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認定内科医、認定痛風医

アレルギー専門医、リウマチ専門医、漢方専門医

 

飯嶋正広

 

 

肝疾患の治療薬について(No5)

 

<肝硬変と肝癌>

 

肝硬変

肝硬変とは、B型・C型肝炎ウイルス感染、多量・長期の飲酒、過栄養、自己免疫などにより起こる慢性肝炎や肝障害が徐々に進行して肝臓が硬くなった状態をいいます。

慢性肝炎が起こると肝細胞が壊れ、壊れた部分を補うように線維質が蓄積して肝臓のなかに壁ができていきます。

肝細胞は壁のなかで再生して増えるため、最終的に壁に囲まれた結節を作ります。肝臓がこのようなたくさんの結節の集まりに変化したものが肝硬変です。

 

肝硬変では、血液が十分に肝臓に流れ込まなくなったり、全体の肝細胞機能が低下したりするために、腹水、肝性脳症、黄疸、出血傾向など、さまざまな症状が現れてきます。

このうち黄疸、腹水、肝性脳症が認められる肝硬変を「非代償性肝硬変」と呼び、症状のないものを「代償性肝硬変」と呼びます。

 

肝硬変の進展を抑制し、合併症として出現する腹水、食道静脈瘤、肝性脳症、肝癌などに対処する複合的な治療が行われます。

 

 

C型の肝硬変では、経口抗ウイルス薬がHCVの駆除及び減少により、肝予備能の改善や発癌抑制効果などで予後を改善します。

 

代償性肝硬変では、競技や激しい運動でなければ歩行や有酸素運動は問題なく、むしろ推奨されます。インターフェロン(IFN)も適応となりますが、非代償性肝硬変では禁忌です。

 

 

B型の肝硬変では、インターフェロン(IFN)は適応にならず、核酸アナログを使用します。

ただし、核酸アナログ製剤による乳酸アシドーシスの発生に注意する必要があります。

 

・肥満:肝硬変進展の危険因子であるため、注意深く減量をはかります。

 

・低アルブミン血症(血清アルブミン≦3.5g/dL)を伴う症例や肝癌の発生を抑制する目的で分岐鎖アミノ酸(BACC)の経口顆粒製剤(リーバクト®)が使用されています。

 

肝硬変では肝臓でのグリコーゲンの貯蔵能が減少するため、代償的に、空腹時(特に夜間)に筋肉の蛋白質が分解され、アミノ酸からの糖新生が亢進します。

そこで、蛋白代謝改善のために、糖質を補う目的で就寝前に軽食(LES:Late Evening Snack)をとり、食事のとれている外来患者に対しては経口のBCAA製剤の服用が勧められます。

 

・下腿の腓腹筋の痙攣(こむら返り):亜鉛製剤、タウリン、BCAA製剤、カルニチン製剤(エルカルニチンFF®)、芍薬甘草湯などが有効です。

 

・浮腫・腹水:減塩食(塩分5~6g/日)、利尿薬(アルダクトンA®やラシックス®もしくはルプラック®を組み合わせる)。また、水利尿薬(V₂受容体拮抗薬)トルバプタン(サムスカ®)は、低ナトリウム血症を伴う肝性浮腫に有効です。

 

・肝性脳症/肝性昏睡:アミノ酸代謝の是正を目標とします。特殊アミノ酸輸液製剤(アミノレバン®など)を点滴します。また、アンモニアの吸収を抑制する目的で、合成二糖類(ラクツロースまたはラクチトール)を投与します。合成二糖類は緩下作用の他に、腸内を酸性化することによってアンモニアの吸収を抑制します。

 

 

肝癌

この分野では、進行肝癌への薬物療法の選択肢が目覚ましく拡大しています。

肝癌治療の基本は局所治療(ラジオ波焼灼、切除、肝動脈化学塞栓療法など)です。

進行癌に対しては、たとえば遠隔転移を伴う高度進行肝癌例では、まず、分子標的治療薬の近年の発展が目覚ましいです。


まずソラフェニブが適応となります。

ただし、皮膚症状などの副作用も多く、また、この薬剤が効かない不応症例や使用できない不耐症例もありため肝臓専門医の下での治療が望まれます。

 

しかし、近年、進行肝癌への薬物療法の選択肢が増え、以下のように、着実に進歩しています。

 

・2018年:レンバチニブ
レゴラフェニブ(ソラフェニブ不応・不耐症例に対する二次治療用)

 

・2019年:ラムシルマブ(サイラムザ®)

 

・2020年9月:抗PD-L1抗体(アテゾリブマブ)
抗VGEF抗体(べバシズマブ)併用療法が、
切除不能な肝細胞癌に対して保険適応に

 

・2020年11月:マルチキナーゼ阻害薬(カボサンチニブ)が、
癌化学療法後に増悪した切除不能な肝細胞癌に保険適応に

 

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声楽の理論と実践から学ぶNo.7


水氣道の稽古と声楽のレッスンの共通点(続・続・続々)

 

歌をうたうという芸術の神髄と水氣道(その3)

 

声楽というと、腹式呼吸が代名詞代わりですが、胸式呼吸の要素を排除するものではありません。むしろ腹式呼吸と胸式呼吸が統一的に連動しないとオペラのような大曲を歌いきることはとうてい叶いません。
 

水氣道も、これと全く同じです。腹式呼吸とか胸式呼吸とかを厳密に区別する健康上の実益が乏しいからです。そして、水氣道では、ごく自然な呼吸に委ねながら稽古を始めていくことになります。なぜならば、呼吸というものは意識しすぎると、リズムが崩れ、非効率的な動きになりかねないからです。
 

