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茨城県は古来、豊かな日常性に恵まれたお日様が誕生する東方の大地であり続けてきたのです。

 

芸能関係に疎い私は、「東方神起」というグループ名を見て、ようやく茨城県出身の若者が小粋なネーミングでデビューを果たしてくれたのか、と期待したものでした。後に韓流ミュージシャンであると知らされて驚きましたが、日が昇る東方(オリエンス)は、全人類があこがれる方角であったのではないかと思います。

 

神武天皇発祥の地である日向国(宮崎県に相当)、伊勢神宮のある伊勢国(三重県の大部分に相当)と並んで鹿島神宮のある常陸国(茨城県の大部分に相当)は、いずれも東方に海を臨み、その水平線から毎日太陽が誕生するのを見守ることができる土地柄です。

 

朝鮮半島の人々は日本海を東海と呼ぶのだそうですが、やはり東方の海は彼らにとっても魅力的な広がりなのだろうと思います。しかし、東の中でも、もっとも東に位置するのは日本国であり、日本はまさに極東の島国です。その島国の中でさらに東の極みに位置するのが常陸の国(日立の国?日高見の国?)なのです。

 

そんな神聖な茨城県に対する魅力度評価が最低位であるという結果をどのように受け止めるかについてはひと様々でよいと思います。

私は、このランキングは都道府県を女性に見立てるとすればエキゾチックでミステリアスな愛人度ランキング(もしくは美人投票)のようなものだと感じています。

 

これと対照的な尺度があるとすれば、それは、ごく平凡で幼馴染のような良妻度ランキングではないでしょうか。そして、非日常・現実逃避度(愛人度)ランキングと日常・現実受容度(良妻度)ランキングはパラレルではなく、むしろ逆相関する可能性を想定し、「魅力度ランキングと人口減少率は逆相関する」という大胆な仮説を立ててみました。

 

そこで魅力度第1位の北海道と茨城県の人口動態、それから日本の総人口の動態について、最近までの約20年間の人口の推移を調べてみました。

 

 

国土交通省のデータによると、平成7年から27年までの20年間における北海道の人口推移を見ると、減少傾向で推移し、約5.5%減少(※住民基本台帳に基づく北海道の人口のピークは平成9年570万人)。

 

これに対して、茨城県の人口は平成12年(2000 年)に最も多い 299 万人に達して以降,現在まで減少が続いています。令和3年9月1日現在で2,840,443人ですから、最近のおよそ20年間で約5.0%減少しています。

 

このデータが示すのは、最近約20年間の日本の総人口の減少率は、1億2680万人(2000年)、1億2557万人(2021年)であるので、約0.97%減少です。北海道も茨城県も共に日本全体の減少率より5倍以上の速さで低下しています。

 

このことは、47都道府県の魅力度順位と人口減少率との間には、逆相関は見られませんでしたが、ほぼ無関係であることが推定されます。つまり、魅力度を高めても直ちに人口増加には繋がらないだろう、ということです。

 

あくまでも、私にとっての話で恐縮ですが、愛人度はともかく、茨城県は良妻度ランキングがトップである、それもほぼ安定してトップの座を維持している、というイメージにたとえるとピンとくるのです。

 

たとえば、茨城県に定住するとしたら、毎日の生活は刺激に満ちているが、長続きしそうにない愛人との生活というイメージは決して浮かんできません。それは、むしろ素朴だが永年連れ添った妻との物心共に豊かな落ち着いた生活といった光景が、ほんのりと浮かんでくるからです。

 

茨城を愛する人々は、現実の大地に足の着いた、平凡かつ平穏な日常に喜びと満足とを感じることができる人々でもあるのではないかと思えるのです。

 

「都道府県魅力度ランキング全国最下位茨城県」のテーマは、私のこのコラムの意義を別の角度からおおいに照らしてくれそうです。そこで、次回もこのテーマを続けることにします。

 

 

次回は、「知られざる茨城の名湯・秘境」シリーズの第一弾として、北茨城市の「友の湯温泉」を紹介する予定です。

<はじめに>

 

前回は「肘の痛み」に効果のあるツボを紹介しました。

 

 

「後谿」は小指の側面を指でなぞり指が止まるところにあり、

 

 

「商陽」は人差し指の爪の生え際の親指側にあり、

 

 

「少海」は肘を曲げ内肘にしわが寄っている部分で、小指側にある骨の突端のやや内側にあり、

 

 

