アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo4(差し替え)

 

前回はこちら

 

お詫び:

先週の23日の原稿を、この原稿を持って差し替えにいたします。

 

フランス語原文の写し落としがあり、そのまま翻訳をしてしまったため、不自然な訳文となっておりました。

なお、「ペスト」は、新潮文庫の「ペスト カミュ」(昭和44年10月30日)は宮崎峯雄氏の訳で出版(本体750円、税別)されているので、参考にさせていただくことによって、今回のような抜けが生じないように心がけたいと思います。

 

宮崎氏のテイストは私のとは、しばしば隔たりがあるため、是非、お読み比べいただけましたら幸いです。
 

 

 

Ce qui est plus original dans notre ville est la difficulté qu‘on peut y trouver à mourir. Difficulté, d’ailleurs, n’est pas le bon mot et il serait plus juste de parler d’inconfort. Ce n’est jamais agréable d’être malade, mais il y a des villes et des pays qui vous soutiennent dans la maladie, où l’on peut, en quelque sorte, se laisser aller. Un malade à besoin de douceur, il aime à s’appuyer sur quelque chose, c’est bien naturel. Mais à Oran, les excès du climat, l’importance des affaires qu’on y traite, l’insignifiance du décor, la rapidité du erépuscule et la qualité des plaisirs, tout demande la bonne santé. Un malade s’y trouve bien seul. Qu’on pense alors à celui qui va mourir, pris au piège derrière des centaines de murs crépitants de chaleur, pendant qu’à la même minute, toute une population, au téléphone ou dans les cafés, parle de traites, de connaissements et d’escompte. On comprendra ce qu’il peut y avoir d’inconfortable dans la mort, même moderne, lorsqu’elle servient ainsi dans un lieu sec.

 

この市街(まち)に独特なことは、死ぬことの難しさだと思う。ちなみに困難(la difficulté)という言葉は適切ではなく、具合の悪さ(inconfort)と言った方が当を得ているだろう。病気になるのは決して愉快なことではないが、病気になっても支援してくれる市町村や国があり、そこではある種の解放感にひたれるものだ。病人には穏やかさが必要で、何かに頼りたがるのは、ごく自然なことだ。しかしオランでは、厳しすぎる気候、人々がそこで営んでいる多大な商取引、殺風景さ、夕暮れの慌ただしさ、楽しみの質、すべてにおいて健康であることが求められる。病人は、この町では大いに孤独な存在だ。暑さでひび割れた何百もの壁の背後に閉じ込められて死にかかっている人がいるこの瞬間にも、為替手形や船荷証券、割引について電話やカフェで話しあっている住民全体がいることを考えてみてはいかがだろう。たとえ現代の死であるとしても、このような乾いた土地で迎える死がいかに具合の悪いものであるかは容易に理解できようというものである。

 

 

 

Ces quelques indications donnent peut-être une idée suffisante de notre cité.
Au demeurant, on ne doit rien exagérer. Ce qu’il fallait souligner, c’est l’aspect banal de la ville et de la vie. Mais on passe ses journées sans difficultés aussitôt qu’on a des habitudes. Du moment que notre ville favorise justement les habitudes, on peut dire que tout est pour le mieux. Sous cet angle, sans doute, la vie n’est pas très passionnante. Du moins, on ne connaît pas chez nous le désordre. Et notre population franche, sympathique et active, a toujours provoqué chez le voyageurs une estime raisonnable. Cette cité sans pittoresque, sans végétation et sans âme finit par sembler reposante, on s’y endor enfin. Mais il est juste d’ajouter qu’elle s’est greffée sur un paysage sans égal, au milieu d’un plateau nu, entouré de collines lumineuses, devant une baie au dessin parfait. On peut seulement regretter qu’elle se soit construite en tournant le dos a cette baie et que, partant, il soit impossible d’apercevoir la mer qu’il faut toujours aller chercher.

