保険適用となりました。

 

なお、エンドセリン受容体拮抗薬は間質性肺炎があると、換気血流比(V/Q)不均衡を引き起こし、呼吸不全を悪化させることがあるために注意を要します。

 

 

強皮症腎、特にクリーゼには抗RNAポリメラーゼⅢ抗体が関与します。

 

強皮症腎ではACE阻害薬を用います。

 

ステロイドパルス療法など副腎皮質ステロイドは強皮症腎クリーゼの誘発因子になりため、治療のためには原則プレドニゾロン換算で20mg/日以下です。

 

1:00pm(羽田より新宿西口に向かうリムジンバスより)

 

 

中欧研修旅行の報告は、第14回で終了の予定でしたが、

 

旅行というものは、出発地に戻るまでの一連の流れであることを忘れていました。

 

 

昨日のFrankfurt中央駅で空港までの切符を購入する準備のところまで話を戻します。

 

たとえ残り僅かの時間であっても、1ユーロの通貨は何枚か手元にないと不自由あることは、説明した通りですが、生憎のエンプティとなったため、駅の目の前で1万円をユーロに変えたら5,78ユーロでした。

 

両替手数料が差し引かれての額ですが、10ユーロは2万円位の感覚を持っておいた方がよいかもしれません。

 

切符の券売機のタッチパネルであれこれやっていると、次から次と、若い女性が近寄ってきて話しかけてきます。

 

私としては、最後の最後でミスタッチトラブルは避けたいので無視を決め込んでいます。

 

ドイツ語、英語、中国語を次々に駆使してユーロが欲しい、おつりの分だけでも・・それだけの努力と能力があるのなら、まともな職業に就けないハズが無いと思うので不思議に思いました。生活に困っているような栄養状態にも見受けられません。私は、タモリ流のハナモゲラ語を使って巻くことにしました。

 

 

 ドイツの主要駅は、いわゆる終着駅で、多数のホームがあります。行き先ごとに決まっている訳ではないので、その都度、案内板を頼りに乗車します。

 

最終日なので、最大限に慎重を期して2:20pmには空港に到着しました。

 

搭乗券は発券機でセルフサービスになっていますが、私の場合、何度トライしてもエラーになってしまいました。

 

そこでルフトハンザのグランド職員(スリムな体型の早口な黒人女性)に相談すると、もう一度、指示に従って手続するようにいわれました。

 

何度も試みたが駄目だということを強調したら、ようやく発券手続を協力してくれました。

 

結果的に、彼女がやってもエラーがでました。

 

そこで、なぜこのようなことが起こるのかと質問したら、「この種の機会は時々調子が悪くなる」というようなことを話しながら、別の方法で発券してくれました。一瞬わが耳を疑いました。

 

次は出国検問所です。白人女性の検問警察官が私のパスポートを随分と時間をかけて、しげしげ眺めながら、「昨日はどこに宿泊を?」「Frankfurtです。」「その前の日は?」「Leibzigです。」「Berlinの空港を出てからどのように?」「その後は、Dresden、Leipzig、Frankfurtと電車で移動しました。」と答えると、「Then you must have EU residency card! Show me! (それでは、あなたはEU圏内居住者カードを持っているはず。提示してください。) 」と言って厳しい目でこちらを見据えてくるので、私は[ I am just a traveler only for 2 weeks. It’s my first experience to be asked like this. I’m a little bit embarrassed. ](私はたった2週間だけの旅行社です。こんな尋問をされたのは初めてです。多少ムカついていますよ。)と答えたら、OK! Pass by. だそうです❓❓❓

 

 

6:05pm羽田着のルフトハンザの搭乗者が、そのあと続々と集まってきました。ひときわ目立っていたのが、制服の男女の高校生で、それぞれにいろいろな楽器を抱えていました。

 

きっと、音楽科のある高校生の修学旅行なのだろう、とボンヤリながめていると、不審なアナウンスが聞こえてきました。6:05pmに羽田に向けて出発予定のルフトハンザの便がオーバーブッキングになっているため、後の便に変更可能な乗客(セカンドクラスの)を募るアナウンスです。

 

謝礼として規定額の800ユーロを受け取れるとのことですが、誰も申し出ようとはしませんでした。

 

すでに、足止めを食っている日本の若者たち数名が困惑していました。

 

私は、それほど多数のオーバーブッキングがあるとは知らず、搭乗ゲートを通過すると、何と、私のところに✖のサインが出現するではありませんか・・・

 

そのゲートのグランドオフィサーが私に「少々お待ちください」という。私が搭乗できない可能性があるというのです。

 

「何か私に手続き上のミスがありますか?」と尋ねると、お客様には全く責任はございません。」「それでは承服しようがありません。」といったやり取りが続いた後、私は次のように切り出しました。

 

「あなた方の会社は、顧客の当然の権利を侵害してまで、自社の利潤を追求するのですか?」と。するとその日本語を話すシブい顔つきのおそらく日本人であろうかと思われる職員は「はい。全くもって、その通りです。」といけしゃあしゃと答えるではありませんか。

 

私は「そこまで、はっきり仰るのだから、返す言葉は見つかりません。しかし、私は、医者であり、患者さんが待っているんですよ。ここに何時間前から待っていると思っているのですか。搭乗直前になってのアナウンスというのも理不尽ですね。それから、搭乗の可否の決定基準なり、プライオリティ(優先順位)などがあれば、簡単に説明してください。これは、当然の権利ですよね・・・」

 

ここまで話した後、私の交渉に、いちいちうなずきながら聴いている羊のように大人しく、不安がっている青年たちの存在に気づき、「いいですか。皆さん。このくらいのことを言うのは当然です。理不尽な取り扱いを受けたまま卑屈に引っ込んでいては国際社会を生き抜いていけませんよ。」と、興奮もあってか、ちょっぴり偉そうなことを言ってしまいました。

