取材報道<NHK特設サイト 新型コロナウイルス>から学ぶ

 

症例が増え7症例目に入ります。

 

新型コロナウイルスに感染したとき、どんな事態に直面するのか。感染した人や家族の話を通して、その一端を知るため、NHKが行ったインタビューの内容をできるかぎり詳細にお伝えします。

 

以下は、取材記事を下敷きとし、加筆や編集部分は赤もしくは緑文字として区別しました。

症例7:母の死 親戚にさえ言えず(その6)

 

第7節:“コロナ後”の不安

母親の死後、女性が今、最も心配しているのは80代の父親のことだ。感染が確認され1か月入院。回復したため退院する見込みだが、入院中に体が弱ってしまった様子だという

 

退院になりますって言われて、今はとっても困っています。どう考えたって80代で1か月ベッドにいたら動けるわけはないので、その人をどうやって家で見ていくのか(註:課題1)


(父母どちらか)1人になった時にはいろいろ考えなきゃいけないっていうのは常々、姉と相談していたところなんで。私が腹をくくれるか、どこまで面倒みられるかっていう、今はその葛藤しかないですね。悲しみよりも、そっちの葛藤ですね。

 

変な言い方ですけど、亡くなってる人よりも生きてる人のこと考えなきゃって。みんなが健康になって出てくるわけではないですよね。

 

復帰してきた人たちを今度どうするか(註:課題2)。退院して来ましたっていう人たちを受け入れられるのか、うちの父みたいに寝たきりになってしまうかもしれない人たちを、ちゃんと受け入れてくれるのか。

 

復帰してきた人たちを社会はどういうふうにしてくれますか(註:課題3)っていうところも考えてもらいたいなってすごく思ってます。

 


コメント:

この最後の節では、誰もが取り組んでいかなければならない大切な課題が投げかけられています。

課題1は、当事者としてできることの範囲、

課題2は、社会の一員としての視点から、

課題3は、個人の努力では賄いきれないことは社会一般(ボランティア、地域共同体、自治体をはじめとする行政)に期待せざるをえないという立ち場からの問いかけのように思われます。

皆様は、どのようにお考えですか。

一人で考え込んでも容易に答えが出ない課題ではないかと思います。皆で話し合うべき課題であって、そうした機会を積極的に見出していくことが最初の課題なのかもしれません。

 

<この項終わり>

ポルトガルと「欧州半期」によってEUの構造を再認識する!No2

 

No.1はこちら

 

リスボンに本社を置くポルトガルのDiaríos de Noticías紙から

 

Dúvidas que vêm de longe
疑心暗鬼

 

Há cerca de um ano, num documento de trabalho de apoio à análise da comissão sobre os desequilíbrios macroeconómicos, a CE também criticava de forma frontal a falta de investimento na saúde pública, por um lado.

約1年前、欧州委員会のマクロ経済の不均衡に関する分析を支援する作業文書の中で、EC(註2)は公衆衛生への投資が不足していることも正面から批判している。

 

註2:

EC(葡:CE)はEUの三本柱の一つであり、欧州共同体と訳される。加盟国が自らの権限を放棄し、これをECに委譲している分野がある(なお、そうではない政策分野・案件もある)こうしたECの超国家性は、その他にも、ECはその機関や加盟国に対してだけではなく、EU市民や第三者に対しても権利・義務を与えることができる点に見出せる。一般の国際機関には、このような権限は与えられておらず、個人に権利・義務を賦与するのは、国家の権限である。加盟国はこの権限をECに委譲した考えることができる。

 

Mas, ao mesmo tempo que pede mais investimento, a CE diz que há problemas financeiros que devem ser acautelados. Nesse mesmo trabalho de fevereiro de 2019, os técnicos da Comissão referem que "a sustentabilidade financeira no curto prazo do sistema de saúde continua a ser preocupante" e que "embora as despesas de saúde em Portugal tenham sido inferiores à média da UE, o seu aumento no longo prazo deverá ser um dos maiores da UE".

しかし、ECはさらなる投資を求めると同時に、金融面での問題があるとしている。同じく2019年2月の作業では、欧州委員会の専門家は「健康システムの短期的な財政的持続可能性が依然として懸念されている」とし、「ポルトガルの健康支出はEU平均を下回っているが、長期的にはその増加はEU最大級のものになる可能性が高い」としている。

 

A CE também sublinhou nessa altura "a necessidade de investir no Serviço Nacional de Saúde continua a ser substancial, tendo em vista a construção de novos centros hospitalares, o reforço dos cuidados de saúde primários e a atualização dos equipamentos médicos" e que "subsistem desigualdades no acesso aos cuidados de saúde".

ECはまた、その際に「新しい病院センターの建設、プライマリ・ヘルスケアの強化、医療機器の革新を視野に入れた国民健康サービスへの投資の必要性は依然として相当高い」と強調し、「医療へのアクセスにおける不平等は依然として残っている」とした。

 

Centeno responderia a isto já em janeiro deste ano, dizendo, como referido, que o investimento no SNS cresceu 17% em 2019, "atingindo o máximo desde pelo menos 2012".

