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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(結論)その5


(教学不岐・環境創造の原則)

 

水氣道の機能的集団編成法

 

水氣道の集団性の原理について説明するにあたって、そもそも集団性ないしは「集団」とは何かということに立ち戻って考えてみたいと思います。

 

広辞苑によると、集団とは以下のように説明され提案す。

① 多くの人や物のあつまり。

 

②(group)規則的・持続的な相互関係をもつ個体の集合。団体。

 

③〔生〕(population)有性繁殖の可能性を通して結ばれた生物の同種個体の集まりをいう。生態学でいう個体群に同じ。メンデル集団。

 

 

水氣道の集団の構成員は2名以上です。少なくとも単独ではないというだけのことです。

ですから、水氣道でいう「集団」とは、上記の中では①ではなく、②にもっとも近いといえます。ものであると理解していただければけっこうです。

しかも、規則的・持続的な相互関係をもつ、という機能の存在が大切になります。
 

 

水氣道の理念は<融通無碍(ゆうずうむげ)の人類愛>にありますが、そこから、以下の3つの徳性が導かれてきます。

 

分析と企画(特異性の原理) 

 

進歩と調和(過負荷・集団性の原理)

 

自己超越と自然回帰(統合性・可逆性の原理)

 

水氣道の集団性の原理がしっかりと機能しなければ、稽古を通して進歩や

調和という徳性を磨くことはできません。
 

それでは、実際の水氣道の稽古において、単独稽古が存在しないのかという疑問が生じるかもしれません。たとえば、稽古の最初に心身をゆっくり水環境になじませる目的の航法である「親水航法」はいかがでしょうか?

 

「親水航法」は、基本的にはそれぞれの参加者が各人のペースで実施してよい航法です。しかし、こうした稽古であっても「集団性の原理」から掛け離れた稽古ではないのです。

それは、同一の時間を同一の場所を共有しての稽古だからです。

 

稽古の場は、実際には、室内の温水プールが主になっていますが、いわゆる水泳施設全体の環境にはじまり、水槽全体、レーンによる区分けがあります。

そして、人数制限のある会場の場合は、特定の1レーンという場を共有しています。

つまり、主体的な独立運動であっても、区画された場において規則的・持続的な相互関係を維持しつつ参加していることから集団性を認めることができます。

 

実際に、水氣道の稽古をしているレーンの外から、あるいはプールサイドから稽古中のレーンを俯瞰してみるならば、水氣道のレーンは明らかに水氣道の団体として認識されるのではないでしょうか。

 

水氣道の団体構成の最小単位は、2名です。この最小単位を水氣道では対番(たいばん)と呼び習わしています。

基本的には、階級の異なる二人組で構成されますが、稽古中に水氣道の技法修得をはかるうえでもっとも基本になる稽古形態です。この場合、下級者が教えを受け、上級者が教えを授けることになりますが、水氣道においては、このような場合において上級者も、教え方を稽古する機会であるという基本的な認識で臨んでいただいております。

 

この対番において、下級者がもう一人加われば、上級者は二人の下級者を指揮する必要が生じ、そのためのさらに高度なスキルが必要とされます。

しかし、そのためには予めの準備段階が必要になります。それは、対番の上級者の更なる上級者が加わる稽古です。その目的は、対番の上級者の指導法をサポートして、技法伝授法のスキルアップをはかることにあります。

このような稽古形態を実践することによって、対番の下級者の理解も深まり、自らが進級した後で、どのような道筋になるのかを自然な形で予習することにもなります。

それから、水氣道の稽古の様式は、3カ月の周期によって、螺旋的発展を目指しています。3カ月の1カ月目、2カ月目および3カ月目をそれぞれ甲の月、乙の月および丙の月と命名しています。

 

最初の甲の月では、白色帽子組(体験生・訓練生連合)と有色帽子組(修錬生以上の連合)が稽古プログラム全体を通して一体訓練を実施します。

 

次の乙の月では、準備体操(イキイキ体操)までを全体で行い、五航法以降は白色帽子組と有色帽子組がそれぞれ独自の団体となり、それぞれの技能に応じた訓練を行います。また、その際も必要に応じて、有色帽子組から白色帽子組へ指導者を派遣することも行われます。

 