 

「まったく、そのとおりです。僕たちには勇気が足りませんでした。」と答えました。程なくして、「飯嶋様、ただいま搭乗が可能となりました。」との返事を得ました。

 

そこで、私は「君たち、申し訳ないが先に失礼するよ。とにかく無事に用心して帰ってくださいね。それでは・・・」

 

 

私が着席したのは、丁度、客室乗務員が控えるスペースに隣接し、真ん中の列の通路側で、前は壁なので少しラッキーでした。

 

これでようやく、羽田に向かって帰ることができると思いつつ、興奮が冷めやらず、そのまま帰国後の諸々の企画案を立案しながら数時間を経過しました。

 

少し、疲れてきた頃に、後方からバタンという音に続いて、通路をズルズル引きずる音が聞こえてきました。

 

引きずられているのはモノではなく人間です。年配の小太りの女性です。家族と思われる女性と、外国人の女性が一緒に移動していきました。

 

それが、私の目の前のキャビンアテンダントの空間に入ったかと思うとカーテンで仕切られ、何やら英語でやり取りが始まりました。

 

少し訛のある英語ですが、診療が始まっている有様に気が付きました。

 

なかなか埒が開きません。クルーからはドクター・コールもないので、多少遠慮がちになっていましたが、目前のカーテンの中のやり取りを聴いていて放っておけなくなりました。

 

<Excuse me! I’m a Japanese physician. Could I help you?>(すみません。日本人の内科医です。何かお役に立てませんか。)といって中に入りました。

 

すると、日本人女性客質乗務員が「お医者様でらっしゃいますか?」と不安そうな目で確認するので、「はい。まず脈を取らせてください。」と言うと、彼女は病客に「日本人のお医者様が来てくださいました。」と伝えました。

 

「脈拍60、不整脈無し。血圧計を出し、すぐに測定できるようにしてください。」と指示すると、慣れない手つきで(つまり、十分なトレーニングを受けていない証拠!)で別のアテンダントが簡易血圧計で測定するので、エラーになってしまいます。

 

先ほどの脈のチェックで、少なくともショック状態でないとの検討がついていたので、急き立てずに、「ゆっくり測定してください。間欠的に数値が出ていましたね。どの程度でしたか?」と尋ねると「137と表示されたような・・・」、「そうですね。その程度の血圧のはずです。それでは、下の血圧は?」「たしか70位だったかと・・・」「それで宜しいでしょう」その間、普段の血圧は140台/80台(mmHg)との情報を確認することができました。

 

その間、南米出身の小児科の女医先生が「彼女は、搭乗してから、一切水分を摂取していません。それから、ふだん高血圧の薬と、めまい止めの薬を内服しているとのことです。」という情報を英語で提供してくれました。

 

そこで、わたしは「You mean dehydration?(それで脱水を疑ったのですね)、I also think so.(私も同じ判断です)」と答えました。

 

「恐らくトイレに行くのを気兼ねして水分を控えていたのが、立ちくらみと一過性の意識消失の原因でしょう。ただし、低血糖も否定できませんから、水分と当分の補給をしてください!」と指示したところ、したり顔で「私共も同じ判断をしていました。」と応答しました。

 

・・・この人たちは一体何様?と不愉快に思いましたが聞き流していると、すかさず「コカ・コーラを差し上げても良いですか?」と客室乗務員。

 

「いいえ、炭酸やカフェインは無いものが良いです」と私。「リンゴジュースは?」客室乗務員。

 

「それは良いですね。ただし、そのままでは濃いので水で割ってください。」と注文を付けると炭酸水で割ろうとするので、「ガス(炭酸)の入っていない水で割ってください。」と指示しながら、病客に「舌を出してください」、と声を掛けました。

 

すると「はあい」と答えて、しっかり舌を出し、酸素マスクを外して「もう大丈夫です。ありがとうございます。」という声が聞こえてきました。

 

 

こうしたタイプの患者さんは、自分が発作を起こすと、周囲がどれだけ動揺するのかには無頓着な方がいらっしゃいます。

 

医学的には一過性の脳虚血発作であることが推定されます。

 

高血圧でめまいの薬を常用しているということは、脳動脈硬化症が進行している可能性が少なくありません。

 

エコノミークラス症候群を引き起こしやすいタイプです。脱水により脳血栓を生じるとそのまま急性脳梗塞になる危険性が高いです。

 

 

私は、急病人のとりあえずの安全を確認した後、小児科医の女性に礼を述べた後、カーテンのすぐ後ろの自分の席に戻りました。

 

搭乗員たちは、急病人に水分を補給させた後、トイレで排尿を促していたようです。

 

本人もケロッとしたもので、通路を通りすがりに、私が「落ち着かれて、良かったですね。」と声を掛けると、「ありがとうございました。」と一言。

 

 

搭乗員たちは、既定の書面に必要事項を記載する義務には忠実なようでしたが、私には医学的指示を求めてはきましたが、その後の病客の経過や、ねぎらいの言葉は一切ありませんでした。

 

 

その後ようやく羽田に到着。私は、午後の特別診療の準備のために家路を急ぎました。

 

 

今回の中欧研修旅行の最後の最後になって、航空会社のオーバーブッキング制度という理解困難な社会慣行がまかり通っていることに義憤を感じました。

 

昨年の4月9日に米国のユナイティド航空でのオーバーブッキング事件がありました。

 

理不尽にも飛行機から力ずくで引きずりおろされ傷害を受けた乗客がいました。

 

その乗客も医師でした。そのDavid Dao医師はベトナム出身の難民で苦労の末、米国の永住権を得た方だということを、改めて確認しました。

 

