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今回から、事件の発端となる最初の数日の描写が展開していきます。


第2章(註:訳読者飯嶋が便宜的に区分した章立て)

 

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Le matin du 16 avril, le docteur Bernard Rieux sortit de son cabinet et buta sur un rat mort, au milieu du palier. Sur le moment, il écarta la bête sans y prendre garde et descendit l’escalier. Mais, arrivé dans la rue, la pensée lui vint que ce rat n’etait pas à sa place et il retourna sur ses pas pour avertir le concierge. Devant la réaction du vieux M.Michel, il sentit mieux ce que sa découverte avait d’insolite. 
La présence de ce rat mort lui avait paru seulement bizarre tandis que, pour le concierge, elle consitituait un scandale. La position de ce dernier était d’ailleurs catégorique : il n’y avait pas de rats dans la maison. Le docteur eut beau l’assurer qu’il y en avait un sur le palier du premiere étage, et probablement mort, la conviction de M.Michel restait entière. Il n’y avait pas de rats dans la maison, il fallait donc qu’on eût apporté celui-ci du dehors. Bref, il s’agissait d’une farce.

 

4月16日の朝、診療所を出ようとしたベルナール・リュー医師は、踊り場の真ん中でネズミの死体に出くわした。その時、彼は気にも留めずにその動物を避けて階段を降りていった。しかし、通りに出たところで、「ふだんネズミが現れるはずのない場所だ」と思い返し、管理人に注意するために引き返した。その時の管理人のミッシェル老の反応を見て、自分が発見したことがいかに不自然なことなのかを悟った。この死んだネズミの存在は、彼にとっては異様なものでしかなかったが、管理人にとってはとんでもないことであった。彼は「館内にネズミはいない」と断言していた。リュー医師は、「1階の踊り場に一匹いる。おそらく死んでいるだろう。」といくら伝えても、ミッシェル老の信念はまったく揺るがなかった。
館内にはネズミはいなかったのだから、外から持ち込まれたに違いない。要はイタズラなのである。-と。 

 

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カミュはこの作品の導入部分で、以下の哲学的な伏線を置いていました。


Ces faits paraîtront bien naturels à certains et, a d’autres, invraisemblables au contraire.<これらの事実は、ある人たちにとってはごく自然なことであり、他の人たちにとっては逆にありえないことであろう。>

 

その最初の具体的な事例<ネズミの死骸>がここで早くも描かれています。同じ事件であっても人によって受け取り方が大きく異なることがあります。それが尋常なことではないことに気づける人とそうでない人、そして気づけなかった人が気づいた人と遭遇したときに、果たして、その気づきは共有されるのでしょうか。それとも分断を招くのでしょうか。興味がそそられます。
 

 

 

Le soir même, Bernard Rieux, debout dans le couloir de l’emmeuble, cherchait ses clefs avant de monter chez lui, lorsqu’il vit surgir, du fond obscure du corridor, un gros rat à la démarche incertaine et au pelage mouillé. La bête s’arrêta, sembla chercher un équilibre, prit sa course vers le docteur, s’arrêta encore, tourna sur elle-même avec un petit cri ettomba enfin en rejetant du sang par les babines entrouvertes. Le docteur la contempla un moment et remonta chez lui.
 

その日の夕方、ベルナール・リューは建物の廊下に立って自宅に上がる前に自分の鍵を探していたが、廊下の暗がりから大きなネズミがよろけながら現れ、その毛が濡れているのを目撃した。その動物は立ち止まり、平衡を取り戻そうとしたかに見えたが、にわかに医師に向かって走り出し、また立ち止まり、小さな啼き声を上げながら回り、最後には半開きの唇から血を噴き出して倒れた。医師はしばしそれを見据えて自分の家に戻っていった。

 

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その日の朝と夕方。リュー医師が目撃したそれぞれのネズミは対照的に描かれています。それは、すでに完了して物体と化してしまった静的な死と、まさに死なんとする壮絶な戦いの後の動的な死です。これらの複数の事実を目撃しても、ある人たちにとってはごく自然なことのままであり、他の人たちにとっては逆にますますありえないことになるのでしょうか。リュー医師は、その日に遭遇した複数のネズミの死をどのように受け止めていたのかが気になります。    

 

果たして彼は、大いに関心を持ったのでしょうか、それとも無関心でいたのでしょうか。それは、次回のお楽しみです。

 

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先週は、「水戸奏楽堂」へ初訪問した記事ではなく、その帰路に通りすがっただけの「水戸芸術館」の話に紛れ込んでしまいました。
 

今週は、さっそく本題の「水戸奏楽堂」についてのお話です。水戸奏楽堂は、2014年2月に水戸市五軒町にオープンした,最大70席の「演奏者と聴衆が一体となる空間」を提供するサロンコンサートホールとして紹介されています。

 

