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自然免疫力を高めよう!
ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授の啓発サイトを見つけました!
免疫とワクチン | 山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 (covid19-yamanaka.com)
そこで、免疫とワクチンについて一般の方向けに解説がなされていますので、まずは、そのままご紹介いたします。
ただし、下線と(註X)については、私のコメントを加える都合上、私、飯嶋正広が施したことを、予めお断りいたしておきます。
免疫学者ではない畑違いの山中氏が、なぜ免疫とワクチンについてわざわざ言及されるのでしょうか。
しかも、タイトルは一般免疫学や免疫学総論ではなく、「新型コロナウイルス情報発信」であることに注意を払っておく必要があるものと思われます。
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免疫とワクチン
免疫とは
私たちが生きていくためには、外部から酸素や栄養を取り込む必要があります。その時、招かざる客であるウイルスや細菌も体内に侵入してしまいます。ウイルスや細菌が増殖すると感染症が発症し、最悪の場合死に至ります。
ウイルスや細菌と戦うのが免疫です。
免疫には自然免疫(註1)と獲得免疫(註2)があります。
自然免疫は生まれつき備わっており、ウイルスや細菌にはあるが人間にはない成分を認識して攻撃します。自然免疫のみで退治できる場合もありますが、多くの場合は不十分(註3)で、ウイルスや細菌は増殖してしまいます。
次に出動するのが獲得免疫です。侵入してきたウイルスや細菌だけを認識する免疫細胞が作られ、強力に攻撃します。ウイルスや細菌が初めて侵入したときは、獲得免疫が働くまで1,2週間程度かかります。しかしいったん獲得免疫が出来ると、次に同じウイルスや細菌が侵入したときは、速やかに攻撃を開始します(註4)。
昔から同じ病気に2回かからない(註5)、という現象が知られていましたが、これは獲得免疫によるものです。
ワクチンとは
同じ病気に2回かからない、という現象を人工的に作り出そうという発想で誕生したのがワクチン(註6)です。
ウイルスや細菌を何らかの方法で弱毒化、もしく無毒化してたもの(註7)を投与(接種)することにより、獲得免疫を誘導します。その後、同じウイルスや細菌が侵入しても、獲得免疫がすぐに攻撃するために増殖を抑えることが出来ます。
ワクチンは感染や発症を予防するためのものであり、感染症になってから使用する治療薬とは異なります。
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(註1)自然免疫:
わかりやすくいえば、ウイルスや細菌などの病原体(敵)が体内に侵入してくると、敵が振りかざしている旗印の種類に関係なく真っ先に駆けつけ戦ったり、食べて無毒化したりしてくれる生まれつき生体が備えている免疫反応や免疫機構のことです。
(註2)獲得免疫:
獲得免疫とは、感染した病原体を特異的に見分け、それを記憶することで、同じ病原体に出会った時に効果的に病原体を排除できる仕組みです。適応免疫とも呼ばれます。すでに同一の病原体に感染していたり、その病原体を目標としたワクチン接種したりして獲得できる免疫のことです。
(註3)自然免疫のみで退治できる場合もありますが、多くの場合は不十分:
この部分の記述は実にあいまいです。わざとあいまいにしているのだとしたら、稚拙なレトリックです。そもそも主語は何なのでしょうか?前文からの流れからすれば、一般の「ウイルスや細菌」と読めなくもありませんが、病原性の高い病原体を除いては、ほとんどの場合、自然免疫のみで退治できています。退治できないとしたら、それは感染症による死亡を意味します。死亡しないで治癒しているのは、自然免疫が働いているからに他なりません。
また、この場合の主語を「新型コロナウイルス」と解釈した場合、令和4年4月5日現在での日本の感染者の合計数678万人、死亡者数28,396人ですから、死亡率は0.42%弱ということになります。逆に言えば、99.5%強の感染者は生存できている、つまり、「新型コロナウイルス」を退治できていることになるはずです。
それにもかかわらず、山中氏が自然免疫のみでは不十分であると説明する背景にはどのような意図があるのでしょうか?
