故郷(茨城)探訪

 

<登録分析機関の名称及び登録番号 一般財団法人 茨城県薬剤師会検査センター 茨城県登録第1号>

1636227108247 1636227108445

温泉分析書(鉱泉分析法指針による分析)は、地元の薬剤師会の検査センターの分析によって作成されることがあることをご存じでしょうか。

私は、全国1003人の温泉療法医の中で193名(2021年10月27日現在)の温泉療法専門医の一人です。

もっとも温泉療法専門医は、温泉療法医の上位資格なのですが、東京の開業医である私は、これまで実地のフィールドを持つことができずに過ごしてきました。

 

幸なことに、我が家の総力を結集して茨城県をフィールドに温泉療法専門医に相応しい活動を始動することになった次第です。 

フィールド活動の第一弾の「友の湯」(源泉名)は、偶然にも茨城県登録第1号でした。

 

北茨城市観光協会のHPで紹介されている「旅館友の湯」には、


 
<心安らぐひととき…隠れ家気分を味わえる「旅館友の湯」隠れ家の温泉にゆったり浸かってみてはいかがですか?>

 

と紹介されていますが、実際に宿泊してみたところ、その紹介文は簡にして要を得ていると感じました。こうした控えめなPRにも茨城らしさが表れています。

 

水戸で有名な「あんこう鍋」の発祥の地は北茨城市だそうです。北茨城の平潟は古来、漁師町であり、あんこう、うに、岩がきなどの四季折々の海の恵みが平潟に水揚げされています。

 

1日3組だけであるため、宿泊客は自分達だけお風呂も貸し切り状態でした。

特に、離れの別館は独立していて、いかにも隠れ宿そのものでした。

 

「茨城の名湯・秘境」と題するシリーズの冒頭を飾ることになった、この旅館が隠れ家的存在と感じられるのは、その立地だけでなく、そのような要素も加味されています。

 

料理も大変美味しく、まだ若手の女将さんは外連味(けれんみ)がなく、さりげないお人柄での接客作法に癒やされる宿泊客も少なくないだろうと思われました。

 

岩ガキや雲丹が上がる夏はとうに過ぎ、また、どぶ汁(註)にありつける季節にはまだ早かったです。

 

それにもかかわらず、魚介類は地元の平潟港から水揚げされた材料のみという食材は、さすがに新鮮で健康的なメニューで、しかも美味な料理でした。

 

 

(註)どぶ汁:

茨城県から福島県南部の太平洋沿岸地域に伝わる漁師料理で、あんこう鍋の一つ。名前の由来は、あん肝が溶け出して汁がどぶのように濁ることから、また、どぶには「すべて」という意味があり、アンコウのすべてを入れることから「どぶ汁」との説もあるようです。きわめて美味であり、栄養価も高いにもかかわらず、「どぶ汁」などと、あか抜けない名前をつけ、かえって地元で人気が高まってしまうあたりに、名より実、質実剛健を良しとする茨城県人の精神性や文化の反映がうかがわれるような気がします。

 

 


「友の湯温泉」の名称の由来を女将に尋ねると、この旅館の創設者で彼女の曽祖父にあたるという友蔵氏の名に由来しているとのことでした。ちびまる子のおじいさんである静岡県清水市のさくら友蔵さんと同じ名前ですが、同じ港町であっても、北茨城平潟の友蔵さんの方が先輩であるのは確かです。

 

「知られざる茨城の名湯・秘湯」の第一弾を「友の湯温泉」に決定したのは、我が家の女性陣(妻、長女、次女の連合体)ですが、最終決定は、電話で「そちらは、温泉ですか?」という問い合わせに対して、「はい、温泉です。」という明るい声が返ってきたからです。少し、いじわるかもしれませんが、茨城県に「温泉」なるものが存在しうるのか、ということの検証を次回でご紹介させていただく予定です。

 

前回はこちら

 


カミュの前置きはまだ続きます。小説というより、象徴的な散文という感じがしてきます。さらに言えば、含蓄のある哲学的文書といえるかもしれません。

 

 

Arrivé là, on admettra sans peins que rien ne pouvait faire espérer à nos concitoyens les incidents qui se produisierent au printemps de cette année-là et qui furent, nous le comprîmes ensuite, comme les premiers signes de la série des graves événements dont on s’est proposé de faire ici la chronique. Ces faits paraîtront bien naturels à certains et, a d’autres, invraisemblables au contraire. Mais, après tout, un chroniquer ne peut tenir compte de ces contradictions. Sa tâche est seulement de dire: « Ceci est arrivé », lorsqu’il sait que ceci est, en effet, arrivé, que ceci a intéressé la vie de tout un people, et qu’il y a donc des milliers de témoins qui estimeront dans leur coeur la vérité de ce qu’il dit.

