アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo6

 

前回はこちら

 


今回から、事件の発端となる最初の数日の描写が展開していきます。


第2章(註:訳読者飯嶋が便宜的に区分した章立て)

 

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Le matin du 16 avril, le docteur Bernard Rieux sortit de son cabinet et buta sur un rat mort, au milieu du palier. Sur le moment, il écarta la bête sans y prendre garde et descendit l’escalier. Mais, arrivé dans la rue, la pensée lui vint que ce rat n’etait pas à sa place et il retourna sur ses pas pour avertir le concierge. Devant la réaction du vieux M.Michel, il sentit mieux ce que sa découverte avait d’insolite. 
La présence de ce rat mort lui avait paru seulement bizarre tandis que, pour le concierge, elle consitituait un scandale. La position de ce dernier était d’ailleurs catégorique : il n’y avait pas de rats dans la maison. Le docteur eut beau l’assurer qu’il y en avait un sur le palier du premiere étage, et probablement mort, la conviction de M.Michel restait entière. Il n’y avait pas de rats dans la maison, il fallait donc qu’on eût apporté celui-ci du dehors. Bref, il s’agissait d’une farce.

 

4月16日の朝、診療所を出ようとしたベルナール・リュー医師は、踊り場の真ん中でネズミの死体に出くわした。その時、彼は気にも留めずにその動物を避けて階段を降りていった。しかし、通りに出たところで、「ふだんネズミが現れるはずのない場所だ」と思い返し、管理人に注意するために引き返した。その時の管理人のミッシェル老の反応を見て、自分が発見したことがいかに不自然なことなのかを悟った。この死んだネズミの存在は、彼にとっては異様なものでしかなかったが、管理人にとってはとんでもないことであった。彼は「館内にネズミはいない」と断言していた。リュー医師は、「1階の踊り場に一匹いる。おそらく死んでいるだろう。」といくら伝えても、ミッシェル老の信念はまったく揺るがなかった。
館内にはネズミはいなかったのだから、外から持ち込まれたに違いない。要はイタズラなのである。-と。 

 

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カミュはこの作品の導入部分で、以下の哲学的な伏線を置いていました。


Ces faits paraîtront bien naturels à certains et, a d’autres, invraisemblables au contraire.<これらの事実は、ある人たちにとってはごく自然なことであり、他の人たちにとっては逆にありえないことであろう。>

 

その最初の具体的な事例<ネズミの死骸>がここで早くも描かれています。同じ事件であっても人によって受け取り方が大きく異なることがあります。それが尋常なことではないことに気づける人とそうでない人、そして気づけなかった人が気づいた人と遭遇したときに、果たして、その気づきは共有されるのでしょうか。それとも分断を招くのでしょうか。興味がそそられます。
 

 

 

Le soir même, Bernard Rieux, debout dans le couloir de l’emmeuble, cherchait ses clefs avant de monter chez lui, lorsqu’il vit surgir, du fond obscure du corridor, un gros rat à la démarche incertaine et au pelage mouillé. La bête s’arrêta, sembla chercher un équilibre, prit sa course vers le docteur, s’arrêta encore, tourna sur elle-même avec un petit cri ettomba enfin en rejetant du sang par les babines entrouvertes. Le docteur la contempla un moment et remonta chez lui.
 

その日の夕方、ベルナール・リューは建物の廊下に立って自宅に上がる前に自分の鍵を探していたが、廊下の暗がりから大きなネズミがよろけながら現れ、その毛が濡れているのを目撃した。その動物は立ち止まり、平衡を取り戻そうとしたかに見えたが、にわかに医師に向かって走り出し、また立ち止まり、小さな啼き声を上げながら回り、最後には半開きの唇から血を噴き出して倒れた。医師はしばしそれを見据えて自分の家に戻っていった。

 

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その日の朝と夕方。リュー医師が目撃したそれぞれのネズミは対照的に描かれています。それは、すでに完了して物体と化してしまった静的な死と、まさに死なんとする壮絶な戦いの後の動的な死です。これらの複数の事実を目撃しても、ある人たちにとってはごく自然なことのままであり、他の人たちにとっては逆にますますありえないことになるのでしょうか。リュー医師は、その日に遭遇した複数のネズミの死をどのように受け止めていたのかが気になります。    

 

果たして彼は、大いに関心を持ったのでしょうか、それとも無関心でいたのでしょうか。それは、次回のお楽しみです。