最後の丙の月は、概ねすべてのプログラムを対番単位で行います。それによって、個々の参加者の習得度を評価し易くなり、ふだんより具体的で個別的な指導が可能となります。また、この月は、昇級審査が行われる月に重なりますが、個々の参加者について広範な視点から評価し、支援することが可能となる方法であることがご理解いただけるのではないでしょうか。

 

以上のような3カ月周期の稽古プログラムは、水氣道の可逆性の原理(周期性の原則)にも関連する内容です。甲⇒乙⇒丙のあとの新たな甲の月の稽古内容は、3カ月前の甲の月の稽古より充実したものになることは、すでに実証済みです。

 

 

次回は、4月6日です。新年度の最初は、令和4年度最初の技法検定合格者発表を行います。

 

4月13日以降はシンプルなエクササイズである「懸垂」についての記事(ニューヨークタイムズ国際版3月25日)を用いて、水氣道の理解を深めるシリーズを数回にわたって、平易な日本語に翻訳し、必要なコメントを添え、興味深く解説を加えていく予定です。

 

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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(結論)その4

 

(教学不岐・環境創造の原則)

 

 

水氣道の指導員(プロフェッショナル)とは水氣道家の入門者である

 

将棋の例にとどまらず、戦前のわが国において、武道の振興、教育、顕彰を目的として活動していた財団法人である大日本武徳会にも、自己超越を志向する顕彰活動がなされていました。武徳会は、段級位とは別に武術家を表彰する「精錬証」を発行していました。

 

明治35年(1902年)、教士・範士の2つからなる称号を制定し、柔道・剣道・弓道に導入しました。1934年(昭和9年)、精錬証を廃し、新たに「錬士」を制定し、錬士・教士・範士の3称号が確立しました。

 

水氣道においても、「教習不岐」の原則および環境創造の原則に基づく集団性の原理に則り、錬士・教士・範士の3称号を整備しています。水氣道においては、これらの3称号と段位を結び付けていることに特徴があります。

 

水氣道では四段以上が、いわゆる職業水氣道家(プロフェッショナル)ですが、水氣道指導員階級である四段、五段および六段は、それぞれ、錬士、教士および範士という称号を伴うものとしています。
 

以上のような構想を持っていますが、現在のところ目標達成には至っておりません。2000年の水氣道発足以来、22年目を迎えましたが、将来に向けての重要な課題です。

この間、必ずしも平坦な道のりではなく、幾多の試練に遭遇してきましたが、それらの一つ一つを当時の参加者と共に克服していくことによって、より完成度の高い組織構築が可能となり、新たな技法を創出することができました。
 

最近では、新型コロナパンデミックの影響が大きかったのですが、水氣道は予測通り、この危機的な時期を見事に乗り越えることができました。なぜ、単なる希望的観測ではなく、予測まですることができたか、ということについてコメントしておきましょう。

 

その理由は、水氣道は、そもそも「防災訓練」の要素を包含していたからです。遅かれ早かれ今回のような状況に見舞われる時期が訪れることを想定した上でのエクササイズであったからです。

 

水氣道は、感染症の蔓延時であっても、一般の陸上でのエクササイズより安全に集団訓練を継続できるように設計されている、と言っても良いでしょう。

しかし、実際には、施設側の方針により少なからざる影響を受けたことは事実です。それでも、稽古中止の期間は限定的であったことは幸いでした。

 

この間、杉並区内での稽古場は、上井草会場(人数制限:8人⇒10人に緩和)のみ継続し、隣接市区での施設に助けられました。中野区鷺宮会場(人数制限8人⇒10人⇒制限解除)、新宿区ハイジア会場(制限なし)、三鷹市スバル会場(人数制限10人⇒12人⇒制限解除)です。当初は厳格な人数制限がありましたが、徐々に緩和されてきました。


水氣道発祥の稽古場は最寄りの杉十温水プールですが、現在工事中とのことで完了予定が延長されています。人数制限や使用規則が他の施設より厳格で、かつ団体使用料金が格段に高額であるため、使用できないまま経過していました。1レーンでの人数制限は8人のまま維持されているようですが、従来通りの水曜日、もしくは木曜日の復活を図ることができれば幸いです。
 

核施設の管理関係者も、今回の新型コロナ禍での様々な工夫と努力の積み重ねを経験して、温水プール施設が感染拡大期にあっても安全に継続できることを認識されたのではないかと思われます。

 

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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(結論)その3

 

(教学不岐・環境創造の原則)

 

 