 

ここまでの経緯で、その年の春に起きた事件で、われわれ市民に希望を持たせるものは何もなかったということは容易に認めることができ、私はそれを、ここに記すことになった一連の重大な出来事の最初の兆候であったと、後になって合点がいった次第なのである。これらの事実は、ある人たちにとってはごく自然なことであり、他の人たちにとっては逆にありえないことであろう。しかし、やはり、一人の記録者としてはこのような食い違いを斟酌してはいられない。彼の仕事とは、それが実際に起こったこと、それが住民全体の生活に影響を与えたこと、そしてそれゆえに彼の言うことが真実であると実感できる何千人もの証人がいることを知っている場合に、「何それが起こった」とだけを言うことなのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

フランス語のonという人称代名詞は、人(ハ)、人々(は)の意味で用いられるときには《人間一般を示す》、《限定して》、《行為者を明示しない時》に用いられます。

 

また、誰か(が)、(ある)人が、という意味でも用いられます。さらに主語人称代名詞の代用で用いられるときには《私(は)》、《私たち(は)》、《君(たちは)、あなた(方は)》、《彼(らは)、彼女(らは)》など様々な意味で使われています。


宮崎訳では、onを人(ハ)、人々(は)の意味で《行為者を明示しない時》の用法で訳しておられ、訳文中にも具体的な人影を示していません。

 

 

nous le comprîmes ensuite, comme les premiers signes de la série des graves événements dont on s’est proposé de faire ici la chronique.

 

<宮崎峯雄訳/それらの出来事こそ、やがてわかったことであるが、ここにその記録をつづろうと思い立った一連の重大事件の最初の徴候ともいうべきものであったのである。>

 

これに対して、いわゆるストリーテラーが独白するように〈私は〉という主語として訳してみると、以下のような出来上がりになりました。

 

<飯嶋正広訳/私はそれを、ここに記すことになった一連の重大な出来事の最初の兆候であったと、後になって合点がいった次第なのである。>

 

何か、カミュ自身の述懐のように聞こえてこないでしょうか。作家としてだけでなく新聞記者としてのカミュの矜持を垣間見たような気がしてきます。
それでは、次のパッセージに移りましょう。

 

 

 

Du reste, le narrateur, qu‘on connaîtra toujours à temps, n’aurait guère de titre à faire valoir dans une entreprise de ce genre si le hazard ne l’avait mis à même de recueillir un certain nombre de dépositions et si la force des choses ne l’avait mêlé à tout ce qu’Il prétend relater. C’est ce qui l’autorise à faire oevre d’historien. Bien entendu, un historien,meme s’il est un amateur, a toujours des documents. Le narrateur de cette histoire a donc les siens: son témoignage d’abord, celui des autres ensuit, puisque, par son role, il fut amené à recueillir les confidences de tous les textes qui finirent par tomber entre ses mains. Il se propose d’y puiser quand il le jugera bon et de les utilizer comme il lui plaira. Il se propose encore... Mais il est peut-être temps de laisser les commentaires et les précautions de langage pour en venir au récit lui-même. La relation des premières journées demande quelque minuitie. 
 

さらに、時間の経過とともに次第にその正体が明かされることになるであろう記録者は、もし偶然の成り行きで彼がある数の証言を聴取できる立場に置かれなかったとしたら、また、もし事件のもつ威力によって、彼の主張するすべてのことに彼自身が巻き込まれていなかったとしたら、この種の役割を担うことはほとんどできなかったであろう。これが、彼をしてあたかも歴史家のような仕事をさせる根拠となる。もちろん、歴史家はたとえアマチュアであっても、必ず資料を持っている。この物語の筆者自身もそれをもっている。すなわち、まず彼自身が実体験したこと、次いで他の人々から得られた証言である。というのも、彼はその役割をとおして、最終的に自分の手に入った機密の情報を収集することになったからである。彼は、必要に応じてそれらを引用する気になっている。彼は今でもそうしたいと思っている...。 しかし、そろそろ注釈や前置きから離れて、物語そのものに目を向けていくべきであろう。発端となる最初の数日については、多少詳細な描写が必要である。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ここで、この小説の導入部分が締め括られることが示されます。記録者の正体とは如何に、その記録者が歴史家として如何なる役割を果たすのか、そしてその彼がどのような体験をし、取材をするのか、それでは事件の発端となる最初の数日をながめてみることにしましょう。

 

10月31日(日)の昼下がりは、音楽が霧雨に近い小雨が降る、いささか肌寒い水戸の街に活気を与えていました。

 

家内と共に初めて訪れた「水戸奏楽堂」でのコンサートから水戸駅に向かう道すがら、水戸芸術館の傍らを通ると、水戸室内管弦楽団(MCO)第108回定期演奏会を聴き終えた大勢の聴衆が続々と館外へ出てきているところに遭遇しました。

 

国内外で活躍を重ねてきた指揮者・広上淳一さんが、水戸室内管弦楽団(MCO)のステージに6年ぶりに登場するということでたくさんの観客を集めていた模様です。

 

広上さんは、水戸室内管弦楽団の公式サイトに掲載されているインタビューの中で、このように言っています。

「水戸室内は国際色が豊かであるのはもちろん、小澤征爾先生や吉田秀和先生のレガシーというか、意志と遺産によって築き上げられた楽団だと思うんです。そういう楽団が、歴史的にも、思想的にも、学術的にもひとつの世界がある水戸という土地を選んで作られた。そこで、土地に根付いた活動をゆっくりと地道に積み重ねてきたことが、これだけの楽団になったひとつの要因だと思います。」

 

私は水戸市出身であるにもかかわらず、その水戸室内管弦楽団(MCO)はおろか、水戸芸術館で催される一切のコンサートを未だ聴いていないのが残念です。

 

そこで、水戸室内管弦楽団(MCO)の公式サイトから、コロナ禍での音楽活動に言及された広上さんのインタビュー記事の抜粋をご紹介いたします。

 