「曲池」は肘を曲げた時にできる外側の横じわの端のくぼみの部分にあるというお話でした。

 

 

 

今回は「膝の痛み」に効果のある「陷谷(かんこく)」「商丘(しょうきゅう)」「委中(いちゅう)」のツボを紹介しましょう。

 

 

<陷谷>

スクリーンショット 2021-10-20 18.27.32

足の人差し指と中指の間で足首方向に手を滑らせて指の止まるところにあります。

 

 

<商丘>

スクリーンショット 2021-10-20 18.27.42

内くるぶしの斜め前にあります。

 

 

<委中>

スクリーンショット 2021-10-20 18.27.52

膝の後ろの中央にあります。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

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お詫び:

先週の23日の原稿を、この原稿を持って差し替えにいたします。

 

フランス語原文の写し落としがあり、そのまま翻訳をしてしまったため、不自然な訳文となっておりました。

なお、「ペスト」は、新潮文庫の「ペスト カミュ」(昭和44年10月30日)は宮崎峯雄氏の訳で出版(本体750円、税別)されているので、参考にさせていただくことによって、今回のような抜けが生じないように心がけたいと思います。

 

宮崎氏のテイストは私のとは、しばしば隔たりがあるため、是非、お読み比べいただけましたら幸いです。
 

 

 

Ce qui est plus original dans notre ville est la difficulté qu‘on peut y trouver à mourir. Difficulté, d’ailleurs, n’est pas le bon mot et il serait plus juste de parler d’inconfort. Ce n’est jamais agréable d’être malade, mais il y a des villes et des pays qui vous soutiennent dans la maladie, où l’on peut, en quelque sorte, se laisser aller. Un malade à besoin de douceur, il aime à s’appuyer sur quelque chose, c’est bien naturel. Mais à Oran, les excès du climat, l’importance des affaires qu’on y traite, l’insignifiance du décor, la rapidité du erépuscule et la qualité des plaisirs, tout demande la bonne santé. Un malade s’y trouve bien seul. Qu’on pense alors à celui qui va mourir, pris au piège derrière des centaines de murs crépitants de chaleur, pendant qu’à la même minute, toute une population, au téléphone ou dans les cafés, parle de traites, de connaissements et d’escompte. On comprendra ce qu’il peut y avoir d’inconfortable dans la mort, même moderne, lorsqu’elle servient ainsi dans un lieu sec.

 

この市街(まち)に独特なことは、死ぬことの難しさだと思う。ちなみに困難(la difficulté)という言葉は適切ではなく、具合の悪さ(inconfort)と言った方が当を得ているだろう。病気になるのは決して愉快なことではないが、病気になっても支援してくれる市町村や国があり、そこではある種の解放感にひたれるものだ。病人には穏やかさが必要で、何かに頼りたがるのは、ごく自然なことだ。しかしオランでは、厳しすぎる気候、人々がそこで営んでいる多大な商取引、殺風景さ、夕暮れの慌ただしさ、楽しみの質、すべてにおいて健康であることが求められる。病人は、この町では大いに孤独な存在だ。暑さでひび割れた何百もの壁の背後に閉じ込められて死にかかっている人がいるこの瞬間にも、為替手形や船荷証券、割引について電話やカフェで話しあっている住民全体がいることを考えてみてはいかがだろう。たとえ現代の死であるとしても、このような乾いた土地で迎える死がいかに具合の悪いものであるかは容易に理解できようというものである。

 

 

 

Ces quelques indications donnent peut-être une idée suffisante de notre cité.
Au demeurant, on ne doit rien exagérer. Ce qu’il fallait souligner, c’est l’aspect banal de la ville et de la vie. Mais on passe ses journées sans difficultés aussitôt qu’on a des habitudes. Du moment que notre ville favorise justement les habitudes, on peut dire que tout est pour le mieux. Sous cet angle, sans doute, la vie n’est pas très passionnante. Du moins, on ne connaît pas chez nous le désordre. Et notre population franche, sympathique et active, a toujours provoqué chez le voyageurs une estime raisonnable. Cette cité sans pittoresque, sans végétation et sans âme finit par sembler reposante, on s’y endor enfin. Mais il est juste d’ajouter qu’elle s’est greffée sur un paysage sans égal, au milieu d’un plateau nu, entouré de collines lumineuses, devant une baie au dessin parfait. On peut seulement regretter qu’elle se soit construite en tournant le dos a cette baie et que, partant, il soit impossible d’apercevoir la mer qu’il faut toujours aller chercher.