水氣道の「道」は、自己実現から自己超越へ向かうための道

 

自己超越したひとの活動は、生命が尽きる直前まで実行することができ、かつ、その自由は誰も奪いえません。水氣道が生涯エクササイズであるとする所以もそこにあります。

 

ただし、水氣道は自己実現よりも、その先を目指しています。それは「自己超越」です。自己超越とは「他者や自己を超えた存在に向けて奉仕をすること」です。

人間の本質は、自己を超えた存在、愛そのものである神のような存在が、本能的に志向されていていることにあり、だからこそ、自己超越、すなわち互いに奉仕し合う安定的な信頼関係性の中で生かされているときに、強い生きがいと幸福感を覚えるものなのではないでしょうか。

 

「自己超越」という心理状態や生きる態度に到達するためには、「自然回帰」の意義を理解して、自然そのものに委ねる中にあって、互いに教えを受け、あるいは教えを授けるといった営みを通して、環境を再創造していけるようになることが必要であると考えます。

 

人間の生きがい感の根本は、最終的に神の存在を受け入れる必要に気づくことから始まると受け止めることができれば獲得可能です。しかし、すべての人がそれを受け入れることは容易ではありません。しかし、自然回帰といって、「個」としての心身を統一して、「集団」に宿る霊性と統合することができれば、いきいきとした生命の躍動感を味わうことができます。

 

水氣道では、稽古に参加するだけで誰でも自然回帰を試みることができます。

また、水氣道の稽古に参加するということは、奉仕、利他、愛といった態度価値が育まれるために、人間に強力な生きがい感を与え、空虚感を満たしてくれることになるでしょう。

 

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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(結論)その3

 

(教学不岐・環境創造の原則)

 

水氣道の「教習不岐」の原則と集団の中で個として「生きる態度」

 

多くの武道や競技ゲームにおいて、能力(勝率)などが上がれば昇級し、下がれば降級する制度の場合(例えば将棋の奨励会など)、段級位は現在の実力の目安といえます。

 

しかし、多くの段級位制はタイトル奪取、大会優勝、試験合格、経験年数、勝数、授与者の裁量などで昇級しますが、例えば将棋のプロ棋士の段位などは、能力が衰えても基本的に降級しません。

この場合は、段級位は現在の実力というより、過去の実績や、その世界での序列を示すものとして理解することが可能だと思います。過去の実績は、個人の対戦能力の評価だけではなく、対戦相手に対する貢献の積み重ねであるともいえるのが、将棋における感想戦の伝統です。

 

将棋が発祥となった将棋用語の一つに感想戦があります。

これは対局後に開始から終局まで、またはその一部を再現し、対局中の着手の善悪や、その局面における最善手などを検討することです。

 

これは「局後の検討」です。プロの公式戦では感想戦はほとんどの場合に行われ、アマチュアでも高段者、上級者の対局では感想戦が行われることが多いです。この感想戦の目的は、一局を客観的に見直すことによって、相互の棋力の向上につなげることにあります。

 

しかも感想戦は、勝者が敗者に対して、一方的に施すものではありません。対局直後という好機を逃さず、共に学び合うという互角の、互いに対する敬愛を伴う教育・学習行動であるともいえましょう。

そこでは、自我意識が消えて、すべきことに極度に集中しているような心理状態を獲得しやすいだけでなく、自己にとらわれない行為を志向する「生きる態度」を育みやすい条件が揃っています。そこに水氣道の「教習不岐」の原則に通じるものを見出すことは困難ではありません。

 

 

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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(結論)その2

 

(教学不岐・環境創造の原則)

 

水氣道の「個」は自己実現に終わらない

 

水氣道の目指す「個」の在り方は「自己実現」に終わるべきものではありません。

なぜならば、現実の社会で誤解されがちな「自己実現」とは自己の欲求実現を目的とした行動の結果に過ぎないものに成り下がってしまったからです。これに対して、本来の「自己実現」には一過性ではない自己実現感が伴ないます。

 

ここでいう自己実現感とは、「結果」という見返りを求めずに行う過程で、自分が自分として輝いている喜びとして湧きあがってくるものです。ですから、すぐに安直な、自分に都合の良い「結果」ばかりを求めたがる人は自己実現感から遠ざかってしまいがちなのです。

なぜならば、このような「自己実現」では、自分が幸福になれないだけでなく、社会にも平和がもたらされないからです。

 