 

コロナ禍で改めて抱いた感謝の気持ち

 

――日本では感染症収束の兆しがなかなか見えない日が続いていますが、コロナ禍の1年半を過ごされて、今どのような心境でいらっしゃいますか。

 

コロナではっきりわかったのは、お客様の存在がいかに有難いかということ。レストランと同じです。

 

昨年は約半年間、どこの楽団にも仕事がなくなり、私たちは休業状態に追い込まれました。

赤字がどんどん増えて、これから私たちは生きていけるのか、存続できるのかというところまでいった。

 

けれど今は、客席半分くらいであったとしても、演奏会をやれることがまず幸せだなと思います。

 

お客様の拍手から、待ち構えていてくれた気持ちが伝わってくるんですね、どの楽団に行っても、。僕のオーケストラ〔註・京都市交響楽団〕でもそうです。

 

この気持ちをぜったいに忘れてはいけないなと思っています。楽団員が登場すると同時に拍手がある。

演奏する側、料理を作る側は、こうやって待ち焦がれているお客様がいるからこそ成り立ってきた。今は、そのごく当たり前のことに心から感謝しながら仕事しています。
 

 

コロナについては本当に早く終息してほしいです。

飲食業を営んでいる友人も、店を閉じ始めたりして苦しい状況です。

でも、まずは演奏会を続けていくこと。

それから、こうした非常時において、目配りの行き届いた政策が実行できる政治家を、我々がしっかり選挙で選ばないといけないですね。

 

オーケストラのことで言えば、日本の楽団はこの30~40年の間に、欧米の一流の楽団並みに上手くなったわけですから、今の僕にできるのは感謝して演奏することだけ。

いい演奏をすることがお客様へのお返しだから、僕も一生懸命務めようと思います。

 

2021年8月26日

 

聞き手:高巣真樹

 

(協力:株式会社AMATI)

 

__________________

 

水戸室内管弦楽団 第108回定期演奏会

 

2021.10.30土、31日 

15:00開演(14:15開場)

 

水戸芸術館コンサートホールATM

 

指揮:広上淳一

 

曲目:

シューベルト 交響曲 第5番 変ロ長調 D485
メンデルスゾーン 交響曲 第3番 イ短調 作品56「スコットランド」

ころの健康(身心医学)

 

厚生労働省は、
職場のメンタルヘルスに関するよくある質問と答えをまとめました
として、ホームページで、こころの健康に対してわかりやすいQ&Aを掲載しています。それに私が臨床の立場からCとしてコメントを加えてみました。

 

Q

うつ病はどうしてなるのでしょうか?

 

A

うつ病の原因は、医学的にも解明されていないことも多いのが現状です。      

また、うつ病の種類も、専門的に様々な考え方があります。 

ただ、働く人々のうつ病の発症の仕方(原因というより要因・誘因)は、3つほどに分類が可能と思います。

 

まずは「環境要因」です。

例えば、非常に重たい責務を任されている、長時間の残業が続いている、ということから脳や身体の疲労が蓄積して、うつ病に至ってしまうものです。 

この場合は、治療の過程で環境の調整がとても重要になります。

 

次に「性格的な要因」です。

専門的には<心因性>などと呼ばれています。 

気になることや心配なことを細かく考えすぎるなど、その人の思考パターンが脳の疲労に強く関係している場合です。    

治療では、精神療法やカウンセリングなどが重要になってきます。

 

 

そして「医学的な要因」。

専門的には<内因性>と呼ばれています。
体質と言ってもいいかもしれません。

はっきりした強い要因がなくてもうつ病を発症してしまうことがあります。
精神科以外の疾患でも、食生活や運動習慣に問題がなくても、高脂血症になってしまう、発がんしてしまう、という人がいるのと似たものです。
治療薬により効果が出やすいとも言われています。

うつ病の発症の仕方の分類は、きれいに境目があるのではなく、様々な要因が絡み合っていることがほとんどですので、治療を受ける際は専門家によく相談してください。

 

そして、とても大切なのは、原因や要因の排除ばかりに注力するのではなく、どのような治療や対処が有効かを、専門家や職場に相談しながら進めていくことだと思います。

 

 

 

C 

うつ病の発症要因を、環境因の他に、心因性、内因性にわけてシンプルに分かりやすく解説されています。

 

一般的には、器質性、心因性、内因性などに分類され、これらがうつ病の発症に最も重要な役割を演じた要因であると考えられてきました。しかし、うつ病をこれらの亜型に分類しても、臨床的には必ずしも明解に論じることができないことから、このような分類は次第に用いられなくなってきました。


実際の臨床で役に立つのはうつ病の2大分類法です。

抑うつ状態だけが起こるタイプの大うつ病性障害「単極性うつ病
と、抑うつ状態と躁(そう)状態の両方が起こる「双極性障害」の2種類です。

 

それぞれについて解説していきます。

 

大うつ病性障害(単極性うつ病)
大うつ病性障害は、うつ状態だけが続くうつ病です。
後ほど解説する双極性障害抑うつよりも患者の割合が多く、増えている病気です。
大うつ病性障害は、元気に仕事や日常生活を送っている方でも十分起こりえます。
日本の生涯有病率は7.5%と公表されており、これまでにうつ病を経験した人は約15人に1人という数字も示されているなど、決して珍しくはない身近な疾患です。