ルフトハンザの乗客は外国人もいましたが、搭乗直前になって搭乗を拒否されたのは私を含めてすべて日本人男性だったことを、改めて報告しておきましょう。

かぜを引いた後で、数日の経過で腕・手や脚・足に運動障害や感覚麻痺(感冒症状後の亜急性に四肢の運動感覚障害)が生じることがあります。

 

大多数例では、両下肢から脱力が始まり、上肢、顔面領域、最重症だと呼吸筋麻痺へと進行します。

 

このような経過は典型的なギランバレ症候群を疑う必要があります。

 

実際にカンピロバクターなどの先行感染の既往が60~70%にみられます。

 

 

第Ⅶ脳神経障害による両側顔面神経麻痺の他、複視、球麻痺、構音障害など脳神経麻痺が50~80%にみられます。

 

四肢の筋力低下、体幹筋の障害により、呼吸筋筋力低下が生じ呼吸困難を来たせば呼吸性アシドーシスとなり、人工呼吸管理が必要になることがあります。

 

腱反射消失や近位筋・遠位筋がともに障害されることが多いです。また自律神経障害も来します。

 

 

診断には髄液検査および末梢神経伝導速度検査が用いられます。

 

脳脊髄液の蛋白細胞乖離、運動神経伝導検査では発症初期から伝導ブロックを認め、発症から数週間後に伝導速度の低下は数週間後に出現します。

 

神経根に近いほど脱髄が強いため、M波高(振幅)は刺激部位が近位であるほど低下する傾向があります。

 

抗GM1抗体、抗GD1a抗体などの血清抗ガングリオシド抗体が陽性となります。

 

脱髄型と軸索型があります。

 

 

フィッシャー症候群はGBSの亜型と考えられており、外眼筋麻痺や運動失調を来します。

 

急性に発症し、発症後4週間以内に症状のピークとなります。

 

その後、徐々に改善し、数か月以内に治癒することが多いです。

 

抗ガングリオシド抗体(抗GQ1b抗体、抗GT1a抗体)が高率に陽性となります。

 

 

治療法としては、血漿交換療法(血液浄化療法)が有効です。

 

この方法によって、自己抗体である抗ガングリオシド抗体を除去することができます。

 

ただし、保険適応はHughesの重症度分類4度以上で、月7回、3ヶ月までという制限があります。

 

また免疫グロブリン大量静注療法が保険適応になりました。また、免疫抑制剤やステロイド単独投与は無効です。

日本日時3月27日11:00pm

(現地Frankfurt 日時:3月27日3:00pm)

 

 

いま、これを書いている場所はフランフルト国際空港の搭乗口近くの待合場所です。

 

皆様、中欧研修報告も今回が最後になります。

毎回閲覧してくださった皆様、応援ありがとうございました。

 

 

明日から、最新の臨床医学、に戻ります。

 

 

今回の研修で残念だったのは、欧州での水氣道開催が、

 

双方のスケジュールのミスマッチで来年の3月に延期になってしまったことです。

 

とても残念ですが、それ以上に、新診療所建設準備のためのコンセプトや、聖楽院での音楽活動のために多くの学びができたことは、貴重な経験でした。

 

 

欧州出発の朝の目覚めは5:30am(日本時間:1:30pm)

 

結局のところ、自然光による時間同調作用は強力であって、2週間で完全に8時間の時差が解消され、現地のリズムになってしまいました。

 

一度も水氣道ができなかったので、帰国後も用心してかかろうと思います。

 

つまり、このままでは、典型的な時差ボケが生じる可能性があります。

 

最後の調整は、機内ということになります。

 

 

昨日の夕食が思いのほかヘビーになってしまったため、朝食は8:00amに取りました。

 

朝食レストランでは、スーツ姿の現地のビジネスマンが多いのが印象的です。

 

さすがドイツの金融や商業の中心地ならではの光景です。

 

レストランに隣接しているフロントの前を通り過ぎようとすると、フロント職員と宿泊客とのやり取りが戦争のようでした。こうした光景は度々経験しました。

 

共にドイツ語を話す人間同士、しかも早口なので、すべては聞き取れませんが、双方とも結構粘っています。

 

ドイツ人にとって、見知らぬ相手は、それが同じドイツ人同士のお客様であっても、あたかも敵対しているかのような緊張感を帯びることがあります。

 

日本のホテルのフロントでもトラブルは皆無ではないですが、ドイツのホテルは説明が丁寧ではありません。

 

それは、ドイツ人にとっては常識なのかもしれませんが、そうばかりともいえないようです。

 

特に、シャワーの使い方や、コーヒーメーカの使い方など、その部屋を退出する頃になって、やっと使い方がわかるような場合も度々ありました。

 

いちいち説明がされていないので、ドイツのドクターも、試行錯誤して当たりをつけているということです。その点、日本のホテルは良く工夫と努力を続けていると思います。

 

 

さてドイツもカード化が進み、キャッシュレスが進行していますが、旅行者にとってはカード一本というわけにはいきません。

 

たとえば有料トイレですが、高々1ユーロとはいえ、手持ちのコインがないと大変な思いをしなければなりません。

 

なぜなら、目の前のトイレが使えない場合、その周辺のトイレから一番遠いところに居ることを意味します。

 

ミネラルウォ―ターを買ったり、カフェでコーヒーを注文したりするときに、いちいちカードで支払う人はいないでしょう。

 

 

キャッシュレス化が進んでいるためお札でいえば100ユーロ札を使う頻度は、それほど多くないでしょう。

 

50ユーロ札もたくさんは要らないことが多いので、早めに20ユーロ札にして、2ユーロ硬貨、1ユーロ硬貨などを増やしておいた方が便利です。

 

逆にコインについては、10セント(0.1ユーロ)までは利用価値がありますが、ドイツにおいては5セント以下、2セントおよび1セントはほとんど使い道がありません。

 