水位にもよりますが、水面が臍のあたりに達すると、腹腔に大きな水圧がかかってくるため、意識せずして腹式呼吸のパターンになります。また水位が乳首あたりの深さになると、腹腔ばかりでなく胸腔にもかなり大きな水圧の負荷がかかるため、おのずと腹式呼吸だけでなく胸式呼吸が働きだし、両者は一体となって、水中運動の継続を可能としてくれます。水圧という、自然で安全な加圧メカニズムによる有酸素運動が展開していくことになります。

 

胸式呼吸は肋骨の動きを主体とする呼吸法で、吸気時に働く筋肉は外肋間筋と吸気補助筋、呼気に働く筋肉は内肋間筋であります。 吸気時には外肋間筋と複数の吸気補助筋が強く収縮して、肋骨を大きく前上方に引き上げ、吸気を助けます。 呼気時には内肋間筋が収縮して胸郭を縮めて、呼気を助けます。

 

このとき、水圧も胸郭を縮める作用が働くため、呼気筋の働きを助け、陸上での呼吸よりも多くの呼気量を確保することができることになります。呼気時の呼吸補助筋としては内肋間筋と腹筋があります。胸腔よりも腹腔はさらに大きな水圧を受けているため、主たる補助呼気筋である腹筋が大いに鍛えられることになることは理解し易いのではないかと思います。

 

主な呼吸筋は、横隔膜と肋間筋です。横隔膜は胸腔の下端にあるドーム状の骨格筋で脊髄神経である頚神経叢か出る横隔神経に支配されています。横隔膜が収縮すると胸郭が広がり、胸腔内圧が低下するため吸気が行えます。肋間筋は肋間にある3層の薄い筋で内肋間筋・外肋間筋・最内肋間筋からなっています。外肋間筋は吸気時、内肋間筋および最内肋間筋は呼気時に、それぞれ肋間神経の働きで収縮します。

 

 

呼吸筋の働き
 

横隔膜も肋間筋も骨格筋で運動神経の支配を受けて随意的に収縮させられる随意筋です。そのため呼吸を一時的に止めたり、大きくしたりすることができます。
 

内肋間筋が収縮して肋骨が引き下げられると、胸郭が狭まり容積が減るため胸腔内圧は上がり、それに伴い呼気が発生します。これに対して、外肋間筋が収縮して肋骨が引き上げられると、胸郭が広がり容積が増えるため胸腔内圧が下がり、それに伴い吸気が発生します。ただし、安静呼吸では内肋間筋が収縮しないまま、外肋間筋や横隔膜が弛緩するだけで呼気が発生します。

 

外肋間筋の働きを補助する呼吸補助筋には、斜角筋、胸鎖乳突筋、肋骨挙筋、大胸筋、小胸筋、などがあり、これが吸気時に収縮して肋骨をもちあげる働きを補助します。

 

また、脊柱起立筋群により脊柱を後方に反らせると、肋骨の挙上を助けます。水中で前進するためには、バランスの取れた正しい姿勢でないと動けない仕組みになっているため、特段の意識や注意を払い続けなくても正しく美しい姿勢を維持し易くなります。 正しく美しい姿勢とは、呼吸するうえで妨げにならない呼吸であり、さらにいえば、効率の良い呼吸を助け支え継続し易くしてくれる姿勢のことを意味するのです。


こうして、正しい姿勢と正しい呼吸とが稽古を通して自然に一体化していくのが水氣道の素晴らしさの一つであることを、是非、心に留めておいてください。

 

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認定内科医、認定痛風医

アレルギー専門医、リウマチ専門医、漢方専門医

 

飯嶋正広

 

見落とされがちな微量栄養欠乏症<亜鉛>No.4

 

<亜鉛の臨床栄養学チェックシート>

 

これまで解説してきたように亜鉛欠乏は症状がとても多彩です。そのため、診療科も皮膚科,小児科,泌尿器科,消化器内科,腎臓内科,総合内科など多肢にわたります。

 

とりわけ、アレルギー科・リウマチ科・心療内科などにも大いに関連があることは、これらの領域を担当する多くの専門医によっても気づかれにくく、残念ながら見落とされてきたように思われます。

 

そこで、好評のカルシウム・ビタミンK・ビタミンDのチェックシートに引き続き、

 

<亜鉛の臨床栄養学チェックシート>を作製しました。

 

以下に添付しますが、7月1日以降、外来診療にて実地活用する予定です。

 

 

<亜鉛の臨床栄養学チェックシート>

 

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臨床産業医オフィス

 

<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

 

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

 

飯嶋正広

 

 

<今月から、当面の間、職場の健康診断をテーマとして、産業医紹介エージェント企業各社が提供しているコラムを材料として採りあげ、私なりにコメントを加えてみることにしています。>

産業医紹介サービス企業各社が提供する<健康診断>コラム

 

No1.エムスリーキャリア提供資料から(その4)

 

健康診断後のフォローも大事

 

健康診断は受けさせて終わりではありません。その後、結果が送られてきてからのフォローも企業側には重要なことの1つです。診断結果に異常がみられた従業員がいれば、医師に聴取するなどしなくてはなりません。

 

さらに産業医などと連携し、場合によっては保健指導、あるいは休職などをすすめることも必要になります。

 

勤務形態や労働時間に対する考え方は、変化の一途をたどっています。ワークライフバランスが重要視される社会においては、従業員の負担や悩みは肉体的なものに限りません。

 

ときには精神面でのフォローがもっとも大切になります。そのフォローは結果的に会社のパフォーマンスを上げることにもつながります。従業員の健康管理には、肉体的にも精神的にも、十分に気を使う必要があるといえるでしょう。

 

 

健康診断を必ず実施して社員の健康を保とう!