 

双極性障害抑うつ
以前は「躁うつ病」と称されていたうつ病です。
双極性障害抑うつは、気分良い状態と落ち込んだ状態、つまり躁状態とうつ状態を繰り返す脳の病気です。

躁状態(気分が高ぶり、誰かれ構わず話しかけたり、眠らずに動き回ったりと活動的な状態)と落ち込んだ状態(うつ状態)
日本では500人に1人という調査結果がありますが、はっきりしたことはわかっていません。

 

 

前回はこちら

 


 水氣道稽古の12の原則(13)個別性の原則(その1)


人には個人差(年齢・性別・体力・体格・目的・経験など)があります。団体スポーツや集団訓練の参加者全員の一人一人が違っています。

ですから、トレーニング内容は、その個人差をよく考えたうえで決めなければいけないということになります。残念ながら「こうすれば、誰もが等しく成果を挙げられる!」というトレーニング方法はないと思ったほうがよいでしょう。

 

そこで、体力トレーニングを行っていく際には, 個人の体力特性に応じたトレーニング課題を設定してトレーニング処方することは大切になってきます。

このことは個別性の原則として知られています。

 

簡単にいえば、「個人の特性や能力に合わせたトレーニングをしましょう」という原則です。

 

たしかに、年齢、性別、体力、身体組成(筋肉量、体脂肪率、骨量など)、生活環境、習慣、性格、運動の嗜好など自分に合ったやり方がわかれば、効率的に体を鍛えることができ、継続意欲にも繋がりやすいことは経験的にもイメージし易いことでしょう。

 

ですから、自分の身体組成や体力や健康状態などの個別条件を前提として、それぞれの目的にあわせて《個人に合ったトレーニングメニュー》や《負荷設定》を行うことで、効率的かつ効果的なトレーニングを設計することができます。

つまり、個人差を踏まえて練習方法を決めることが肝要になってきます。

 

しかし、この個別性の原則は、全面性の原則や意識性の原則と同様に、経験則、すなわち、経験的に知られている原則であって、科学的なデータで確認はされていません。

 

そこで、私たちの更なる健康増進のための訓練メソッドとして、個別性の原則を全面性の原則や意識性の原則といった、未だ科学的に十分に実証されていない原則をどのように理解して、活用するかという積極的な試みが求められてくるものと考えます。

 

水氣道は、組織された団体で継続的に稽古を実践することによって、従来の各種のスポーツや健康法を凌ぐ優れた効果を希求しています。

そのような中で、個別性の原則と水氣道は互いに矛盾しているのではないか、という見方も可能であるかもしれません。

そこで、次回は、「水氣道における個別性の原則」について考えてみたいと思います。

 

 

新型コロナウイルス感染症の予防と初期治療のためにイベルメクチン(ストロメクトール®)を使用することについて世界中で議論されています。

 

今回の情報は今年の4月2日のフランス誌の記事で、最新情報ではありませんが、ポルトガルでの興味深い話題です。

 

フランス語圏の人々にもインパクトのある記事であろうと思います。2回に分けて紹介いたします。

 

 

Portugal : un médecin sur deux prescrirait l’ivermectine pour la covid

 

ポルトガル:2人に1人の医師がCovid-19にイベルメクチンを処方する

 

 

 

Obrigado ivermectina !

 

イベルメクチンに感謝!

 

 


AddThis Sharing Buttons
Share to FacebookFacebookShare to MessengerMessengerShare to TwitterTwitterShare to TelegramTelegramShare to WhatsAppWhatsAppShare to Plus d'options...Plus d'options...734
Auteur(s): Christian de Dadelsen, journaliste pour France Soir

 

記者:クリスチャン・ドゥ・ダデルセン、フランス・ソワール誌のジャーナリスト

 

 

 

Des médecins traitants et scientifiques portugais ont lancé une pétition pour obtenir la reconnaissance de l’ivermectine auprès de l’agence de sécurité du médicament Infarmed.

 

ポルトガルの医師や科学者が、イベルメクチンを医薬品安全性評価機関であるInfarmedに認めてもらうための署名活動を開始した。

 

 

 

Parmi eux, Germano de Sousa, qui possède l’un des plus grands laboratoires d’analyses médicales du Portugal et qui fut président du Conseil médical général portugais. Ce spécialiste en pathologie clinique, maître de conférences à la faculté des sciences médicales de l’université de Lisbonne, a déclaré au quotidien Observador qu’il prenait de l’invermectine en prophylaxie pour se protéger lors des analyses qu’il effectue sur le virus Sars-Cov2.