 

これらのいくつかの指摘は、私たちの市街をあり様をうかがうにはおそらく十分に事足りるであろうし、何事も誇張すべきではない。強調しておくべきなのは、都市やそこでの生活のありふれた側面である。しかし、人というものは習慣が身についてしまえば、たちどころに難なく毎日を過ごすことができるようになる。私たちの市街での習慣に馴染んでいる限り、何事も無事に済んでいく。この観点から見ると、生活はあまり感興を呼び起こすようなものではないものかもしれない。少なくとも、私たちに差し障りはない。また、開放的で友好的で活動的な私たちの住民性は、常に旅行者から相応の評価を受けている。この市街は殺風景で、草木もなく、精神性もないが、ついにはそこで人々は安らかな眠りにつくことになる。しかし、この市街は、申し分のない造形の湾を前にして、光り輝く丘に囲まれた更地の台地の中心にあり、比類なき景観に繋がっていることは付け加えておいてもよいだろう。ただ、この市街はこの湾を背後として建てられたために、海を臨むことができず、いつもわざわざ出向いて行かなければならないのは残念でならない。

 

 

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今回、修正とともに訳し直してみて気が付いたことは、たった一行の文章の喪失と、文の前後の誤った接続によって、作品全体から受ける印象やメッセージ性が大いに変形され、損われてしまうということです。

 

奇しくも不自然に、不合理なまでに「接ぎ木された(s’est greffée sur)」描写に相成ってしまったのでした。

 

それにしても、舞台となるオラン(Oran)という県庁所在地の市街(まち)は、家屋の外壁の内側と外の世界、少数の病人と大多数の健康な市民、殺風景な街並みと背後に展開している絶景の海湾というコントラストを巧みに描き出していることに気づかされます。

 

その両者の接点が精神的に断絶しつつも物理的に接着している関係にあることに何らかの暗示が与えられているように感じられます。

 

 

しかし、両者の接点は断絶ではありません。ただし、無意識のうちにスムーズにその上を往来できる代物ではなさそうです。敢えて意識して求めなければ到達できない、つまり、積極的に取材しようとしなめれば得られない真実というものがありそうです。

 

「求めよ、さらば与えられん!」(ルカ11章9節)を想起させます。

 

 

 

On peut seulement regretter qu’elle se soit construite en tournant le dos a cette baie et que, partant, il soit impossible d’apercevoir la mer qu’il faut toujours aller chercher.

 

<海を臨むことができず、いつもわざわざ出向いて行かなければならない>

 

 

いずれにせよ、この小説の舞台を一言で言い表すとするならば、それは乾いた場所(un lieu sec)ということになるでしょう。それはもちろん、物理的な意味だけではなく、精神的な意味をも包含していることがうかがわれます。

 

 

 

<以下は、先週と同文>
 

私にも日本のある風景に対して「接ぎ木された(s’est greffée sur)」という表現に似た感覚を覚えた経験があります。それは、形的には連続しているが、自然な、有機的繋がりではない、互いに無関係な、あるいは対照的な領域どうしが人工的に繋がっているようなグロテスクな風景との遭遇によるものでした。
 

日本の殆んどの都市の構造や周囲の光景は、たとえそれが近代化によって大きく変貌を遂げたとしても、歴史の盛衰に委ねてゆっくりと変化しながら形成されてきました。そのためか、街の遥か郊外から、街はずれ、そこからまた街の繁華街や中枢部に向かって進んでいくと、自然に、ほぼ連続的になだらかに街や周囲の景観が変化していきます。そうした光景は、多くの人々にとっても当たり前になっていて何の疑問も浮かんでこないのではないかと思います。

 

そうした日常の感覚が当然であるかのように慣れてしまい、疑問すら抱くことのなかった私に大きな違和感を与えた光景があります。それは国家計画によって大規模な予算を投入されて開拓されつつあった筑波研究学園都市です。開発以前は、古代からの常陸の国の象徴とも言うべき筑波山を背景とする、直線距離では東京のほど近くに位置するが、どちらかといえば交通の不便な辺鄙な田舎でした。

 

それまで通りの、平凡で、日常的で、何の変哲もない田舎の国道を、今は亡き自動車好きの父が運転する車の助手席から前方を注視していると、何の前触れもなく、突如、近代都市が出現してきたのでした。その姿は、慣れ親しんできた穏やかで優しい日本の風景とは全く異なり、米国の都市を想起させるものでした。違和感のある風景でした。そこからは無機的で威圧的な、とうてい馴染めそうにない空間が広がっていました。

 

田園の憂鬱のイメージとは違った人工都市の得体のしれぬ憂鬱を想わせるものでした。当時の私はこの人工都市での生活を余儀なくされたとしたら、自分がどのような精神的悪影響を被ることになるだろうか、と想いを巡らさざるを得なかったことを覚えています。