『水氣道』週報

 

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声楽の理論と実践から学ぶNo.6

 

水氣道の稽古と声楽のレッスンの共通点(続・続々)

 

歌をうたうという芸術の神髄と水氣道(その2)

 

今週も、先週に引き続き、声楽教師としてのソプラノ歌手リリー・レーマンの声楽理論書『Meine Gesangskunst』(1902)(邦訳『私の歌唱法—テクニックの秘密—』川口豊訳 2010年 シンフォニア)18頁から「抜粋」して、レーマンの考え方を紹介するとともに、改めて水氣道に光を当ててみたいと思います。

 

抜粋2「歌をうたう芸術の神髄は、腹筋と横隔膜筋の働きを知り、その働きを意識して組み立てるところにある。それらの筋肉の働きによって呼気の空気圧が作り出される。次に、胸郭にある反発する筋肉 ― 息は胸の筋肉に向かって広げられるように押しつけられる ー についてよく理解し、それを意識的に働かせるところにある。息が胸の筋肉を押し広げることによって、声楽家は息をコントロールすることができるようになる。そして、息は声帯を通り抜け、長い通路を通り、たくさんの共鳴腔や頭腔へと振動を伝える。」
 

呼吸とは、本来、意識して人為的に組み立てられるシステムではなく、そのほとんどが無意識に、つまり、自然に繰り返されている生命活動です。そして、私たちは腹筋や横隔膜(横隔膜は、それ自体が筋肉で、主たる吸気筋)の働きを知らなくても呼吸し続けています。

歌をうたう行為も、呼吸という生命現象が基本にあります。ただし、声楽教師のリリー・レーマンは、歌をうたう芸術の神髄が「腹筋と横隔膜筋の働きを知り、その働きを意識して組み立てる

 

ことにあることを教示しています。つまり、声楽の基礎は呼吸筋の働きを意識することからはじめるべき、ということになります。

 

声楽のレッスンと水氣道の稽古の導入法の違いは、まずこの点にあります。水氣道は、呼吸のメカニズムを知らなくても稽古を始めることができます。水中での立位の運動を行うときに、特別の意識を払わなくても、身体に直接影響を及ぼす水が呼吸筋を直接鍛えてくれるからです。
 

吸気時に収縮する筋肉は横隔膜の他に、外肋間筋、吸気補助筋などですが、これに対して、呼気時に働くのは腹筋の働きが大であり、他に内肋間筋などがあります。

水氣道の稽古でも、横隔膜は吸息の主動作筋であり、腹筋群は呼息の強力な補助筋として働きます。これらの両筋群は互いに拮抗作用を持ちますが、共同的にも作用します。そこが、他の四肢の骨格筋群とは異なる呼吸筋の特徴であると言えるでしょう。

 

レーマンが、呼吸筋の働きを意識して組み立てることに歌をうたうように指導するのは、呼吸が発声や歌唱の基礎になるからばかりでなく、こうした呼吸筋群(呼気群と吸気群)の特性を認識することによって、より高度でより精緻な呼吸コントロールを早期に達成できるようになるからであると推測することができるでしょう。

 

一般に、互いに相反する運動を行う2つの筋肉または筋肉群のことを拮抗筋といいます。たとえば,上腕二頭筋 (屈筋) と上腕三頭筋 (伸筋) は互いに拮抗筋です。拮抗作用は,筋肉が円滑な運動をするうえに重要な役割を果しています。

 

くり返しますが、呼吸を司る筋肉である腹筋群(呼気群)と横隔膜(吸気筋)は互いに拮抗作用を持つだけでなく、共同的(協働的)にも作用します。拮抗作用については特別な注意を払わなくても無意識のうちに自動的に繰り返されていますが、腹筋群と横隔膜を協働的に作用させるためには意識的にトレーニングする必要があります。

そのためには、呼吸に関する解剖学・生理学・心理学等の科学的・医学的な知識が必要になってくるのです。

 

水氣道の稽古の課程においては、入門期(体験生)から初期(訓練生)までの時期においては、無意識の自然体の呼吸に委ねて稽古をくり返すことになります。

 

水氣道の体験生や訓練生が被る帽子の色は「白」と定めていますが、これは「肺」という臓器の色を表しています。「肺」は呼吸を司りますが、「肺」自体は筋肉ではないので自主的に収縮や拡張をくり返すことはできません。これらは呼吸筋によって委ねられているからです。つまり、「肺」は受け身の臓器であり、それ自身が意思の力によって直接コントロールされる臓器ではないことを理解しておいてください。

 

しかし、水氣道の稽古が進んでいくと、呼吸を意識的にコントロールする技術が必要になってきます。訓練生から修錬生になるということは、呼吸に関して、レーマンが教えている通り「腹筋と横隔膜筋の働きを知り、その働きを意識して組み立てることが必要になってくるのです。

 

修錬生の帽子の色が「朱」であるのは、筋肉の色を象徴しています。ただし、ここで筋肉というのは四肢の骨格筋ばかりでなく、呼吸筋が含んでいるし、心筋(心臓は筋肉性の臓器)も含んでいるものと理解しておいてください。

 

なお、「胸郭にある反発する筋肉 ― 息は胸の筋肉に向かって広げられるように押しつけられる "ー" についてよく理解し、それを意識的に働かせるところにある。

と訳されていますが、「胸郭にある反発する筋肉」とは胸郭にある呼吸筋群を意味するものであり、また「反発する筋肉」とは、互いに拮抗する筋群、すなわち、呼気筋群(胸郭内では主に内肋間筋)と吸気筋群(主に横隔膜、他に外肋間筋など)を意味するものと考えると理解しやすくなるでしょう。

 

「息は胸の筋肉に向かって広げられるように押しつけられる

という場合の息は、すなわち呼吸ですが、呼吸は呼気と吸気によって成り立っています。この場合の息とは吸気の息であり、息を吸うことによって肺が拡張し、その結果、胸郭全体が外側に向かって、つまり胸郭の壁を形成している内および外肋間筋が伸展することになります。
 

そして、進展させられた筋肉は、収縮するためのエネルギーが蓄積していきます。声楽家になるためには、呼吸筋の進展と収縮のメカニズムを知ることによって、呼吸を十分にコントロールできるような訓練が必要だ、といのがレーマンの教えであるといえるでしょう。