センテーノは、今年の1月にすでにこれに反応するだろう、言及したように、NHSへの投資は2019年に17%成長し、「少なくとも2012年以来最大に達した」と言った。

6月7日(日)

―声がある。対話がある。可能性がある。―

 

存在が見えない、よくわからない相手と、いつまでお付き合いしたら良いのか、
さっぱりわからない状況の中に私たちは生きています。
これは、とてもストレスフルな状況です。

 

私たちは、これまで、ウイルスをテロリストのような敵とみなし、外交交渉なしに、あたかも全面戦争のような構えで、いきなり戦いを挑んできました。しかも、ほとんど徒手空拳の状態で、見えない相手と必死に戦っているように見えます。ここで改めて考え直してみませんか?

 

私たちが戦っている相手である、その病原体は自らの意志をもつ生命体ではありません。

意志を持たず、生命体でもないにものとされています。

 

本当でしょうか?このことを考える前提として、意志と物質について考えてみます。
ところで地球上のあらゆる物体は、無機物か有機物かのいずれかに分類されます。
無機物とは水・空気・鉱物類およびこれらを原料として作った物質の総称です。
これに対して有機物とは「生物に由来する炭素原子」を含む物質の総称です。
つまり、炭素を含む物質でも生物に由来していなければ有機物ではないということです。

 

それでは、生物はそのいずれによって構成されているのでしょうか?
生物であるというためには有機物の存在は必須ですが、
酸素と水とかの無機質がなければ、
人間は生命活動を維持することはできません。
水氣道は、無機物のなかでも最も身近な水や空気を用いて、
私たちの心身の健康増進を続けています。
別の言い方をすれば、水氣道は最もシンプルなエクササイズの一つであり、
私たちの身一つで無機物世界と直接対話しているのです。

 

水氣道の活動を続ける中で得られた価値ある気づきは、
シンプルなものの中にこそ大きなエネルギーが潜んでいるということです。
それは未知なる相手との対話の可能性の扉を開き、
さらに困難を克服することができる可能性が宿しているということです。
一言いえば「神は微細に宿る」ということです。

 

私はこの発想から、身一つで成立する、最もシンプルな芸術として、声楽に目覚めたのです。
それが「聖楽院」構想の始まりなのでした。

 

緊急事態宣言の期間中、「聖楽院」の活動予定のほとんどをキャンセルせざるを得ませんでした。しかし、まったくすべての活動を停止させていたわけではありません。

 

新たにyoutube発信活動を始めました。

 

『藝術歌曲 小倉百人一首No2.トスティ50番(高声)で歌う』

 

に収録された5人の声楽家に、収録曲の中からそれぞれ1曲をチョイスしてyoutube
用に編集し配信できるようする、という計画です。

 

 

取材報道<NHK特設サイト 新型コロナウイルス>から学ぶ5症例の研究

 

症例が増え7症例目に入ります。

 

新型コロナウイルスに感染したとき、どんな事態に直面するのか。感染した人や家族の話を通して、その一端を知るため、NHKが行ったインタビューの内容をできるかぎり詳細にお伝えします。

以下は、取材記事を下敷きとし、加筆や編集部分は赤もしくは緑文字として区別しました。

症例7:母の死 親戚にさえ言えず(その5)

 

第6節:職場に戻れるのか

女性の夫は母親の感染が分かってから1か月以上、仕事を休まざるを得なくなった。一時は仕事をやめることも考えたという

 

(妻の)母が入院した時に「会社をしばらく休ませてもらいます」っていう話をしたんですね。

コロナが陽性だって分かって会社に伝えたとたん、私ももう感染者扱いですね。時系列に細かいことを聞かれて、もう、どこまで説明すればいいのかって。

母親が亡くなった時もちょっと報告が遅れて、それで怒られたりもしたんですけども。その時に上司に、「お通夜がいつだ、葬儀はいつだ、どこでやるんだ」っていうのを言われて。

なんかもういらだちじゃないですけど、そんなことできないじゃない、できないし、
母親に対してもね、そういうことやってあげられないのがやっぱり苦しいですよね。そういうことまで全部詳しく説明して。一時期は、なんかもう会社に行けないんじゃないかっていう不安もあったし。

ようは1か月仕事していないなかで、やっぱり仕事もどんどん変わっていくし、私も部下を持ってるわけですけど、私がいない分、部下が私の分まで働いてるんで、部下に対しては申し訳ないなと。(会社に)行って何をするのか、今まで通りにできるのかっていうのは、もう不安なんです。

もう辞めてね、いちから違う仕事も、と考えはするんですけども、なんせその齢は齢なんで、それはできない。どうしても働かないと家族を養えないので、今まで通り働けていけるようになれたらいいなと思ってます。

 

コメント:

これだけ気兼ねをしてしまうのが、日本人に特有な気質の一つなのかもしれません。他者に気を配ることが出来るのは美風ともいえるし、外国のような罰則で強制されなくても、自主的に外出制限を守ることができる民族であることも誇るべきことではあります。しかし、同調圧力という言葉も、Covid-19の流行と共にすっかり馴染みの言葉になってきました。他者の人権を過剰に制限する行き過ぎた規制が個人レベルで行われていることはとても残念です。

 

私が中南米諸国の中からアルゼンチンを採り挙げたのは、現ローマ法皇フランシスコの出身国であるからです。そして、フランシスコというよりイエズス会は昔から中国との関係が濃いからです。
 

フランシスコは2018年9月の合意の一環として、中国政府によって任命された司教7人を承認しました。これには私は深い失望を覚えました。

 

