ここで掲載する内容は、一般社団法人日本アレルギー学会の

ホームページ<一般の皆さま>から引用したものです。

 

最後に杉並国際クリニックからのメッセージを加えています。

 

 

蕁麻疹②

Q2 

蕁麻疹にはどのようなタイプがありますか

 

A

蕁麻疹は、大きく4つのグループに分けられます。明らかな原因がなく自発的に症状が現れる特発性の蕁麻疹、特定の刺激により症状が出る刺激誘発型の蕁麻疹、目や口などの皮膚、粘膜が腫れ上がる血管性浮腫、そして蕁麻疹関連疾患です(表)。刺激誘発型の蕁麻疹の中には、特定の食べ物や薬などで症状が現れるアレルギー性の蕁麻疹、アレルギーではない薬剤による蕁麻疹、特定の物理的な刺激により現れる物理性蕁麻、発汗刺激により起こすコリン性蕁麻疹などがあります。

 

物理性蕁麻疹では、皮膚が擦れた時に現れる機械性蕁麻疹、冷たいものに触れて起こる寒冷蕁麻疹、日光に曝されて起こる日光蕁麻疹などが主な病型です。なお、これらは一つだけが現れる他に、患者さんによっては複数の蕁麻疹の病型を併せ持っていることも少なくありません。

 

 

杉並国際クリニックからのメッセージ

蕁麻疹の特徴は個々の皮疹の経過にあります。つまり、痒みを伴う紅斑が24時間以内に出没することが確認できればほぼ蕁麻疹と考えて良いということです。しかし,その対処のしかたは蕁麻疹の種類により大きく異なり,緊急性の判断と正しい病型診断が重要です。

 

また,蕁麻疹の発症機序,膨疹出現の直接刺激,およびその他の臨床的特徴は多岐に亘り,かつそれらが必ずしも1対1に対応しないのが問臨床上での困難な点です。

 

「蕁麻疹診療ガイドライン2018日本皮膚科学会ガイドライン」の分類(表2)は,主として臨床的な特徴に基づくもので,症例によっては二つ以上の蕁麻疹の病型が認められることがあり,また,必ずしもこれらの分類に当てはまりにくいものもあります。

 

それゆえ,診察に際しては個々の症例における蕁麻疹の全体像を捉え,各病型の特徴を踏まえてゴールに至るための道筋を見いだすことが大切です。

 

 

表2 蕁麻疹の主たる病型

Ⅰ.特発性の蕁麻疹 spontaneous urticaria

1. 急性蕁麻疹 acute spontaneous urticaria(発症後6週間以内)  

2. 慢性蕁麻疹 chronic spontaneous urticaria(発症後 6週間以上)

 

Ⅱ.刺激誘発型の蕁麻疹(特定刺激ないし負荷により皮疹を誘発することができる蕁麻疹)inducible urticaria※

1.アレルギー性の蕁麻疹 allergic urticaria  

2.食物依存性運動誘発アナフィラキシー FDEIA  

3.非アレルギー性の蕁麻疹 non-allergic urticaria  

4. アスピリン蕁麻疹(不耐症による蕁麻疹)

aspirin-induced urticaria(urticaria due to intolerance)  

5. 物理性蕁麻疹physical urticaria

(機械性蕁麻疹mechanical urticaria,寒冷蕁麻疹cold urticaria,

日光蕁麻疹solar urticaria,温熱蕁麻疹heat urticaria,

遅延性圧蕁麻疹delayed pressure urticaria,

水蕁麻疹aquagenic urticaria)  

 

6.コリン性蕁麻疹cholinergic urticaria  

7.接触蕁麻疹contact urticaria

 

 

Ⅲ.血管性浮腫 angioedema  

1.特発性の血管性浮腫 idiopathic angioedema  

2. 刺激誘発型の血管性浮腫 inducible angioedema

(振動血管性浮腫 vibratory angioedemaを含む)  

3. ブラジキニン起因性の血管性浮腫

bradykinin mediated angioedema  

4.遺伝性血管性浮腫 hereditary angioedema(HAE)

 

 

Ⅳ.蕁麻疹関連疾患 urticaria associated diseases  

1.蕁麻疹様血管炎urticarial vasculitis  

2.色素性蕁麻疹 urticaria pigmentosa  

3.Schnitzler症候群およびクリオピリン関連周期熱症候群

※国際ガイドラインでは,6週間以上続く蕁麻疹は刺激誘発型の蕁麻疹を含めてchronic urticariaに分類されます。

 

ここで掲載する内容は、公益財団法人 骨粗鬆症財団のホームページから引用したものです。骨粗鬆症についてわかりやすい解説をしています。

 

骨粗鬆症は、長年の生活習慣などにより骨がスカスカになって骨折しやすくなる病気です。最初は、自覚症状はありませんが、ひどくなると骨折を起こし、寝たきりの原因となる場合もあります。多くは腰や背中に痛みが生じて医師の診察を受けてからみつかります。しかし、骨粗鬆症になってから治すのはたいへんです。骨粗鬆症にならないように、日ごろから予防を心がけることが大切です。骨粗鬆症を予防することが、ほとんどの生活習慣病を予防することにつながります。そのために、高円寺南診療所では女性では、45歳以上、男性でも50歳以上の皆様に骨量計測を推奨し、骨年齢を算出し、骨粗鬆症の早期発見、早期対応に力を注いでいます。それでは、骨粗鬆症についてもっと詳しく勉強していきましょう。

 

私は、昭和学院短期大学のヘルスケア栄養学科で、臨床栄養学を担当していたことがありますが、「臨床栄養学」の教科書を2冊出版して、改訂を重ねています。どうぞご参考になさってください。

 

 

それぞれのQ&Aのあとに【杉並国際クリニックからのコメント】を加えました。

 

 

Q9

カルシウムと各栄養素の摂取比率と安全量について

 

骨粗鬆症治療のために、薬と食品で毎日カルシウムを約2,000mgとっていますが、吸収率を上げるためにはマグネシウムなどの栄養素も必要とききました。各栄養素の摂取比率と、安全な摂取量について教えてください。

 

栄養素等摂取量やバランスについては、以下をご参照ください。

 

 

「食事摂取基準」によるミネラルの1日あたりの上限量

上限量:

「ほとんどすべての」人々が、過剰摂取による健康障害を起こすことのない最大限の量

例)

カルシウム……2300mg(18-70歳)

 

鉄…………………40mg(15-49歳)

 

リン……………3500mg(18-70歳)

 

マグネシウム… 通常の食品以外からの摂取量の上限は350mg(成人)

