アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo28


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いよいよ、第一部の第3章の終わりにたどり着きました。

 

C’est à partir de ce moment que les carnets de Tarrou commencent à parler avec un peu de détails de cette fièvre inconnue dont on s’inquiétait déjà dans le public. En notant que le petit vieux avait retrouvé enfin ses chats avec la disparition des rats, et rectifiait patiemment ses tirs, Tarrou ajoutait qu’on pouvait déjà citer une dizaine de cas de cette fièvre, dont la plupart avaient été mortels.

タルーが、その手記で、すでに世間を不安にさせていたこの未曽有の熱病について、ある程度詳しく語り始めるようになるのは、この時期からである(註1)。タルーは、例の小柄な老人はネズミがいなくなったことでようやく猫を見つけ出し、根気強く狙いを定めては唾での射撃の精度を高めていることを書きとめる一方で(註2)、この熱病の症例はすでに十例余りを数えることができ、そのほとんどが死亡したことを付け加えている。

 

註1:C’est à partir de ce moment que・・・

宮崎訳:<すなわち、この瞬間から、(タル―の手帳は、公衆の間にすでに不安を呼び起こしていたその正体不明の熱病について、やや詳細に語り)始めるのである。>

 

ce moment をこの瞬間と訳すことも可能かもしれません。「この瞬間」と訳したときの効果は、タル―が何かをきっぱりと決断したことを示唆することができるのではないでしょうか。たしかに、タル―の記録内容がこの時期から変化し始めたのには理由があるはずです。前段で、宿命論者の話がでましたが、タル―は自分自身がそれでないことをきっぱり否定しています。タル-は単なる傍観者としての記録者ではなく、自分自身は現状に対して何らかのアクションを起こす存在であるべきことを、ホテルの支配人との問答に触発され、それまであいまいであった自分のスタンスの在り方についてその瞬間に決断したのかもしれません。

 

 

註2:En notant que…

宮崎訳:<(・・・いつもの射撃を根気よく調整している)ことを記しながら、)

 

en +(現在分詞の形)はジェロンディフです。これは「~しながら」という同時性を表しますが、タル―は、従来の日常的な市民生活の文学的記述を続けながら、他方において、新たな記録、すなわち非日常的なできごとの詳細な、あるいは客観的な記述をはじめることになりました。
 

 

 

À titre documentaire, on peut enfin reproduire le portrait du docteur Rieux par Tarrou. Autant que le narrateur puisse juger, il est assez fidèle:
 « Paraît trente-cinque ans. Taille moyenne. Les épaules fortes. Visage presque rectangulaire. Les yeux sombres et droits, mais les mâchoires saillantes. Le nez fort est régulier. Cheveux noirs coupés très court. La bouche est arquée avec des lèvres pleines et presque toujours serrées. Il a un peu l’aire d’un paysan sicilien avec sa peau cuite, son poil noir et ses vêtements de teintes toujours foncées, mais qui lui vont bien.

参考までに(註3)、タルーによるリュー医師の肖像を、ようやく引用することができよう(註4)。筆者が判断しうる限りではあるが、それはなかなか忠実に描かれている。
「外見は35歳くらい。中背で、がっしりした肩、ほぼ長方形の角ばった顔。黒くまっすぐな瞳、張り出した顎、しっかりとして形の整った鼻。とても短く刈り込んだ黒髪。弓なりをなす口元は、ほとんどいつも硬く結ばれている厚い唇。日焼けした肌に、黒い体毛、いつも地味な色調の服を着ているが、それが彼にはよくお似合いで、いささかシチリア農民のような風体である。

 


註3:À titre documentaire,

宮崎訳:<資料としての意味で、>
   

à titre documentaireの代わりにà titre de la documentationと書かれていれば、< à titre de+名詞>で、<名詞>として、<名詞>の資格で、という意味になろうかと思われます。ここでは、<à titre+形容詞>であり、à titre documentaireは、参考までに、と素直に訳すのが良いのではないかと思われます。

 