カトリック香港教区の陳日君枢機卿は「(教皇は)中国の体制を理解していない」「私が風刺漫画家なら、教皇がひざまずき、中国の習近平国家主席に天国の鍵を差し出して、『どうか私を教皇として認めてください』と言っている絵を描くだろう」などと批判しましたが、全く同感です。

 

中国では政府公認の宗教団体しか許されませんが、これを嫌って非合法の「地下教会」に入会する信者が多く存在します。いわば中国版の「隠れキリシタン」です。

地下教会の信者は、事あるごとに中国共産党から弾圧を受けており、時には聖書や十字架の破棄、教会の閉鎖、信仰を放棄させる書類への署名などが日常的に行われ、時に逮捕されて刑務所に何年も収監されることすらあるようです。 

 

フランシスコはこの地下教会の信者を念頭に「彼らはこれからも苦しむだろう」「和平合意が結ばれる時は、双方とも何かを失うのが通例だ」と語り、弾圧よりも対中関係を優先したと受け止められかねない発言をしており、中国の地下教会信者は大いに失望したことでありましょう。そのツケが、今頃になって表れてきました。イタリアでは罪のない多くのカトリック聖職者が新型コロナ肺炎に殺されることになったのです。

 

さてアルゼンチンの政府は国民のために具体的でわかりやすい感染予防ガイドを公表しています。私たち日本人にとっても大いに役立つ情報ですので、訳出してお伝えします。

 

詳しくはこちら

 

Recomendaciones para el manejo higiénico de los alimentos

食品を衛生的に取り扱うための推奨事項

 

___________________________

 

Para prevenir esta y otras enfermedades, es importante que tomes medidas para evitar la contaminación de alimentos.

この病気をはじめその他の病気を予防するためには、食品の汚染を防ぐための対策をとることが大切です。

 

Lavate las manos:

手を洗いましょう。

 

Antes y después de manipular los alimentos, lavate correctamente las manos con agua potable y jabón, o con un desinfectante de manos a base de alcohol.

食品を扱う前と後では、石鹸と水、またはアルコール系の手指消毒剤できちんと手を洗いましょう。

 

Limpiá y desinfectá:

清潔にして消毒しましょう。

 

 Lavá con agua y detergente utensilios y superficies de preparación antes y después de manipular alimentos. Desinfectá con una solución de agua con alcohol en proporción 70/30 o 10 ml (2 cucharadas soperas) de lavandina en 1 litro de agua. Debe ser lavandina de uso doméstico (con concentración de 55 gr/litro). De utilizar una lavandina comercial con concentración de 25 g/l, colocá el doble volumen de lavandina para lograr una correcta desinfección. Preparala el mismo día que vas a usarla, si no pierde poder desinfectante.

 食品を扱う前後に、調理器具や調理面を水と洗剤で洗う。水1リットルに漂白剤10ml(大さじ2)を70/30の割合でアルコールを加えた水溶液で消毒する。家庭用漂白剤(濃度55g/リットル)であること。市販の濃度25g/lの漂白剤を使用する場合は、2倍量の漂白剤を入れて正しい消毒を行いましょう。殺菌力が落ちないように、使用する日と同じ日に用意しましょう。

 

 Lavá con agua y detergente vajillas y cubiertos antes de usarlos para servir alimentos.

皿や食器類は、料理に使う前に水と洗剤で洗いましょう。

 

 Tomá platos, cubiertos y fuentes por los bordes, cubiertos por el mango, vasos por el fondo y tasas por el mango.

皿や食器類は縁(ふち)側に、グラスは底側に、コップは取っ手で覆うように取ります。

 

 Limpiá y desinfectá varias veces al día instalaciones y espacios que utilizás para preparar/almacenar alimentos (mesadas, heladera, electrodomésticos).

食品の準備・保管(カウンター、冷蔵庫、家電製品)に使用する設備やスペースを1日に数回清掃・除菌します。

 

 Para el almacenamiento de los alimentos, recordá siempre que antes de guardarlos, tenés que higienizar envase por envase. Esto podés realizarlo con un paño húmedo embebido en una solución desinfectante.

食品を保存する場合は、保存前に必ず容器ごとに除菌することを忘れないようにしましょう。これは、消毒液に浸した湿った布で行えます。

 

 Tanto en la alacena como en la heladera, consumí primero lo que tenga una fecha de vencimiento más cercana.

食器棚の中と冷蔵庫の中の両方で、賞味期限により近づいているものを最初に消費します。

 

 Seleccioná frutas y verduras limpias, enjuagándolas con agua para eliminar tierra e impurezas. Luego, podés desinfectarlas sumergiéndolas en agua con 1,5ml (media cuchara de té aproximadamente) de lavandina por litro de agua (dejando actuar 20 minutos). Debe ser lavandina de uso doméstico (con concentración de 55 gr/litro). Volvé a enjuagar bien con abundante agua antes de consumir.