 

健康診断は、従業員を1人でも雇えば発生する、知らないでは済まされない企業側の重大な義務の1つです。注意点やポイントを正しく理解したうえで、適切に行う必要があります。企業のパフォーマンスを向上させていくためにも、健康診断は適切に行いましょう。そのうえで、従業員の健康管理には常に目を向けておくことが大切です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

『有害業務従事者に実施される特殊健康診断』とは、名称の通り通常の一般健康診断とは異なる特殊な診断を要するものであり、屋内作業場等における有機溶剤業務に常時従事する労働者等8つの業務従事者が各種規則によって定められています。

原則として、雇入れ時、配置替えの際及び6月以内ごとに1回、それぞれ特別の健康診断を実施する事が義務づけられています。

 

 

1 特殊健康診断

事業者は、一定の有害な業務に従事する労働者に対し、医師による特別の項目について健康診断を行わなければなりません。更に、このうちの一部の業務については、それらの業務に従事させなくなった場合においても、その者を雇用している間は、医師による特別の項目について健康診断を定期的に(期間は業務の種類により異なる)行わなければなりません。

 

特殊健康診断の結果によっては、当該労働者の実情を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮などの措置を講ずるほか、作業環境測定の実施、施設又は設備の設置又は改善などの適切な措置を講じなければなりません。また、記録を作成し、5年間若しくは30年間(業務の種類により異なる)保存する必要があります。

 

特殊健康診断の実施は、法で事業者に義務を課していることから、その費用は、事業者が実施すべきものであり、また、業務の遂行にからんで実施されなければならないものであるので、受診に要する時間は労働時間であり、時間外に行われた場合には割増賃金を支払わなければなりません。

 

 

2 特殊健康診断を行う業務

労働安全衛生法で特殊健康診断を実施しなければならないとされている業務は、次の通りです。

 

1. 高気圧業務

2. 放射線業務

3. 特定化学物質業務

4. 石綿業務

5. 鉛業務

6. 四アルキル鉛業務

7. 有機溶剤業務

 

なお、これらのうち、一定の特定化学物質業務や石綿業務などについては、それらの業務に従事しなくなった場合でも実施しなければなりません。

 

また、常時粉じん作業に従事させる労働者に対してはじん肺法に基づくじん肺健康診断を定期的(労働者の状況により1年以内毎又は3年以内毎)に実施しなければなりません。

 

このほか、VDT作業や振動業務などにおいては、特殊健康診断の実施が指導勧奨されています。

 

 

3 その他の健康診断

前記2の他に、業務内容などにより、行わなければならない健康診断には、深夜業を含む業務などに従事する労働者に対して行われる「特定業務従事者の健康診断」、海外に6月以上派遣する労働者に対して行われる「海外派遣労働者の健康診断」、「給食従業員の検便」、塩酸、硝酸、硫酸などを発散する場所における業務を行う労働者に対して行われる「歯科医師による健康診断」などがあります。

 

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常陸國住人 飯嶋正広

 

夭折の詩人、立原道造をしのんでNo4

 

立原道造は、二十四歳という若さでこの世を去った夭折の詩人です。彼の代表作には、詩集『萱草に寄す』『暁と夕の詩』『優しき歌』『散歩詩集』などがあります。表題からして音楽性が感じられます。そして、その作品には、やはり室内楽にも似た、ソナチネ風の調べを運ぶ詩からあふれでる抒情の響きがあるとされます。「青春の光芒を永遠へと灼きつけ、時代を越えて今なお輝きを失わない」との評には心を引き付けられるものがあります。

 

立原道造に関して、民間研究家による興味深いエッセイがありましたので、紹介させていただきます。紹介の後に、私の所感を加えました。

 

 

引用:抜粋

◎「甦る詩人たち」立原道造論②詩と故郷、そして母 - dog & poetry life of Takehiko Nakamura (tumblr.com)

 

「立原道造商店」の大元は、道造の曽祖父立原佐ノ助が、明治維新に際して藩禄を返上して北千住に開業した料理仕出し屋であった。その佐ノ助は男子に恵まれず、娘、朝子(祖母)が、埼玉県の農家中村家の四男の平右衛門を夫に迎え、立原家を継ぐ。この代で日本橋に出て荷造材料の縄筵商として開業するが、また男子に恵まれず、娘とめ(母)の婿養子として、平右衛門の兄が縁組して入った狼家(千葉県流山市の農家)の子、狼貞次郎を夫に迎える。つまりいとこ同士の結婚である。この二人の間に立原は生まれるが、この頃には商売は荷造り用木箱製造業へと変わっている。ちなみに立原が関東大震災の際の避難と神経衰弱の静養に行った豊島家は、祖父平右衛門のもう一人の兄弟が縁組した農家の一族である。
 

こうしてざっと明治以降の立原家の流れを見るだけでも、「立原家」は他家から夫を迎える女系であることが分かる。そしてこの立原家が明治以前のどこまで遡るかというと、明確なのは室町期の応仁の乱前後の立原伊豆守にまで遡る。江戸時代には5代目立原朝重が第4代水戸徳川宋堯の家臣となり、その後立原家の系譜には徂徠の古学派一門の大学者として名を馳せた水戸藩儒の立原翠軒、そしてその子息で渡辺崋山らと並ぶ画家の立原杏所が出た。詩人はこの文芸の才の血を引いた自らの血を誇りにしていたという(そしてさらに驚くのは、この立原翠軒自筆の系譜図などによると、立原家の最源流は桓武天皇まで遡るという。ただ実際は曽祖父佐ノ助が翠軒らの直系であるかは疑わしいとされ、傍系の可能性もある)。

 

・・・・・・

 