数年前に、その存在を知ったときから注目していたのですが、10月31日の日曜日にようやく願いがかないました。なぜ、その存在が気になるかというと、「奏楽堂」という名称がもたらす言葉の余韻に魅力を感じるからなのです。

 

 

単に「奏楽堂」と言えば、日本で最初に建てられた本格的な西洋式音楽ホールが想起されます。現在でも、日本近代建築史における歴史的建造物として旧東京音楽学校 奏楽堂の名で上野公園に保存されています。2014年(平成25年)4月から2018年(平成30年)11月まで休館し、保存活用工事が実施されたあと、現在も演奏会やコンクール会場として現役で活躍しているはずです。 
 

私は、休館となる前に、この「奏楽堂」の二階にある舞台で歌ってみたい一心で、奏楽堂日本歌曲コンクールに応募したことがあります。

はじめて入館する奏楽堂の階下で声出しをした直後に、出演者以外の一般人は登ることのできない舞台へと昇り、歴史的建造物の香りに浸り、気分も大いに舞い上がったところまでは良かったのでした。

 

物珍しさで魂が奪われてしまったお上りさんは、歌唱のための最低限度のコンディションも整えず、ピアノ伴奏ともかみ合わないまま本番を歌い始めてしまいました。

 

滝廉太郎作曲『荒城の月』と山田耕筰作曲『野ばら』の2曲だったと記憶していますが、第一次予選の結果はいわずもがなの不合格。

 

とても水準の高いコンクールであるということを後になって知ったのですが、知っていたら応募しなかったと思うので、知らないでいたことによって素晴らしい思い出を作ることができたのは幸いです。

 

ちなみに、令和3年度の奏楽堂日本歌曲コンクールの歌唱部門は、新型コロナ感染の蔓延防止のため中止になったようです。私の二度目の挑戦は、65歳になる前に果たしたいと、性懲りもなく考えています。

 

 

再び脱線してしまいましたが、「水戸奏楽堂」の「演奏者と聴衆が一体となる空間」という紹介メッセージに嘘偽りはありませんでした。

 

もっともサロンコンサートホールであるからといって、直ちに「演奏者と聴衆が一体となる空間」となるとは限らないという先入観はありました。

なぜなら、空間を共有する「演奏者」と「聴衆」とのそれぞれの気質や両者の間の良好な関係性の創出が実現しない限り、建造物だけで「演奏者と聴衆が一体となる空間」は生まれないからです。

 

ですから、「演奏者と聴衆が一体となる空間」を提供するとはどのようなことなのだろうか、ということを直接体験できたのはとても良かったです。
 

 

当日の演奏家はチェロの藤村俊介氏とピアノの三亀聡子氏で、デュオのリサイタルでした。

 

おなじみJ.S.バッハ(1685-1750)の「G線上のアリアからはじまり、

シューベルト(1797-1828)、シューマン(1810-1856)、フォーレ(1845-1924)、マスカーニ(1888-1945)という流れは、そのまま欧州のクラシック音楽史さながら、時間の芸術であるといわれる音楽ですが、ここでは、さらにマクロな歴史的流れをもダイナミックに表現するのでした。

 

フォーレの「夢のあとに」やマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」は声楽家、とりわけテノールにとっては贔屓の曲であり、チェロはさながら歌うような自然な響きであり、表現が繊細で豊かに奏でられていました。

 

まるで、チェロ奏者に歌唱法の極意を教えてもらっているかのような感覚を覚えました。そこで、私はこの二曲を是非とも改めて自分のレパートリーとして確保したいと考え、さっそく稽古をはじめた次第なのでした。

 

 

演奏の合間に、藤村さんから、稽古や本番に関するいろいろな音楽のお話をうかがうことができました。こうしたお話をするには「水戸奏楽堂」のコンサートサロンはうってつけであることが理解できました。ポッパー(1843-1913)について、チェロを習う方にとって欠かせない教則本を残した方であるということを知ることができました。しかも、ポッパーのエチュード40番には卒業がなく、生涯にわたってトレーニングすべき課題であるということを伺って深く納得しました。

 

これは声楽家にとってのコンコーネ50番に通じるものがあります。生涯にわたってコンコーネ50番を続けている声楽家はそれほど多くはないようですが、レッスン生を稽古する機会のある方は、生徒と一緒に復習することを積極的に試みている超一流で賢明な方もいらしゃるようです。

 

水戸奏楽堂にはシンプルなオフィシャルサイトがあります。

 

シンプルさが品格を感じさせる中で、運営会社は株式会社 MCM 水戸奏楽堂、その代表者が渡邉 智子という方であることが紹介されています。ただ、それだけなので、かえってミステリアスな魅力が増し加わります。


水戸奏楽堂のコンセプトについて公式サイトに紹介されている

 

-チェンバロ製作家の久保田 彰氏のメッセージ「水戸奏楽堂によせて」

 

が素晴らしいです。

 

 

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厚生労働省:
こころの耳Q&A から学ぶNo2

 

厚生労働省は、

職場のメンタルヘルスに関するよくある質問と答えをまとめました
として、ホームページで、こころの健康に対してわかりやすいQ&Aを掲載しています。それに私が臨床の立場からCとしてコメントを加えてみました。

 

Q.