平和でない社会の中で幸福な人生を全うすることは至難の業なのですが、残念ながら、多くの人々がその真実を忘れかかっているように思われてなりません。そこで、次回は、「自己実現」を実力達成の成果とその顕彰の在り方の観点から考察してみたいと思います。

 

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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(結論)その1

 

(教学不岐・環境創造の原則)

 

所属集団から切り離された「孤」からの復活
 

水氣道の着想は外国からのものではなく、日本的霊性によって生まれました。これは偶然ではなく必然であったように思われます。なぜならば、日本文化の特徴は自然により近づこうという意志、「自然回帰」が強く働いているからです。

 

自然と感じる「もの」や「こと」の中には、自然発生的な家族や共同体という集団があります。

 

日本人は古代から自然の中に住み、自然の流れに逆らわない生き方をしてきました。

それは人間より自然の猛威の方がはるかに強大で抗うことが不可能であることを謙虚に受け止めなければ生き残ることが難しかったからだと思います。

そして、地縁・血縁という共通の環境基盤によって生成した自然発生的な大家族が、作為的ではない歴史的伝統的な「縁」によって共同体として連合し、その知恵と力を結集し、幾多の試練や危機を乗り越えてきた運命共同体として、この世での適者となって生存を図ってきました。

 

そのため、日本人の祖先たちは、永遠性ということより、有限性、刹那的であること、朽ちてゆくこと、「空」の理論に従い、流れに委ねることが大切であると悟りました。

そして、集団から離れた個人として、全体の大きな流れに抗うとすることを企てることは、孤立を余儀なくされたり、究極の危機的状況から脱出したり、克服したりしなければならないときに限られていました。

 

私たちの祖先は、自然に密着した暮らしの中で、現実の世界を冷静に、しっかりと受け止めてきました。

自然に回帰する思想、無理なく生ききる思想、それが自然とともに生きるという考え方に帰結していきます。ただし、集団の中で社会的な存在としてありながらも、自己実現をはかり、充実した「個」の人生、それ以外に「真理」への道はありません。

 

この考え方は現代を生きる上でも、極めて重要であり、水氣道の本質に繋がるものなのです。ただし、日本的霊性における「個」とは、所属集団から切り離された「孤」ではないのです。

 

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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(転論)

(教習不岐・環境創造の原則)

 

 

水氣道の<環境創造の原則>の発展的運用の実際

 

今回は、まず水氣道の環境創造の原則とは何かについて簡単に説明することから始めてみたいと思います。

 

これは、端的に言えば、水氣道の稽古場である道場の環境を創造していくことを意味しています。

水氣道道場というのは、物的な施設環境だけではなく、精神的な人間関係や共同体としての組織制度の在り方をも含んでいます。つまり、水氣道の組織創りや、稽古の在り方などを含めた道場の「場」の在り方に係るすべての要素を包含して水氣道の環境としています。水氣道の集団性の原理の上に、教習不岐の原則や環境創造の原則が派生している根拠はそこにあるのです。

 

水氣道の稽古場、すなわち道場は、諸般の事情により、現在では専ら屋内の温水プール施設を活用しています。しかし、プール施設は、屋内でなくてはならないという必然性はなく、水温その他の諸条件が満足できるものであれば、屋外のプールも利用可能です。

 

プール水に関しては、水質基準が設定されています。不特定の多人数が利用する遊泳用プールについては、厚生労働省が「遊泳用プールの衛生基準(平成19年健発第0528003号)」により、都道府県、政令市及び特別区において、プールの管理者等に対する指導の指針として定めています。

なお、学校における水泳プールは、文部科学省が「学校環境衛生基準(平成21年文部科学省告示第60号)で定めています。いずれも同様の基準ですが、学校における水泳プール等で毎授業日に行う水質検査は、以下の3項目です。

 

これらのうち、透明度については、官能試験ともいうべき、直接の身体感覚によって評価することができる項目であり、pH値は簡便なリトマス試験紙により半定量判定することができます。また、遊離残留塩素については、天然水においてはそもそも検査の必要性は生じません。

 


遊離残留塩素
どの部分でも0.4mg/L以上(1.0mg/L以下が望ましい)

プールの使用前及び使用中1時間ごとに1回以上計測


pH値
5.8以上8.6以下
使用前に1回計測

 