 

その中には、ポルトガル最大級の医療分析研究所を所有し、ポルトガル総合医療評議会の会長を務めたゲルマノ・デ・スーザ氏も含まれている。リスボン大学医学部講師を務めるこの臨床病理学の専門家は、日刊紙「Observador(ポルトガル語:観察者、の意)」の取材に対し、「Sars-Cov2ウイルスの分析を行う際に、自衛のために予防的にインベルメクチンを服用している」と語っている。

 

 

 

Dans le quotidien Correio da Manhã, le Docteur Machado déclare : « J’ai confiance dans les résultats que j’observe. » Il a utilisé le médicament dans une maison de retraite de Santa Misericórdia où 68 personnes âgées ont été contaminées. « Il n'y a eu que trois morts. Deux des patients avaient des maladies graves et l'autre n'a commencé à prendre de l'ivermectine que lorsqu'il avait déjà développé une pneumonie grave ». Le Dr Machado affirme que les maisons de retraite « du nord au sud du pays ont eu recours à l'ivermectine » . Le Dr Machado insiste : « Je recommande à tous mes patients de se faire vacciner dès qu'ils le peuvent, mais moi, je ne le ferai pas car je prends de l'Ivermectine à titre prophylactique depuis des mois. »

 

日刊紙「Correio da Manhã(マンハン通信)」では、マチャド医師が「私は自分が見ている結果に自信を持っています。彼は68人の高齢者が感染したサンタ・ミゼリコルディア(ポルトガル語:「聖なる慈愛」の意)老人ホームでこの薬を使用した。「死者は3人だけだった。患者のうち2人は重篤な病気を患っており、もう1人はすでに重度の肺炎を発症してからイベルメクチンの服用を開始しました。」マチャド医師は、「国の北から南まで、老人ホームでイベルメクチンを使用しています」と言う。マチャド医師は、「私はすべての患者にできるだけ早くワクチンを接種するように勧めていますが、私は数ヶ月前からイベルメクチンを予防的に服用しているので、接種しません」と主張している。

 

 

 

Une patiente, Maria Madalena Cotovio, témoigne : « Après deux jours de prise d'ivermectine, mon mari, âgé de 71 ans, s'est réveillé sans fièvre. J’ai tout de suite attribué cette amélioration au médicament car il ne prenait rien d'autre. J'ai été très surprise et en même temps soulagée ».

 

前回はこちら

 

リンダ・グラットンから学ぶ臨床産業医学の展望No5

 

<パンデミック後を生き抜くための4要素>

 

 

<リンダ・グラットンは、無形資産に加えて、パンデミック後の時代を生き抜くために重要な要素として、「透明性」、「共創性」、「忍耐力」、「平静」の4つを挙げている>

 

 

It’s rather an invitation to ask individual employees,‟ How would you like to work?“ And more importantly, what would help you to be most productive, what way of working would help you to be, you know, the most productive that you could be. And that process of co-creation is very important.

個々の従業員に、どうやって仕事をしたいかと聞くことを促すのです。そして最も重要なのは、何が最も生産性を高めてくれるか、どのような働き方があなたを最も生産的にしてくれるか、ということです。そして共創を生み出すプロセスが非常に重要なのです。

 

 

<嘱託産業医からのコメント>

パンデミックは今後何年も続くことなく終息することが期待されます。

しかし、パンデミック後の時代とは、いつまで続くのでしょうか。

 

それよりも、リンダ・グラットン教授のレクチャーの内容からすれば、パンデミック後の時代に向けての準備は、いつ終わるかもしれないパンデミック終息を待つことなく、今から直ちに始めた方が良いのではないかという気がしてきました。

 

どうやら無形資産の活性化と「共創性」の開発が鍵になりそうですが、「共創性」の開発のためには、仕事上のパートナー同士が互いに自分自身や相手の持ち味を良く知ることなくしては実現しえないことがわかります。

自分が良いと信じる考え方ややり方に固執してしまいがちな人にとって「共創性」の開発はとてもチャレンジングだと思われます。

 

 

リンダ・グラットンから学ぶ産業医学の展望No6

<パンデミックが私たちに示したこと>

 


Because you know what the pandemic has shown all of us, is that unexpected events will happen.
パンデミックが私たちに示したことは、予期せぬ出来事は起こるものだということです。

 

 

What has COVID taught us? I think it’s taught us the importance of resilience. You know, because, if you came into the pandemic, resilient, and by that, I mean, you know, you were healthy. You had strong personal relationships.

新型コロナウイルスは何を教えてくれたか。それは抵抗力の重要性を教えてくれたと思います。なぜならば、パンデミックに遭遇したとき、抵抗力があったなら、つまり、健康だったということ。強い人間関係を持っていた。貯金があった、つまり、有形・無形の資産を持っていた、ということです。

 

 

And so what I think it’s taught all of us is, you know, you’ve got to have that resilience so that if something unexpected happens to you, you’ve got enough options as it were to be able to ride over the storm.

だからパンデミックが私たちに教えてくれたのは、抵抗力を持たなければならないということだと思います。予期せぬことが起きても、いわば嵐を乗り越えるための十分なオプションを持っていなければなりません。

 

 

<嘱託産業医からのコメント>

レジリエンス(resilience)の邦訳として「抵抗力」というのは妥当でしょうか?

 

私は、「七転び八起き」できるような「粘り強さ」、ストレッサーに晒されて傷ついても潰れないタフさや「復元力・回復力」といったニュアンスで理解しています。

 

前回はこちら

 


茨城県は古来、豊かな日常性に恵まれたお日様が誕生する東方の大地であり続けてきたのです。

 

芸能関係に疎い私は、「東方神起」というグループ名を見て、ようやく茨城県出身の若者が小粋なネーミングでデビューを果たしてくれたのか、と期待したものでした。後に韓流ミュージシャンであると知らされて驚きましたが、日が昇る東方(オリエンス)は、全人類があこがれる方角であったのではないかと思います。

 

神武天皇発祥の地である日向国(宮崎県に相当)、伊勢神宮のある伊勢国(三重県の大部分に相当)と並んで鹿島神宮のある常陸国(茨城県の大部分に相当)は、いずれも東方に海を臨み、その水平線から毎日太陽が誕生するのを見守ることができる土地柄です。