小銭入れには必ず2ユーロ、1ユーロ、50セントの3種類のコインを確保しておかないと、とても不便です。

 

私は、チップを渡すときに、ついでに5セント以下の小銭も加えて受け取って貰って喜ばれました。

 

ちりも積もれば、ではないですが、小銭でも10枚単位で差し上げれば、子供でなくとも悪い気はしないようです。

 

 

外国旅行において、宿泊中のホテルというのは、自分の城のようなものです。

 

食事も排泄も睡眠も、仕事も、すべて自分のペースで、妨害されることなく自由で生産的な時間を過ごすことができるからです。

 

ひとたび屋外に出れば、あらゆることに気を使わなければなりません。

 

不便と危険という不安には、常に晒されていることは覚悟しなければなりません。

 

 

日本においても、引きこもりや広場恐怖をともなうパニック障害、社交不安障害など多くの患者さんと接していますが、今回の中欧研修は、これらの患者さんの悩みを疑似体験する機会にもなったのではないかと感じます。

 

 

心配や不安が減れば、一日はもっとゆっくりと充実して楽しめるはずですが、油断して失敗すると、それを取り返すのに大変な思いをしなければなりません。

 

他者の失敗に対して寛容でない社会風潮が、こうした病気の発生を助長している可能性もあるでしょう。

 

適度な警戒は生きていくうえで必要ですが、それに支配されてしまうのは大問題です。

 

両極端に向かうのではなく、両者の兼ね合いの中で、つまり、中庸を保ちつつ、バランスを保ちながら生きていくための取り組みを始める必要があるでしょう。

 

 

来年以降建設予定の新クリニックは、自分のホテルのように便利で居心地が良く、安心して診療を受けられる場にしたいと思います。

 

不安な外界に出て、困った時にいつでも戻ってこられる自分のホテルの存在意義は大きいです。

 

そこから、水氣道®聖楽院などの活動に参加することを通して、徐々に自分の活動範囲と将来に向けての可能性を広げていく、そうしたことを積極的に支援できる場が必要な時代だと思います。

 

 

10:00am少し前にホテルのチェックアウトをするときに、受付嬢が手荷物を預かりましょうか、と尋ねてくれたのでお願いしました。

 

これで大分身軽になりました。ホテルの所在地は、マイン河沿いの通りからFrankfurt駅側に一本入った通りに面しています。

 

ホテルを出て左手の方を歩いていくと、ほどなくFrankfurt国立歌劇場です。残念ながら今回はここでオペラを楽しむことはできませんでした。

 

さらにしばらく歩いていくとレーマー広場に行き着きます。広場に面するニコライ教会からパイプオルガンの演奏曲が聴こえてきました。

 

すると聖堂内には誰もいないかと思いきや、パイプオルガンの奏者の姿を見つけました。ほどなく、何人もの観光客が三々五々入ってきました。幼い子供たちも混じっていて、皆大人しく演奏に聞き入っていました。

 

このような環境が身近にある国と、そうでない国では、すでに幼児教育の時点で大きな違いが生じてしまうのではないか、そんな気がしました。

 

この教会は、1290年に宮廷の礼拝堂として建設され、第2次世界大戦の爆撃も免れた教会で、現在はプロテスタントの教会になっているとのことです。

 

パイプオルガンの奏者は、一旦演奏を終えて降壇しかかったのですが、私と目が合い、もう一度パイプオルガンの演奏を始めてくれました。

 

お客さんが続々入り始めたのは、その直後からでした。これこそが本物の聖楽です。

 

聖楽は魂を癒してくれます。心と体の癒しには、健全な魂が必要になりますが、聖楽は心の癒しを通り越して、魂の癒しに直結する音楽なのだと思います。

 

 

10:45amにニコライ教会を出ましたが、キリスト教においてカトリックだとかプロテスタントとかの区別は一体なんだろうという疑問がふと湧き起ってきました。

 

歴史的な背景もあることでしょうが、ニコライ教会がカトリック教会でないことが不思議な気がしました。

 

きっと、プロテスタント教会は、意味があって存在しているのではないかと思うのです。

 

抵抗する者(プロテスタント)の出現の御蔭でカトリック教会(聖なる普遍の教会)が再覚醒したのではないか、そういう意味でプロテスタントの誕生は、主の御心に叶うもの、そして両者が尊敬し合うことによって、キリスト教の霊性がさらに豊かに育まれていくことを主がお望みなのではないか、そのように思えてきました。

 

 

間もなく、シルン美術館です。美術館や博物館は、ホテルの次に落ち着ける場所です。

 

間違いなくトイレがあります。入場料には1ユーロのトイレ使用代が含まれていると考えても良いでしょう。

 

トイレの心配をしながら観光を続けるのはストレスフルです。

 

二階の作品展示室には手荷物を持ち込んではいけない決まりになっているようで、地階に戻って、手荷物預かり所に預けてくるようにいわれました。

 

観客は比較的多く、熱心に見入っている人たちもいましたが、生憎私のテーストには合わないため、つまり、理解できないため、一巡りして外に出ると、すぐ近くの大聖堂に入りました。

 

この聖堂は、神聖ローマ帝国皇帝の選挙や戴冠式が行われた教会で、ゴシック様式として完成したのが15世紀という代物です。

 

聖堂の入り口には、一対の物乞いの女性が座っていました。イスラム系かアラブ系か、私にはよくわかりませんがキリスト教信者の出で立ちではないのが不思議な気がしました。

 

そして、わたしの関心惹いたのは入口の注意書きです

 

まず、現地のドイツ語から

 

Herzlich willkommen im Haus Gottes

Bitte nehmen Sie Rücksicht auf Gottesdienstfeiers

Und das Gebet der Gläubiger

 

(神の家にようこそ、心よりかんがいいたします。

ミサ式典と信者の祈祷に対してご配慮くださいますように)

 

このドイツ語のあと各国語で訳されています。

 

(英語) A warm welcome to the House of God.