透明度
水中で3m離れた位置からプールの壁面が明確に見える程度

常に留意する

 

 

水氣道の道場として必要とされる水質条件についても上記の基準に準拠することになります。水氣道の水条件について、さらにいえば、プールのような人工的に整備された施設下で人為的に管理された水でなくてはならないということでもありません。天然の清浄な鉱泉水や温泉水であれば、pH値が5.8以上8.6以下であれば運動浴となる水氣道稽古に適した条件になります。この基準は温泉医学的には、おおむね中性泉(pH6.0以上7.5未満)、弱アルカリ性泉(pH7.5以上8.5未満)に相当しますが、この範囲より若干の酸性あるいはアルカリ性に傾く水質でも適合することがわかります。

 

以上のような背景から水氣道の稽古場環境の可能性としては、季節や天候や水温・水質などの条件や安全性などが担保されれば湖水などの自然環境での稽古も可能であるということになります。私は、いずれ、鉱泉水や温泉水での水氣道稽古や、たとえ年に1度だけでも、湖岸に近い安全な場所を道場とした水氣道稽古が実現することを祈念しています。そして、こうした方向性を意識することが、水氣道の環境創造に繋がるのです。

 

東京を中心とする限られた現状での活動拠点で満足するのではなく、国内外において水氣道の活動を展開していくことへの集団としての意欲の結集があってこそ、人類の生存と健全な繁栄のために不可欠な自然界の「水」と「大気」を保護に貢献することができます。そこに水氣道の大義があります。こうした水氣道の環境創造の原則は、人間同士の創造的な関係性を育む教習不岐の原則と相まって、水氣道の根本的な支柱である「集団性の原理」を実現していくことが、水氣道の本質である「融通無碍の人類愛」に繋がるのです。個々の一般人が独力で世界を救うことは不可能です。しかし、水氣道に参加して、仲間と共に楽しく稽古を続けていくことさえできれば、それは実現できます。


すなわち、<水氣道は世界を救う>ことができるのです。

 

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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(承論)

(教習不岐・環境創造の原則)

 

水氣道の<教習不岐の原則>の基本的運用の実際

 

通常の段級位制における級位は、1級を上限とし、初段の1つ下が1級、1級の1つ下が2級であり、級位の下限はカテゴリーによって異なります。

 

水氣道の級位も1級を上限とし、7級を下限としていますが、入門してしばらくの期間は「級外」として、稽古の場では「体験生」という呼称を用いています。この制度の理由は、水氣道が世間一般に広く認知されている健康活動団体として十分に認知されていないため、言葉による説明ではなく、実体験により慣れ親しんでいただくための最初期の期間を設定することが欠かせないためです。

 

やむを得ないことであるとはいえ、水氣道の入門者にとっては、あたかも行先不明の電車に乗り込むときのような勇気が必要になることでしょう。広く世界に周知されていない水氣道には信頼関係のみで入門していただくことにならざるを得ません。

 

頻度の多寡はあるにせよ、定期的、計画的に稽古に参加することができてはじめて稽古にふさわしい活動が開始されるといえるので、「体験生」には、いわば試験的に気楽に参加していただくことになっています。やがて、稽古習慣が身に着いた頃合いに、「級外」に区分された「体験生」は、はじめて入級して「7級」を得ます。

ただし、この段階は、まだ体験生の延長とみなすため、稽古の場においては「特別体験生」(略称、特待生)と呼び、懇切丁寧な稽古指導を受けることが可能となるような配慮を受けることができるようにしています。7級(特別体験生)を経て、小審査で合格すれば、6級(初等訓練生)に昇級することができます。

 

なお、小審査とは、水氣道3カ月に1回、定期的に実施している体験生や訓練生のための昇級審査です。訓練生とは、6級(初等訓練生)を皮切りに、5級(中等訓練生)、4級(高等訓練生)までの稽古者の呼称です。そして、5級(中等訓練生)になると、水氣道の技法である、各種の航法を順次修得して、一定の成果が得られればそれぞれの航法のファシリテータ(促進員)として認定され、認定証が授与されます。

 

水氣道の<教習不岐の原則>とは、教育者と学習者とを二分割しないという水氣道独自の哲学に基づく原理であることは前回述べましたが、この原則が本格的に活かされてくるのが5級(中等訓練生)あたりからです。

 