うつ病は再発するのでしょうか?

 

A.

うつ病は治ることが多いのですが、再発しやすいことも知られています。初めてうつ病にかかって再発を経験する人が6割、一度再発した人のうち二度目の再発をする人が7割、二度再発した人のうち三度目の再発をする人が9割といわれています。しかしながら、日常の思考・行動パターンの見直し(認知行動療法など)や内服により再発防止が出来ることもよく知られています。

 

 

C

最初に「うつ病」は一様で均質な病気でないにもかかわらず、一括りに論じて数字で割り切って回答しているのはいささか残念です。

 

うつ病の原因やタイプによって予後は大きく異なります。

 

うつ病が治りにくい原因は、治りにくく再発しやすいタイプのうつ病は性格や生活環境や習慣に結びついて発症している場合が多いからです。そして、性格や考え方を自分自身で変えるのは難しいからです。

 

私は、こうした病気を従来から<性格環境習慣病>と呼んできました。

 

 

具体例を挙げるとすれば、次に挙げるような行動や心の動きは自分で自分を苦しめ、うつ病が長引く原因になります。

 

劣等感(自分に劣等感を感じていて、いつも人と自分を比べて落ち込んでしまう)、

自責性(ついつい自分を責めてしまう)、

過敏性(人の言葉に敏感に反応してしまう)、などの他、

日常生活のリズムが乱れている人や、炭水化物に偏り過ぎる食事をしている人は、それを改めない限り寛解に至りにくく、薬剤を使用しても改善しにくい傾向があります。

 

次に、「うつ病は治ることが多い」という回答の意味する内容については注意を要します。

 

医師の理解する「治る」と患者さんが考えている「治る」には、しばしば大きなギャップがあります。

 

この回答での「治る」という意味は、高血圧や糖尿病のような「慢性疾患モデル」に立つことを前提とした「治る」だからです。

 

そのような場合に、内科医は「治る」とは言わずに、「コントロールできる」、「寛解状態を維持できる」と言うのが普通だからです。

言い換えれば、うつ病はかぜのように原状復帰できるという意味で「治る」のではなく、胃癌を手術で摘出して「治す」病気でもありません。

 

このような3つの「治る」モデルは、国際医療福祉大学福岡保健医療学部精神医学の原富英教授によって、わかりやすく提唱されています。
  

さらに、「再発しやすいこと」について、高血圧や糖尿病のような「慢性疾患」と同様にうつ病も慢性疾患であると考えれば、ケアを継続していない限り再発してしまうことは理解できると思います。

 

つまり、うつ病も寛解や症状コントロールを目標とすべき病気であるために、用心を忘れたり、必要とする継続的ケアを中断してしまったりすると、再発してしまうことになります。

 

少なくとも数年間は気を付けておかないと、容易に再発してしまいます。
  

最後に「日常の思考・行動パターンの見直し(認知行動療法など)や内服により再発防止が出来ること」はその通りだと思います。

治りにくいうつ病が存在することや再発しやすい事実は、他人の言動に過剰に反応して落ち込むことや、食生活の乱れといった心の動きや行動が習慣化して、あなたが抱える「心の痛み」を繰り返し引き起こしているからです。

ですから、根本的な症状の改善には薬だけではなく、「心の痛み」を癒すことが大切です。

 

その為の有効な方法は、継続的にカウンセリングを受けたり、心身の鍛錬を続けたりすることによって、生活習慣自分では変えにくい性格や心のわだかまりに気づき、そうすることによって、もっと深層にある、気づかないようにして過ごしてきた「心の痛み」に直面する勇気が備わってきます。

 

そこから行動面や身体面でのひずみをも是正することが可能になります。そうした体験を繰り返して、次第に経験を深めていくことによって、日々自分の周りに起きていることの悪い面ばかりでなく、良い面にも目を向ける余裕が育まれていきます。

その過程で、気分も体調も前向きに変化し、安定した性格や体質を獲得することができるようになり、本来あなたが持っていたはずの明るさや前向きさが戻り、落ち着いた気持ちで過ごせるようになります。
 

うつ病を改善するには自分の深層心理や本音と向き合うことができる環境に身を置くことが必要です。その為には落ち着いて自分の気持ちや本音を話せる相談室やカウンセリングルーム、あるいはクリニックのような環境が必要です。

 

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「水氣道における個別性の原則」について

 

個別性の原則とは「個人の特性や能力に合わせたトレーニングをしましょう」という経験則に基づく原則です。 たしかに、自分に合ったやり方がわかれば、効率的に体を鍛えることができ、継続意欲にも繋がりやすいことは経験的にもイメージし易いと思います。