 

 

ミネラルのバランス

例)

カルシウム/リン比………………0.5~2の範囲

 

カルシウム/マグネシウム比……2:1程度

 

カルシウム600mgに対してリンを1200mg以上摂取すると、カルシウムの腸管からの吸収阻害のリスクが増加します。

 

 

カルシウムの腸管からの吸収に関わる因子

 

 吸収促進因子:ビタミンD、乳糖、カゼインホスホペプチドなど

 

吸収阻害因子:リン、食塩、アルコール、カフェインの過剰摂取

 

 

[栄養素以外にも、喫煙、不動(運動不足)などを含みます]

骨粗鬆症の治療においては、充分な量のカルシウムやビタミンDの摂取は効果的に働くと考えられます。毎日の食事のエネルギー摂取量をはじめとして、たんぱく質、脂質、ミネラル、ビタミン類が過不足なく適正量摂取できるように注意を払ってください。

 

ただし、カルシウムやマグネシウムの摂取のみで骨粗鬆症は治りません。医療機関で適切な治療を受けてください。

 

 

【杉並国際クリニックからのコメント】

栄養学、とりわけ臨床栄養学とは各栄養素の摂取量と栄養素間のバランスや相互作用の学問であるともいえます。栄養素のバランスとは摂取栄養素間の比率といってもよいでしょう。ただし、それらの摂取量の算定には連立方程式を解くようなややこしさを伴いますが、なるべく優しく解説してみましょう。

 

カルシウムと各栄養素の摂取比率

カルシウム/リン比:0.5~2、カルシウム/マグネシウム比:2:1程度

 

<薬と食品で毎日カルシウムを2,000mg>をとっているとすれば、

カルシウムとの関係でリン、マグネシウムの摂取量は、それぞれ

リン1,000~4,000mg、マグネシウム1,000mg程度ということに、一応はなります。

 

 

カルシウムと各栄養素の安全量について

カルシウム2300mg(18-70歳)、リン3500mg(18-70歳)、

マグネシウム350mg(成人、通常の食品以外からの摂取)

 

<薬と食品で毎日カルシウムを2,000mg>をとっている人が18ないし70歳だと仮定するならば、カルシウムの摂取量は安全量の範囲です。そこで、この人のリン摂取量をカルシウム/リン比0.5~2に基づき単純に算定するとリン摂取量は1,000~4,000mgになります。しかし、この人がリンを4000mg摂ってしまうと3500mgの安全量を超えてしまうことになります。安全量を考えると、この人のカルシウム/リン比は2000mg/3500mgすなわち、0.571であることから、カルシウム/リン比は0.5~2でなく、0.58~2に修正されなければならないことになります。

 

世間では、商業主義に煽られて、サプリメントブームですが、各栄養素を必要以上摂取していればよい、というわけではありません。ミネラルやビタミンにはカロリーが無く、安全であるという先入観を持っている人が大多数のようですが、これが大きなピットホール(落とし穴)です。ミネラルやビタミン(とりわけ脂溶性ビタミンであるビタミンA,D,Eなど)は過剰に摂取すると種々の過剰症を生じます。また、上記の例でも説明したように栄養素間の摂取バランスを崩してしまうことにもなりかねません。

 

<骨粗鬆症の治療においては、充分な量のカルシウムやビタミンDの摂取は効果的に働くと考えられます。毎日の食事のエネルギー摂取量をはじめとして、たんぱく質、脂質、ミネラル、ビタミン類が過不足なく適正量摂取できるように注意を払ってください。>と解説している背景は、こうしたことを踏まえてのアドバイスであることを押さえておきましょう。

 

ただし、すでに骨粗鬆症の診断を受けている方は、

<カルシウムやマグネシウムの摂取のみでは治りません。医療機関で適切な治療を受けてください。>とありますが、その通りです。これからも、一緒に勉強を続けていきましょう。

 

当院はインフルエンザ迅速検査キットによる診断は、実施しておりません。

 

インフルエンザの診断は、もっぱら症状や身体徴候といった臨床所見の診察に基づいて、抗ウイルス剤を処方します。

 

This clinic will provide antiviral medicines for flu based on clinical manifestations of symptoms and signs of illness only.

 

 

インフルエンザ診断迅速キットなどの検査は、検査の精度が不良であるため実施しません。

ちなみに、検査の感度は、一般的におよそ50~70%に過ぎません。

 

We do not perform examination such as rapid influenza diagnostic test because of the inaccuracy of the test.

(sensitivity : approximately 50-70%)

 

 

つまり迅速検査キットの結果による診断が正しくないことがあるということです。

 

The rapid tests are sometimes wrong and fail

to diagnose the flu.

 

 

高円寺南診療所 医師・医学博士 飯嶋正広

Masahiro Iijima,M.D.,Ph.D. Suginami International Clinic

 

 

検査キットを使用しない理由の1つがこちらです。

診察室から:インフルエンザ罹患体験記

糖尿病はもはや国民病です。糖尿病専門医だけに任せておけばよい病気ではありません。薬物療法の発展は目覚ましいのですが、食事療法、運動療法、生活習慣編世用のための行動療法を駆使して治療に当たるのでなければ、コントロールに至ることは難しいです。糖尿病は動脈硬化性疾患とならんで臨床栄養学の中では中心的な病態です。私は、糖尿病専門医ではありませんが、たいていの糖尿病専門医よりは、糖尿病について深くかかわり、実践してきたという自負があります。

 

私は、昭和学院短期大学のヘルスケア栄養学科で、臨床栄養学を担当していたことがありますが、「臨床栄養学」の教科書を2冊出版して、改訂を重ねています。どうぞご参考になさってください。

 

Q2-3 

糖尿病の血糖コントロールの目標はどのように設定したらよいですか?