ファシリテータである訓練生は、体験生(特別体験生を含む)の日常の稽古が滞りなく勧めて行けるように促進する役割を担うことになります。それを可能とするためには、6級(初等訓練生)の段階で、ファシリテータの役割と機能について、稽古中にしっかりと見習っておく必要があるといえるでしょう。

 

そのような意味において、体験生と訓練生との違いは、稽古に自主的に参加して、あとは専ら受け身で指導を受ければ足りるのが体験生(特別体験生を含む)、<教習不岐の原則>に則って、上級者からの指導を受け、自らも意識的に稽古を継続する他、水氣道の各航法を習得し、体験生(特別体験生を含む)を導くのが訓練生であるということができます。

 

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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(起論)

 

(教習不岐・環境創造の原則)

 

水氣道における段級位制度の特質とその意義

 

段位及び級位はそれぞれ武道や芸道、スポーツ、遊戯において現在の技能、過去の実績などの段階を示すものとされています。

たとえば、将棋の奨励会などのように能力(勝率)などが上がれば昇級し、下がれば降級する制度の場合、段級位は現在の実力の目安といえます。

 

しかし、将棋のプロ棋士の段位をはじめ多くの段級位制はタイトル奪取、大会優勝、試験合格、経験年数、勝数、授与者の裁量などで昇級するが、能力が衰えても基本的に降級しません。この場合は、段級位は現在の実力というより、過去の実績や、その世界での序列を示していると認識することができるでしょう。

 

水氣道においても、段位及び級位は現在の技能、過去の実績などの段階を示すものなのですが、組織における役割の種別を示すものでもあるということがより重要になってきます。

 

一般的に、段位は級位の上位にあり、初級者は級位から取得し、段位の認定を目指すことになります。段位は、例外もありますが、初段(「一段」という表記は慣例的に用いられていません)にはじまり、十段を最高位とする10段階で構成されていることが多いです。

たとえば剣道はかつて十段までありましたが、2000年に九段、十段は廃止され現在では八段を最高段位としています。

 

水氣道の段位は、十段を最高位としますが、現段階では正七段が最高位で、それ以上は空位になっております。

その理由は、水氣道が発展途上であり、組織規模も小さいものだからです。

 

それにもかかわらず、段の階級が細分化されていることが特徴になっています。

たとえば、初段も4階級あり、少初段下⇒少初段上⇒大初段下⇒大初段上というふうに昇格していくことになります。その理由は、水氣道の段位は、後で詳しく説明しますが、現行の一般的な段位とは異なる独自の意味があるからです。

 

武道における段位制は、柔道(講道館柔道)を興した嘉納治五郎が明治時代に講道館を設立する際に囲碁・将棋を参考として導入しました。その際、段位を帯の色で表すことにしました。

 

水氣道では稽古帽の色と階級条線であらわしていますが、これは柔道の帯の色というよりも、直接的には冠位十二階の古式を参考にしたものです。

 

その他の武道にも段級制度が広まったのは、講道館や警視庁が採り入れたのが契機となっています。また古武道においては、示現流が古くより初度、両度、初段、二段、三段、四段と段階を呼称しています。これは段階的な修行が行われ各段階で学ぶ内容があることから他流での切紙・目録などの修得段階を示すものと同じですが、一般的な段位制とは異なる内容になっています。

 

水氣道でも修行が行われる各段階で修得する技能があり、これらを「航法」と呼びならわしています。そして、定期的に「航法」の習得状況を見極めたうえで、認定証を発行しています。これは古武道における切紙・目録に相当するものです。こうした実績が昇段のための必須の基準の一つとしています。

 

現在では多くの武道で段級位制が使われていますが、これは戦前の日本において、武道の振興、教育、顕彰を目的として活動していた財団法人大日本武徳会が各武道を段級位制で統一したためです。

 

ただし、水氣道の段位制には水氣道独自の役割と機能をもたせているため、現代社会で一般的に普及しているこれらの段位制とは区別しています。水氣道の段級制は日本古来の位階制(冠位制や律令における階位制)や軍隊の階級制に倣っています。これは、水氣道が集団性の原理に基づき、<教習不岐の原則>を打ち立てていることと密接な関係があります。

 

水氣道の<教習不岐の原則>とは、教育者と学習者とを二分割しないという水氣道独自の哲学に基づく原理です。これは、教え導くことと、学び習うこととは、一貫した修行であるという考え方です。単に個人としての能力(勝率)などが上がれば昇級し、下がれば降級する制度とは本質的に異なります。