 

これらのいくつかの指摘は、私たちの市街をあり様をうかがうにはおそらく十分に事足りるであろうし、何事も誇張すべきではない。強調しておくべきなのは、都市やそこでの生活のありふれた側面である。しかし、人というものは習慣が身についてしまえば、たちどころに難なく毎日を過ごすことができるようになる。私たちの市街での習慣に馴染んでいる限り、何事も無事に済んでいく。この観点から見ると、生活はあまり感興を呼び起こすようなものではないものかもしれない。少なくとも、私たちに差し障りはない。また、開放的で友好的で活動的な私たちの住民性は、常に旅行者から相応の評価を受けている。この市街は殺風景で、草木もなく、精神性もないが、ついにはそこで人々は安らかな眠りにつくことになる。しかし、この市街は、申し分のない造形の湾を前にして、光り輝く丘に囲まれた更地の台地の中心にあり、比類なき景観に繋がっていることは付け加えておいてもよいだろう。ただ、この市街はこの湾を背後として建てられたために、海を臨むことができず、いつもわざわざ出向いて行かなければならないのは残念でならない。

 

 

・・・・・・・・・・・

 

今回、修正とともに訳し直してみて気が付いたことは、たった一行の文章の喪失と、文の前後の誤った接続によって、作品全体から受ける印象やメッセージ性が大いに変形され、損われてしまうということです。

 

奇しくも不自然に、不合理なまでに「接ぎ木された(s’est greffée sur)」描写に相成ってしまったのでした。

 

それにしても、舞台となるオラン(Oran)という県庁所在地の市街(まち)は、家屋の外壁の内側と外の世界、少数の病人と大多数の健康な市民、殺風景な街並みと背後に展開している絶景の海湾というコントラストを巧みに描き出していることに気づかされます。

 

その両者の接点が精神的に断絶しつつも物理的に接着している関係にあることに何らかの暗示が与えられているように感じられます。

 

 

しかし、両者の接点は断絶ではありません。ただし、無意識のうちにスムーズにその上を往来できる代物ではなさそうです。敢えて意識して求めなければ到達できない、つまり、積極的に取材しようとしなめれば得られない真実というものがありそうです。

 

「求めよ、さらば与えられん!」(ルカ11章9節)を想起させます。

 

 

 

On peut seulement regretter qu’elle se soit construite en tournant le dos a cette baie et que, partant, il soit impossible d’apercevoir la mer qu’il faut toujours aller chercher.

 

<海を臨むことができず、いつもわざわざ出向いて行かなければならない>

 

 

いずれにせよ、この小説の舞台を一言で言い表すとするならば、それは乾いた場所(un lieu sec)ということになるでしょう。それはもちろん、物理的な意味だけではなく、精神的な意味をも包含していることがうかがわれます。

 

 

 

<以下は、先週と同文>
 

私にも日本のある風景に対して「接ぎ木された(s’est greffée sur)」という表現に似た感覚を覚えた経験があります。それは、形的には連続しているが、自然な、有機的繋がりではない、互いに無関係な、あるいは対照的な領域どうしが人工的に繋がっているようなグロテスクな風景との遭遇によるものでした。
 

日本の殆んどの都市の構造や周囲の光景は、たとえそれが近代化によって大きく変貌を遂げたとしても、歴史の盛衰に委ねてゆっくりと変化しながら形成されてきました。そのためか、街の遥か郊外から、街はずれ、そこからまた街の繁華街や中枢部に向かって進んでいくと、自然に、ほぼ連続的になだらかに街や周囲の景観が変化していきます。そうした光景は、多くの人々にとっても当たり前になっていて何の疑問も浮かんでこないのではないかと思います。

 

そうした日常の感覚が当然であるかのように慣れてしまい、疑問すら抱くことのなかった私に大きな違和感を与えた光景があります。それは国家計画によって大規模な予算を投入されて開拓されつつあった筑波研究学園都市です。開発以前は、古代からの常陸の国の象徴とも言うべき筑波山を背景とする、直線距離では東京のほど近くに位置するが、どちらかといえば交通の不便な辺鄙な田舎でした。

 

それまで通りの、平凡で、日常的で、何の変哲もない田舎の国道を、今は亡き自動車好きの父が運転する車の助手席から前方を注視していると、何の前触れもなく、突如、近代都市が出現してきたのでした。その姿は、慣れ親しんできた穏やかで優しい日本の風景とは全く異なり、米国の都市を想起させるものでした。違和感のある風景でした。そこからは無機的で威圧的な、とうてい馴染めそうにない空間が広がっていました。