 

朝鮮半島の人々は日本海を東海と呼ぶのだそうですが、やはり東方の海は彼らにとっても魅力的な広がりなのだろうと思います。しかし、東の中でも、もっとも東に位置するのは日本国であり、日本はまさに極東の島国です。その島国の中でさらに東の極みに位置するのが常陸の国(日立の国?日高見の国?)なのです。

 

そんな神聖な茨城県に対する魅力度評価が最低位であるという結果をどのように受け止めるかについてはひと様々でよいと思います。

私は、このランキングは都道府県を女性に見立てるとすればエキゾチックでミステリアスな愛人度ランキング(もしくは美人投票)のようなものだと感じています。

 

これと対照的な尺度があるとすれば、それは、ごく平凡で幼馴染のような良妻度ランキングではないでしょうか。そして、非日常・現実逃避度(愛人度)ランキングと日常・現実受容度(良妻度)ランキングはパラレルではなく、むしろ逆相関する可能性を想定し、「魅力度ランキングと人口減少率は逆相関する」という大胆な仮説を立ててみました。

 

そこで魅力度第1位の北海道と茨城県の人口動態、それから日本の総人口の動態について、最近までの約20年間の人口の推移を調べてみました。

 

 

国土交通省のデータによると、平成7年から27年までの20年間における北海道の人口推移を見ると、減少傾向で推移し、約5.5%減少(※住民基本台帳に基づく北海道の人口のピークは平成9年570万人)。

 

これに対して、茨城県の人口は平成12年(2000 年)に最も多い 299 万人に達して以降,現在まで減少が続いています。令和3年9月1日現在で2,840,443人ですから、最近のおよそ20年間で約5.0%減少しています。

 

このデータが示すのは、最近約20年間の日本の総人口の減少率は、1億2680万人(2000年)、1億2557万人(2021年)であるので、約0.97%減少です。北海道も茨城県も共に日本全体の減少率より5倍以上の速さで低下しています。

 

このことは、47都道府県の魅力度順位と人口減少率との間には、逆相関は見られませんでしたが、ほぼ無関係であることが推定されます。つまり、魅力度を高めても直ちに人口増加には繋がらないだろう、ということです。

 

あくまでも、私にとっての話で恐縮ですが、愛人度はともかく、茨城県は良妻度ランキングがトップである、それもほぼ安定してトップの座を維持している、というイメージにたとえるとピンとくるのです。

 

たとえば、茨城県に定住するとしたら、毎日の生活は刺激に満ちているが、長続きしそうにない愛人との生活というイメージは決して浮かんできません。それは、むしろ素朴だが永年連れ添った妻との物心共に豊かな落ち着いた生活といった光景が、ほんのりと浮かんでくるからです。

 

茨城を愛する人々は、現実の大地に足の着いた、平凡かつ平穏な日常に喜びと満足とを感じることができる人々でもあるのではないかと思えるのです。

 

「都道府県魅力度ランキング全国最下位茨城県」のテーマは、私のこのコラムの意義を別の角度からおおいに照らしてくれそうです。そこで、次回もこのテーマを続けることにします。

 

 

次回は、「知られざる茨城の名湯・秘境」シリーズの第一弾として、北茨城市の「友の湯温泉」を紹介する予定です。

 

前回はこちら

 

お詫び:

先週の23日の原稿を、この原稿を持って差し替えにいたします。

 

フランス語原文の写し落としがあり、そのまま翻訳をしてしまったため、不自然な訳文となっておりました。

なお、「ペスト」は、新潮文庫の「ペスト カミュ」(昭和44年10月30日)は宮崎峯雄氏の訳で出版(本体750円、税別)されているので、参考にさせていただくことによって、今回のような抜けが生じないように心がけたいと思います。

 

宮崎氏のテイストは私のとは、しばしば隔たりがあるため、是非、お読み比べいただけましたら幸いです。
 

 

 

Ce qui est plus original dans notre ville est la difficulté qu‘on peut y trouver à mourir. Difficulté, d’ailleurs, n’est pas le bon mot et il serait plus juste de parler d’inconfort. Ce n’est jamais agréable d’être malade, mais il y a des villes et des pays qui vous soutiennent dans la maladie, où l’on peut, en quelque sorte, se laisser aller. Un malade à besoin de douceur, il aime à s’appuyer sur quelque chose, c’est bien naturel. Mais à Oran, les excès du climat, l’importance des affaires qu’on y traite, l’insignifiance du décor, la rapidité du erépuscule et la qualité des plaisirs, tout demande la bonne santé. Un malade s’y trouve bien seul. Qu’on pense alors à celui qui va mourir, pris au piège derrière des centaines de murs crépitants de chaleur, pendant qu’à la même minute, toute une population, au téléphone ou dans les cafés, parle de traites, de connaissements et d’escompte. On comprendra ce qu’il peut y avoir d’inconfortable dans la mort, même moderne, lorsqu’elle servient ainsi dans un lieu sec.