もともと、立原道造が翠軒らの時代の俊英たちの直系であるかどうかは、もとより私の主たる関心事ではありません。

 

なぜならば、本家あるいは直系といえども、多くは長子相続ばかりではないうえに、女系による相続であったり、血族ではない他家からの養子縁組であったり、つまり、伝統的な日本の旧家が尊重してきた「家概念」は、直系にこだわるものではない、ある意味でおおらかな姿勢がうかがわれるからでもあります。

 

直系か傍系かということが盛んに議論されますが、これに関して、嫡流という伝統的概念もあります。つまり、総本家の家筋が正統の流派とみなされ、嫡流とされています。たとえば、源氏の嫡流が頼朝一人であったということはできないと思います。常陸源氏の佐竹氏などは、それを凌ぐ家柄であると評されることもあるようですが、その佐竹家ですら男系(Y染色体)が連綿と続いているわけではないようです。

 

そのような意味から考えてみると、天皇家が万世一系とされる所以も、日本民族の総本家、すなわち、嫡流家であるばかりでなく、途切れなく男系が続いてきたことによるものなのかもしれません。記録に残された世界最長の家系であるということだけでも想像を絶する事実であることに、改めて驚かされる次第です。

前回は「頭の疲れ」に効果のあるツボを紹介しました。

 

 

「百会」は左右の耳の穴を結んだ線と頭の正中を通る線の交わるところにあり、

 

 

「風池」は首の後ろ側、中央のくぼみ(盆のくぼ)から指を外側に滑らせて指の止まるところからやや外側にあり、

 

 

「天柱」は首の後ろ側、中央のくぼみ(盆のくぼ)から指を外側に滑らせて指の止まるところにあるというお話でした。

 

 

今回は「目の疲れ」に効果のある「晴明(せいめい)」「攅竹(さんちく)」「光明(こうめい)」のツボを紹介しましょう。

 

 

<晴明>

スクリーンショット 2022-06-23 13.57.44

目頭の内側で、少し上方のくぼんだところにあります。

 

 

<攅竹>

スクリーンショット 2022-06-23 13.57.51

眉毛の内側のくぼんだところにあります。

 

 

<光明>

スクリーンショット 2022-06-23 13.57.58

 

 

外くるぶしから指7本上のところにあります。

 

 

「晴明」「攅竹」が目の疲れに効果があるのは納得できるのですが、足にある「光明」が目の疲れに効果があると知ったときはたいへん驚きました。

 

確かに効果があるので刺激してみてください。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

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コロナパンデミック騒ぎに巻き込まれた現場の臨床医としての私は、文学作品とはいえ、その中で展開される医師の言動に、とても新鮮な印象と共感を覚えます。それと同時に、これまでの先行翻訳者の諸先生方とは異なる気づきに恵まれているのかもしれません。

 

 

La presse, si bavarde dans l’affaire des rats, ne parlait plus de rien. C’est que les rats meurent dans la rue et les hommes dans leur chambre. Et les journaux ne s’occupent que de la rue. Mais la prefecture et la municipalité commençaient à s’interroger. Aussi longtemps que chaque medecin n’avait pas eu connaissance de plus de deux ou trois cas, personne n’avait pensé à bouger. Mais, en somme, il suffit que quelqu‘un songeât à faire l’addition. L’addition était consternante. En quelques jours à peine, les cas mortels se multiplièrent et il devint évident pour ceux qui se préoccupaient de ce mal curieux qu’il s’agissait d’une véritable épidémie. C’est le moment que choisi Castel, un confrère de Rieux, beaucoupe plus âgé que lui, pour venir le voir.

ネズミの事件であれほど喧伝していたマスコミも、もはや何も報道しなくなっていた。ネズミは道端で死に、人間は自分の部屋で死ぬからである。そして、新聞は巷の話題しか扱わない(註1)。しかし、県や市町村の当局はいぶかりはじめていた。めいめいの医師は、それぞれ二、三の症例しか経験していないうちは、誰もが動き出そうとはしなかった。しかし、詰まるところ、誰かが集計するのを思いつけば済んだはずのことなのであった(註2)。集計数は驚愕するほどだった。高々数日間で、死亡件数も膨れ上がり、この奇妙な病気を懸念していた人々の間では、これが紛れもない疫病を意味することが明らかな事実となった。まさに、そのような折を見計らって(註3)、リゥの同業者で彼よりずっと年嵩のカステルが、彼に会いに来たのであった。

 

(註1)

新聞は巷の話題しか扱わない

les journaux ne s’occupent que de la rue

 

「新聞は街頭のことしかとりあげない。」(宮崎訳) 

 

「新聞は通りで起こることにしか関心をいだかないのだ。」(三野訳)

 

「新聞は町の話題しか取り上げない。」(中条訳)

 

 

(註2)

詰まるところ、誰かが集計するのを思いつけば済んだはずのことなのであった

en somme, il suffit que quelqu‘un songeât à faire l’addition

 

「要するに、誰かが合計を出すことを思いつきさえすればよかったのである。」(宮崎訳) 

 

「結局、だれかが合算することを思いつくだけで十分だった。」(三野訳)

 

「結局、誰かが足し算をしてみるだけで十分だった。」(中条訳)

 

 

 

(註3)

まさに、(カステルは)そのような折を見計らって

C’est le moment que choisi Castel

 

「いよいよ潮どきと見てカステルという・・」(宮崎訳) 

 

「まさにこのときを選んで、・・・カステルが・・・。」(三野訳)

 

「まさにそのとき、」(中条訳)

 

 

 

 

― Naturellement, lui dit-il, vous savez ce que c’est, Rieux?
― J’attends le résultat des analyses.
Moi, je le sais. Et je n’ai pas besoin d’analyses. J’ai fait une partie de ma carrière en Chine, et j’ai vu quelques cas à Paris, il y a une vingtaine d’années. Seulement, on n’a pas osé leur donner un nom, sur le moment. L’opinion publique, c’est sacré: pas d’affolement, surtout pas d’affolement. Et puis comme disait un confrère : « C’ est impossible, tout le monde sait qu’elle a disparu de l’Occident. » Oui, tout le monde le savait, sauf les morts. Allons, Rieux, vous savez aussi bien que moi ce que c’est.