きれいな果物や野菜を選び、水洗いして汚れや不純物を取り除きます。その後、水1リットルあたり1.5ml(小さじ1/2杯程度)の漂白剤を入れた水に浸けて(20分ほど放置して)消毒します。家庭用漂白剤(濃度55g/リットル)であること。食事をする前にたっぷりの水でもう一度よくすすぎます。

 

 

「基本的秘策第2弾:生薬配合マスクの威力!」No1の予定でしたが、内容を変更いたしました

 

昨日、日本心療内科学会から「2020年度日本心療内科学会理事・評議員選挙 評議員選出のお知らせ」が届き、評議員に選出されました。

 

任期は2年で2020年10月1日から2022年9月30日までです。

 

私は、すでに日本心療内科学会の評議員に選出されて何期かを努めた経験があります。

最後は、さる理事から不本意な扱いを受けたことを理由に退任願いを提出して辞任したことがあります。その後、数年を経て、諸問題が明かになり、解決するに至りましたが、評議員に復帰することなく過ごしておりました。

 

この間、私を評議員に推す先生方が増えたことに加えて、この度の世界的疫病Covid-19に対して、心療内科の指導医として果たすべき責任の大きさを改めて痛感したことも加わり、就任を承諾することにした次第です。一開業医である私は、登録医あるいは専門医の資格でさえ過分であって、学会の役員は大学病院あるいはそれに準じる大病院の専門医に委ねれば十分であると考えておりました。

しかし、実質的な医療崩壊現象に直面することによって、自分のクリニックに「巣籠り」したまま、所属機関に受動的に参加しているばかりでいるのは極めて無責任かつ卑怯な態度なのではないかと思い直すに至りました。

 

心療内科医はプチ精神科医ではありません!心療内科医はまず、内科医としての十分な臨床的実力が備わっていることが前提であることを広く世間の皆様に理解していただきたいと考えています。

そのために有力な見識としては、いわゆる西洋医学はもちろんのこと東洋医学(中医学・漢方など)に精通している必要があると考えています。

また薬物療法だけではなく、非薬物療法全般(生活習慣訓練、臨床栄養学、運動療法学、心身医学など)の効果的実践とストレスマネジメント、自然災害や疫病等による集団的パニックの予防にも長けている臨床家であるべきだと考えています。

 

水氣道®、聖楽院さらに新型コロナ対策(「生薬配合マスク」を含む)も私が考案した日本発信の新しい心身医学の具体的展開例であるということを改めて申し上げたいところです。

 

そこで改めて、評議員とは何かについて再吟味してみることにしました。

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特定非営利活動法人日本心療内科学会 役員及び評議員選任規程

第 1 章 総則

(適用)
第 1 条 特定非営利活動法人日本心療内科学会(以下「この法人」という)の役員及び評議員は,定款及び定款細 則に定められたことのほかは,この規程によって選任される.
⇒コメント:役員及び評議員とあることから評議員は学会の役員の範疇外であることがわかります。役員とは、理事、監事などの役職に就任している方々です。

 

第 2 章 評議員の選任

(定数)

第 3 条 定款第 21 条に定める評議員の定数は,選挙が行われる年度当初の正会員数の 15%以内の数とし,その内,各支局に属する正会員の 15%以内を支局の定数として改選の都度理事会で決定する.

 

2 評議員の選任は,選挙によるもののほか,定数の一部は推薦によることができる.

 

3 推薦による評議員の数は,第 3 条第 1 項に定めた評議員定数のおおむね 10%以内とする.

 

⇒コメント:

評議員の定数は正会員の15%以内であり、選挙か推薦で選出されると規定されています。私は「理事・評議員選挙」において「評議員に選出されました」との文書により選挙で選出されたことが確認できました。

 

(評議員の被選挙資格者)

第 6 条 評議員の選挙における被選挙資格を有する者(以下「被選挙資格者」という)は,選挙が行われる年度の 10 月 1 日時点において継続して 4 年以上の会員歴を有し,かつ選挙が行われる年度の 12月 1 日までに会費 を全納した 75 歳未満の正会員とする.ただし,選挙の日までに退会した場合はその資格を失う.

 

⇒コメント:

仮に私が今後も継続して評議員を続ける意思があったとしても15年(実際には最大7期14年間)が限度であるということを確認しました。これだけの時間が確保できれば、何らかの有意義な貢献ができるかもしれません。

 

2 被選挙資格を放棄する者は,委員会が告示した日までに書面で委員会に申し出るものとする.

⇒コメント:

今回は就任を承諾することにしました。

 

 

(当選の決定及び結果の公表)

第 11 条 地方支局ごとに得票数の最も多かった者から,順次,支局の定数までの被選挙資格者を当選者とする.

⇒コメント:

私は関東支局に属しています。

 

2 得票数が同数の者のうち,ある者だけを当選者としなければならない場合は,原則として専門医,登録医,会員歴の順に優先して順位を定める.

⇒コメント:

同数票の場合、上位の資格保持者が優先される制度です。
実際には、指導医>専門医>登録医の序列があります。

 

3 当選者が決定したとき,委員会は,直ちに当選者にその旨を通知する.

 

4 委員会は,選挙の結果を理事会に報告し,理事会は,当選者を会員に公告する.

 

5 委員会は,選挙立会人が記名・捺印した選挙録を作成して保存し,会員から請求があれば,これを開示する.

 

(推薦による評議員の選任)
第 15 条 第3条第2項に規定した推薦による評議員は,業績並びに専門性などの学会運営上の必要性を考慮して, 理事長が推薦し,次条第 1 項により選出された理事によって構成され会議を経て選任する.