その答えは簡単です。免疫を自然免疫と獲得免疫とに2分するならば、自然免疫を補完できる獲得免疫ということになるでしょう。
それでは、山中氏の意図する獲得免疫とは、いかなる方法で獲得できる免疫なのでしょうか?山中氏は、感染による免疫獲得を積極的に推奨されてはいないので、残る可能性としてはワクチンということになるでしょう。つまり、「ワクチン接種を推進しましょう」という彼の日頃の発言と結びつくことになります。
(註4)いったん獲得免疫が出来ると、次に同じウイルスや細菌が侵入したときは、速やかに攻撃を開始します:
この一文にも、レトリックが仕込まれています。それは、「いったん獲得免疫が出来ると」という仮定から出発しているところです。医療系の専門学校の学生用の免疫学概論・総論、あるいは一般免疫学のテキストの叙述としてなのであれば問題はありません。しかし、一般の読者は、新型コロナウイルス感染症もしくはそのワクチン接種によって「獲得免疫が出来る」ことを当然のように誤解してしまうことになります。
これまでの状況を振り返ってみても、「獲得免疫」ができるのは簡単ではないことが明かです。現行のワクチンではいずれも「いったん獲得免疫ができる」としても、それが長続きしないことも明らかになってきました。ですから、仮に「いったん獲得免疫が出来る」にしたところで、その獲得免疫の効果は一過性であるために、「次に同じウイルスや細菌が侵入したとき」にも、「速やかに攻撃を開始」できないし、「攻撃を開始」しても、その効力は、またしても不十分である、と評価するのがまっとうな科学者の態度なのではないかと思われます。
(註5)同じ病気に2回かからない:
「二度罹り無し」というフレーズが有名です。しかし、ここでも用語の使い方の曖昧さが露呈しています。それは、疾患の同一性についての定義です。わかりやすく言えば、以前に罹った病気と「同じ病気」かどうか、特にウイルス感染症の場合には、より厳密に議論をすすめていかなければなりません。新型コロナウイルス感染症においては、たとえば香港大学の学生が2度罹患したとの報告がありました。再保の感染は武漢株で、欧州への研修後に罹患したのは、それとは別の変異株であった可能性があります。とくに、新型コロナウイルスは一本鎖RNAウイルスであるため、変異し易いことが知られています。
「二度罹り無し」が「同じ(感染症の)病気」を前提とするならば、病名は同じ「新型コロナウイルス感染症」であっても、必ずしも「同じ病気」ではないという矛盾が生じます。この矛盾を解く鍵は、新型コロナ感染症は、複数の種類の変異株によってもたらされる複数の感染症の総称であって、それぞれが別の病気であるという理解の上に立つことにあるのだと思います。
この段階で、大いに気づいておかなければならなかったのは、武漢株とその後の変異株はまったく別物である可能性があるということであったはずです。現段階に至っては、英国株(アルファ株)、南アフリカ株(ベータ株)、ブラジル株(ガンマ株)、インド株(デルタ株)そしてオミクロン株はすべて異なる性質をもつウイルス株であるという認識を弁えておく必要があるのではないでしょうか。
香港大学の学生が新型コロナ感染症に二度罹ったという貴重な報告は、ワクチンについても、武漢株用のワクチンでは、変異株による感染症の予防効果を期待できない可能性が高いという謙虚な予測を立てておくべきであるという教訓だったのではないでしょうか。
(註6)同じ病気に2回かからない、という現象を人工的に作り出そうという発想で誕生したのがワクチン:
「同じ病気に2回かからない、という現象を人工的に作り出そうという発想は、「同じ病気」とは何か、という出発点の検証が不可欠だったはずです。この出発点が誤りだとすれば、その発想自体が成立しなくなるという厳然たる事実を謙虚に受け止めなければなりません。そうした適正かつ妥当なプロセスを踏むことに成功しなければ、必然的に欠陥ワクチンの開発に繋がってしまうことになります。
(註7)ウイルスや細菌を何らかの方法で弱毒化、もしく無毒化してたもの:
門外漢である山中氏は、新型コロナウイルス感染症予防のための、いわゆる<mRNAワクチン>と従来の弱毒ワクチン等とを混同して説明しているのは如何なものでしょうか。「ウイルスや細菌」と書いていているので、これは一般的な感染性病原体を前提にした記述であるということは、大方の医療従事者であれば理解できるはずです。しかし、一般の方には大きな誤解を与え兼ねません。
mRNAワクチンについて理解したいと願っているであろう読者に対して、当該ワクチンが従来の弱毒ワクチンや不活化ワクチンと同程度に「病原体を弱毒化、もしくは無毒化
されているものと誤解を与えかねないことが懸念されます。
山中氏の意外な無神経さ、もしくは意図的な企ての可能性自体を残念に思います。
さて、専門外の山中氏はまだしも、免疫学者の大権威である大阪大学の宮坂昌之名誉教授も、弱毒生ワクチンとの比較で、この種の説明の仕方で周囲から嘲笑されたことは印象的です。そもそも、mRNAワクチンなるものが、果たしてワクチンの名に値する代物なのかどうかを、しっかりと吟味する必要があります。
有効性はもちろんですが、それ以上に、十分な安全性が検証されていない段階の代物を安易にかつ公然と「ワクチン」と呼ばせてしまっていることが全世界に大きな禍をもたらしていることを肝に銘じていただきたいと願わざるを得ません。