「むろん、リゥ君、君はこれが何なのかわかっているかね?」とカステル医師は言うのであった。
「解析結果を待っているところです。」
- 「私には、それが何なのかわかっている。これ以上の解析結果を待つまでもないことだ(註4)。私には中国で過ごしたり、パリでいくつかの症例を見たりした職務経歴がある。20年ほど前になるがね。しかし、ただ、あえてその病状に病名を付けようとはしなかった、その当座にはね(註5)。世論というものは神聖で侵しがたいもの、だから、慎重が上にも慎重に、ということになる(註6)。そして、ある同僚が言ったようにうに『ありえない。それが西洋から消滅したということを知らぬものはいない。』ということだった。そうだ、みんな知っていたのだ。死んでしまった者以外はね。さてはて、リュ君、君も私と同様、それが何なのか十分知っているはずだね

 

 

(註4)

だから私には解析など無用だ。

Et je n’ai pas besoin d’analyses.

 

各人とも<je>(私)を省略していますが、たとえば世間一般の人々は、そのようには考えていないとすれば、主語を省略すべきではないのではないでしょうか。

 

「だから、分析なんぞ必要としない。」(宮崎訳) 

 

「分析の必要はない。」(三野訳)

 

「分析を待つ必要なない。」(中条訳)

 

 

(註5)

あえてその病状に病名を付けようとはしなかったのだ、その当座にはね。

on n’a pas osé leur donner un nom, sur le moment.

 

各人ともosé leur donner un nomの<un nom>を単に漠然と「名前」訳するのではなく、文脈に沿って具体的に「病名」としています。
   

何に対して「病名」を付けるか、についても、省略したり、代名詞であるため「そいつ」と訳したりするのではなく、「病態」と訳することにしました。また、各人とも「勇気が(は)なかった」と訳していますが、自らの保身のためだけでなく、既得権益の積極的な拡大を狙って「あえて・・・行わない」という立場の医師が存在することを弁えた上で翻訳したいと考えます。

 

「世間はそいつに病名をつける勇気がなかったのさ、即座にはね。」(宮崎訳)

病名をつけるのは医師であって、世間ではありません。勇気がなかったのも世間ではなく、医師たちであったのではないでしょうか。

 

「だれも即座に病名を口にする勇気はなかった。」(三野訳)

 

「すぐに病名をつける勇気がなかったんだ。」(中条訳)

 

 

(註6)

世論というものは絶対なのだ、だから、慎重が上にも慎重に、ということになる。

c’est sacré は直訳すれば、「それは神聖だ」となりますが、神聖不可侵あるいは絶対的な存在であることを示唆しますが、一方で、非科学的で、非合理的であるにもかかわらず権威をもっていることをも示唆することがあります。カステル医師のこの発言は、医師という職能集団全体に対しての警句であると、私は解釈します。そして、現代でも多くの心ある医師は、科学的根拠よりも、政府や利権組織の思惑に誘導された世論やマスコミの主流派の意見に逆らうことに困難を覚えています。

 

L’opinion publique, c’est sacré: pas d’affolement, surtout pas d’affolement.

 

「世論というやつは、神聖なんだ―冷静を失うな、何よりもまず冷静を失うな、さ。」(宮崎訳)

誰に呼び掛けているのか、わかりにくい訳文だと思われます。 

 

「世間というのは神聖なのだ。パニックを起こしてはならない、とりわけパニックはいけない。」(三野訳)

世間にパニックを起こしてはならない、と警告しているように誤解を与えかねない訳文か?世間様にパニックをもたらしてはならない、という訳だとわかりやすいのではないでしょうか。

 

「世論には逆らえないからね。慎重に、いやが上にも慎重に、というわけだ。」(中条訳)


とてもこなれた良い訳だと思います。良い訳はその一文自体が分かりやすいだけでなく、前後の分との繋がりもしっくりいきます。

 

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聖楽院主宰 テノール 

飯嶋正広

 

 別科音楽理論ⅠA 佐藤誠一先生からの課題

 

別科音楽理論ⅡAは、基礎編であるのに対して、ⅠAが応用編であるのは少し戸惑うところです。しかし、その理由は、授業の時間帯によるものです。土曜日の三限目の授業がⅠA、同じく四限目がⅡAとの割り付けだからなのです。

 

さて、応用編であるⅠAの課題は、複数のなかから選択可能であるということでした。
ジャン・コクトーの詩集「カンヌ」の中から5番目の『耳』という詩に対して
堀口大學が訳した詩に曲をつける、という課題です。

 

『耳』(「カンヌ」5番)詩 ジャン・コクトー/訳 堀口大學

 

私の耳は 貝のから
海の響きを なつかしむ

 

七五調の詩なので、リズム感もあり、一口で諳んじて詠ずることも可能です。
しかし、問題は詩の理解を深めることです。

 

私の耳は 貝のから

 

ここで、貝とは、いったいどのような貝なのだろうか?