 

 

【要点】

糖尿病の血糖コントロールの目標は、可能な限り正常な代謝状態を目指すべきです。治療開始後、早期に良好な血糖コントロールを達成し、その状態を維持することができれば、長期予後の改善が期待できます。

 

 

【 杉並国際クリニックの実地臨床からの視点 】

糖尿病の治療目標を達成する目安としての血糖コントロールの目標は、年齢、罹病期間、臓器障害、低血糖の危険性、サポート体制などを考慮して個別に設定します。

その理由は、血糖のコントロールを急激に、あるいは厳格に行い過ぎると、ときに重篤な低血糖、細小血管症の増悪、突然死などを起こし得るからです。

 

とりわけ、管理を寛容なものとする必要があるのは、高齢者、罹病期間が長い、重篤な併存疾患や血管合併がある、低血糖のリスクが高い、サポート体制が整っていない、などの場合です。

 

いずれにせよ糖尿病は未治療で放置すると細小血管症や大血管症などの血管障害を招きます。

 

細小血管症を抑制するためには空腹時血糖値および血糖値の平均値の指標であるHbA1cの是正が重要です。

 

大血管症を抑制するためには、以上に加えて食後高血糖の是正も必要です。

 

まずは、血糖コントロールの目標を何に置くかがポイントになります。

 

 

①血糖正常化を目指す場合:HbA1c<6.0%

細小血管症・大血管症ともに発症のリスクを低下させることができます。

適切な食事療法や運動療法だけで達成可能な場合、

薬物療法中であっても低血糖などの副作用が無く達成可能な場合

罹病期間の短い、心血管系に異常のない若年者において目標となる数値

 

(対応する血糖値:空腹時血糖値<110mg/dL)

 

 

②合併症予防を目指す場合:HbA1c<7.0%

細小血管症の出現の可能性は少ないとされます。

 

(対応する血糖値:空腹時血糖値<130mg/dL,

食後2時間血糖値<180mg/dL)

 

 

③治療強化が困難な際の目標:HbA1c<8.0%

この値を超えると網膜症のリスク増加の傾きが大きくなります。

 

(低血糖などの副作用や、虚弱高齢者や余命5年以下と推定される高齢者であるなどの理由で治療強化が難しい場合)

 

以上とは別に、妊娠に際しては厳格な血糖コントロールが必要です。

 

  

高円寺南診療所時代に基礎を完成させた水氣道は、緩徐に血糖を低下させることができるために、安全かつ効果的な有酸素運動療法です。

 

杉並国際クリニックの時代に入り、これをさらに発展させて、現在の水氣道会員の中から多くの水氣道指導者を誕生させることによって、インスリンその他、血糖降下薬になるべく頼らないで済む糖尿病管理の、より確かなメソッドを確立させたいと願っています。

ノイロトロピンは効いている間だけ少し楽。

 

でもせいぜい2時間といったところ。

 

<たとえて言うならば、一度濡らしてから乾かした革のよう。

 

そんな、体のごわごわしたこわばり。

 

その他にも、ビリビリと全身を走り回る痛み。

 

呼吸が止まりそうなくらいの息切れ。>

 

 

これらは、むしろ漢方薬鍼治療で少しずつ減っていったようです。

 

 

<そうか、やはり身体全体を立て直すのが大事なのか>と、どこかで納得し始めました。

 

 

大学では授業をし続けていましたが、

 

1分も話をすると息が続かなくなってめまいがしはじめました。

 

そこで、パソコンの画面に文字を打ち込んで、それをスクリーンに映し出す、

 

というやり方で一月くらいの授業期間をなんとかしのぎました。

 

 

それでも、居ても立っても居られないような身体の苦痛は、

 

目に見えて和らいでいく感じがありました。

 

 

 

2016年に掲載したものです

全文はこちらにあります

 

2019欧州国際医学会研究旅行の振り返り

 

1)2月27日(水)06:00am ウィーン到着、1泊

 

 

2)2月28日(木)12:45pmヴィリニュス到着、3泊

PreHT 2019 (The 6th International Conference on PreHypertension & Cardio Metabolic Syndrome)

第6回高血前圧症・高血圧症・代謝性疾患・循環器疾患国際会議

 

 

3)3月3日(日)02:25pm再度ウィーン到着、3泊 

The International Congress on Controversies in Fibromyalgia

線維筋痛症における争点に関する国際会議

 

 

4)3月6日(水)02:10pmパリ到着、5泊

2019 International Convention of Psychological Science

国際心理科学会議2019

 

 

 

行動目的:

機内で有意義な時間を過ごし、帰国後の時差ボケを予防する。

 

 

行動計画:

1)日本時間に合わせて、睡眠覚醒リズムを調整する。

 

2)覚醒時にすべきことを限定する。

①フランス語のシャドウイングの練習

②診療、水気道、聖楽院等に関する新たに浮かんだアイディアを手帳にメモする

 

 

日本の医療論(昨日の続き)

 

原文のまま紹介します。

 

先見創意の会:山口赤十字病院医師村上嘉一

 

(4)新しい医療制度に国民的議論を

このまま新しい制度ができてしまえば、例えそれがどんなに理不尽でも、医療者としての良心に反するものであっても、医療者はそれに従うしか方法がない、しかしそれでは自分達も良い医療を受けられないことを、国民にも気づいて欲しい。

 

良い医療を行うためには、相応のコストと、理にかなった良い医療システム、そして何よりも医療者と国民の相互理解や協力が必要だ。

 

今、日本の医療は運命の分岐点に立っている。全ての国民が日本の医療の現状を正しく認識した上で、新しい医療制度について真剣に考え、そして自らもその建設に加わって頂きたいと思う。医療危機という「国難」に対して政府や医療機関におまかせではなく、国民も一人一人がそれぞれの立場で出来ることを考えて立ち向かおうという気運を高めて欲しい。

 

 一人の力では現状を変えることはできないが、問題意識を持つ人が増えれば、それは自ずと大きなうねりとなるはずだ。国民全体が自分自身の問題として真剣に見つめる中で、国家を挙げて議論されるようにそうすれば、いろいろなところから良いアイディアがたくさん出てくるのではないかと思う。

 

 日本国民の英知を結集し、真に国民と国家のためになる医療システムを構築することを、医師としても、一国民としても切に願うものである。

 

 

(5)稿を終えるにあたり

 

 相変わらず事実確認もない段階での医師や医療機関へのバッシングと、医療の抱える問題には触れようともしない名医や最先端医療の特集が続いている。今、現場で働く少なからぬ数の医師達の中に「医療は来年にでも崩壊する」という絶望的な観測が広がっている。つい最近も全国の医師達を絶望させ、不十分な体制で救急医療に従事させられる地方の急性期病院の当直を忌避させるような判決が下された。

 

 私は政策がもたらした医療現場の現実と国民の期待要求のあまりもの乖離、その事実が報道されないこと、さらには日本人全体の心の崩壊と成熟した死生観の欠如が医療崩壊の原因だと思っている。一般の方々の認識も進んではいるが、事態はより一層深刻で危機的である。

 

この現実をどうしても一般の方々に伝えたいと思い、慣れない筆をとった。

 

国は医療崩壊をこれ以上進行させない為に、国民に対し真実を語る義務があると思う。

 