 

コメント:

推薦による評議員とは、被選挙権がない、もしくは選挙での得票数が不足しているにもかかわらず、「業績並びに専門性などの学会運営上の必要性」があると認められる会員の中から選任されるということのようです。私自身は選挙による選出ですが、今後は、むしろ開業医でありながら「業績並びに専門性などの学会運営上の必要性」が認められるような存在モデルとなることを心がけて精進したいという気持ちです。

 

第 3 章 理事及び監事の選任

(理事の選任)
第 16 条 理事は,この規程によって実施された評議員選挙において得票数の多かった選出評議員の中から,次の各 号の要件を満たす者を,上位より,地方支局毎にその定数までを選出理事当選者とする.

(1) 原則として,本学会入会後 5 年以上学会活動に参加している評議員であること.

コメント:

私に関しては、近年は評議員ですらなかったので、今回役員に選出されることまでは想定せずに済みました。

 

(2) 原則として,医師の場合は指導的役割を担う本学会認定専門医であること.

コメント:

私は本学会認定専門医であり、指導医資格を保持していますが、「指導的役割を担う」までの活躍には至っていないというのが率直な自己評価です。

 

(3) 原則として,上位の選出評議員が同一施設に所属している場合は最上位者1名を選出する.


取材報道<NHK特設サイト 新型コロナウイルス>から学ぶ5症例の研究


症例が増え7症例目に入ります。

 

新型コロナウイルスに感染したとき、どんな事態に直面するのか。感染した人や家族の話を通して、その一端を知るため、NHKが行ったインタビューの内容をできるかぎり詳細にお伝えします。

 

以下は、取材記事を下敷きとし、加筆や編集部分は緑文字として区別しました。

症例7:母の死 親戚にさえ言えず

 

症例7(その4)

第4節:親戚にすら話せずにいる

母親の死から1か月。女性はまだ親戚にさえ、亡くなったことを知らせていないという
まだ主人の家族は誰も知らないですよね。私と姉のところの家族。でも姉の子どもたちはまだ知らないですよね。私のすごくすごく仲の良い友人たちだけですね、知ってるのは。親戚にもまだ言ってないです。


お葬式もまだできないですよね。結局まあ、田舎の古い人たちなので、亡くなったらやっぱりちゃんとしなきゃいけないじゃないですか。でもいざ来るとなっても、来られないですよね、今、コロナで。来てもらっても、その人たちのリスクはこちらは負えないので、それ(葬式)はなしにしようっていうのが姉との話なので。

 

コロナが落ち着いてから「実は亡くなりました」という報告だけでいいんじゃないと話はしています。親戚も、お歳をとった方ばかりなので、それで承諾してもらうしかない。

近所の人にも伝えていない

ご近所で町会費を集めなきゃならないっていう話になって、「(母親を)見ないね」って言われたので、「ちょっと具合が悪いので入院しています」って言ったら何も聞かないんですね、その後は。「どうしてる?」って言ってた人もいましたけど「うん、入院してる」で、その後スーっていなくなっちゃうので。

 

だから、うすうす分かってるんじゃないかなって思います。だって、お線香のにおいはするじゃないですか。今までしなかったにおいがするから、何かあるなっていうふうには思われてるだろうなって思うけど、それ以上、皆さんお聞きにならないので、そのままにしています。

 

(高齢の両親と)同居しているの(近所では)うちだけだったりするし、会うたんびに「お父さん、どう?お母さん、どう?」っていう会話をしてたところはあるので、ちゃんと言わないといけないなって自分の中では思いますけど。まだ、ちょっと…。

 

コメント:

今週に入って、私の所にも訃報が2件程入ってきました。

御一人は89歳男性、医師で生化学研究者の方でした。お酒が大すきな方で長く糖尿病を患っている方でした。

顧問をしていらした研究所に勤務されていた頃は、通勤途上の「高円寺南診療所」に定期的に受診されていましたが、勇退後は近医に移られていました。

長いお付き合いでしたので、季節ごとのやりとりはしておりましたが、今年の3月に肺炎のため急逝されたとのことでした。


もう一方も男性で、かつてヘビースモーカーで狭心症から心筋梗塞となり、紹介先の病院の精密検査によって食道がんが見つかり、手術を経験された方で88歳でした。

この方は、その後、心臓専門の病院に転医していただき長期のアフターケアを続けておられたようですが、やはり最近、急逝されたとのことでした。

たまたまご自宅から外出される奥さまからうかがったのですが、原因疾患については触れてほしくない素ぶりでした。憶測にすぎませんが、新型コロナ肺炎であった可能性は否定できません。

 

基礎疾患のコントロールは大切です。

お二人とも、複数の生活習慣病を患っていました。それにもかかわらず、その後の継続的な健康管理によって、男性の平均寿命を越えて90歳近くまで元気で過ごせたことの意義は少なくなかったのではないか、と考えます。

 

 

第5節:“罪悪感たっぷりの病気”

母親が感染して亡くなったことを、なぜ話せないのか。女性が語ったのは、感染した人に対する周囲の視線についてだった

今、ネット社会なので、そういうのですよね。報道見てるとすごいですもんね。

医療従事者のお子さんが保育園に入れないとか、医療従事者の方が帰れないとか、帰ってくるなとか、そういうことを見ていくと、世の中ってそんなに差別がある(差別というより、偏見でしょうか。しかし、全く根拠のない理由による偏見ではないところが難しい所です)んだと思ったら言えなくなっちゃう。


陰で一生懸命やってる人たちがあんなに苦しんでるのを見聞きしちゃうと、そんなに大変な病気なんだっていうか、そんなことで言われるんだったら、じゃあ亡くなった本人や私たちだったら、もっとされちゃうんだろうな。じゃあ、言えないなっていう。やっぱり後ろめたい病気なんでしょうね。