 

水氣道は団体で行うプログラム運動です。水氣道が団体であるということは、一定の目的のために、人々が集まって一つのまとまりとなったものであり、二人以上の者が共同の目的を達成するために結合した集団であるということを意味します。

 

これに対して、集団とは、何らかの相互関係によって結ばれている人々の集まりを意味するに過ぎません。つまり、団体は集団より明確な共通目的があり、またそれによって相互関係の結び付きが強い人々の集まりということができるでしょう。

 

それでは、水氣道では個別性の原則は重視されないということになるのではないか、という疑問が生じても不思議ではありません。ところが、水氣道は、年齢、性別、体力、身体組成(筋肉量、体脂肪率、骨量など)、生活環境、習慣、性格など会員や入会予定者の条件を考慮してプログラムされているということは、水氣道を始めた方であれば誰もがご存じの通りです。

 

原則として、3カ月に1回(つまり、四季折々に)、会員のフィットネスチェック(体組成・体力検査)を行っています。水氣道の稽古の身体面での有効性は、このようにして個別に評価されています。また、その地道な科学的積み重ねが、他に類例を見ない水氣道ならでは稽古プログラムを確立してきたということができるでしょう。

 

それから、個別性の原則というのは、他の原理や原則と無関係に独立した原則ではありえません。水氣道の理論体系において、個別性の原則は、意識性の原則、弱点優先の原則、専門性の原則とともに<特異性の原理>を構成する一原則としています。そして、特異性の原理も<統合性の原理>や<集団性の原理>との均衡関係の中で成立するものと考えています。つまり、二者択一的で排他的な性質の原則ではないということです。

 

人は誰でも加齢に伴って生じる生理的老化から免れることはできません。しかし、それを遅らせたり、病理的老化に対して予防策を講じたりすることはできます。水氣道は理想の生涯エクササイズを追求していく中で見出すことができた健康活動ですが、残念ながら、将来、要支援状態や要介護状態に至る可能性をゼロにすることまでは望めません。そこで、むしろ、こうした現実を謙虚に受け止めることによって、まずは要支援状態に至っても継続できる身体鍛錬法であるべきことを想定して水氣道のプログラムは組み立てられてきました。

 

水氣道は、一種の集団リズム運動であると見ることも可能ですが、「要支援・軽度要介護高齢者に対する集団リズム運動が心身機能にもたらす効果」について発表された原著論文(杉浦令人ら、理学療法科学2010 年 25 巻 2 号 p. 257-264)があります。

この論文は、要支援・軽度要介護高齢者が行える『安全・楽しく・長く』を念頭に構成した集団リズム運動を、個別運動プログラムに加えた場合に、高齢者の心身機能にどのような効果をもたらすのかを検証しています。

 

その結果、個別運動プログラムだけでも下肢筋力が有意に改善しましたが、集団リズム運動を加えると、バランス能力、歩行能力、精神機能にも有意な改善がみられました。そこで集団リズム運動は高齢者の身体機能,精神機能の改善に有益な運動療法の一つになる可能性を示唆しています。

 

この論文は、個別運動プログラムという個別性の原則に基づく介入に留まることなく、集団リズム運動を加えた複合的なプログラムによる多面的な効果を示しています。

 

水氣道もこれと同様に個別運動と集団リズム運動との複合プログラムであることから、個別性の原理を包含する運動であると理解することができると思います。

『安全・楽しく・長く』を念頭に、という考え方は水氣道においても共通するスローガンです。

 

また、「自閉症児の水中運動における個別支援活動と課題達成の関連性」という興味深い実践研究論文(藤澤智子ら、水泳水中運動科学2007 年 10 巻 2 号 p. 31-37)があります。

 

この研究グループは、水の運動が自閉症スペクトラム障害(ASD)児の社会性だけでなく運動能力のエンパワーメントにつながるという仮説のもと,水治療法を推進していました。

その結果、ASDの子どもたちの達成度は、初級クラス、中級クラスともに健常者の達成度とほぼ一致するという結果をえています。これらの結果は、水治療法のように、個別支援と課題の順序付けの活動が実践的な方法であることを示唆しています。

 

水氣道における個別性の原則に基づく個別運動は、集団運動に対立する概念ではなく、むしろ両者が相互に補完関係にあるなかでの原則であると理解していただくのがよろしいです。