医師は結果が悪ければ過去に遡って過失を追求される。しかし、政策に関しては、外国と比べても極めて軽率に制度を変え、日本中の医療機関や患者さん達に重大な影響を与えた挙句に問題があったと分かっても何のお咎めもなしだ。医療経済学者が統計を取ろうにもまともなデータすらないという。一方米国では医療政策を厳格に検証するシステムがあり、政策担当者も厳しく評価される。そのためもあってか米国では日本のような大幅な医療政策の変更は行わないそうである。

 

今、「いじめ」や「振り込め詐欺」などに代表される日本人の心の荒廃に強い危機感を持っている人も多いことと思う。国民にとって最も重要な領域の一つである医療現場において、今後も徳性の低い政策が強行される事態となれば、国民の精神性という国家の最も重要な基盤、財産を、さらに崩壊させることになるのではないかと危惧している。

 

限られた医療資源を大切に使ってゆくには、医師も含め日本人全体の精神性が高まる必要があると思う。それがなければ、どんなに医学が進歩しても医療費を投入しても良い医療は永遠に実現しないだろう。

 

今回自分には手に余るテーマについても十分な見識がないままに論じた部分があると反省している。自らの不明を改める為にもご意見ご批判は喜んで受けたいと思う。何かあればご指摘頂きたい。

 

 

実際の活動の未解決な課題:

 

線維筋痛症学会の第2日目の研究資料は、末尾に添付。

読者のための和訳ガイダンス、これは少しずつ掲載していく予定。

 

線維筋痛症学会第2日目資料

 

 

行動目的:

安全確実に帰国し、水曜日からの診療再開に備える。

 

行動計画:

1)ホテルで朝食

2)ルーブル博物館見学

3)凱旋門見学

4)ホテルで休憩

5)今後の医療に向けての展望の考察

6)タクシーにて空港へ

7)空港にて搭乗手続き

 

実際の活動成果:

1)ホテルでの朝食は08:00am

すべて日本人の若者の集団。女子グループ3人と、男グループ3人。若いうちの外国旅行を経験しておくことは良いことだと思います。しかし、グループでの旅行となると、日本文化と日本人の価値観を背負ったまま、つまり日本人のコミュニティーが単に移動しているだけに終わりがちではないのだろうかと思いました。街角で、レストランで、バーや博物館での彼らの行動や言動を垣間見るにつけても、日本人の仲間同士のコミュニケーションに終始しているようなのがもったいない気がしました。フランスに来て、しかもパリのぶんかにふれて、現地のフランス人あるいは外国から来た旅行客との接点を積極的にもとうとしない彼らの姿に幼なさや頼りなさを感じるのは私だけだろうか。いつか、彼らが再びパリに来るときには、本物の国際人になっていてほしいものだと思いました。

 

2)ルーブル見学は10:00amを予定していましたが、帰国の前になってトラブルに巻き込まれるのを可能な限り防ぎたいので、取りやめにしました。

 

3)凱旋門見学も、同上です。とにかくパリの街は、住み慣れてみないと何が起こるかわからないし、少しずつ現場で学んでいくしかないように思われました。さいわいにも、パリの街を自分の足で歩いたり、積極的に地下鉄を乗り継いで移動したりして、何となく空気がわかってきました。しかし、少し路地裏に入ったり、店舗に足を踏み入れてみたりすると、想像もつかない空間が広がり、目新しい文化の数々が展開してくる、というエキサイティングな街であることは確かです。ガイドブックやガイドツアーは、上手に活用できればそれに越したことはありませんが、失敗は必要経費と考えておいたほうが良いのかもしれません。失敗を恐れず、果敢に冒険してみること、これは体で学ぶ、まさに体験学習です。体験ということばは、経験という言葉より生き生きとした若さと、再創造のエネルギーをもっているように思われます。

 

4)ホテルの自室で書き物をしていると、客室メインテナンスの係員が午前中から懸命に働いているのがわかります。部屋の外のノブに清掃希望もしくは休憩中の札を出しておかないと、ノックされます。Oui, bonjour!と言って、慌てて部屋をでてみると、肥満気味の中年の黒人女性でした。Bonjour ma’m! Je reste ici jusqu'à trois heures après midi.(おはようございます。私は午後3時までこの部屋にいます)と伝えたのですが、キー・カードを持たずに部屋をでたので、自分自身をうっかりロック・アウトしてしまいました。慌てて出てきた言葉が、 I’m locked out!でした。こういう時にとっさにフランス語がでてこないのは、まだまだな証拠です。彼女は、I’m sorry.と言ってマスターキーでドアを開けてくれました。その目元は慈愛に満ち、口元には微笑をたたえていました。私は、パリ滞在中には朝食後ほどなくして外出していたので、こうして目立たぬところで働いている彼女たちの姿に気が付きませんでした。

 

5)さて、頭を日常診療に切り替えてみることにしましょう。

私は困難な現状において医師達を奮い立たせ、医療崩壊を防ぐには、国民からの理解こそが最も重要なものの一つだと思っています。これまでは国民からの感謝の気持ちが私たちの世代までの医師達を支えてきました。

 

しかし、ヒラリー・クリントン米上院議員がかつて日本の病院を視察した際に、日本の医師や看護師の働きぶりをみて「聖職者さながらの自己犠牲」と感嘆したそうです。この話は、今回、米国の複数の医師たちから聞いて初めて知りました。

 

だから、彼らはチャンスがあってもWHOから世界一と評価されるほどの成果を上げたのに、医療費単価が世界最低水準なままの日本で奴隷のような仕事をしたいとは思わないそうです。

 

この事実はかなりショックだったので、真偽を確かめるためにネットで検索してみました。すると、私よりはるかに賢明で事情通な医師の方がおいででした。その方は、ヒラリー・クリントン女史のコメントの件はすでに周知のこととしていました。

 

そこで山口赤十字病院の村上嘉一医師のコメントの概要を引用しました。

 

<日本の医療水準の高さや現場の窮状が報道されることは、ほとんどありません。一方で、医療事故のニュースは連日報道されるが、背後にある疲弊した医療システムの問題は取り上げられず、事実が確認できていない情報で当事者を断罪するような報道さえあります。さらには、マナーを守らず、他の患者さんや医療者の事情には配慮しようとしない自らの権利ばかりを主張する患者さんが増えたことも、医師達から力を奪い、自分を犠牲にしてまで奉仕しようとする気持ちを失わせているという明らかな現実に直面しています。