何かすごく、かかっちゃいけない病気にかかっちゃったっていうのかな。世間的にコロナの病気が罪悪感たっぷりの病気だから言えないかな。


インフルエンザにかかっただけでも世間って嫌がるじゃないですか。インフルエンザでも嫌なんだから、コロナってもっと嫌だから言えないですよね。

 

何もしていないのにかかっちゃったけど、これだけコロナが悪者にされてると、なった方は悪者になっちゃうじゃないですか。何か世間が悪者にしているっていうか、うん、敗者にさせられてる。勝者と敗者じゃないですけど、勝ち組、負け組じゃないけど、負け組にさせられてる。

 

一方で、女性はその気持ちを否定しきれないという

どういうふうに説明したらいいか、よく分からないんですけど、差別する気持ちってたぶん誰にでもあるって…。

なんだろうなあ。人間の上下をつけるじゃないけど、かかってない人は偉い、かかっちゃった人は偉くないじゃないけど、下に見てるみたいな。人間、どうしても順位をつけたがるような気がするんですね、私はね。

 

でもそう考えると、(誰かが)コロナにかかっちゃったって聞いたら、たぶん、距離感を保ってたと思います、自分も。「えー何やっちゃってんの」とか、「ぷらぷら歩いてるからだよ」ってすごく思うと思うんですよ。

 

コメント:

一人称としての振り返りだけでなく、二人称あるいは三人称の時限に身を置いて振り返っていらっしゃることに敬意を表します。

三人称複数形で、一般論として話しをすることができない日本人も少なくありません。

皆で何か大切な概説的な話し合いをしようという時に、「私は・・・」といって客観的、一般的な議論から外れてしまいがちな方も少なくありません。

 

<明日へ続く>

週間<外国語>旅行

La Chiesa in uscitaの謎に迫る

 

La conversione antropologica è fatta di attenzione ai ceti meno abbienti delle desolate periferie urbane, ma anche di un rinnovato e massiccio investimento sulla pastorale del ceto medio e dei giovani

人類学的な転換は、荒涼とした都市周辺部の非富裕層への注目と、中産階級や若者の牧会的ケアへの新規の大規模投資から成り立つ。

 

_______________________

 

Torna in mente «l’eclissi del senso di Dio» di cui proprio Benedetto XVI parlò in una sua omelia del giugno 2010. E non c’è dubbio che questo scenario di secolarizzazione trovi il suo terreno più fertile nell’ambiente spesso disumanizzante delle grandi città, con i centri praticamente ridotti a luoghi di uffici, negozi e movida, i quartieri dormitorio preda di individualismo mascherato da privacy e le immense periferie ghetto dove quasi sempre a farla da padrone sono degrado, devianza sociale e ogni genere di povertà. Del resto – come ricorda Luca Mazzinghi nel saggio 'Abitare la città', edizioni Qiqajon – la prima volta che la Bibbia parla di una città (Genesi, 4,17) è per far notare che il suo fondatore fu Caino, quasi a connotare subito negativamente ogni agglomerato urbano. In generale poi nella Scrittura la città ha una natura ambivalente. Da un lato Babilonia co- me luogo della ricchezza, dell’idolatria e del peccato, dall’altro la Gerusalemme celeste che appare come il compimento della storia della salvezza.

ベネディクト16世自身が2010年6月の説教で語った「神の意義の衰亡」が思い浮かぶ。そして、この世俗化シナリオは、大都市の非人間的な環境の中で最も実り多い場所を見つけていることは疑いの余地はない。都心は実質的にオフィスやショップ、ナイトライフの場所に縮小され、住宅地の近所はプライバシーを装った個人主義の餌食となり、広大なゲットー郊外は劣化、社会的逸脱、あらゆる種類の貧困が常に支配している。さらに、ルカ・マッツィンギが論評「Abitare la città(都市に住む)」(Qiqajon版)の中で回想しているように、聖書が初めて都市について記述しているのは(創世記4,17)、その創始者がカインであったことを指摘するためであり、ほとんど否定的な意味での都市の集積を意味する。一般的に聖書では、都市はアンビバレントな性質を持っている。バビロンは富と偶像崇拝と罪の場である一方、他方では救いの歴史の成就として現れる天のエルサレムでもある。

 

Al primo aspetto, il panorama di progressiva alienazione urbana, anche cinema e letteratura hanno dato largo spazio, e non da ieri, se solo si pensa a classici come 'Metropolis' di Fritz Lang o a pellicole più recenti come 'Un giorno di ordinaria follia ' e 'Collateral' (in quest’ultima si racconta di un uomo morto sulla metropolitana di Los Angeles di cui ci si accorge solo dopo innumerevoli corse da un capolinea all’altro). Senza dimenticare l’inquietante previsione di 'Fahrenheit 451', la crisi esistenziale, educativa e sociale tratteggiata da Salinger ne 'Il giovane Holden' o, per venire all’Italia, il riso amaro del 'Marcovaldo' di Calvino. Perciò il Papa che alla letteratura e al cinema fa riferimento anche nei suoi discorsi ha certamente ben presenti queste dinamiche quando, nel discorso alla Curia afferma: «Nelle grandi città abbiamo bisogno di altre 'mappe', di altri paradigmi, che ci aiutino a riposizionare i nostri modi di pensare e i nostri atteggiamenti». Le stesse parole disse il 27 novembre 2014 ai partecipanti al Congresso internazionale della Pastorale delle grandi città. E non è difficile scorgervi il substrato dell’esperienza pastorale di arcivescovo di una megalopoli come Buenos Aires, poi rifluita nei già citati numeri della Evangelii gaudium (alcune pagine particolarmente belle del magistero 'metropolitano' di papa Bergoglio sono rintracciabili nell’antologia intitolata 'Poveri', pubblicata dall’Editrice Ave con l’introduzione del cardinale Oscar Rodriguez Maradiaga).