 

大小の稽古集団において、その階級と能力に応じて、学び習うことだけではなく、他者を教え導く経験と技能を、水氣道は重視しているからなのです。つまり、その階級にふさわしい能力の評価は、教え導くことと、学び習うことの両方の能力が調和しているかどうか、ということに掛かってくるということになります。

 

上級者から十分に学び習うことができなければ、下級者を適切に教え導くことができないことは明らかですが、逆に、下級者を適切に教え導くことができていなければ、その人の学びや習い方は未熟である、と水氣道では判断しているからなのです。

 

 

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水氣道実践の五原理・・・統合性の原理(急論)

(心身統合・心技体の原則)

 

 

私たちは、しばしばスランプに陥ったり、本来の実力を発揮できていなかったりすることを経験します。超一流の競技者でさえ、「心・技・体」、その3要素のどれかに欠陥があるか、あるいはそれぞれの間でのバランスやハーモニーが崩れるか、などによって負のスパイラルが生まれているようです。

 

私たちはコミュニケーションや仕事が上手くいかないとき、相手や組織との共同作業が空回りして相互に補い合ったり助け合ったりすることが困難な場合に、「歯車が噛み合わない」という言葉を使うことがあります。その噛み合わない歯車とは「心・技・体」の3つのことだとも言えます。 その3つが噛み合っていないと相互の歯車が上手く噛み合いません。そうなると自分の歯車も相手の歯車も回らないということになります。
 

これは、相手の存在を前提としない場合でもあてはまります。たとえば、本来一体であるはずの心身がかみ合わなくなった状態で精神と身体を直接再統合させることは簡単ではありません。そこで、両者を繋ぎ一体化させる媒体が必要になってきます。その媒体こそが技なのです。心と体の間に技を置けば、心・技・体になります。逆に、「心と体を統合するために役立つことはすべて技である」、ということができると思います。水氣道の技とは、そのようなものすべてを指しています。したがって、心身医学療法は水氣道の技に含まれると考えてくださって結構です。

 

そもそも「心・技・体(しんぎたい)」とは、心(こころ)技(ぎじゅつ)体(からだ)全てバランスが整ったとき、最大限の力が発揮できるという教訓のための題目です。

 

感覚は人それぞれだと思いますが、共通しているのは「3つの歯車」が噛み合っている状態だということです。「3つの歯車」が噛み合うようになると、エネルギーが損なわれることなく効率よくパフォーマンスに反映されるようになります。そのような状態をしばしば感得できるようになると、日常の生活の中にもそのような状態が生かせるようになります。

 

何か上手くいかない時、どうも自分の持っている実力を発揮できていないと感じるとき、この「心・技・体」のバランスをチェックしてみるのがよいです。

 

実際の方法としては、これら3つの歯車は気持ちよく回っているか、無駄な力が入っていたり、いつもと違った違和感を覚えたりということがないかどうか確認してみることです。これをボディ・スキャンといいますが、水氣道では、稽古中に特別の注意を払わなくとも、これを自然に行なえるようになってきます。


このような習慣が自然に身についてくる頃には、今の自分に足りないもの、やるべきことの課題がしっかりと見えてくるはずです。

 

このような課題を大切にしながら稽古を続けていくうちに、あらゆる状況において、最大のパフォーマンスを発揮することができるようになっていくことでしょう。 水氣道の目指すものは、一般のスポーツや武道とは大きく異なります。水氣道での心技体は、他者との勝負で勝つことを目的とするものではないということをお受け止めください。

 

体づくりや体力というものは徐々に身についていくものであるのに対して、技術の習得、とりわけ「技」の体得は一瞬で得られることがあります。その瞬間の感覚としては、特段の無理をしてないのに全てうまくいく感じです。そのような瞬間は、世俗の雑念が打ち払われ、研ぎ澄まされ突き抜けたような爽快な解放感を伴うものです。このときに、こころとからだが一体になったことを実感することができるのです。ただし、日常の稽古を地道に続けない限り、確かな技を身に着けることはできないのは言うまでもありません。

 

水氣道で、自分の現状を理解し、課題に対する自分なりの対処方法を身につけることができると、生活全般にわたって発揮できる実力(パフォーマンス)の向上につながっていきます。こころも、技術や体力トレーニングと同じように継続的に稽古することが必要です。