という疑問が生じます。

 

そして、素朴な疑問はさらに続きます。

 

海の響きを なつかしむ

 

一体、だれが、なぜ、なつかしむのだろうか?なのか

 

主語は、貝のから なのか、それとも、 私の耳 なのか。

 

ここでは、いったん、その主語は、貝のからであり、私の耳でもある、ということにしておきましょう。

 

なぜ 海の響き を なつかしむ に至ったのだろうか?

 

これらの疑問に対して、何らかの答えを用意しておかなければ、落ち着いて作曲することが難しく思えてきました。

 

やはり、コクトーの原詩に当ってみる他はなさそうです。

 

Cannes V

Mon oreille est un coquillage

Qui aime le bruit de la mer.

 

しかし、これで、疑問が一挙に解決したわけではありませんでした。

 

課題1:

私の耳(Mon oreille un coquillageは、単数形であって複数形でないのはなぜか?解剖学的な存在としては両耳(複数)ですが、聴覚という意味では単数扱いで問題がありません。

 

課題2:

貝のから(un coquillage )これは、生の貝そのものばかりでなく、貝殻を意味するもののようです。ただし、それはいったいどのような種類の貝なのでしょうか? 少なくともun coquillage bivalve(二枚貝)なのかun coquillage univalve(巻貝)なのか、いずれのタイプの貝なのでしょうか?

 

それは、原詩でも明らかではありません。

 

ただし、いずれにしても大型の貝のいくつかの種類の総称としては、une conqueがあります。その一つには楽器として使われる法螺貝(ホラガイ)は、文学の世界では、ギリシ神話の海神トリトンの法螺貝を意味することがあります。また、解剖学用語では、甲介(貝殻に似た構造)と訳され、耳甲介(外耳外面の貝殻に似た構造)を意味することは興味深いです。

 

またcoquillage をPetit Robert仏仏辞典で検索してみると、文学的コンテクストの中で、音楽的なイメージへ展開している用例が挙げられています。 

 

Mollusque, généralement marin, pourvu d’une coquille; spécialt un tel mollusque comestible.

(貝殻を持つ軟体動物で、通常は海産。特殊な食用軟体動物。)

 

《le coquillage pleine de rumeurs qu’ils appliquent à leur oreille》CLAUDEL

<噂の貝殻を耳に当てる>クローデル

 

《Ce coquillage qui m’offre un développement combiné des thèmes simples de l’hélice et de la spire》VALÉRY

<この貝は、螺旋(らせん)と渦巻(うずまき)という単純な主題〔主旋律〕を複合的に発展させたものだ。>

 

ヴァレリー

 

課題3:

<響き>という訳について

 

原詩では<le bruit >

 

この単語の意味は、楽音だけでなく騒音をも包含しています。雑音である可能性もあります。堀口大學は<響き>と訳しましたが、響きという言葉も、楽音のみならず雑音や騒音を意味することがあるので巧みな訳であるといえると思います。詩とはメルヘンであると考える向きにとっては、おそらく、楽音をイメージすることでしょうが、詩の存在意義や解釈は、そればかりではない可能性もあると思います。

 

なお(人の)<声>と訳すことが可能な用例もあります。さらに、言葉にならぬ(人の発する)<音声>を意味することもあります。

 

1. Sensation auditive produite par des vibrations irrégulières.

不規則な振動によって生じる聴覚的な感覚。

 

《les bruits de la maison, le craquement des poutres, des planchers, ton père qui tousse, …》PEREC

《家の音、梁のきしみ、床の音、お父さんの咳、…》ペレック

 

《On entendait les bruits des voisins, ceux de l’étage et ceux qui logeaient au-dessous et au-dessus》MODIANO

《その階とその上の階と下の階にいる隣人たちの声が聞こえていた》モディアーノ

 

2.(Sens collect.)LE BRUIT: ensemble de bruits, de sons (perçus comme gênants, pénibles).

(集合的感覚)雑音:(迷惑、苦痛と感じられる)一連の音、響き。

 

《Mes parents haïssaient le bruit. Ma mère surtout le détestait, dans toutes ses manifestations, musique, voix vraie ou télévisée, heurts, et même les soupires et les éternuements auxquels on ne peut rien.》R.DETAMBEL.

《私の両親は騒音を嫌っていた。母は特に、音楽、現実の声、テレビの声、衝突、そしてどうしようもないため息やくしゃみなど、あらゆる形でそれを嫌っていた。》R.ドゥタンベル

 

課題4:

<なつかしむ>という訳について  

<aime; aimer>という言葉の訳としては、かなり深く掘り下げられています。
日本語には<慈しむ>という言葉があり、フランス語ではaimer +人+tendrement<優しく愛す>というニュアンスになります。

 

そして、<なつかしむ>という言葉の響きは<いつくしむ>という言葉の響きとも調和するように感じられます。

 

課題5:

<海>という訳について  

海は<la mer>の定訳。しかし、私は日本語には存在しない定冠詞<la>の存在が気になるのです。<la mer>は、どのような海かというと、<l’océan>(海洋)と比べるならば、その拡がりは限定された特定の海ということになるようです。そして、この<la mer>(海)は、しばしば同じ発音の<la mère>(母)を連想させることが指摘されます。そして、以下のような用例を発見しました。
 

Le premier bruit perçu est celui de sa mère.
Bébé entend les bruits du corps de maman. La voix de la mère est l'un des premiers bruits perçus,・・・

<最初に聞こえるのは、母親の声です。
赤ちゃんはお母さんの体の音を聞いています。母親の声は、最初に知覚される音のひとつなのです・・・>

 

そこで、私は改めて、原詩を以下のようにやや散文調に翻訳してみました。

 

コクトーの原詩を朗読してみると、散文的な印象を受けたからです。

 

わたしの耳は 巻貝の耳

母なる海の ささやく声を

いつくしんでいる

 

以上をもとにして、曲を構成してみました。

以下の通りです。

クリックで開きます

 


さらに、これを、短歌調(5-7-5-7-7)にすれば、

 

我が耳は、巻貝のそれ

いつくしむ 母なる海の 潮の呟き

 

 

この短歌をフランス語に再翻訳すると、たとえば

 

Mon oreille est un coquillage.
Qui aime les murmures des marées de ma mère.