新型コロナウイルス感染症にイベルメクチン処方(フランス・ソワール誌)No2
新型コロナウイルス感染症の予防と初期治療のためにイベルメクチン(ストロメクトール®)を使用することについて世界中で議論されています。今回の情報は今年の4月2日のフランス誌の記事で、最新情報ではありませんが、ポルトガルでの興味深い話題です。患者への取材が活かされていて、また、英文紙からの引用もあり、とても説得力があります。先週の前篇に続き、本日は後編です。
Une patiente, Maria Madalena Cotovio, témoigne : « Après deux jours de prise d'ivermectine, mon mari, âgé de 71 ans, s'est réveillé sans fièvre. J’ai tout de suite attribué cette amélioration au médicament car il ne prenait rien d'autre. J'ai été très surprise et en même temps soulagée ».
患者のマリア・マダレーナ・コトビオさんは、「イベルメクチンを服用して2日後、71歳の夫が発熱もなく覚醒しました。彼は他に何も飲んでいなかったので、この改善はすぐに薬のおかげだと思いました。とても驚きましたが、同時に安心しました。」と証言する。
Le quotidien en langue anglaise Portugal Resident a publié une enquête dans laquelle il a cherché à savoir quel était le pourcentage de médecins qui donnent ce traitement à leurs patients. Il apparaît qu’un praticien sur deux utilise ce médicament antiparasitaire, encouragé par l’Ordre de Médecins. « Ceux qui le soutiennent sont catégoriques sur le fait que cela fonctionne. », note le magazine. La seconde moitié considère qu’en l’absence d’études scientifiques, il convient de se méfier des effets secondaires qui pourraient être dangereux. Mais le Dr Henrique Carreira, un médecin gérontologue connu pour utiliser le médicament sur des personnes âgées, a fustigé, lors d’une conférence retransmise en vidéo, les rumeurs et les articles de presse qui discréditent l’ivermectine en insinuant qu’elle pourrait présenter des dangers pour le foie. « Cela n'a aucun sens. Il y a assez d’études et de recul sur cette molécule qui a trente ans pour affirmer qu’il n’y a aucun effet secondaire. »
英文紙「Portugal Resident」は、この治療法を患者に施す医師の割合を調査した記事を掲載している。医師会が奨励しているこの抗寄生虫薬は、開業医の2人に1人が使用しているようである。「支持する人たちは、効果があると断言している」と同誌は記している。残りの半数は、科学的な研究が行われていないため、危険な副作用に注意することが望ましいと考えている。しかし、イベルメクチンを高齢者に使用していることで知られる老年学者のエンリケ・カレイラ博士は、ビデオ会議で、イベルメクチンが肝臓に悪影響を及ぼすという噂や報道記事は間違っていると批判し、「これはナンセンスです。30年前に開発されたこの薬剤には、副作用がないと言えるだけの十分な研究と実績があります。」と語った。
Au Portugal, l’ivermectine est produite sans brevet par la société pharmaceutique Hovione, à Loures, au Nord de Lisbonne. Son succès a été tel qu’en janvier, au coeur de la phase épidémique la plus intense, la molécule a été en rupture de stock pendant plusieurs semaines.
ポルトガルでは、リスボンの北、ロウレス市の製薬会社Hovione社は特許なしでイベルメクチンを生産している。流行の最盛期である1月には、数週間にわたって、この薬剤が在庫切れになるほどの成果を上げている。
En Europe, la République tchèque vient officiellement d’adopter l'ivermectine.
Auteur(s): Christian de Dadelsen, journaliste pour France Soir
記者:クリスチャン・ドゥ・ダデルセン、フランス・ソワール誌のジャーナリスト


産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者
飯嶋正広

 

私が顧問を務めている複数の企業様や嘱託産業医としての私をサポートしてくれているエージェント様から、ストレスチェック制度導入にあたっての問い合わせが増えてきました。

 

労働安全衛生法に基づくこの制度は、法改正により平成27年12月から事業者に労働者のストレスチェックを実施することが義務付けられました。

 

ストレスチェックとは、メンタルヘルスの一次予防の強化を主たる目的として実施されます。このチェックの結果を用いて労働者本人が実施するセルフケア支援と職場環境改善を行うことが期待されています。その他に、高ストレス者への面接指導の受診勧奨が必要になり、主として産業医が面接指導に対応しています。

 

 

ストレスチェック

 

本制度の大まかな流れとしては、

 

❶ 【検査の実施者の選定】
   

常時使用する労働者に対して、医師、保健師等による「心理的な負担の程度を把握するための検査(ストレスチェック)を実施する。

 

 

❷ 【健康情報の保護】
   

検査結果は、検査を実施した医師、保健師等から直接本人に通知され、本人の同意なく事業者に提供することは禁止されている。

 

 

❸ 【高ストレス者への対応】
   

検査の結果、高ストレスと判定された者など要件に該当する労働者から申し出があった場合、医師による面接指導を実施すること。また、検査の実施者は高ストレス者が面接指導を申し出るようにする。さらに、申出を理由とする不利益な取扱いは禁止されている。

 

 

❹ 【就業上の措置の実施】
   

事業者は面接指導の結果に基づき、医師の意見を聴き、必要に応じて就業上の措置を講じなければならない。

 

 