 

この市街(まち)に独特なことは、死ぬことの難しさだと思う。ちなみに困難(la difficulté)という言葉は適切ではなく、具合の悪さ(inconfort)と言った方が当を得ているだろう。病気になるのは決して愉快なことではないが、病気になっても支援してくれる市町村や国があり、そこではある種の解放感にひたれるものだ。病人には穏やかさが必要で、何かに頼りたがるのは、ごく自然なことだ。しかしオランでは、厳しすぎる気候、人々がそこで営んでいる多大な商取引、殺風景さ、夕暮れの慌ただしさ、楽しみの質、すべてにおいて健康であることが求められる。病人は、この町では大いに孤独な存在だ。暑さでひび割れた何百もの壁の背後に閉じ込められて死にかかっている人がいるこの瞬間にも、為替手形や船荷証券、割引について電話やカフェで話しあっている住民全体がいることを考えてみてはいかがだろう。たとえ現代の死であるとしても、このような乾いた土地で迎える死がいかに具合の悪いものであるかは容易に理解できようというものである。

 

 

 

Ces quelques indications donnent peut-être une idée suffisante de notre cité.
Au demeurant, on ne doit rien exagérer. Ce qu’il fallait souligner, c’est l’aspect banal de la ville et de la vie. Mais on passe ses journées sans difficultés aussitôt qu’on a des habitudes. Du moment que notre ville favorise justement les habitudes, on peut dire que tout est pour le mieux. Sous cet angle, sans doute, la vie n’est pas très passionnante. Du moins, on ne connaît pas chez nous le désordre. Et notre population franche, sympathique et active, a toujours provoqué chez le voyageurs une estime raisonnable. Cette cité sans pittoresque, sans végétation et sans âme finit par sembler reposante, on s’y endor enfin. Mais il est juste d’ajouter qu’elle s’est greffée sur un paysage sans égal, au milieu d’un plateau nu, entouré de collines lumineuses, devant une baie au dessin parfait. On peut seulement regretter qu’elle se soit construite en tournant le dos a cette baie et que, partant, il soit impossible d’apercevoir la mer qu’il faut toujours aller chercher.

 

これらのいくつかの指摘は、私たちの市街をあり様をうかがうにはおそらく十分に事足りるであろうし、何事も誇張すべきではない。強調しておくべきなのは、都市やそこでの生活のありふれた側面である。しかし、人というものは習慣が身についてしまえば、たちどころに難なく毎日を過ごすことができるようになる。私たちの市街での習慣に馴染んでいる限り、何事も無事に済んでいく。この観点から見ると、生活はあまり感興を呼び起こすようなものではないものかもしれない。少なくとも、私たちに差し障りはない。また、開放的で友好的で活動的な私たちの住民性は、常に旅行者から相応の評価を受けている。この市街は殺風景で、草木もなく、精神性もないが、ついにはそこで人々は安らかな眠りにつくことになる。しかし、この市街は、申し分のない造形の湾を前にして、光り輝く丘に囲まれた更地の台地の中心にあり、比類なき景観に繋がっていることは付け加えておいてもよいだろう。ただ、この市街はこの湾を背後として建てられたために、海を臨むことができず、いつもわざわざ出向いて行かなければならないのは残念でならない。

 

 

・・・・・・・・・・・

 

今回、修正とともに訳し直してみて気が付いたことは、たった一行の文章の喪失と、文の前後の誤った接続によって、作品全体から受ける印象やメッセージ性が大いに変形され、損われてしまうということです。

 

奇しくも不自然に、不合理なまでに「接ぎ木された(s’est greffée sur)」描写に相成ってしまったのでした。

 

それにしても、舞台となるオラン(Oran)という県庁所在地の市街(まち)は、家屋の外壁の内側と外の世界、少数の病人と大多数の健康な市民、殺風景な街並みと背後に展開している絶景の海湾というコントラストを巧みに描き出していることに気づかされます。

 

その両者の接点が精神的に断絶しつつも物理的に接着している関係にあることに何らかの暗示が与えられているように感じられます。

 

 

しかし、両者の接点は断絶ではありません。ただし、無意識のうちにスムーズにその上を往来できる代物ではなさそうです。敢えて意識して求めなければ到達できない、つまり、積極的に取材しようとしなめれば得られない真実というものがありそうです。

 

「求めよ、さらば与えられん!」(ルカ11章9節)を想起させます。

 

 

 

On peut seulement regretter qu’elle se soit construite en tournant le dos a cette baie et que, partant, il soit impossible d’apercevoir la mer qu’il faut toujours aller chercher.

 

<海を臨むことができず、いつもわざわざ出向いて行かなければならない>

 

 

いずれにせよ、この小説の舞台を一言で言い表すとするならば、それは乾いた場所(un lieu sec)ということになるでしょう。それはもちろん、物理的な意味だけではなく、精神的な意味をも包含していることがうかがわれます。

 

 

 

<以下は、先週と同文>
 

私にも日本のある風景に対して「接ぎ木された(s’est greffée sur)」という表現に似た感覚を覚えた経験があります。それは、形的には連続しているが、自然な、有機的繋がりではない、互いに無関係な、あるいは対照的な領域どうしが人工的に繋がっているようなグロテスクな風景との遭遇によるものでした。
 

日本の殆んどの都市の構造や周囲の光景は、たとえそれが近代化によって大きく変貌を遂げたとしても、歴史の盛衰に委ねてゆっくりと変化しながら形成されてきました。そのためか、街の遥か郊外から、街はずれ、そこからまた街の繁華街や中枢部に向かって進んでいくと、自然に、ほぼ連続的になだらかに街や周囲の景観が変化していきます。そうした光景は、多くの人々にとっても当たり前になっていて何の疑問も浮かんでこないのではないかと思います。