 

原詩通りの一行目はoreilleとcoquillageのillとが視覚的に反復しています。
ただし、それぞれの発音は全く異なります。

 

二行目は、aime,murmures,marées,ma,mère といずれも子音mがリズミカルに6回繰り返されます。子音mは喃語(嬰児の、まだ言葉にならない段階の声)に特有の音です。またフランス語らしさを感じさせる子音rも4回繰り返され、聴覚に訴えてきます。

 

この詩をもとにして改めて作曲するならば、かなり印象の違った曲が生まれるのではないかと思われます。

 

 

前回はこちら

 


認定内科医、認定痛風医

アレルギー専門医、リウマチ専門医、漢方専門医

 

飯嶋正広

 

肝疾患の治療薬について(No4)

 

<中高年女性に多発し、肝疾患の中にはアレルギー・リウマチ・膠原病科と密接な関係がある疾患も存在>

 

薬物性肝障害と自己免疫性肝障害

 

薬剤性肝障害の大部分はアレルギー性であるため服用前の予測は困難です。

また中毒性の代表例はアセトアミノフェンであり、これは容量依存的に肝毒性をきたします。

 

薬物性肝障害の診断のためには、まず肝障害が存在することを前提として、その後は除外診断が必要であり、

 

1)肝炎ウイルスマーカーが陰性であること、

 

2)超音波など画像診断、

 

3)飲酒歴の確認、

 

4)血清・生化学データで閉塞性黄疸、アルコール性肝障害、自己免疫性肝障害を否定できること

 

が必要です。

 

なお好酸球数の増加(6%以上)は薬剤性との診断を支持します。

 

服薬開始後5~90日の場合が多いが、それより長期でも否定はできません。

 

薬剤性肝障害が疑われれば、服用中の全ての薬を原因として疑います。

 

原因薬物の中止が基本であり、経過により、肝庇護薬、ステロイドなどが使われます。

 

 

自己免疫性肝炎(AIH)

 

これは慢性活動性肝炎であって、自己免疫が関与する疾患です。

 

すなわち、免疫学的な異常を伴い、血清学的には免疫グロブリンのなかで、IgGまたはγ-グロブリンが高値となります。また、自己抗体としては、抗核抗体・抗平滑筋抗体・LKM1抗体などを認めます。

 

中高年の女性に多く見られます。

 

診断は「自己免疫性肝炎(AIH)」診療ガイドライン(2016年)」などに基づき、他の原因を除外することでなされます。

 

治療は副腎皮質ステロイド(PSL)(プレドニン®)(註1)など免疫抑制薬が第一選択です。なお、副作用などで、やむを得ず中止する場合は免疫抑制薬のなかでプリン代謝拮抗薬であるアザチオプリン(イムラン®、アザニン®)(註2)あるいは胆汁酸利胆薬であるUDCA(ウルソ®)(註3)を使用します。

 

予後は上記治療により決定するため、肝生検による診断後に肝臓専門医の下で治療を開始します。

 

服薬中止により再発、急性増悪をみることが多く、生涯にわたり服薬を続ける必要があります。

 

(註1)副腎皮質ステロイド(PSL)(プレドニン®)

(註2)プリン代謝拮抗薬アザチオプリン(イムラン®、アザニン®)

(註3)胆汁酸利胆薬UDCA(ウルソ®)

 

 

原発性胆汁性胆管炎(PBC)
 

慢性胆汁うっ滞性疾患の一つです。

 

この疾患も中高年女性に好発します。

 

症状として、痒みがあります。

 

合併症:骨粗鬆症

 

診断は、以下の3項目のうち2項目を満たせば可能です。

 

1) 慢性の胆道系酵素上昇

 

2) 抗ミトコンドリア抗体(AMA)陽性

 

3) 特徴的な組織学的所見:慢性非化膿性破壊性胆管炎(CNSDC)など

 

治療は、UDCA(ウルソ®)が第一選択薬です。

なお、効果不十分で、脂質異常症が認められる場合にはベザフィブラート(ベザトール®)を用いることがあります。また、痒みに対して、選択的κ受容体作動薬のナルフラフィン(レミッチ®)が効果的です。この薬剤は、PBCに限らず、慢性肝疾患に伴う痒みに用いられています。

 

また、合併症である骨粗鬆症に対しては、食事療法(カルシウム、ビタミンD)と運動療法が勧められます。また、ビタミンD製剤(ワンアルファ®、エディロール®)ビスホスホネート製剤(リカルボン®、フォサマック®、ダイドロネル®)、ビタミンK₁(カーチフN®、ケーワン®)などが投与されます。

 

上記の内で、当クリニックでの処方頻度が高い薬剤には下線を施しました。

 

前回はこちら

 

 

声楽の理論と実践から学ぶNo.6

 

水氣道の稽古と声楽のレッスンの共通点(続・続々)

 

歌をうたうという芸術の神髄と水氣道(その2)

 

今週も、先週に引き続き、声楽教師としてのソプラノ歌手リリー・レーマンの声楽理論書『Meine Gesangskunst』(1902)(邦訳『私の歌唱法—テクニックの秘密—』川口豊訳 2010年 シンフォニア)18頁から「抜粋」して、レーマンの考え方を紹介するとともに、改めて水氣道に光を当ててみたいと思います。

 