『患者さんのために立派な医師になろう』と考えている若い医師が、次第に患者さんのことを思いやれなくなっていく流れは悲惨そのものです。私たちの世代の医師たちは、これまでは、それにもかかわらず、使命感に燃え、患者さんを思って献身的に医療に取り組んでこられました。そうした努力の結果である日本の医療水準の高さや現場の窮状は、ほとんど報道されません。一方で、医療事故のニュースは連日報道されています。>

 

確かに、事件や事故の背後にある疲弊した医療システムの問題は取り上げられず、事実の裏付けをとらないまま、読者の受けを狙った週刊誌まがいの記事で当事者を断罪するような報道さえあります。

 

さらに、村上先生はこう続けます。

<マナーを守らず、他の患者さんや医療者の事情には配慮しようとしない自らの権利ばかりを主張する患者さんが増えたことも、医師達から力を奪い、自分を犠牲にしてまで奉仕しようとする気持ちを失わせています。医療というのは、『心』が占める範囲が非常に大きい行為だ。どんなにシステムが完全であっても、義務や強制力で医師をしばりつけても、『こんな医療やってられるか』と思っている医師達に治療されては、患者さん達は決して幸せにはなれない。このままでは医師も患者さんもどちらも不幸だ。>

 

まったく、おっしゃる通りでご尤もです。だから、医療は医療従事者だけで成り立たせようという仕組みでは、限界にきているのだと思います。

 

どんなに献身的な医療を続けていても『こんな医療やってられるか』と思っている医師達は、聖職者のような天使のようなスピリットは持てません。かえって、悪魔のように底意地の悪いキャラクターが形成されていくことでしょう。

 

新しい時代を迎えるにあたって、これらの困難を乗り越えていくためには、行政にリードされたり、心無いマスコミの餌食にされたりしないで済む新しい方法が必要です。その解決策はとても簡単です。患者さんと共に新しい医療機関のモデルを創設することです。患者さんは単にお客様扱いされることを望むのであれば、少なくとも世界標準の医療費を負担すべきでしょう。しかし、多額の自己負担をしなくても、納得のいく医療を受けることは可能です。それは、自らが医療機関の経営陣の一員としての意識改革をすればよいだけの話です。それが実行できれば、壊滅的な医療崩壊を未然に防ぐことが可能になるでしょう。

 

 

なお、2019欧州国際医学会研究旅行報告の第14日:3月12日(火)で、私は、すでに機上の人になっているので、学ぶことが多い山口赤十字病院の村上嘉一医師のご意見の続きを取り上げることにします。

行動目的:

聖なる伝統のパリから俗なる現代のパリまでを体験する

 

行動計画:

1)ホテルで朝食

2)ホテルで原稿のまとめ

3)ノートルダム大聖堂見学(03:30pm)

4)ホテルで休憩

5)ムーランルージュへ(08:00pm)

 

実際の活動成果:

1)ホテルで朝食(08:00am)

研修のまとめをしていたら、いつの間にか8時になっていました。

 

 

2)朝食後も部屋で書き物をして過ごしました。

空港からホテルまでの移動で世話になったタクシーの運転手さんに、明日のホテル出立時刻を04:00pmから03:00pmに早めてもらうための連絡をホテルの受付の女性にお願いしてから、外出。

 

 

3)ノートルダム大聖堂見学(英語音声ガイド付き)は、昨日の経験があったため、あまり期待せず、一時間早めに現地に到着。予定の時間と無関係に入場を済ませました。

 

予約者は特別にスムーズに入場できましたが、一般の観光客は長い列を辛抱強く待たなければなりません。よく話題のラーメン店などで行列ができることが東京でもありますが、どんなに有名なラーメンでも私は行列に並ぶことはしないタイプの人間です。

 

しかし、フランス人というかパリの観光客は実に辛抱強く順番を待っています。仲間同士で他の指導に順番を待っている光景は、新宿歌舞伎町のライブに若者たちが群れているのと、あるいは変わりがないのかもしれません。

私のようなせっかちな単独行動派をターゲットにして、こうした予約チケットサービス仲介業務が商売になるのかもしれません。

 

バウチャーにはEnglish(Audio guide/headphone)と記載されているのを改めて確認するにつけて、昨日のガルニエ宮のバウチャーはEnglish(Live guide)との記載を思いだしました。Live guide と記載してあるからには、まぎれもなく生きた人間の英語によるガイドだったはずです。

 

そのガイドに直接会わせてほしいといっても、返答があいまいなのには恐れ入りました。そうこうしているうちに、受付でEnglish Guide:sold out (英語ガイド:売り切れ)との表示が出されるとはいったい何事なのか、と思いだして不愉快な気分が蘇ってきました。

 

大聖堂の中で、英語の音声ガイドはどこにあるのかをフランス語で受付けに尋ねると反対側だとぶっきらぼうな英語で答える、そこで反対側で確認すると、入り口の受付だとフランス語で答える有様。

 

結局は入り口近くのカウンターで5€で日本語のオーディオガイドも貸し出しているのもわかったのだが、この予約仲介業者自体はいったいどう業務を行っていることか。そういえば、音声ガイドを耳に当てている見学者はほとんど見かけません。

 

幸いにフランス語の電子辞書を持参してきたので、あてにならない音声ガイドのことは忘れて、自分の目で勉強することにしました。昨日とは異なり、すんなりと入場できただけ上出来と考えることにしました。

 

それにしても、最近の電子辞書はよくできていて、薄暗い場所でも明るく鮮明に読み取れるようになっています。カトリックについては、幸い馴染みがあるので、展示物の解説やポスターに書いてあることは、幸いにもほとんど理解できました。

 

もっとも、勉強になったのは、聖堂を入って右側を少し行ったところにっ常設されている宝物館です。入場料とは別に5€必要ですが、とても興味深い宝物館で、大聖堂にいるほとんどの時間を、展示されている聖遺物などの観察と解説の読解に充てました。

 

特に圧巻だったのは、歴代の教皇の胸像を細工した、ちょうど市販のアーモンドチョコレートを一回り大きくした瑪瑙(めのう)?です。モロゾフのチョコレートボックスにホワイトチョコレートが詰め合わされているように、というと大げさかもしれませんが、ヨハネ・パウロ二世、ベネディクト16世、そして現教皇のフランシスコ、いずれもその特徴がよくあらわされていました。

 

さすがフランス中世文化の至宝というべき建築物でした。日本では平安時代にあたる1163年に建築が始まり一応の完成をみたのが14世紀初頭、その後何世紀も様々な歴史の背景に翻弄されながら改築が繰り返され今日の姿になった過程の展示はとても興味深いものでした。