   Please respect the prayer of the faithful.

 

(フランス語)Bienvenue dans la Maison du Seigneur.

   Merci de ne pas déranger ceux qui prient.

 

(イタリア語)Benvenuti nella casa di Dio.

   Per favore rispettare I fedeli in preghiera.

 

(スペイン語)Bienvenidos a la casa de Dies.

     Por favor respectan la oración los fieles.

 

(日本語) 皆様ようこそ。教会(神の家)は信徒が祈りを捧げる場所です。

   拝観の際には、どうぞご静粛にお願い致します。

 

(中国語)誠摯歓迎来到神之家

    請保持粛静、以免影✖信教徒禄告

 

✖は口扁に向という文字です。

 

 

英語とイタリア語とスペイン語ではrespect,rispettare,respectanと動語原の動詞が使われています。

 

英語のrespectは文字通り、現代的な使用法では、敬意をはらってくさい、あるいは尊重してください、という意味になりますが、ジーニアス英和大辞典によると、古英語では顧慮してください、考慮してください、という意味で使われていたそうです。

 

フランス語だとdérangerで迷惑にならないようにしてください、です。

 

日本語と中国語では漢字の順序が逆ですが、要するに静粛にしてください、ということです。

 

皆さんは、すべて同じように感じますか。私は、日本人や中国人は神の家だとか、敬虔な信者を尊重し、敬意を払うことまでは期待しないから、せめてうるさくしないでほしい、と言われているようで、余り気分が良くありません。

 

余計な配慮をされているようで残念な気がします。こうして、聖堂を出たところで12時の鐘が鳴り響きました。

 

すると、近隣の教会の鐘も鳴りはじめ、和音を形成しているのです。

 

<せっかく和をもって尊しとなす国にあなたを預けたのだから、もっとおおらかに受け止めなさい。あなたにはまだまだ寛容の精神が欠けていますね。>という神の声を聴いたように感じました。

 

 

この後、ホテルに戻って、預かってもらっていた手荷物を受け取り、Frankfurt中央駅から空港へ向かいました。

 

 

この後、6:05pmFrankfurtよりルフトハンザで出発予定

 

(日本時間:2:05am)

 

機内ではひたすら眠ることにします。

 

3月28日2:15pm羽田到着の予定。

 

 

皆様、3月28日(水)7:00pmからの50回聖楽院週例コンサート

 

(東高円寺Music Bar 音海)にご来場ください。

 

なお開場は6:30pmからです。

 

 

日本日時3月27日11:00pm

(現地Frankfurt 日時:3月27日3:00pm)

 

 

ライプチッヒからフランクフルトへの移動は、予定通り11:33amにLeipzig発、2:36pmにFrankfurt着の列車で、今度は時間通りに到着しました。

 

ほぼ3時間なので、2等車から1等車へ乗車変更しました。

 

はじめての1等車への乗車体験です。

 

私は、これまで搭乗した飛行機はすべてエコノミー・クラスでしたが、還暦を迎えようとしている昨今、医師としてこれまで通りではいけないと考えるようになりました。

 

健康優先、生命優先であってこそ、責任ある診療が可能となるからです。

 

 

もっとも、人間の命より、不動産の価格の方が高く、生命に対する投資より、不動産や有価証券への投資を優先する社会的趨勢は今なお続いています。

 

そのような社会経済的背景の中で、より質の高い医療の提供を続けることは不可能であるという至極当然なことに、そろそろ覚醒しなければならないのではないでしょうか。

 

実際には、2等車であっても快適な座席もあれば、1等車でもそこそこ、ということがあります。ただし、1等車の良いところは、飲食が可能で、トイレもアクセスし易い点です。

 

それから、乗客相互の信頼感です。1等車を選ぶ余裕のある人物同士という安心感を、少なくとも隣席の乗客に与えることができます。

 

私は、3時間の間、ぼんやりと水分を補給せずに窓の外の景色を堪能しているだけ過ごす余裕はありません。

 

それもバカンスであれば悪くはないのですが、仕事なのでパソコンで作業を始めます。

 

私は窓際の席を予約したのですが、すでに通路側に座っていた紳士が気持ちよく通してくれました。

 

彼の所には、ひっきりなしに電話が掛ってきます。そしてひっきりなしに大きなため息をついて、貧乏ゆすりをしています。

 

そのうちに、私のと同じ機種のパソコンを立ち上げ、連絡メールを始めました。

 

互いに目があい、<まったく同じだね>と言いたげな表情を浮かべていました。

 

こうした精神的なものの価値をどのように評価するか、人によると思いますが、私は意味のあるものや意義のあるサービスのためには、どんどん投資していこうと考えています。

 

なぜならば、私自身がご縁のある皆様から投資していただく必要があるからです。

 

互いに投資し合える関係が生産的な人間関係だということに気づいたからです。

 

 

ドイツ国内の電車移動で不便なのは、

 

1)駅構内での旅行センターでの乗車予約手続き

 

2)予約した自分の座席の特定

 

3)長距離列車でも一等車でないと車内での飲食サービスがない

 

4)トイレ事情

 

その他、数え上げればきりがありません。

 

これらの件は、帰国後、Hansと話し合ってみたいと考えています。

 

私が知らないだけで、もっと、上手な乗り方があるのかもしれません。

 

 

今回の中欧研修旅行で、日本の鉄道システムが如何に優れているのか実感しました。

 

ただし、サービスというものは、安価に提供し続けていくと、顧客にとっては、それが当たり前になってくるのが困りものです。

 

顧客の要求水準は、さらに高まるのですが、それに応えてコストを抑えると、どうなるでしょうか?