註4:on peut enfin reproduire

宮崎訳:<最後に、(タル―の筆になる医師リウーの肖像を)掲げておくことができる。>

 

enfin を「最後に」と訳すのが標準的かもしれませんが、私は「ようやく」としました。その理由は、この時まで、著者(カミュ)は、リウー医師の容貌や行動パタンについての具体的な描写をせずに、読者の自由な想像にまかせてきたからです。読者としては、謎の人物タル―の登場以前に、主人公としてのリウー医師のイメージについていろいろ想像を働かせながら読み進めてきた訳ですから、カミュ自身が読者に「お待たせしました。それでは、『ようやく』ですが、この辺りでご紹介いたしましょう。」などと言っているかのように感じられます。

 

 

« Il marche vite. Il descend les trottoirs sans changer son allure, mais deux fois sur trois remonte sur le trottoir opposé en faisant un léger saut. Il est distrait au volant de son auto et laisse souvent ses flèches de direction levées, même après qu’il a effectué son tournant. Toujours nu-tete. L’air renseigné.»

「彼は速足である。足取りを変えずに歩道から車道に降り(註5)、しかも、3度のうち2度は軽やかに反対側の歩道に跳び移る(註6)。自家用車を運転中はうっかりしていて(註7)角を曲がった後も方向指示器を出しっぱなしでいることが多い。常時無帽。土地勘があるようだ(註8)。」

 

 

註5:Il descend les trottoirs sans changer son allure,

宮崎訳:<歩調も変えずに歩道を降っていくが、>

 

Il descend~で<彼が~を降る>と訳しているが、この一文だけでは<降る>という動作を理解するのは困難であろうかと思われます。舞台となっている当時のアルジェの港湾都市オランの歩道の様子を知らなければ適切な翻訳は難しいと思います。しかし、この辺りは、著者カミュの仕掛けがありそうな気がします。

 

 

註6:remonte sur le trottoir opposé en faisant un léger saut.

宮崎訳:<反対側の歩道に、ちょっと身をおどらせるようにして上る。>

 

註5の動詞(descendre⇒descend)に対して、この一文では対応関係にある別の動詞(remonter⇒remonte)が出現します。なお、re(再び)monter(上る)のですから、いったんは降りるという動作が前提になるはずです。ここで推測できるのは、通りには歩道が反対側にもあって、しかも、その一対の歩道の間に挟まれるように、おそらく車道があり、その車道の路面は歩道より若干低いのではないかということです。その歩道には、跳び乗る動作を必要とする高さがあることが推測できます。しかも、その車道の道幅は狭く、しかも、ところどころ舗装が行き届いていないところがあり、おそらくは一方通行なのではないか、というあたりまで読者が想像することをカミュに求められているような気がします。

 

 

註7:Il est distrait au…

宮崎訳:<(~ときも)ぼんやりしていて、>

 

この部分の意味の理解も慎重に検討したいところです。私は、それまでのリウー医師の描写から得られた人物理解において、彼は決して運転中に空想に耽って「ぼんやり
するようなタイプではなく、むしろ、常に職務に忠実であって、観察力に富んだ人物ではないかと想像しています。たしかに、現代社会において自動車運転中に方向指示器を出さないのは危険な行為ではありますが、路肩の狭い細い道路では徐行運転とならざるを得ないであろうし、地元の道路事情に詳しいリウー医師は、仕事の段取りなどを考えながら、適宜、合理的な無駄の少ない行動をとるタイプではないかと推測しています。

余談ですが、私も同様の傾向があることに気がつかされました。そのため、私は免許があっても自ら自動車の運転は遠慮することにしています。
 

 

註8:L’air renseigné.

宮崎訳:<情報通といった様子。>

 

renseignéとは動詞renseignerの過去分詞で、「情報を得ている」、「消息通の」という意味です。名詞として使われる場合は、「情報を得ている人」、「情報通」となります。この都市で活動しているリウー医師が、地元に詳しいであろうことは想像に難くありません。しかし、その外見や行動の特徴についての一連の詳細な観察所見との結び付きが感じられにくい<情報通といった様子。>という結びに物足りなさを感じます。リウー医師がどのような情報に通じているか、その範囲と深さは不明ですが、個々は、単純に、地元の気候や地理、とりわけ交通事情に詳しそうだ、という程度のことではないかと考えます。なぞの記録者タル―氏は、最終的には推測的な記述となる場合でも、予めより合理的な観察に基づく所見を記述した情報を整理した後で所感を述べるようなタイプであるような気がします。

 

次回は、第一部の第4章がスタートします。