 

田園の憂鬱のイメージとは違った人工都市の得体のしれぬ憂鬱を想わせるものでした。当時の私はこの人工都市での生活を余儀なくされたとしたら、自分がどのような精神的悪影響を被ることになるだろうか、と想いを巡らさざるを得なかったことを覚えています。

 

当日のレッスン

 

Spirate pur,spirate(どうか吹いておくれ)はステファノ・ドナウディ(Stefano Donaudy, 1879年~1925年)によって作曲されました。

 

ドナウディはシチリア島のパレルモ生まれのイタリアの作曲家ですが、Donaudyという姓はイタリア人ではなく本来はフランス人の姓のようです。フランスでは<ドノディ>と発音されていたのではないかと思われます。

 

1896年からパレルモ音楽院でツエリに作曲を師事したのちナポリで学び、終生この地に住みました。音楽院入学前から主にオペラを発表していたましたが、卒業後6篇のオペラを器楽曲などの他に作曲しました。しかし、現在ではそれらのオペラはあまり上演されていないのが残念です。

 

それでも、ドナウディは今日トスティと並ぶ歌曲作曲家としてわが国でも名高く、代表作の「36 Arie di Stile Antico(古典様式による36のアリア)」は、17、18世紀のイタリア古典歌曲のスタイルで書かれています。そのため時代を代表する作曲家ではありませんが、それでも粋で香り高い作品が多いです。


私が45歳で本格的に声楽を始めるために入門したのが東京音楽大学の五日市田鶴子先生でしたが、五日市先生が私の声質に適しているとして紹介してくださったのがドナウディの歌曲で、Spirate pur,spirateも懐かしい一曲です。

 

そして、この「Spirate pur,spirate(どうか吹いておくれ)」は前述の「36の古い様式による歌」として出版された36曲のうちの1曲です。

 

 

原語(イタリア語)歌詞に日本語訳(訳:飯嶋正広)を添えました。

 

Spirate pur,spirate      

どうか吹いておくれ、吹いておくれ

 

attorno a lo mio bene,    

私の最愛の女性の周りに、

 

aurette,e v'accertate     

そよ風よ、そして見極めておくれ

 

s'ella nel cor mi tiene.

彼女が心に私で満たしているのかを。

 

s'ella nel cor mi tiene.      

彼女が心に私で満たしているのかを。

 

Spirate, spirate,         

吹いて,吹いて,

 

Spirate pur,   

どうか吹いておくれ,

 

Spirate aurette.   

吹いておくれ,そよ風よ。

 

Se nel suo cor mi tiene,

彼女の心が私で満たされているかどうか、

 

Se nel suo cor mi tiene,

彼女の心が私で満たされているかどうか、

 

v'accertate,aure beate,

見極めておくれ、幸せなそよ風よ、

 

aure lievi e beate!    

軽やかで幸せなそよ風よ!

 

Spirate pur,spirate      

どうか吹いておくれ、吹いておくれ

 

attorno a lo mio bene,    

私の最愛の女性の周りに、

 

aurette,e v'accertate     

そよ風よ、そして見極めておくれ

 

s'ella nel cor mi tiene.

彼女が心に私で満たしているのかを。

 

s'ella nel cor mi tiene.

彼女が心に私で満たしているのかを。

 

Spirate, spirate,

吹いて,吹いて,

 

Spirate pur, 

どうか吹いておくれ,

 

Spirate aurette.  

吹いておくれ,そよ風よ。

 

 

 

この曲は、今年の8月8日(日)に水戸芸術館(館長:小澤征爾)で開催予定であった「茨城の名手・名歌手たち第30回オーディション」出場に向けて、同郷の若手ソプラノの川上茉梨絵さんに選んでいただいた自由曲の一つでもありました。

 

残念ながら、このオーディションは新型コロナ感染症蔓延防止のための緊急措置により、開催の前日に中止が発表されました。

 

茨城県立水戸第三高等学校音楽科を卒業後、東京藝術大学音楽学部声楽科を首席にて卒業し、同大学院修士課程音楽研究科声楽(オペラ)専攻修了した川上さんは、高校時にこの「茨城の名手・名歌手たち第16回」に声楽部門最年少でオーディションに合格しています。私は、同じく最年長で合格を目指していた次第なのでした。

 

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複雑性PTSDとは、感情などの調整困難を伴う心的外傷後ストレス障害(PTSD)です。組織的暴力、家庭内殴打や児童虐待など長期反復的なトラウマ体験の後にしばしば見られるとされます。

 

Q4.