都市疎外の進行という展望の最初の側面は、映画や文学も十分に取り扱われているが、それはつい昨日からのことではない。フリッツ-ラングの「メトロポリス」のような古典的なもの、あるいは、「普通の狂気の日」と「コラテラル」(後者では、ロサンゼルスの地下鉄で死んだ男の話がありますが、その死はあるターミナルから別のターミナルへの数え切れないほどの移動の後にやっと気づかれたという話)のような、より最近の映画が思い浮ぶ。

『華氏451』の不穏な予言、すなわちサリンジャーが『Il giovane Holden』で扱った実存的、教育的、社会的危機、あるいはイタリアではカルヴィーノの『Marcovaldo』の苦い笑いを忘れることがないように。そのため、演説の中で文学や映画にも言及した教皇は、法王庁での演説の中で次のように述べている:「大都市では、他の『地図』や他のパラダイムが必要であり、それは私たちの考え方や態度を再構成するのに役立つ。2014年11月27日に開催された「大都市の牧会に関する国際会議」の参加者に向けられた言葉と同じである。そして、ブエノスアイレスのような大都市の大司教の司牧的な経験の根底にあったものを、前述の『エヴァンゲリイ・ガウディウム』の問題に反映させて読み取ることは難しくない(ベルゴリオ法皇の「大都市」司牧の特に美しいページは、オスカー・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿の紹介付きでエディットリス・アヴェから出版された「ポヴェリ」と題された選集に見出すことができる)。

 

C'è infatti nel documento programmatico del pontificato sia l’eco dell’ambivalenza biblica rispetto al tema cittadino, sia l’attenta osservazione di un tessuto sociale che a volte si manifesta nella sua positiva interconnettività, e molto più spesso in laceranti problemi come «il traffico di droga e di persone, l’abuso e lo sfruttamento di minori, l’abbandono di anziani e malati, varie forme di corruzione e di criminalità». Accade così che accanto a «cittadini che ottengono i mezzi adeguati per lo sviluppo della vita personale e familiare», vi siano anche «moltissimi 'non cittadini', i 'cittadini a metà' o gli 'avanzi urbani'». Un concetto che Francesco avrebbe ripreso due anni dopo, nel discorso rivolto il 7 febbraio 2015 al Pontificio Consiglio per i Laici, allora guidato dal cardinale Stanislaw Rylko, nel quale parla addirittura della capacità delle nostre città di generare dentro di sé delle 'anti-città', composte di 'nonluoghi', dove si vivono 'non-relazioni' ed esistono gli 'anti-uomini'.

実際、ローマ教皇庁のプログラム文書の中に、都市というテーマに関する聖書的両義性を反映させています。時として肯定的な相互関連性の中で、より多くの場合、より深刻な問題として現れる社会構造を慎重に観察すると、「麻薬や人身売買、未成年者の虐待や搾取、高齢者や病人の遺棄、様々な形態の腐敗や犯罪」のような、両方の側面がある。このように、「個人生活や家庭生活の発展のための適切な手段を得た市民」のほかに、「非市民」や「半市民」、「都市部の残党」も多数存在することになる。この概念は、2年後の2015年2月7日、当時スタニスワフ・リルコ枢機卿が率いていた教皇庁の信徒評議会での演説で、フランシスコが再び取り上げたもので、「非関係」が生き、「反人間」が存在する「非場所」で構成された都市が、それ自体の中に「反社会」を生み出す能力を持っていることにまで言及している。

 

コメント:

都市のもつ善悪の二面性は必然的なものなのでしょうか。徳川時代の江戸という当時世界最大の都市は、ここで描かれているような甚だしい悪徳は見出し難いと考えます。
古代中近東や近現代の欧州の諸都市と日本の都市との違いを感じざるを得ません。

非結核性抗酸菌症

非結核性抗酸菌症(NTM)とは、結核菌以外の培養可能な抗酸菌の総称です。

 

NTMの種類は多数に及びますが、ヒトに病原性が報告されているものだけで40種類を越えます。これらの菌による感染症がNTM症です。そして、それらの大部分が肺の慢性疾患である肺NTM症です。

 

近年、肺NTM症は世界的に増加しているようですが、結核のような正確な統計がありません。わが国では、2014年の疫学調査によると、肺NTM症の罹患率は10万対14.7と、結核を凌駕する勢いで増加しています。この疾患は難治で長期管理が必要なため、外来患者数は増加の一途を辿っています。

 

 日本結核病学会と日本呼吸器学会が合同で2008年に診断指針(合同診断指針)を、2012年に化学療法の見解改訂版(合同化学療法見解)を発表しています。また、2015年には日本結核病学会の編集で内外のガイドラインのまとめを中心として、標準的診療を網羅した非結核性抗酸菌診療マニュアル(診療マニュアル)が刊行されました。