 

そうした日常の感覚が当然であるかのように慣れてしまい、疑問すら抱くことのなかった私に大きな違和感を与えた光景があります。それは国家計画によって大規模な予算を投入されて開拓されつつあった筑波研究学園都市です。開発以前は、古代からの常陸の国の象徴とも言うべき筑波山を背景とする、直線距離では東京のほど近くに位置するが、どちらかといえば交通の不便な辺鄙な田舎でした。

 

それまで通りの、平凡で、日常的で、何の変哲もない田舎の国道を、今は亡き自動車好きの父が運転する車の助手席から前方を注視していると、何の前触れもなく、突如、近代都市が出現してきたのでした。その姿は、慣れ親しんできた穏やかで優しい日本の風景とは全く異なり、米国の都市を想起させるものでした。違和感のある風景でした。そこからは無機的で威圧的な、とうてい馴染めそうにない空間が広がっていました。

 

田園の憂鬱のイメージとは違った人工都市の得体のしれぬ憂鬱を想わせるものでした。当時の私はこの人工都市での生活を余儀なくされたとしたら、自分がどのような精神的悪影響を被ることになるだろうか、と想いを巡らさざるを得なかったことを覚えています。

 

当日のレッスン

 

Spirate pur,spirate(どうか吹いておくれ)はステファノ・ドナウディ(Stefano Donaudy, 1879年~1925年)によって作曲されました。

 

ドナウディはシチリア島のパレルモ生まれのイタリアの作曲家ですが、Donaudyという姓はイタリア人ではなく本来はフランス人の姓のようです。フランスでは<ドノディ>と発音されていたのではないかと思われます。

 

1896年からパレルモ音楽院でツエリに作曲を師事したのちナポリで学び、終生この地に住みました。音楽院入学前から主にオペラを発表していたましたが、卒業後6篇のオペラを器楽曲などの他に作曲しました。しかし、現在ではそれらのオペラはあまり上演されていないのが残念です。

 

それでも、ドナウディは今日トスティと並ぶ歌曲作曲家としてわが国でも名高く、代表作の「36 Arie di Stile Antico(古典様式による36のアリア)」は、17、18世紀のイタリア古典歌曲のスタイルで書かれています。そのため時代を代表する作曲家ではありませんが、それでも粋で香り高い作品が多いです。


私が45歳で本格的に声楽を始めるために入門したのが東京音楽大学の五日市田鶴子先生でしたが、五日市先生が私の声質に適しているとして紹介してくださったのがドナウディの歌曲で、Spirate pur,spirateも懐かしい一曲です。

 

そして、この「Spirate pur,spirate(どうか吹いておくれ)」は前述の「36の古い様式による歌」として出版された36曲のうちの1曲です。

 

 

原語(イタリア語)歌詞に日本語訳(訳:飯嶋正広)を添えました。

 

Spirate pur,spirate      

どうか吹いておくれ、吹いておくれ

 

attorno a lo mio bene,    

私の最愛の女性の周りに、

 

aurette,e v'accertate     

そよ風よ、そして見極めておくれ

 

s'ella nel cor mi tiene.

彼女が心に私で満たしているのかを。

 

s'ella nel cor mi tiene.      

彼女が心に私で満たしているのかを。

 

Spirate, spirate,         

吹いて,吹いて,

 

Spirate pur,   

どうか吹いておくれ,

 

Spirate aurette.   

吹いておくれ,そよ風よ。

 

Se nel suo cor mi tiene,

彼女の心が私で満たされているかどうか、

 

Se nel suo cor mi tiene,

彼女の心が私で満たされているかどうか、

 

v'accertate,aure beate,

見極めておくれ、幸せなそよ風よ、

 

aure lievi e beate!    

軽やかで幸せなそよ風よ!

 

Spirate pur,spirate      

どうか吹いておくれ、吹いておくれ

 

attorno a lo mio bene,    

私の最愛の女性の周りに、

 

aurette,e v'accertate     

そよ風よ、そして見極めておくれ

 

s'ella nel cor mi tiene.

彼女が心に私で満たしているのかを。

 

s'ella nel cor mi tiene.

彼女が心に私で満たしているのかを。

 

Spirate, spirate,

吹いて,吹いて,

 

Spirate pur, 

どうか吹いておくれ,

 

Spirate aurette.  

吹いておくれ,そよ風よ。

 

 

 

この曲は、今年の8月8日(日)に水戸芸術館(館長:小澤征爾)で開催予定であった「茨城の名手・名歌手たち第30回オーディション」出場に向けて、同郷の若手ソプラノの川上茉梨絵さんに選んでいただいた自由曲の一つでもありました。

 

残念ながら、このオーディションは新型コロナ感染症蔓延防止のための緊急措置により、開催の前日に中止が発表されました。

 

茨城県立水戸第三高等学校音楽科を卒業後、東京藝術大学音楽学部声楽科を首席にて卒業し、同大学院修士課程音楽研究科声楽(オペラ)専攻修了した川上さんは、高校時にこの「茨城の名手・名歌手たち第16回」に声楽部門最年少でオーディションに合格しています。私は、同じく最年長で合格を目指していた次第なのでした。