複雑性PTSDの治療は難しくないのですか?

 

A4.

いろいろな意味で、とても難しそうです。

 

複雑性PTSDの治療法として、STAIR/NST療法があり、効果が実証されてきています。

 

これは、STAIR(感情調整と対人関係調整スキルトレーニング)とNST(ナラティブ・ストーリー・テリング)の二つの要素から構成されています。  

 

この治療法の特徴の一つは、段階的な治療構造であり、患者が無理なく一歩ずつトラウマからの解放へと進んでいけるよう支援していきます。その際に、過去に焦点を当てた介入と現在に焦点を当てた介入とのバランスを保ち、現在や未来に希望があることを認識できるようサポートします。

 

16セッションにも及ぶので、時間も手間もコストもかかります。経験症例数が少ないため、私にもまだ治療の自信はありません。

 

具体的なセッションとしては、 最初のセッション(希望の共有)では、治療者の第一の役割は、患者の希望を維持し、強化します。患者の話に丁寧に耳を傾け、患者の症状や生活状況に対する正確かつ共感的な理解を示していきます。

それによって患者は理解してもらえた感覚を得て、変化が可能だと信じることができるようになります。また、目標達成のための治療計画を提案し、その目標に向けて協同で取り組んで行くことを確認します。。

 

その後は、

セッション2(感情への気づき):患者が自身の感情に気づき、言葉で表現できるようサポートする。

 

セッション3(感情の調整):身体・認知・行動の3つの領域からの感情調整のスキルについて話し合い、その上で適応的な感情調整スキルを確認し、前向きな感情を取り入れられるようサポートする。

 

セッション4(感情との関わり):感情と関わりながら実感を持って生きるためのワークを行う。苦痛な感情に対する適切な対処方法について話し合い、適切な方法で苦痛な感情に対処できるようサポートする。

 

セッション5(対人関係パターンの理解):トラウマ体験が対人関係のパターンにどのように影響するか説明するとともに、現在の周りの人に対する考え方や、関係性について協同で振り返っていく。

 

セッション6(対人関係パターンの変更):心地よい関わり方を身につけられるよう、周りの人に対する考え方や関係性の築き方について、今後を見据えて協同で模索していく。

 

セッション7(効果的なコミュニケーションと自己主張):適切な自己主張ができる状態(アサーティブ)でいられることについて、心理教育を行うとともに、患者がそのために必要なスキルを身につけられるようサポートする。ここでもロールプレイを行い、スキルの定着を支援する。

 

セッション8(人間関係における柔軟性):様々な関係性に柔軟に対応し適度な距離感を保った付き合い方ができるよう、そのためのスキル形成を支援する。

 

セッション9(NSTの紹介):後半(セッション9~16)で行われる、NST(ナラティブ・ストーリー・テリング)の紹介を行う。

 

セッション10~15(トラウマナラティブ):患者がトラウマ体験やそれに伴う感情を語る際、治療者は丁寧に耳を傾け、温かく受け止めていく。同時に、患者のありのままを肯定し自己肯定感を育むとともに、患者の中に存在する価値や強みを見出し自尊心の回復をサポートしていく。

 

セッション16(振り返りと今後に向けて):最終セッションにて、患者の治療への取り組みを振り返り、ここまで取り組んでくることができた患者の強さと勇気を認めていく。また、治療を通して改善したことに焦点を当て、自身のポジティブな変化に気づくことができるようサポートする。加えて、今後の計画や留意点等について協同で確認する。

 

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最後に:複雑性PTSDの治療法として、STAIR/NST療法の概略をご紹介いたしました。私自身は、現在、複雑性PTSDの新規の診療は受け付けておりませんが、これらの技法は、単純性PTSDその他のストレス性の病気の治療にも有効です。    

 

また診察室の中でよりも、水氣道®の稽古の中で応用しています。水氣道は、身体運動と共に、より自然な形で、これらのセッションのスキルを活かすことができるからです。この事実に気づいてからは、全人的健康法としての水氣道の意義と役割を、少しでも多くの皆様にお伝えし、生涯を通して発展させていきたいと、今までにも増して真摯に考えております。

 

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心や精神と身体の繋がりは、心身医学や身体心理学(身心医学)で研究されています。心理学(心や精神の機能の科学)と生理学(身体の機能の科学)の境界も明確ではなく、むしろ連続性があります。