❺ 【集団分析(努力義務)】
   

集団分析の結果を事業者に提供し参加型ワークショップ等の手法を用いて職場環境改善活動を実施する。

 

 

 

 

 

故郷(茨城)探訪

 

<登録分析機関の名称及び登録番号 一般財団法人 茨城県薬剤師会検査センター 茨城県登録第1号>

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温泉分析書(鉱泉分析法指針による分析)は、地元の薬剤師会の検査センターの分析によって作成されることがあることをご存じでしょうか。

私は、全国1003人の温泉療法医の中で193名(2021年10月27日現在)の温泉療法専門医の一人です。

もっとも温泉療法専門医は、温泉療法医の上位資格なのですが、東京の開業医である私は、これまで実地のフィールドを持つことができずに過ごしてきました。

 

幸なことに、我が家の総力を結集して茨城県をフィールドに温泉療法専門医に相応しい活動を始動することになった次第です。 

フィールド活動の第一弾の「友の湯」(源泉名)は、偶然にも茨城県登録第1号でした。

 

北茨城市観光協会のHPで紹介されている「旅館友の湯」には、


 
<心安らぐひととき…隠れ家気分を味わえる「旅館友の湯」隠れ家の温泉にゆったり浸かってみてはいかがですか?>

 

と紹介されていますが、実際に宿泊してみたところ、その紹介文は簡にして要を得ていると感じました。こうした控えめなPRにも茨城らしさが表れています。

 

水戸で有名な「あんこう鍋」の発祥の地は北茨城市だそうです。北茨城の平潟は古来、漁師町であり、あんこう、うに、岩がきなどの四季折々の海の恵みが平潟に水揚げされています。

 

1日3組だけであるため、宿泊客は自分達だけお風呂も貸し切り状態でした。

特に、離れの別館は独立していて、いかにも隠れ宿そのものでした。

 

「茨城の名湯・秘境」と題するシリーズの冒頭を飾ることになった、この旅館が隠れ家的存在と感じられるのは、その立地だけでなく、そのような要素も加味されています。

 

料理も大変美味しく、まだ若手の女将さんは外連味(けれんみ)がなく、さりげないお人柄での接客作法に癒やされる宿泊客も少なくないだろうと思われました。

 

岩ガキや雲丹が上がる夏はとうに過ぎ、また、どぶ汁(註)にありつける季節にはまだ早かったです。

 

それにもかかわらず、魚介類は地元の平潟港から水揚げされた材料のみという食材は、さすがに新鮮で健康的なメニューで、しかも美味な料理でした。

 

 

(註)どぶ汁:

茨城県から福島県南部の太平洋沿岸地域に伝わる漁師料理で、あんこう鍋の一つ。名前の由来は、あん肝が溶け出して汁がどぶのように濁ることから、また、どぶには「すべて」という意味があり、アンコウのすべてを入れることから「どぶ汁」との説もあるようです。きわめて美味であり、栄養価も高いにもかかわらず、「どぶ汁」などと、あか抜けない名前をつけ、かえって地元で人気が高まってしまうあたりに、名より実、質実剛健を良しとする茨城県人の精神性や文化の反映がうかがわれるような気がします。

 

 


「友の湯温泉」の名称の由来を女将に尋ねると、この旅館の創設者で彼女の曽祖父にあたるという友蔵氏の名に由来しているとのことでした。ちびまる子のおじいさんである静岡県清水市のさくら友蔵さんと同じ名前ですが、同じ港町であっても、北茨城平潟の友蔵さんの方が先輩であるのは確かです。

 

「知られざる茨城の名湯・秘湯」の第一弾を「友の湯温泉」に決定したのは、我が家の女性陣(妻、長女、次女の連合体)ですが、最終決定は、電話で「そちらは、温泉ですか?」という問い合わせに対して、「はい、温泉です。」という明るい声が返ってきたからです。少し、いじわるかもしれませんが、茨城県に「温泉」なるものが存在しうるのか、ということの検証を次回でご紹介させていただく予定です。

<線維筋痛症 JFIQの経過報告>

 

(図1)

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JFIQは線維筋痛症の経過観察に欠かせない指標です。

 

 

最高点が100点で、20点未満が正常値になります。

 

 

 (図1)は左側が初期時の点数、右側が現在の点数でその2点を結んだものです。

 

 

 

 図2)

スクリーンショット 2021-10-23 10.13.36

 

 

(図2)は線維筋痛症の治療効果の割合を表したものです。

 

 

 50以上点数が下がると「著効」です。

 

 

 20以上50未満点数が下がると「有効」です。

 

 

 20未満の点数の低下は「無効」の判定となります。

 

 

 

<今回の考察>

 

 

正規性の検定で初期値、現在値共に正規性がありました。

 

 

その後、関連2群の検定と推定を行いました。

 

 

1)統計的にみて、JFIQスコアが有意に改善したことが証明されました。P(危険率)=0.001%でした(図1)

pが0.05以下であれば統計学的優位である。

pが0.01以下であれば統計学的に極めて優位である。

 

