アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo35 

 

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アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo35 

 

今回は興味深い医学的描写に満ちています。

短いながら内容の詰まったパッセージであるため先行翻訳者三氏の比較研究も、いっそう綿密に検討することになりました。

警部の最後の発言から始まります。なお、私の翻訳は、医師なるが故の若干のこだわりが反映される結果となっています。

 

―C’est le temps, voilà tout, conclut le commissaire.
C’était le temps, sans doute. Tout poissait aux mains à mesure que la journée avançait et Rieux sentait son appréhension croître à chaque visite. Le soir de ce même jour, dans le faubourg, un voisin du vieux malade se pressait sur les aines et vomissait au milieu du délire. Les ganglions étaient bien plus gros que ceux du concierge. L’un d’eux commençait à suppurer et, bientot, il s’ouvrit comme un mauvais fruit. Rentré chez lui, Rieux téléphone au dépôt de produits pharmaceutiques du département. Ses notes professionnelles mentionnent seulement à cette date: « Réponse négative ». Et, déjà, on l’appelait ailleurs pour des cas semblables. Il fallait ouvrir les abcès, c’était evident. Deux coups de bistouri en croix et les ganglions déversaient une purée mêlée de sang. Les malades saignaient, écartelés. Mais des taches apparaissaient au ventre et aux jambes, un ganglion cessait de suppurer, puis se regonflait. La plupart du temps, le malade mourait, dans une odeur épouvantable.

―「陽気のせいですな。ただそれだけのこと。
(註1)と警部は決めてかかった。
陽気のせいであることに相違なかった。昼間の時が経過していくにつれて何もかもが両手の中でべとつくようになり(註2)、リゥ医師は、往診を重ねるたびに自分の不安が募っていくのを感じていた。その日の夕方、街外れでは、件の老いたスペイン人患者の近隣の男性が、錯乱状態の最中(さなか)、両側の鼠径部を押さえ嘔吐し続けていた(註3)。腫れ物のいくつかは例の管理人のものよりもずっと大きくなっていた(註4)。そのうちの一つは、化膿し始めたかと思うと、間もなく腐った果実のように裂けた。リゥは帰宅するなり県の医薬品保管所に電話をかけた。その日の彼の業務日誌には、「否定的回答」とのみ記されている。そして、すでに他のところからも同じような症例で呼ばれるようになっていた。膿瘍を切開しなければならないのは明らかだった。メスを2回入れて十字切開すると、腫れ物からは血の混じったどろどろの膿汁が流れ出た(註5)。患者たちは傷口だらけで血まみれになった(註6)。しかし、腹部や両脚に斑点が点々と現れ、腫れ物の一つは膿排出が収まったと思いきや、またぶり返して膨れあがった(註7)。ほとんどの場合、患者は耐え難い悪臭を放ちながら息絶えていった(註8)。


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(註1)

陽気のせいですな。ただそれだけのこと。
C’est le temps, voilà tout,
   

前半Le tempsの訳は、天気、気候、天候いずれでも通じますが、発話者が意識しているのは、蒸し暑い環境についてであり、少なくとも寒冷なそれではありません。そのような気候や天候をさす邦語として、「陽気」という言葉を活かしてみたいと考えました。

後半の句、voilà tout,は慣用句です。口から反射的に発せられる表現です。ですから、標準的な辞書的翻訳のままとしました。

 

「天気のせいですな、それだけです」(宮崎訳) 

 

「気候のせいですな、結局は」(三野訳)

 

「天候のせいですな、それしかない」(中条訳)

 

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(註2)

昼の時が経過していくにつれて、何もかもが双手の中でべとつくようになり、

Tout poissait aux mains à mesure que la journée avançait

 

<Tout poissait aux mains>のmainsはmainの複数形で両手を意味しますが、暑熱環境下では両方の掌(てのひら、たなごころ)がべとつくことになります。「手の中で」(三野訳)は、この点に配慮があります。
<à mesure que~>は、慣用句、~につれて
<la journée avançait>のla journéeには毎日という意味では用いられていないと考えます。むしろ、気温や湿度がじわじわと高くなる日中(昼下がり)を意味すると考えたいです。

 