 

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今回は、身体心理学に関して皆様にお勧めの一冊をご紹介いたします。

 

動きが心をつくる<身体心理学への招待>

 

春木豊 著

 

講談社現代新書 

 

定価:本体860円(税別)

 

この本は、私の著書ではなく、しかも、水氣道に関する本でもありませんが、水氣道を理解する上で有益な基礎知識を比較的平易な表現で説明しています。水氣道の本質を理解していただく上で、皆様のお役に立つ本です。

 

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運動生理学おける古典的な基本法則として、ルー(Roux)3原則 が知られています。

 

これは「身体(筋肉)の機能は

①適度に使うと発達<活動性肥大の原則>し、

②使わなければ委縮(退化)<不活動性萎縮の原則>し、

③過度に使えば障害<長期にわたる過剰活動による器官の特殊能力減退の原則>をおこす」という3つの原則を束ねる法則として、ルー(Roux)の法則と呼ぶにふさわしいものです。
  

 

意識性の原則をトレーニングに活かすには、目的(ゴール)を明確にしおことが重要になります。

 

何よりもトレーニング計画を生み出すのは意識に他なりません。そして「トレーニング計画の立案」とは、トレーニングの目的を明らかにし、トレーニングの期間および内容(運動強度、運動時間、頻度)を決定するものです。
  

 

まずは目的を意識してそれを明確にします。たとえば、運動のパフォーマンス(重量挙げやジャンプの距離の記録)を高めるには外部(目指す結果)に集中すると結果が良く、筋肉の発達を高める為には内部(自分自身や筋肉の動き)に集中するのが良いようです。

 

次に、意識の方向性を明確にします。たとえば、筋肉量を増やしたいボディビルダーがベンチプレスをする時に胸の筋肉に意識を向けるように指導されます。

 

しかし、同じベンチプレスでも高重量を扱いたい訓練者は筋肉ではなくバーベルのシャフトや動きの軌跡に意識を向けたほうが目標を達成しやすいことになります。

 

さらに、意識の焦点を明確にします。トレーニング効果を最大化するには、パフォーマンスや動き・筋肉それぞれ必要なときに意識の集中を使い分けられることが重要です。

 

水氣道の稽古では、トレーニングの目的別に意識を変えていきます。水氣道の稽古では目的に応じて臨機応変に意識を切り替える方法を習得することになります。その場合、意識の焦点を必要に応じて、内部と外部両方に集中することが自在にできるようになることでパフォーマンスを最大化することができます。

 

 

内部に焦点を当てる方法(量の増大:補陰)

 

一般的なスポーツ理論では、筋肉量の増大が望ましい目標である場合、アスリートは内部に集中すべきであるとしています。

 

水氣道の稽古では、内部集中を促進させるために、筋肉の緊張、体の動き、テクニック、フォームに集中するよう指示することがあります。その理由は、内部集中を高めると、筋肉の発達や動作の学習に効果を高めることができるからです。

 

内部に注意する利点は、通常、筋肉の成長または筋力の増加を目的とするトレーニングプログラムに有効です。

 

水氣道の稽古やスポーツに限らず、高齢者の機能訓練や入院後のリハビリなどでも、ただ動作を伝えるだけでなく意識するべき筋肉や動作のポイントを口頭で伝えることでトレーニングの成果を高められる可能性があります。

 

『強く』とか『パワフルに』などの声かけは、内部的に注意を向けるよう指示する役割を果たします。

 

 

 

外部に焦点を当てる方法(質の向上:補陽)

 

外部に注意を向けたい場合には、外部に焦点を当てる必要があります。具体的には外部(パフォーマンスや結果)に意識を集中させます。重量挙げの記録や他の競技パフォーマンスは、特定の焦点または内部焦点よりも、外部集中を高めることによって精度が向上することがいくつもの研究で示されています。 

 

外部に焦点を当てるための具体的な方法としては、一般的には鏡を設置して自分の動きが確認できるようにしたり、ビデオ録画を行ったりする方法が有効です。しかし、水氣道では、水に身も心も委ねることができるために、鏡などを用いなくても、直接自分の身体感覚を通して、自分の動きを確認することができ、録画によって行為の後に確認するのではなく、動作中にリアルタイムで自分の姿勢や動きを感受することができるという利点があります。

 

水氣道の上級者はまた、下級者の学習を強化するために、フィードバックすべきです。追加で情報提供することによって、フィードバックが強化される場合があります。

 

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Användningen av Modernas vaccin mot covid-19 pausas för alla som är födda 1991 och senare

1991年以降に生まれたすべての人を対象に、モデルナ社のCovid-19ワクチンの使用を中止する


<先週からの続き>


Personer födda 1991 och senare som har fått en dos av Modernas vaccin kommer inte att erbjudas en andra dos covid-19-vaccin i nuläget, diskussioner pågår om den bästa lösningen för den gruppen. Totalt rör det sig om cirka 81 000 personer.