 

 

2)JFIQスコアの判定基準として、20点以上改善されると治療が有効、50点以上改善されると著効となります。

 

 

 

  今回、 11名の平均で   25.9点改善していたため、全体として鍼治療は有効であったと言えます。

 

 

個別でみると、著効1名(9.1%)、有効6名(54.5%)、無効4名(36.4%)でした。(図2)

 

 

今回、2名線維筋痛症患者が加わりました。

 

 

良い成績を出せるよう頑張っていこうと思います。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

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カミュの前置きはまだ続きます。小説というより、象徴的な散文という感じがしてきます。さらに言えば、含蓄のある哲学的文書といえるかもしれません。

 

 

Arrivé là, on admettra sans peins que rien ne pouvait faire espérer à nos concitoyens les incidents qui se produisierent au printemps de cette année-là et qui furent, nous le comprîmes ensuite, comme les premiers signes de la série des graves événements dont on s’est proposé de faire ici la chronique. Ces faits paraîtront bien naturels à certains et, a d’autres, invraisemblables au contraire. Mais, après tout, un chroniquer ne peut tenir compte de ces contradictions. Sa tâche est seulement de dire: « Ceci est arrivé », lorsqu’il sait que ceci est, en effet, arrivé, que ceci a intéressé la vie de tout un people, et qu’il y a donc des milliers de témoins qui estimeront dans leur coeur la vérité de ce qu’il dit.

 

ここまでの経緯で、その年の春に起きた事件で、われわれ市民に希望を持たせるものは何もなかったということは容易に認めることができ、私はそれを、ここに記すことになった一連の重大な出来事の最初の兆候であったと、後になって合点がいった次第なのである。これらの事実は、ある人たちにとってはごく自然なことであり、他の人たちにとっては逆にありえないことであろう。しかし、やはり、一人の記録者としてはこのような食い違いを斟酌してはいられない。彼の仕事とは、それが実際に起こったこと、それが住民全体の生活に影響を与えたこと、そしてそれゆえに彼の言うことが真実であると実感できる何千人もの証人がいることを知っている場合に、「何それが起こった」とだけを言うことなのである。

 

 

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フランス語のonという人称代名詞は、人(ハ)、人々(は)の意味で用いられるときには《人間一般を示す》、《限定して》、《行為者を明示しない時》に用いられます。

 

また、誰か(が)、(ある)人が、という意味でも用いられます。さらに主語人称代名詞の代用で用いられるときには《私(は)》、《私たち(は)》、《君(たちは)、あなた(方は)》、《彼(らは)、彼女(らは)》など様々な意味で使われています。


宮崎訳では、onを人(ハ)、人々(は)の意味で《行為者を明示しない時》の用法で訳しておられ、訳文中にも具体的な人影を示していません。

 

 

nous le comprîmes ensuite, comme les premiers signes de la série des graves événements dont on s’est proposé de faire ici la chronique.

 

<宮崎峯雄訳/それらの出来事こそ、やがてわかったことであるが、ここにその記録をつづろうと思い立った一連の重大事件の最初の徴候ともいうべきものであったのである。>

 

これに対して、いわゆるストリーテラーが独白するように〈私は〉という主語として訳してみると、以下のような出来上がりになりました。

 

<飯嶋正広訳/私はそれを、ここに記すことになった一連の重大な出来事の最初の兆候であったと、後になって合点がいった次第なのである。>

 

何か、カミュ自身の述懐のように聞こえてこないでしょうか。作家としてだけでなく新聞記者としてのカミュの矜持を垣間見たような気がしてきます。
それでは、次のパッセージに移りましょう。

 

 

 

Du reste, le narrateur, qu‘on connaîtra toujours à temps, n’aurait guère de titre à faire valoir dans une entreprise de ce genre si le hazard ne l’avait mis à même de recueillir un certain nombre de dépositions et si la force des choses ne l’avait mêlé à tout ce qu’Il prétend relater. C’est ce qui l’autorise à faire oevre d’historien. Bien entendu, un historien,meme s’il est un amateur, a toujours des documents. Le narrateur de cette histoire a donc les siens: son témoignage d’abord, celui des autres ensuit, puisque, par son role, il fut amené à recueillir les confidences de tous les textes qui finirent par tomber entre ses mains. Il se propose d’y puiser quand il le jugera bon et de les utilizer comme il lui plaira. Il se propose encore... Mais il est peut-être temps de laisser les commentaires et les précautions de langage pour en venir au récit lui-même. La relation des premières journées demande quelque minuitie. 
 