 

顧客から評価されない、つまり、目に見えない安全性などが犠牲になりがちです。

 

限度の無い価格競争に陥り、最も大切な生命が危険に晒されるのです。

 

世の中の平和は目に見えない良心によって支えられている、ということをもっと考えていかなければなりません。

 

目に見える数値データや画像データだけでは、心の通った質の高い医療は達成できないのと同じです。

 

確かに、見える化は大切な工夫ですし、相当の努力を払うべきでしょう。しかし、それだけでは解決できない諸問題が山積しているのです。

 

このことに気が付かない限り、現代日本の保険医療は、ますます崩壊へ向かっていくのではないかと危惧する次第です。

 

 

将来を期待されていた優秀な大学生たちが選択した超安価なスキー旅行バスが、とんでもない事故を引き起こし、かけがえのない多数の生命が失われた事件を、皆さんは覚えているでしょうか。

 

私たちは、そこから何を学ばなければならないのでしょうか。

 

日本医療についても同じことが起こりつつあることは否定できません。

 

貪るだけの人たちとお付き合いをしていると、知らず知らずのうちに善良な第三者から貪ることになってしまいます。

 

わたしはそれをできるだけ避けたいと考えています。

 

私は自分の患者さんを私のために医療の浪費者になっていただくはありません。

 

そればかりか、医療消費者にすらなっていただきたくないのです。

 

私が目指そうとしているのは、医療投資者意識の創成です。これは医療投機者ではないのではっきりと区別していただきたいと思います。

 

賢明な医療投資者になるためには、相互に学び合い、新旧の有意義な情報に基づく、賢明な判断と行動選択をしていくということに他なりません。

 

そんなことを考えているうちに定刻にFrankfurt中央駅に到着した次第です。

 

 

中欧研修旅行第一日目に宿泊したのと同じホテルです。今回は、2回目であることと日中であることから、駅からの距離や所要時間がかなり短縮されました。

 

ドイツ人・オーストリア女性もいろいろですが、あくまでも私の総合評価としては、笑顔という点で日本の女性に軍配が上がります。

 

そうはいっても、中には天使の羽が背中に生えているのではないかという感じの欧州の女性もいる一方で、どうにも無愛想でいただけない日本女性がいることも否めません。

 

 

同じホテルなのに、受付のスタッフいかんで、そのホテルが良く見えたり、欠点ばかり見えたりすることを学びました。

 

これは駅の旅行センターの窓口でも同様です。病院ではなおさらのことでしょう。

 

健康に不安を抱えた患者さんのケアは、受付ですでに始まっていると考えなければならないことを再認識しました。帰国後は受付の接遇改善を宿題の一つとします。

 

 

30年間2等車であった高円寺南診療所は、その社会的使命を終えようとしています。

 

来年中には1等車としての杉並国際クリニックの建設を着手したいところです。

 

 

明日、ルフトハンザ国際空港から、羽田に戻ります。

 

そのため、今晩だけはしっかりと夕食を摂って、早めに休むことにしました。

 

 

そこで、外出は一切せず、17階の自室から1階のレストランに降りました。

 

受付嬢とは打って変わって、愛想の良いお嬢さんがメニュー(Speisekarte)を持ってきてくれました。ちなみにドイツ語でメニュー(Menü)というと定食の意味になります。

 

客席について、気づかれずに、しばらく放っておかれるときには、Speisekarte, bitte!(メニューをお願いします!)と呼べば、すぐに持ってきてくれます。

 

せっかくなのでホテルオリジナルのミックスサラダとスープ、それから、はじめて地元の自慢のステーキをオーダーしました。

 

飲み物を尋ねられたので、Ein Bier vom Faß!(生ビールを一つ!)頼みました。

 

Faßというのは樽です。つまりビール樽、vom Faßとは樽から汲んできた、という意味なので生ビールになります。

 

現在のドイツ語ではFassと書くのが正しい(新ドイツ正書法)のですが、大抵は今でもFaß(旧ドイツ正書法)で書かれています。

 

私の個人的な趣味では、断然、Faßです。

 

これには理由があります。

ドイツの町の通りには、・・・straße(英語のstreetに対応)とか、・・・gasseとか、一方通行の路地だとEinbahnという標識が目立ちます。

 

新ドイツ正書法ではStraße(シュトラーセと発音します)はStrasseと綴ることになりますが、これだとシュトラッセと発音するのが自然であり、綴りと発音の乖離が生じるからです。

 

 

話をドイツの食事に戻します。日本のレストランでは和食に限らず、小皿料理でなくとも、ドイツの料理と比べると一皿一皿が比較的小さいことに気づきます。

 

ですから、日本の洋食を楽しむ感覚で、ドイツでオーダーすると大変なことになります。良く言えば盛りが良いので食べきれない、ということもあり得ます。

 

それから、味付けですが、日本の標準より、味が濃いです。

 

ミックスサラダのドレッシングは、デザートかと思われるほどの甘さであり、スープの塩気も強く、濃いです。よくスープは飲み物でなく、食べ物だ、と言われますが、経験してみるとよくわかります。

 

ドイツのスープはシチューより重いことがあるので飲めません。食べるしかありません。

 

ステーキはミディアムが良いかミディアム・レアが良いか問われたのでミディアム・レアを頼みましたが正解でした。

 

厚切りで歯ごたえも予想以上でした。

 

最後に、デザートを勧められたので、小さいのでしたら、とお願いしたら、アイスクリームつきのプリンが出されました。

 

美味ではありましたが、甘みが濃く、しかも、しっかりしたヴォリュームでした。

 

 

平均的な日本人にお勧めの欧州滞在中の健康的な食生活のコツをまとめてみました。

 