 

現在の姿は、とても人間業とは思えない建築技術や高度な芸術性を備えています。この建造物は現在もミサが行われているほか、パイプオルガンの演奏も行われているとのことなので、いつかそれを聞いてみたいものです。

 

今回は、とても2時間程度の予定ではじっくりと見学することはできないと思いました。35分程度の音声解説では結局のところ満足できなかったことでしょう。塔に登ることも地下の祭室の考古学博物館を見学することもなく、大聖堂を後にしましたが、いずれまたの機会の楽しみにすることにしました。

 

 

4)ホテルに戻るまで

パリ滞在も最後のころになって、ようやく地下鉄に慣れてきました。地下鉄の列車の壁に4号線の工事予定が駅ごとに表示されているのを見ました。

工事期間中はバスなどの代替の輸送手段でサポートすると書かれていました。このあたりの情報は、地元の居住者ならともかく、旅行者にとってはとても不自由な状況となります。

 

そう感じる私は特段の地下鉄愛好家というわけではなく、バスその他の交通機関を活用するまでの余裕がなかっただけの話です。慣れない外国での一人旅は、あちこちに想定外の落とし穴があって当然と考えて余裕を持った行動計画を立てておくのが無難でしょう。

 

本日最後のイベントは、ムーラン・ルージュでのショウを楽しむことですが、ホテルの近くのベルギー料理のレストランで軽い食事を済ませました。

 

 

5)ムーラン・ルージュ観劇

事前バウチャー購入によるイベント参加は、これまでもたびたび不都合が生じたので、覚悟しながら現地に向かいました。地図上の直線距離で見ると最寄りのブロンシュ(Brancheとは白い、という意味)駅は近いのですが、安全のため地下鉄を2回乗り換えて現地に到達しました。ムーラン・ルージュ(Moulin Rougeとは赤い風車という意味)はその名の通り、地下鉄の駅から出てすぐ赤いネオンの風車が目に留まりました。

 

「赤い風車」の最寄り駅が「白い」という駅ですからいっぺんに覚えてしまいます。

 

私のe-ticketにはバー・コードが付いているので大きな問題はないことを期待していましたが、ムーラン・ルージュのスタッフは、とても洗練されていて、受付でバーコードを読み取ると、コンシエルジュが私の指定席まで案内をしてくれました。

 

彼はいきなり聞きなれない言葉で話しかけてくるのですが、なんとそれは日本語なのです。すぐに返事をしなかったためか、今度はAre you a Korean or a Japanese?と質問されて、Japaneseだと答えると、「暗くて段差があるので、足元にお気をつけてください」といって、「一つ目」、「二つ目」、「三つ目まで段差に気を付けてください」、「はい、ここがお客様のお席です」というのです。

私は思いがけないことで、「Merci, monsieur! Vouz parlez très bien japonaise.(ありがとう。とても素晴らしい日本語ですね)」と礼を言うと、日本語で「本当にそうだったでしょうか、恐縮です。」とかえって来るではありませんか。

 

私のテーブルは舞台から少し離れ、舞台に向かってやや右側でしたが、とても見やすい良い席でした。同じテーブルには、すでに他の観客が着席していて、飲食しながら市互いに会話を楽しんでいました。08:00pm開場、09:00pm開演でしたが、開演前にも女性シンガーとバンドのグループが演奏を始めていていたようでした。

 

私の向いの席の男性が話しかけてきました。何を言っているのか聞き取れないので、Pardon(パルドン)?とフランス語の発音で尋ねたところ、<ちょうど良いタイミングで到着しましたね>ということを英語で話しかけられていたことに気づきました。

 

私の席は右端で、左隣の年配の男性と、その向かいの同年配の女性も、皆英語で会話を楽しんでいるので、隣の男性に、皆さんはご家族でいらっしゃっているのですか?と尋ねたら、今日初めてだとのことでした。開場から開演までの1時間に満たない間にコミュニティーが誕生しているのは素晴らしい順応力であり、コミュニケーション能力です。  

 

ふと気づくと、私の注文を取りに男性ウェイターが来ていたので白ワインを頼みました。あとでワインをもってきた若い女性ウェイターが、なかなかコルクを抜けないでいたら、私の隣の男性が、<I’m a wine maker. It’s my profession. I’ll do it.>といって、手伝うことを申し出ましたが、彼女にも意地があるらしく、ようやくコルクを抜いたところ、皆で一斉にCongratulationといい、場が盛り上がりました。舞台ではなぜか、Happy Birthday to you! が歌われていたからです。

 

しばらくして、気づいたのが隣の男性は向いの女性に話しかけるときはイタリア語なのです。そしてイタリア語だと思って女性の応答を聴いていると、少し癖があるのです。聞き耳を立てているわけではないのですが、気になっていたところ、彼女はスペイン語で答えていました。

 

これは、私がずいぶん前にローマに行ったときに、ホテルのBarでイタリア人のバーテンダーとスペイン人の夫婦の会話が同じようであったのを思い出しました。まるで東京の人と大阪の人が話しているような感覚なのかもしれません。

 

09:00pmになると本格的なショウが始まりました。舞台が明るくなると、ステージが予想外に前に広がっていて、私たちの席は、ほぼ特等席といってもよい位置を占めていることに気づきました。

 

催し物はフレンチ・カンカンが有名ですが、曲芸なども含め様々なアトラクションが次から次と催されました。音響も照明も舞台もめまぐるしく変化して、観客を虜にしていく手法は圧巻でした。最前列の女性ダンサーは、トップレスなのでわが目を疑ったのですが、決して下品ではなく芸術の域に達していました。

 

日本の宝塚歌劇団もムーラン・ルージュに親しんで目が肥えているパリ市民に受けるのは難しいだろうということが、明らかに伝わってきました。もっとも、宝塚の団員がトップレスで踊ることを期待してるわけではありません。しかし、それ以上にムーラン・ルージュから学び取るべき要素はとても大きいのではないかという感想を持ちました。

 

百聞は一見に如かず!パリの最後の夜のムーラン・ルージュは圧巻でした。

行動目的:

昼過ぎまで集中力を維持しつつ積極的に研修をこなしたあと、パリの文化に触れる。

 

行動計画:

1)参加スケジュールにしたがって参加する。

2)ポスターセッションでディスカッションする。

3) Palais Garnier(ガルニエ宮)英語Live付ガイドツアーに参加する。

4)界隈散策の後ホテルに戻る

5)学術収集情報を整理する

 

実際の活動成果:

①朝食(07:30am~)