さらに、時間の経過とともに次第にその正体が明かされることになるであろう記録者は、もし偶然の成り行きで彼がある数の証言を聴取できる立場に置かれなかったとしたら、また、もし事件のもつ威力によって、彼の主張するすべてのことに彼自身が巻き込まれていなかったとしたら、この種の役割を担うことはほとんどできなかったであろう。これが、彼をしてあたかも歴史家のような仕事をさせる根拠となる。もちろん、歴史家はたとえアマチュアであっても、必ず資料を持っている。この物語の筆者自身もそれをもっている。すなわち、まず彼自身が実体験したこと、次いで他の人々から得られた証言である。というのも、彼はその役割をとおして、最終的に自分の手に入った機密の情報を収集することになったからである。彼は、必要に応じてそれらを引用する気になっている。彼は今でもそうしたいと思っている...。 しかし、そろそろ注釈や前置きから離れて、物語そのものに目を向けていくべきであろう。発端となる最初の数日については、多少詳細な描写が必要である。

 

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ここで、この小説の導入部分が締め括られることが示されます。記録者の正体とは如何に、その記録者が歴史家として如何なる役割を果たすのか、そしてその彼がどのような体験をし、取材をするのか、それでは事件の発端となる最初の数日をながめてみることにしましょう。

 

10月31日(日)の昼下がりは、音楽が霧雨に近い小雨が降る、いささか肌寒い水戸の街に活気を与えていました。

 

家内と共に初めて訪れた「水戸奏楽堂」でのコンサートから水戸駅に向かう道すがら、水戸芸術館の傍らを通ると、水戸室内管弦楽団(MCO)第108回定期演奏会を聴き終えた大勢の聴衆が続々と館外へ出てきているところに遭遇しました。

 

国内外で活躍を重ねてきた指揮者・広上淳一さんが、水戸室内管弦楽団(MCO)のステージに6年ぶりに登場するということでたくさんの観客を集めていた模様です。

 

広上さんは、水戸室内管弦楽団の公式サイトに掲載されているインタビューの中で、このように言っています。

「水戸室内は国際色が豊かであるのはもちろん、小澤征爾先生や吉田秀和先生のレガシーというか、意志と遺産によって築き上げられた楽団だと思うんです。そういう楽団が、歴史的にも、思想的にも、学術的にもひとつの世界がある水戸という土地を選んで作られた。そこで、土地に根付いた活動をゆっくりと地道に積み重ねてきたことが、これだけの楽団になったひとつの要因だと思います。」

 

私は水戸市出身であるにもかかわらず、その水戸室内管弦楽団(MCO)はおろか、水戸芸術館で催される一切のコンサートを未だ聴いていないのが残念です。

 

そこで、水戸室内管弦楽団(MCO)の公式サイトから、コロナ禍での音楽活動に言及された広上さんのインタビュー記事の抜粋をご紹介いたします。

 

 

コロナ禍で改めて抱いた感謝の気持ち

 

――日本では感染症収束の兆しがなかなか見えない日が続いていますが、コロナ禍の1年半を過ごされて、今どのような心境でいらっしゃいますか。

 

コロナではっきりわかったのは、お客様の存在がいかに有難いかということ。レストランと同じです。

 

昨年は約半年間、どこの楽団にも仕事がなくなり、私たちは休業状態に追い込まれました。

赤字がどんどん増えて、これから私たちは生きていけるのか、存続できるのかというところまでいった。

 

けれど今は、客席半分くらいであったとしても、演奏会をやれることがまず幸せだなと思います。

 

お客様の拍手から、待ち構えていてくれた気持ちが伝わってくるんですね、どの楽団に行っても、。僕のオーケストラ〔註・京都市交響楽団〕でもそうです。

 

この気持ちをぜったいに忘れてはいけないなと思っています。楽団員が登場すると同時に拍手がある。

演奏する側、料理を作る側は、こうやって待ち焦がれているお客様がいるからこそ成り立ってきた。今は、そのごく当たり前のことに心から感謝しながら仕事しています。
 

 

コロナについては本当に早く終息してほしいです。

飲食業を営んでいる友人も、店を閉じ始めたりして苦しい状況です。

でも、まずは演奏会を続けていくこと。

それから、こうした非常時において、目配りの行き届いた政策が実行できる政治家を、我々がしっかり選挙で選ばないといけないですね。

 

オーケストラのことで言えば、日本の楽団はこの30~40年の間に、欧米の一流の楽団並みに上手くなったわけですから、今の僕にできるのは感謝して演奏することだけ。

いい演奏をすることがお客様へのお返しだから、僕も一生懸命務めようと思います。

 

2021年8月26日

 

聞き手:高巣真樹

 

(協力:株式会社AMATI)

 

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水戸室内管弦楽団 第108回定期演奏会

 

2021.10.30土、31日 

15:00開演(14:15開場)

 

水戸芸術館コンサートホールATM

 

指揮:広上淳一

 

曲目:

シューベルト 交響曲 第5番 変ロ長調 D485
メンデルスゾーン 交響曲 第3番 イ短調 作品56「スコットランド」