「毎日時刻が進むにつれて何もかも手にべたつくようになり」(宮崎訳) 

 

「日中の時刻が進むにつれて、あらゆるものが手の中でべとつき、」(三野訳)

 

「その日の時刻が進むにつれて、あらゆるものが手にべとつくようになり、」(中条訳)

 

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(註3)

譫妄(せんもう)状態の最中(さなか)、両側の鼠径部を押さえ嘔吐し続けていた。

se pressait sur les aines et vomissait au milieu du délire

 

<les aines>のainesはaine(鼠径部)の複数形なので、「両側の鼠径部」と訳しておきたいところです。患者自身が押圧しているのが一方の鼠径部のみなのか両側の鼠径部なのかによって姿態は大いに異なってくるはずであるし、舞台化する場合の脚本では極めて重要な意味を持ってくるのではないでしょうか。

 

<au milieu du délire>のau milieu du,すなわち、au milieu de…は、慣用句で…の最中に、…の間で、の意。<délire>は、精神錯乱、譫妄(せんもう)を意味します。ロワイヤル仏和中辞典には好適な例文が挙げられています、<Une forte fièvre peut s’accompagner de délire.(高熱は錯乱[うわ言]を伴うことがある)>。ただし、ペストの知識があって、とくに典型的な腺ペストには発熱を伴うことがあることを知っている読者でない限り、「熱にうなされながら」(宮崎訳)は、原文より一歩踏み込んだ訳出であると考えます。

 

とは言え、私は、<délire>を譫妄(せんもう)と訳したのは、この用語が医学用語の一つであり、かつ、医学用語として読解することによって場面状況がより鮮明になるからです。譫妄とは、意識の変容を伴う軽度意識障害であり、高熱状態、全身衰弱、術後などに観察されます。つまり、原因は高熱には限定されず、また、うわ言を発することもありますが必発の症状ではありません。

 

次に<au milieu du délire>譫妄(せんもう)状態の最中(さなか)、何の最中なのかということについて、先行翻訳者は三氏とも、吐瀉し続ける症状・行為と結びつけています。これらに対して、私は、両側の鼠径部を押さえ嘔吐し続けていた、という一連の行為が譫妄状態下で発生しているものと解釈しました。とりわけ、「うわごとをいいながら嘔吐をくり返した。」(中条訳)には医学的には無理があるように思われます。嘔吐をくり返している状態でうわごとを発するのは不可能ではありませんが、かなりの困難を伴います。

 

「鼠蹊部を押さえ、熱にうかされながら吐瀉しつづけた。」(宮崎訳) 

 

「鼠蹊部を押さえて、錯乱状態で嘔吐した。」(三野訳)

 

「鼠径部に痛みを訴え、うわごとをいいながら嘔吐をくり返した。」(中条訳)

 

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(註4)

腫れ物のいくつかは例の管理人のものよりもずっと大きくなっていた。

Les ganglions étaient bien plus gros que ceux du concierge.
   

<les ganglions> ガングリオンとは、皮下のしこりで俗にグリグリと呼ばれることもあり、音が似ていることが興味深いです。

ロワイヤル仏和中辞典では、<avoir des ganglions (ぐりぐりができている、リンパ腺がはれている)>という例文が挙げられています。ペストに関しては、リンパ腺に由来する「腺ペスト」という言葉が残っていますが、リンパ腺は、現在ではリンパ節と呼ばれることが普通であり、したがって、リンパ腺炎ではなくリンパ節炎とするのが妥当です。

 

また、訳出にあたってganglionsはganglionの複数形であり、この場合はとくに多数のリンパ節を表していると理解すべきです。そして、その場合、すべてのリンパ節が、先般死亡した管理人のリンパ節より大きいということではなく、いくつかのかなり大きく腫れたリンパ節が目立っていたことを描写したものであることが想定されます。ただし、ここでは、リンパ節炎あるいは炎症リンパ節と訳すより、単に、口語的に「腫れ物」と訳してみたいところです。

 

「リンパ腺は門番のより大きくなっていた。」(宮崎訳) 

 

「リンパ節の腫れは、管理人のときよりもずっと大きかった。」(三野訳)

 

「リンパ節は死んだ管理人より大きく腫れあがっていた。」(中条訳)

 

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(註5)

メスを2回入れて十字切開すると、腫れ物からは血の混じったどろどろの膿汁が流れ出た。

Deux coups de bistouri en croix et les ganglions déversaient une purée mêlée de sang.