②ホテル出発(08:00am)

 

 

最短コースを狙い、ホテル最寄りのGrands Boulevards駅(大通りという意味)から地下鉄8号線でConcorde駅(コンコルドという名前は英国とフランスが共同開発した超音速旅客機の名称として懐かしいですが、2003年に運航が停止されました。もともと融和・和合という意味で、英仏間の融和の象徴だったのかもしれません)まで行き、そこで地下鉄1号線に乗り換えれば、目的地のPorte Maillot駅(水着の港という意味か?)に到着するつもりでした。

 

しかし、実際に乗車してみると乗換えるConcorde駅は通過され、やむなく次のInvalides駅(廃兵院という意味)でいったん降車しました。ちなみにConcorde駅はセーヌ川右岸で、Invalides駅は左岸です。改めてこの駅からConcorde駅を目指したのですが、またしても通過され、またやむなくMadelaine駅(フランス菓子のマドレーヌが有名ですが、もともとは聖書に登場するマグダラのマリアを指すのだとか…)で下車して、ホームで路線変更を検討し、次のOpera駅(ガルニエ宮の駅)車し、Auber駅(場所柄からみて作曲家Auberの名にちなんだものか?)で地下鉄A線に乗り換えるため、構内の連絡通路を移動しました。

 

 

ちょうど東京メトロでいえば銀座線と丸ノ内線が乗り入れる赤坂見附駅から有楽町線、半蔵門線、南北線が乗り入れる永田町駅へ連絡しているのに似ていると思いました。Auber駅から目的の駅までようやく繋がりました。なぜ、Concorde駅が通過されてしまうのが、路線図を見ても、ガイドブックをみてもわからないままなので、落ち着かない気分がつづいています。

 

 

③  学会会場にて

学会会場には何とかたどり着きましたが、30分遅れとなりました。

 

08:30AM-10:50AM

INTEGRATIVE SCIENCE SYMPOSIUM

 

How Changing Our Bodies Changes Our Selves

Henrik Ehrsson, Department of Neuroscience, Karolinska Institutet, Sweden

Carolyn Mair, Psychology for Fashion, United Kingdom

Nichola Rumsey, Centre for Appearance Research, University of the West of England, Bristol, United Kingdom

Mel Slater, Department of Clinical Psychology and Psychobiology, Universitat de Barcelona, Spain

No other period in history has seen such preoccupation with and dedication to the presentation, manipulation, and modification of the physical body—particularly its appearance—as a way to experience and socially share the self. This symposium takes a scientific perspective on the tension between identity and change at a time when technology increasingly helps us alter our appearance or present it to others.

 

身体の存在,操作、変容という話題に対する関心がこれほど高まった時代はかつてありませんでした。自己というアイデンティティと変化の間の緊張状態に対して科学的立場から検討しようというテーマでした。テクノロジーが高度に発達している現代にあって、それが私たち自身を変容を助け、他者にもそれを示せる時代を種々の角度から検討され、議論されました。

 

身体認知、身体構造の変化が自分自身の認識、自己の全体像を変えていくという見方は興味深いものであったが、研究はまだ初期に段階であると思いました。拒食症や過食症の患者さんは自分自身に対する歪んだイメージをもっていて、それ自体が病気を治りにくくしていることは、これまでも、しばしば議論されてきましたが、こうした患者さんの病態理解や治療アプローチにつなげていけそうな方向性での研究が多くの研究者の関心を引き付けていることは希望が持てる傾向であると思いました。

 

 

10:50AM-

Poster Session

 

学会会場では、昼前にコーヒータイムが準備されていて、コーヒーやジュース類、パン類がテーブルに準備されます。朝食抜きで来場した参加者にとってはありがたい心遣いだと思います。私は、コーヒーを手に、いくつかのポスターの前に行き、ポスターを読み込んだり、質問したり、討論したりしました。

 

ポーランドのワルシャワ大学の若い女性研究者のポスター、

 

The Correlates of Fear of Happiness in Social Anxiety

(社会不安における幸福不安の相互関係)というタイトルが目につきました。

 

これは、Fear of Happiness(幸福不安)というのはわかりにくいので、説明を求めたところ、長い人生には良いことも悪いことも経験するが、幸福を感じるときにむしろ、その後に襲ってくるかもしれない不幸を予測して不安になる心理状態である、といったような説明でした。この幸福不安は、苦難からの回復力が高まるほど、歳を取るほど、うつ状態が強まるほど顕著になる傾向がデータでは示されていました。

 

社交不安障害に関する発表は、地元パリのルネ・デカルト大学の研究者ともディスカッションしました。パリには13の大学があり、この大学はパリ第5大学といって、医学部、哲学系の学部が特徴。サンジェルマン・デ・プレに医学部の古い校舎があり、歴史を感じさせる大学です。

 

その他、カナダのモントリオール大学、フランス語が第一公用語のケベック州の大学の研究者、米国のハーバード大学の研究者とも有意義なディスカッションができました。それらの発表の要点については、後日取り上げたいと思います。

 

 

01:30AM-

パリオペラ座ガルニエ宮見学

今回は、パリのオペラ座でオペラを鑑賞する準備ができなかったため、英語のガイド付きの見学に申し込んでいました。現地集合で、しかも入場手続きをしてから、ガイドを待つという約束になっていました。私は、集合時間の02:30pmより早めにOpera駅に到着して、周囲を散歩しながら、ガルニエ宮の入館チェックを済ませておきました。

 

さて、ここからですが、e-mailで入手したバウチャーとパスポートを持ってles visiteures guidées(ガイド付き見学者)の窓口で早めに正式の入場券を取得しようとしたところ、チケットは準備してあるがI.Dを示すように言われました。

 

パスポートも見せているし何のことかさっぱりわからないので、念のため英語で再度説明してもらいましたが、同じことでした。しかも、予定時刻になったのですが、ガイドらしい人物は見当たりません。

 

しまいには、English guide :sold outという表示が出される始末。売り切れ、とは、まったくもって不可解。これでは、全く話になりません。

 

そこで、<せっかく来たのだし、手続き上の問題はあるとのことだが、私がここを見学できる実質的権利を持っています。しかも、あなた方はこの仲介会社と契約して利益を得ているはずです。したがって、このような当然起こりえるべき状況に対して、適切な代替手段を提案する義務があなたがたにはあるのではありませんか?>というような意味のフランス語をまくしたてたら、あわてて窓口の女性が入場チケットをもってきました。

 