1)朝食を早い時間に提供してくれるホテルを選択すること

6:00am(日本時間では2:00pm)に食べられれば良いでしょう。

 

2)朝食の食材はどこのホテルでも大差はありません。

野菜は品数が少ないので、しっかり確保しておき、その他、フルーツポンチなどを好みで選びます。できればリンゴやスモモなど新鮮な丸ごとのフルーツを選ぶのが良いでしょう。

 

ミルクやジュース類、コーヒーなどの飲み物は比較的豊富ですが、ミルクは美味であり体にも良いので必ず摂取すること。肉類・パン類・チーズやヨーグルトなどの乳製品は豊富です。

 

ですから、朝食であれば、多数の食材を少量ずつ摂取することができ、一日の栄養バランスのベースを作ることができます。

 

3)昼食は日本の夕食の時間に相当することを意識して食べると良いでしょう。

 

4)夕食は最も注意を要します。8:00pm(日本時間では4:00am)です。つい食べ過ぎがちになり、胃が重くなり、安眠を妨げることがあります。

 

5)その他、日本ほど容易に水分を摂取できないことに注意する必要があります。

コンビニや飲料の自動販売機はほとんど見当たりません。あるのかもしれませんが、

旅行客にはわかりにくいと思います。慣れている人は、ミネラルウォーターのペットボトルを持ち歩いています。

 

 

胃が重いので、この辺で本日の報告は終わりにします。

日本日時3月26日11:00pm

(現地 Frankfurt日時:3月26日3:00pm)

 

 

ザクセンの古都ドレスデンの素晴らしい時間は、わずか一泊です。

 

やはり疲れと開放感のためか、次第に起床時間が遅くなって、本日は現地時間で8:30amに朝食を摂りました。この時間になると朝食レストランは宿泊客でごった返しています。

 

やはり、できるだけ早起きして、気持ちの良い環境で朝食を摂りたいものです。

 

基本的には、見知らぬ人同士の相席ができる雰囲気ではありませんから、席はすぐに埋まってしまいます。旅を急ぐ人にとっては落ち着いて朝食を摂ることはできません。

 

幸い、本日の出発はゆっくりなので、ゆっくりと食事を楽しむことができました。

 

私の中欧旅行においては、朝食が主食の役割を果たしました。

 

せっかくのドレスデン、しかも風致地区内の最高の立地にもかかわらず、観光もせず、すぐ目の前の有名な歌劇場でのオペラも楽しむこと無く時間をすごしましたが、最初からガイドなしでドレスデンを堪能できると考えてはいませんでしたので、今後の楽しみです。ポイントは2泊を確保することです。

 

中欧旅行において、最も時間をロスするのは、移動です。ですから、移動をなるべく効率的に行うための事前の準備が必要です。

 

基本的に一泊旅行は、現地の土地勘を得るための視察と考えています。気に入ったら、いつかまたゆっくりと来ればよい、そんな考え方です。

 

いよいよ駅に向かうというチェックアウト直前まで、ホテル周辺を散歩しました。天気にも恵まれた素晴らしい週末です。

 

 

チェックアウトでのやりとりも慣れてくれば楽しいものです。

 

最後に感想を聴かれるのが常です。<お蔭様でゆっくり快適に過ごせました。気に入ったので、また来てゆっくり滞在します。>というと、満面の笑顔で喜んでくれます。

 

 

来年オープン予定の国際クリニックでも、<きょうの診療はいかがでしたか>と患者さんに尋ねることがあっても良いように思えました。早速、検討課題にしたいと思います。

 

 

天気に恵まれ、空気もきれいな旧市街の通りをガラガラ音を立てて駅に向かいました。

 

駅にはReise Zentrum (旅行センター)があって、ここで切符の手配を行います。

 

入り口には整理券自動発券機があり、それに印字された番号が電光掲示板にカウンター番号と共に顕れて来るのを待ちます。

 

実は、ここからが問題なのです。待ち時間が長いのです。一人あたり3分以上かかることがあります。結果的に30~40分待たされることもザラなので、それで乗り遅れることがあります。

 

日本ですでに予約しているのにもかかわらず、予約がとれていなかったなど、珍しくはありません。

 

それでも主要都市間では、次の列車を当日予約すれば良いのですが、本数の少ないローカル線ではとんだことになりかねません。ですから、出国前日には空港に近い主要都市に宿泊していることが肝要だと思います。

 

 

さて、名残惜しいドレスデンですが、Reise Zentrumのカウンターのおばさんには困りました。

 

聞き取りにくい言葉で、何を言っているのかさっぱりわからないのです。

 

私のドイツ語は通じているようなのですが、彼女はさらに早口になります。仕方がないので、英語に切り替えたら、英語はわからないという。

 

これで3分を要し、またもやギリギリ乗り遅れとなりました。そこで、改めて1等車用の整理券のボタンを押して、再び待ち始めたところ、今度はすぐに番号が掲示されました。2等車用の整理券ではさらに30分以上待たされたことでしょう。

 

今度のカウンターは先ほどの隣で、ドイツ語でのやりとりた。ただし、1等車は予約満杯なので、2等車で良いかときかれたので、それで良いとしました。

 

ウィーン国際空港でも経験しましたが、担当者間の対応能力には大きな格差があるので、当たりはずれがあることは、覚悟する他ありません。

 

そういえば、旧東ドイツ圏の鉄道は、いくぶんではありますが、かつての共産圏の名残を残しているのかもしれない、と感じることがあります。

 

<時は金なり>、といいますが、外国旅行をしていると身に沁みます。お金でサービス内容が変わるのは合理的と言えば合理的です。お金を出し惜しみして貴重な時間とチャンスを失うのは賢明ではありません。

 

結局0:21pm発のところ1:14pm発となって、2:00pmにLeipzig着の列車に乗車できました。人身事故等もなく快適でしたが、到着は310到着でした。

 