 

1991年以降に生まれ、モデルナワクチンを接種した人には、現時点ではcovid 19ワクチンの2回目の接種は行っていません。これに該当する人びとの総数は約81,000人です。

 

<コメント❼>

この措置によって、心筋炎の発生から免れることができる件数がどの程度であるかは基本データが不足しているために推計することは難しいです。

 

しかし、スウェーデンの総人口は約1,022万人(2018年11月,スウェーデン統計庁)のうちの約81,000人ということは、スウェーデンの総人口のおよそ0.8%、大まかに言えば1%弱にも相当します。乳幼児など接種対象外の人口を勘案すれば、かなりの割合ということになるのではないでしょうか。

 

 

– Den som är vaccinerad nyligen, med sin första eller andra dos av Modernas vaccin, behöver inte känna sig orolig för risken är väldigt liten, men det är bra att känna till vilka symtom man behöver vara vaksam på, säger Anders Tegnell.

 

- 「リスクが非常に低いので心配する必要はありませんが、最近、モデルナワクチンの1回目または2回目の接種を受けた人は、どのような症状に注意すべきかを知っておくとよいでしょう」とAnders Tegnell氏は言います。

 

<コメント❼>

最初「最近、モデルナワクチンの1回目または2回目の接種を受けた人は、リスクが非常に低いので心配する必要はありませんが、」と訳しましたが、これは適切ではありませんでした。

 

 

Både myokardit och perikardit går ofta över av sig självt, utan att ge några bestående besvär, men misstänkta symtom bör bedömas av läkare på exempelvis en vårdcentral eller jourmottagning. Medicinsk behandling och övervakning på sjukhus kan behövas vid konstaterade fall.

 

心筋炎も心膜炎も、多くの場合、持続的な症状を引き起こすことなく、自然に治癒しますが、症状が疑われる場合は、保健所や救急部などで医師の診断を受ける必要があります。確認されたケースでは、医学的治療と病院での監視が必要になるかもしれません。

 

 

<コメント❽>

「心筋炎も心膜炎も、多くの場合、持続的な症状を引き起こすことなく、自然に治癒します」とのことですが、心筋炎も心膜炎も、生命の危機に直接かかわる重大な疾患であることを、まず明確にすべきでしょう。

 

ワクチン接種の直前の過労・睡眠不足ばかりでなく、接種後の重作業やスポーツ活動などが、いかに大きな危険をもたらすか、という警告を示すことが適切であるはずです。

 

 

Symtom på myokardit och/eller perikardit är bland annat:

 

• Trötthet och andfåddhet

 

• Oregelbundna hjärtslag och hjärtklappning

 

• Feber och värk i kroppen

 

• En känsla av tryck eller tyngd över bröstet

 

• Det gör ont att andas djupt

 

• Smärta till vänster eller mitt över bröstet

 

心筋炎や心膜炎の症状には以下のようなものがあります。

 

• 疲労感、息切れ

 

• 不規則な心拍や動悸

 

• 発熱と体の痛み

 

• 胸に圧迫感や重さを感じる

 

• 深く息をすると痛い

 

• 胸の左または中央部の痛み

 

<コメント❾>

さいごの心筋炎や心膜炎の症状リストは、とても有益な情報だと思います。しかし、ワクチン接種の4週以内に限定されず、1カ月以上経過してもこれらの症状が続くことがあります。

 

杉並国際クリニックでは、今後、心身医学的アプローチおよび東西医学の統合的アプローチによって、コロナ感染症後遺症およびワクチン接種による遷延性副反応に対応するための取り組みを強化していきたいと考えています。

 

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リンダ・グラットン*から学ぶ臨床産業医学の展望No4

 

<私たちにとって重要な無形資産とは何か?>

 

*リンダ・グラットン(ロンドン・ビジネススクール教授、人材論、組織論の世界的権威)

 

<リンダ・グラットンは、無形資産には「生産力」「活力」「変容」の3つがあるとしている。2つ目の「活力」については、いわゆる「健康的な高齢化」のためには、心身の健康が不可欠となる。>

 

 

・But to make long lives great, they have to be healthy and productive.