私は英語でさえこのような主張をすることは経験がなく、なぜ、このようなデリケートなことをとっさにフランス語でいえてしまったのか自分でも不思議なくらいです。適切なフランス語だったかどうかは率直なところ自身はありませんが、この状況を見守っていた他の見学客が、<なかなかやるね!>といった表情でOKサインを送ってくれたので、まんざらではなかったようです。

 

私にとってはその代わり、オーディオガイドの料金を支払うように求められたので、やむなく妥協して英語の案内ガイド機を借りて、自分のペースで見学しました。見学客の声が大きいことも手伝ってか、そのガイドの音声も聞き取りにくく、ボリュームも調節できません。去年、ウィーンのシェーンブルグ宮でも団体のガイドツアーを申し込んだのに不愉快な経験をしましたが、パリのガルニエ宮でもそれを繰り返す羽目になり、午前中の社会不安のポスターの件が頭をよぎりました。

 

ガルニエ宮の内部は圧巻でした。先ほどの私とは打って変わって形容すべき言葉が出てきません。不愉快な気分がすっかり解消され、調子がのってきてスタンドで最高級シャンパン一つを求め、一気に飲み干しました。 

 

肝心のオペラ劇場ですが、豪華絢爛この上ないですが、ウィーンの国立歌劇場(シュターツオーパー)よりははるかに小さく、国民歌劇場(フォルクスオーパ)並であったような印象です。しかし、特別仕立てのバルコニー席の豪華絢爛さは圧巻でした。次回パリ訪問の機会があったら、必ずこの歌劇場でオペラを楽しみたいと思います。

 

ガルニエ宮を出ると、そこは旅行客で賑わう土曜日の繁華街でした。私は、連日の運動不足解消のため、少し遠回りの散歩をしました。

 

ホテルに戻る間に、パリに来る前から気になっていた近所にあるらしいGrévin (グレヴァン) ろう人形館に行ってみる気になりました。こちらは、地元の市民家族が集まってきそうな場所だからです。

 

ここは1882年創業のパリ唯一の蝋人形館です。ガイドブックによると、Passage Jouffroy(パッサージュ・ジュフロワ)というこじんまりとしたアーケード街にあるとのことでしたが、アーケードの奥の右手にある扉は閉じられていました。このアーケード街は有名なだけあって、両側には様々な文化的に洗練された店舗が軒を連ねていました。サイズだけでいえば高円寺のパル商店街のほうが大きいのですが…。

 

今日は、3月9日という私にとっては特別な日なので、何があってもこの日は私を見捨てたり失望させたりするはずがない、と思い直してこのアーケード街を出て一回りするとありました。蝋人形館の立派な入り口は、アーケード街の入り口と並んで大通りに面しているではありませんか。そこにはすでに何人もの入場客が集まっていました。

 

ガルニエ宮とはうってかわって、入館はスムーズでスタッフも親切でした。蝋人形館というと、たいていはショウケースに収まっていて、来訪者とは区画され、とくに東京タワーの蝋人形館の記憶があるので、あまり期待はしていませんでした。

 

しかし、この蝋人形館は全く別の世界でした。入館して最初の部屋が、Palais des Mirages(蜃気楼の宮殿)という光と音によるインド的スペクタクルで、1900年のパリ万博に展示されたものとは思えないほどの前衛的な仕掛けでした。等身大というよりは、少し小さめな蝋人形は、訪問者と同じ空間に立っていて、人形とは思えないほどリアルで精巧な作り、そしてファッションの都パリに相応しい衣装をまとっていて、今にも動き出したり、話しかけてきたりするような錯覚にとらわれます。

 

フランスの見学者の特徴として気づいたことは、時間を気にせず、のんびり、ゆっくり、皆で楽しんでいることです。せかせかと先ばかり急ぎがちな人は全く見当たりませんでした。歴史上人物から、各界の有名人まで、ありとあらゆるジャンルの人物が、ショーケースの中ではなく、訪問者と同じ空間で存在感を示しているのです。フランス人は味わい、楽しみ、それを皆で分かち合うことに秀でた人々だという印象をもちました。

 

蝋人形館ですっかり堪能したあと、夕食を済ませて、ホテルにもどる予定でしたが、週末の大通りに面したBarのオープンスペースはどこも若者のグループとたばこの煙で包まれていました。Barの中は原則禁煙であるせいか、テラスにあるテーブルは、単にアルコールとタバコと賑やかな会話を楽しむ若者たちの場になっているようです。白ワインを一杯注文して、初日にMax君に教えてもらった食事がとれるBrasserie(ブラスリー)とよばれるカフェ・レストランを探すことにしました。

 

大通りの反対側も探しましたが、見つかるのはBarばかり、そうしている間に目に入ったのが、ici (ここ、という意味)のLibrarie(書店)でした。地階があって、そこには子供向けの書籍や日本のマンガが並んでいました。

 

私は、C’est quoi La violence?(暴力とは、何なのでしょうか?)というタイトルの絵本と、les JOURNALISTES nous cachent-ils des choses? (ジャーナリストが私たちに内緒にしていることとは?) という2冊を購入しました。

 

これらの本が子供向けだということ、中を読んでみても、それがますます不思議でなりません。フランスの教育は、大人が子供の世界にノスタルジアを感じて、子供のファンタジーに合わせていくという文化ではなく、これから社会を立派に生き抜いていくために必要なことを子供たちにしっかりと伝えていく、といった文化なのかもしれないと感じました。もっとも、これは私の限られた経験の範囲での仮説にすぎませんが…。

 

再び表通りを歩いていて、食事のことを思いだしました。パリの食事で意外だったことは、生野菜をなかなか口にすることができないということです。

 

ですから、野菜不足になったせいか、因果関係は不明ですが、左下の臼歯のクラウンが外れてしまい、少し不自由をしています。そこで、通りを一本入ってみると、やや暗いのですが、さいわいすぐにBrasserieが見つかりました。

 

飲み物とメインとデザートの組み合わせ、しかも、メインはサラダで代用と考えました。ワインは白、それからシーザーサラダを注文しましたが、これが圧巻でした。深みのある大きな皿に、豊富なレタスを中心に、チーズやハムやパン切れまで盛られているのです。

 

野菜不足はいっぺんに解消できただけでなく、デザートが不要になるくらいのボリュームでした。ちなみに、デザートはmousse au chocolat (チョコレートムース)にしましたが、すこぶる甘く、ワインと同時に運ばれたボトル入りの水の3分の2ほど飲むほどでした。

 

いろいろありましたが、やはり3月9日は私を祝福してくれたようです。

 

神に感謝!