抜粋2「歌をうたう芸術の神髄は、腹筋と横隔膜筋の働きを知り、その働きを意識して組み立てるところにある。それらの筋肉の働きによって呼気の空気圧が作り出される。次に、胸郭にある反発する筋肉 ― 息は胸の筋肉に向かって広げられるように押しつけられる ー についてよく理解し、それを意識的に働かせるところにある。息が胸の筋肉を押し広げることによって、声楽家は息をコントロールすることができるようになる。そして、息は声帯を通り抜け、長い通路を通り、たくさんの共鳴腔や頭腔へと振動を伝える。」
 

呼吸とは、本来、意識して人為的に組み立てられるシステムではなく、そのほとんどが無意識に、つまり、自然に繰り返されている生命活動です。そして、私たちは腹筋や横隔膜(横隔膜は、それ自体が筋肉で、主たる吸気筋)の働きを知らなくても呼吸し続けています。

歌をうたう行為も、呼吸という生命現象が基本にあります。ただし、声楽教師のリリー・レーマンは、歌をうたう芸術の神髄が「腹筋と横隔膜筋の働きを知り、その働きを意識して組み立てる

 

ことにあることを教示しています。つまり、声楽の基礎は呼吸筋の働きを意識することからはじめるべき、ということになります。

 

声楽のレッスンと水氣道の稽古の導入法の違いは、まずこの点にあります。水氣道は、呼吸のメカニズムを知らなくても稽古を始めることができます。水中での立位の運動を行うときに、特別の意識を払わなくても、身体に直接影響を及ぼす水が呼吸筋を直接鍛えてくれるからです。
 

吸気時に収縮する筋肉は横隔膜の他に、外肋間筋、吸気補助筋などですが、これに対して、呼気時に働くのは腹筋の働きが大であり、他に内肋間筋などがあります。

水氣道の稽古でも、横隔膜は吸息の主動作筋であり、腹筋群は呼息の強力な補助筋として働きます。これらの両筋群は互いに拮抗作用を持ちますが、共同的にも作用します。そこが、他の四肢の骨格筋群とは異なる呼吸筋の特徴であると言えるでしょう。

 

レーマンが、呼吸筋の働きを意識して組み立てることに歌をうたうように指導するのは、呼吸が発声や歌唱の基礎になるからばかりでなく、こうした呼吸筋群(呼気群と吸気群)の特性を認識することによって、より高度でより精緻な呼吸コントロールを早期に達成できるようになるからであると推測することができるでしょう。

 

一般に、互いに相反する運動を行う2つの筋肉または筋肉群のことを拮抗筋といいます。たとえば,上腕二頭筋 (屈筋) と上腕三頭筋 (伸筋) は互いに拮抗筋です。拮抗作用は,筋肉が円滑な運動をするうえに重要な役割を果しています。

 

くり返しますが、呼吸を司る筋肉である腹筋群(呼気群)と横隔膜(吸気筋)は互いに拮抗作用を持つだけでなく、共同的(協働的)にも作用します。拮抗作用については特別な注意を払わなくても無意識のうちに自動的に繰り返されていますが、腹筋群と横隔膜を協働的に作用させるためには意識的にトレーニングする必要があります。

そのためには、呼吸に関する解剖学・生理学・心理学等の科学的・医学的な知識が必要になってくるのです。

 

水氣道の稽古の課程においては、入門期(体験生)から初期(訓練生)までの時期においては、無意識の自然体の呼吸に委ねて稽古をくり返すことになります。

 

水氣道の体験生や訓練生が被る帽子の色は「白」と定めていますが、これは「肺」という臓器の色を表しています。「肺」は呼吸を司りますが、「肺」自体は筋肉ではないので自主的に収縮や拡張をくり返すことはできません。これらは呼吸筋によって委ねられているからです。つまり、「肺」は受け身の臓器であり、それ自身が意思の力によって直接コントロールされる臓器ではないことを理解しておいてください。

 

しかし、水氣道の稽古が進んでいくと、呼吸を意識的にコントロールする技術が必要になってきます。訓練生から修錬生になるということは、呼吸に関して、レーマンが教えている通り「腹筋と横隔膜筋の働きを知り、その働きを意識して組み立てることが必要になってくるのです。

 

修錬生の帽子の色が「朱」であるのは、筋肉の色を象徴しています。ただし、ここで筋肉というのは四肢の骨格筋ばかりでなく、呼吸筋が含んでいるし、心筋(心臓は筋肉性の臓器)も含んでいるものと理解しておいてください。

 

なお、「胸郭にある反発する筋肉 ― 息は胸の筋肉に向かって広げられるように押しつけられる "ー" についてよく理解し、それを意識的に働かせるところにある。

と訳されていますが、「胸郭にある反発する筋肉」とは胸郭にある呼吸筋群を意味するものであり、また「反発する筋肉」とは、互いに拮抗する筋群、すなわち、呼気筋群(胸郭内では主に内肋間筋)と吸気筋群(主に横隔膜、他に外肋間筋など)を意味するものと考えると理解しやすくなるでしょう。

 

「息は胸の筋肉に向かって広げられるように押しつけられる

という場合の息は、すなわち呼吸ですが、呼吸は呼気と吸気によって成り立っています。この場合の息とは吸気の息であり、息を吸うことによって肺が拡張し、その結果、胸郭全体が外側に向かって、つまり胸郭の壁を形成している内および外肋間筋が伸展することになります。
 

そして、進展させられた筋肉は、収縮するためのエネルギーが蓄積していきます。声楽家になるためには、呼吸筋の進展と収縮のメカニズムを知ることによって、呼吸を十分にコントロールできるような訓練が必要だ、といのがレーマンの教えであるといえるでしょう。