長寿をすばらしいものにするには、健康で生産的でなければなりません。

 

 

・First of all, I would encourage people to work into their 70s。

まず第一に、70歳代まで働くことを推奨します。

 

 

・So the first thing I would do is I would say to corporations, we want you to positively employ people over the age of 50.

だから私が最初にしたいことは、企業に対して50歳を過ぎた人を積極的に雇用してほしいということです。

 

 

<嘱託産業医からのコメント>

70歳まで働く、「働く」ことの内容は多様だと思います。

 

わが郷土の茨城県は、去年、7年連続だった全国47都道府県中最下位という名誉あるダントツの地位を、惜しくも隣の栃木県に奪われ、42位まで浮き上がってしまいました。

 

今年は幸いなことに、再び名誉ある最下位に返り咲くことができ、私を含めて少なからざる茨城人は、外部評価を意に介そうともせず、あるがままの自然体を好むためか、妙に納得してしまうのが不思議です。

 

一方、栃木人は名誉挽回に余念がなく、栃木県のランクを41位に上げたという結果が報われとても安堵している模様です。

 

さて、少なくとも茨城県は10年近く、全国47都道府県の中で最下位を維持するという快挙を成し遂げてきたわけですが、これだけの期間、評価が安定している調査結果には少なからざる意味が見出せそうです。

 

昨年、茨城県は一過性に最下位ランクを5つ上げたかと思うと、今年は再び5つ下げて元に戻り、また栃木県では、努力が報われてか、たった一年でランクを6つ上げています。

 

今回、最も「順位が上がった」千葉県は、去年の21位から9つ上がって、今年は12位にランクインしました。どうして急上昇したのかについて、千葉県観光企画課の担当者は「コロナ禍だから近場で遊べる場所として、千葉を選ぶ関東圏の人が多いのではないか」と答えています。                     

 

この事例からは、このランキングは、評価者の意識が短期間で変動しうるものでもあることを示しているとも言えそうです。

 

 

「都道府県の魅力度ランキング」とは、誰が主宰しているのでしょうか?

「株式会社ブランド総合研究所」という民間の調査会社です。

 

 

調査方法は?

独自の「地域ブランド調査」に基づき、都道府県のブランド力を評価した指標を魅力度としてランキングしたものです。毎年、インターネットで行っています。

 

 

調査対象者とその人数は?

全国の20代から70代の男女で、今年は3万5000人余りから回答があったそうです。

 

 

調査内容と項目は?
ことしは都道府県ごとの魅力度や認知度など89の項目で調査を行いたようです。

全国約3万人がそれぞれの地域に対して魅力度、認知度、情報接触度、各地域のイメージ、情報接触コンテンツ、観光意欲度、居住意欲度、産品の購入意欲度、地域資源の評価などを質問し、各地域の現状を多角的に評価分析しています。その中で、個々の都道府県について「魅力的だ」と肯定回答した人の比率についてのランキングが、都道府県魅力度ランキングです。

 

 

沿革は?

地域ブランド調査は2006年から実施され、当初は市町村だけが対象でしたが、2009年の調査からは都道府県も対象となりました。
 

 

次回は、こうした情報を下敷きにして、全国魅力度最下位の茨城とはどのような県なのかを探ってみたいと思います。

<はじめに>

 

前回は「腕の痛み」に効果のあるツボを紹介しました。

 

 

「腕骨」小指から手首に向かい手の側面をたどってぶつかる骨の切れ目にあり、

 

 

「陽溪」は親指を動かすと浮き出る2本の腱の窪みにあり

 

 

「曲池」は親指側で肘を曲げてできるシワの一番外側にあるというお話でした。

 

 

今回は「肘の痛み」に効果のある「後谿(ごけい)」「商陽(しょうよう)」「少海(しょうかい)」「曲池(きょくち)」のツボを紹介しましょう。

 

<後谿>

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小指の側面を指でなぞり指が止まるところにあります。

 

 

<商陽>

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人差し指の爪の生え際の親指側にあります

 

 

<少海>

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肘を曲げ内肘にしわが寄っている部分で、小指側にある骨の突端のやや内側にあります

 

 

<曲池>

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肘を曲げた時にできる外側の横じわの端のくぼみの部分にあります。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