 

<Deux coups de bistouri en croix>ここは、「十字切開」という平易な医学的慣用表現を用いました。この基本的外科手技は、排膿を促して治癒を促進させる目的で、古くから一般的に行なわれています。

ここでは、比較的実務的で写実的表現が取られているので、「膿が吐き出された。」(三野訳)と文学的に訳さない方が原文の味を損なわないような気がします。

 

「メスで二すじ十文字に切ると、リンパ腺からは血のまじったどろどろの汁が流れ出た。」(宮崎訳)

 
「メスで二すじ十字に切ると、リンパ節からは血の混じった膿が吐き出された。」(三野訳)

 

「十字状に二度メスを入れると、リンパ節から血の混じったどろどろの膿が流れでた。」(中条訳)

 

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(註6)

患者たちは傷口だらけで血まみれになった。
Les malades saignaient, écartelés.

 

<Les malades>を患者たちと訳すか、病人たちと訳すかは好みの問題もあるかもしれません。私は患者≠病人と考えています。医師の管理下にある病人であれば、患者、そうでない場合を病人、と訳し分けるようにしています。それでも、les maladesと複数形の場合は文脈上「病人たち」と訳すことがありますが、単数形le maladeの場合は、対称が個人に特定されるので社会的に見放されていない限り「その患者」と訳すことが多いのではないかと考えます。

 

<saignaient>の不定詞saignerという自動詞は出血する、という意味以外に、文語的には痛む、傷つく等の意味でも用いられます。

 

また、<écartelés>は、解釈が大きき分かれるところのようです。Les malades écartelésと捉えて直訳すると(4つに引き裂かれた患者たち)、邦語表現としては、簡単に言えば、引き裂かれた患者たち、あるいは八つ裂きにされた患者たち、ということになるかもしれません。

 

Écartèlement という名刺には、(心の)葛藤、分裂、板挟みという意味があり、患者が肉体的にも精神的にもひどく苦しんでいる(⇒三野訳)と訳すことも可能であるし、Écartelérという動詞には、確かに(手足を司法に引っ張る)という意味での用法(⇒中条訳)があります。しかし、私がカミュの簡潔な文体から感じ取れるのは、医師リゥの視点を通して記述しているのではないか、ということです。そこで、私の訳は宮崎訳に近いものとなりました。

 

「患者たちはからだじゅう傷口だらけになって、出血していた。」(宮崎訳) 

 

「病人たちはひどく苦しみ、血を流していた。」(三野訳)

 

「病人たちは四肢を突っぱらせて血を流した。」(中条訳)

 

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(註7)

腫れ物の一つは膿の排出が収まったと思いきや、またぶり返して膨れあがった。

un ganglion cessait de suppurer, puis se regonflait.

 

この部分の解釈に争いは少ないようですが、翻訳者の感性にしたがっ て、表現が様々に工夫されています。

 

「一つのリンパ腺は膿がとまったかと思うと、やがてまたはれあがってくる。」(宮崎訳) 

 

「リンパ節は膿を出すのをやめても、それからまた腫れ上がっていった。」(三野訳)

 

「リンパ節の膿が止まったかと思うまもなく、また腫れあがってくる。」(中条訳)

 

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(註8)

患者は耐え難い悪臭を放ちながら死んでいった。
le malade mourait, dans une odeur épouvantable.

 

(註6)で述べたように、私はカミュの簡潔な文体から、医師リゥの視点を感じ取ることができます。そこで、「死んでいくのであった。」(宮崎訳)のように重みづけをしたり、「息絶えた。」(三野訳)のように文芸的表現ではなく、むしろ、「死んでいった。」(中条訳)とシンプルに訳した方が、かえって余韻が残るように感じられます。

 

「患者は、すさまじい悪臭のなかで死んでいくのであった。」(宮崎訳) 

 

「病人は耐えがたい悪臭の中で息絶えた。」(三野訳)

 

「病人は恐ろしい悪臭のなかで死んでいった。」(中条訳)