多少の時間の遅れは、普段ならきにならないのですが、外国でのこととなると、列車を乗り間違えたのではないか、など要らぬ心配が生じてしまいます。

 

 

無事Leipzigに着きました。初回と2回目では気分は大違いです。

 

最初は2年前次女と来ました。そのときは、ベルリンからミュンヘンに向かっての強行軍で、ライプチッヒで途中下車して、アウエルバッハという老舗のレストランで昼食をとり、聖トーマス教会土曜午後3時からのモテット付の礼拝に参加し、その足でミュンヘンへ向かったのでした。

 

今回は、駅を下りて右手すぐのIntercity Hotelに宿を取りました。受付の若い女性は愛想が良く、日本通とみえてか、一通り型通りのやり取りを済ませてから、「ようこそおいでくださいました。」と美しい日本語で迎えてくれました。

 

言葉の力は大きいです。Sie spricht ganz schönes Japanisch!(あなたはとってもきれいな日本語をお話になりますね!)と返すと、Danke schön!ととびっきりの笑顔が返ってきました。

 

エレベータに乗ろうとしていると、「いいじまさん、いいじまさん。」と呼ぶ声がしました。受付の彼女が私のニット帽を手渡してくれました。Danke schön! Bitte Schön! とあいさつを終える間もなくエレベータのドアが閉まりました。彼女は、きっと日本留学もしくはホームステイの経験があるのでしょう。

 

 

Intercity Hotelは主要な駅の近くにあって、交通のアクセスが良いのが大きな魅力です。

 

外国旅行では、目的を相当絞ってかからないと時間に追いまくられることになります。それも大抵は、こちらの都合ではなく、お国のシステムの事情です。

 

日本という国のインフラがどれだけ整備されているのかを、欧州の先進国に行っても感じ取ることができます。きっと、パスモの使い方を知らない旅行客のようなものでしょう。

 

 

ドイツでは日曜日となると、繁華街でも人通りが閑散となります。今回も聖トーマス教会に立ち寄り、ゴスペル月の礼拝に預かることにしました。

時間は6:00pmなので、ホテルでインターネットを接続して、一仕事した後でも十分に余裕がありました。

 

ゴスペルを歌うのは教会の信者たちおよそ20人ほどで、男性は5名、ゴスペルというので英語の歌でした。

 

他にベース1、ギター2、キーボード1、ドラム1によるモダンな構成でしたが、そこは伝統ある聖トーマス教会、後部中央の高みにはパイプオルガンとその奏者がスタンバイしています。

 

前回はモテットで、高度な訓練を受けている聖歌隊による演奏であったのと比較すると、大分世俗的な礼拝コンサートでありました。

 

プロテスタント色が明確で、厳かさの中もフレンドリーな雰囲気に満たされていました。二年前の女性牧師とは別の女性牧師だったように思います。今回の牧師の声は清らかに澄み渡り、ルターの聖書の朗読も、音楽的で癒されました。

 

5ユーロ札しか残っていなかったので、それで献金しました。カトリック教会のミサでは、いつも1,000円献金することを習慣にしているので、少し安かったかなとも思いましたが、ここでの相場のようでした。教会は魂の病院なのだと思います。

 

 

ライプチッヒで最大の教会といえば、カトリックのニコライ教会で、今度こそは尋ねてみようと考えていたのですが、疲労と尿意に負けて、ホテルに引き返しました。

 

私の患者さんで水氣道の会員でもある、ある女性は、ヨーロッパはトイレを探すのが大変なのが難点だと言っていましたが、同感です。

 

今回は、それを痛切に感じました。とくに古い教会などは、わざわざWCと表示しておきながら、近くにいってみると厳重に施錠されて使用できないということがしばしばありました。

 

そんなときは、神様ごめんなさい、と多少不信心な皮肉をこめて、教会の近くの茂みを探すほかありません。

 

主要な駅のトイレを捜すのも、慣れていないと大変です。案内板が日本ほど親切ではなく、やっとたどりついても有料だったりします。使用料は1ユーロなのですが、やっとほっとして膀胱括約筋が弛緩してからのコイン漁りは喜劇を通り越してパニック寸前です。ましてや女性の場合、くれぐれもご用心!

 

 

その夜は、ホテルのレストランで久しぶりの夕食を楽しみました。

 

わたしは、旅行先で仕事を終えた日の夜は、地酒と地元の料理を楽しみますが、国内では日帰りのことも多いので、その楽しみの機会も減ってきました。

 

ライプチッヒといえば18歳の次女がはじめてビールを経験した土地です。地元産のビールをオーダーするとカウンターの女性が、Helles oder Dunkles?(淡色それとも濃色)と尋ねてきました。Ein Dukles bitte.(濃い色のビールを一つ)と答えました。

 

料理はミックスサラダとGulasch(グーラシュ)にしました。このGulaschは同じ綴りでも、地方によって発音も、料理の内容も違ってくるので面白いです。ベルリンではグラッシュと発音していましたが、ライプチッヒはウィーンと同じでグーラッシュと発音していました。もっとも、ウィーンのそれはスープ状でしたが、ライプチッヒのは味も色も濃い目のシチューのようでした。軽い夕食を考えていましたが、夕食を軽めに抑えていた私にとっては結構ヘビーでした。

 

Gulaschの皿をきれいに平らげたかったので、Ein Brötchen bitte! (小さい丸いパンを一つください)とオーダーしたところ、待ってましたとばかりに、手ごろな大きさの5切れのパンの入った籠を持ってきてくれました。

 

Gulaschのお皿はすっかりきれいになりましたが、私のお腹は一杯になりました。

 

すぐに寝てしまうのは良くないので、今回の学会で知り合った方々にメールを書いたりしてから、いつの間にかに寝ていました。