 

非結核性好酸菌症とは、NTMによる慢性の肉芽腫性感染症です。

 

我が国の肺NTM症の約88%がMAC、約4.3%がM.kansasii、約3.3%M.abscessusが占めています。臨床経過、画像、組織像などは、いずれも基本的に結核と同じで、原因菌を同定しない限り鑑別できません。MACによる非結核性好酸菌症を肺MAC症と呼びます。

 

肺MAC症の確定診断後は、以下の判断材料より総合的に判断します。

・年齢:比較的若年者は早期治療が望ましい

・自覚症状:気になる自覚症状があれば治療する

・画像所見:空洞や広範囲な病変および悪化傾向、手術の可能性があれば治療する

・基礎疾患、予後:癌などの終末期に無理な治療はしない

・患者の希望・理解度:治療のためには理解が必要

 

診断後すぐに治療すべき症例(可能であれば手術も検討)

・線維空洞型の症例

・結節・気管支拡張型(NB型)でも早期治療開始すべき症例
 血痰・喀血がある症例、塗抹排菌量が多く気管支拡張病変が高度な症例、
 病変の範囲が一側肺の1/3を超える症例

 

肺MAC症は、特に基礎疾患のない50代以降の女性に多いです。主訴は慢性的な咳や痰です。肺結核との鑑別が最重要ですが、肺結核が否定されれば、特に急ぐ必要はありません。

しかし、肺MAC症の多くを占めるのがNB型で、この型の経過・予後は症例ごとに大きく異なります。多くの場合は化学療法がある程度奏功しますが、治療をやめると再び悪化するエピソードを繰り返しながら5~10年のスケールでゆっくりと進行する比較的良好な経過をとります。なかには無治療でもほとんど進行せずに10~20年を経過する例もある一方で、最大限の治療をしても4~5年のうちに病変が進行し不幸な転帰をとる例もあります。

 

治療の有無にかかわらず生活指導が大切です。十分な食事と睡眠をとり、痩せすぎないようにします。それが再感染防止策にも繋がります。引っ越し、看病、孫の世話、旅行などの際に悪化しやすいことを知っておくことが必要です。風呂場を清潔に保ち十分に乾燥させることと、土埃からの感染が推定されているので、どうしても土埃を吸う場合はマスクを着用することも必要です。

取材報道<NHK特設サイト 新型コロナウイルス>から学ぶ5症例の研究

 

症例が増え7症例目に入ります。

 

新型コロナウイルスに感染したとき、どんな事態に直面するのか。感染した人や家族の話を通して、その一端を知るため、NHKが行ったインタビューの内容をできるかぎり詳細にお伝えします。

 

以下は、取材記事を下敷きとし、加筆や編集部分は緑文字として区別しました。



症例7:母の死 親戚にさえ言えず


5月9日、13日取材 社会部 山屋智香子

 

関東地方に住む女性は4月、80代の母親を新型コロナウイルスによる肺炎で亡くしました。救急車に乗ったあと一度も会えないまま遺骨となって帰ってきた母。女性は今も母親の死を、親戚にさえ伝えられずにいると言います。

 

症例7(その3)

 

第3節:今も泣けない

みとることもできなかった母親の死を、女性は淡々と語っているように見えた

こないだ一晩だけ、ちょっと5分ぐらい、お風呂場で泣きましたけど。それは「私たちがかかんなかったら、いられたよね、ここに」っていう思いで。

「ああ、やっと泣けたなぁ」って思ったんですけど。何も見てないじゃないですか。(病院に)行ったことしか見てないでしょ?家から救急車に乗ったことしか見てないじゃないですか。苦しんでるとこも見てないし、弱っていった姿も見てないし、何もないじゃないですか。

 

だから、たぶん、わかんないんだと思う。お通夜やって、お葬式をやって、ああいうのを全部やって初めて、亡くなったっていうのを受け入れられるん(お通夜や御葬式という手続きは、遺族の魂のケアに大きく役立っているということを感じます。)だって。


まだなんとなく泣けないところがあるのはやっぱりどっかで違うって思ってるのかな?心の整理がつかない。死ぬならコロナじゃない方がよかったよねっていう後悔。

歳だから、ある程度、覚悟は私も姉もあるんです。死ぬことに関しては覚悟はできている(お年は存じ上げませんが、死ぬことに対して覚悟ができていると思われる方に、私は今まで滅多にお会いしたことはありません。もっとも、覚悟と言うのは年齢とは無関係かもしれません。90歳の半ばに達した方で、「老後が心配」と相談を受けて絶句してしまった経験があるくらいです。)んですけど、コロナで死ぬことはなかったかなっていうのは…。うまく答えられないです。ごめんなさい。


「今も泣けない」と話す女性。夫は、妻の様子をどう見ているのか。

 

私も母親を亡くしてるんですね。がんで亡くなったんで、死に目に会えて、悲しんで、お葬式もあげられて、お墓も作ってあげられて、供養もできたんですね。

今回の場合ですけれども、自分もね、支えてあげられないというか、どうしてあげられたらいいのかっていうのも分かんないまま。

やっぱり現実を受け入れたくないんですよね。

母親がね、お骨で帰ってくることが。だから、(妻が)どういう気持ちでっていうのが、自分自身も分からない状態で、どんだけ苦しんでんのかっていうのを、まだ聞くに聞けないような状況です。

 

<明日へ続く>