2019欧州国際医学会研究旅行 第12日:3月10日(日)

行動目的:

聖なる伝統のパリから俗なる現代のパリまでを体験する

 

行動計画:

1)ホテルで朝食

2)ホテルで原稿のまとめ

3)ノートルダム大聖堂見学(03:30pm)

4)ホテルで休憩

5)ムーランルージュへ(08:00pm)

 

実際の活動成果:

1)ホテルで朝食(08:00am)

研修のまとめをしていたら、いつの間にか8時になっていました。

 

 

2)朝食後も部屋で書き物をして過ごしました。

空港からホテルまでの移動で世話になったタクシーの運転手さんに、明日のホテル出立時刻を04:00pmから03:00pmに早めてもらうための連絡をホテルの受付の女性にお願いしてから、外出。

 

 

3)ノートルダム大聖堂見学(英語音声ガイド付き)は、昨日の経験があったため、あまり期待せず、一時間早めに現地に到着。予定の時間と無関係に入場を済ませました。

 

予約者は特別にスムーズに入場できましたが、一般の観光客は長い列を辛抱強く待たなければなりません。よく話題のラーメン店などで行列ができることが東京でもありますが、どんなに有名なラーメンでも私は行列に並ぶことはしないタイプの人間です。

 

しかし、フランス人というかパリの観光客は実に辛抱強く順番を待っています。仲間同士で他の指導に順番を待っている光景は、新宿歌舞伎町のライブに若者たちが群れているのと、あるいは変わりがないのかもしれません。

私のようなせっかちな単独行動派をターゲットにして、こうした予約チケットサービス仲介業務が商売になるのかもしれません。

 

バウチャーにはEnglish(Audio guide/headphone)と記載されているのを改めて確認するにつけて、昨日のガルニエ宮のバウチャーはEnglish(Live guide)との記載を思いだしました。Live guide と記載してあるからには、まぎれもなく生きた人間の英語によるガイドだったはずです。

 

そのガイドに直接会わせてほしいといっても、返答があいまいなのには恐れ入りました。そうこうしているうちに、受付でEnglish Guide:sold out (英語ガイド:売り切れ)との表示が出されるとはいったい何事なのか、と思いだして不愉快な気分が蘇ってきました。

 

大聖堂の中で、英語の音声ガイドはどこにあるのかをフランス語で受付けに尋ねると反対側だとぶっきらぼうな英語で答える、そこで反対側で確認すると、入り口の受付だとフランス語で答える有様。

 

結局は入り口近くのカウンターで5€で日本語のオーディオガイドも貸し出しているのもわかったのだが、この予約仲介業者自体はいったいどう業務を行っていることか。そういえば、音声ガイドを耳に当てている見学者はほとんど見かけません。

 

幸いにフランス語の電子辞書を持参してきたので、あてにならない音声ガイドのことは忘れて、自分の目で勉強することにしました。昨日とは異なり、すんなりと入場できただけ上出来と考えることにしました。

 

それにしても、最近の電子辞書はよくできていて、薄暗い場所でも明るく鮮明に読み取れるようになっています。カトリックについては、幸い馴染みがあるので、展示物の解説やポスターに書いてあることは、幸いにもほとんど理解できました。

 

もっとも、勉強になったのは、聖堂を入って右側を少し行ったところにっ常設されている宝物館です。入場料とは別に5€必要ですが、とても興味深い宝物館で、大聖堂にいるほとんどの時間を、展示されている聖遺物などの観察と解説の読解に充てました。

 

特に圧巻だったのは、歴代の教皇の胸像を細工した、ちょうど市販のアーモンドチョコレートを一回り大きくした瑪瑙(めのう)?です。モロゾフのチョコレートボックスにホワイトチョコレートが詰め合わされているように、というと大げさかもしれませんが、ヨハネ・パウロ二世、ベネディクト16世、そして現教皇のフランシスコ、いずれもその特徴がよくあらわされていました。

 

さすがフランス中世文化の至宝というべき建築物でした。日本では平安時代にあたる1163年に建築が始まり一応の完成をみたのが14世紀初頭、その後何世紀も様々な歴史の背景に翻弄されながら改築が繰り返され今日の姿になった過程の展示はとても興味深いものでした。

 

現在の姿は、とても人間業とは思えない建築技術や高度な芸術性を備えています。この建造物は現在もミサが行われているほか、パイプオルガンの演奏も行われているとのことなので、いつかそれを聞いてみたいものです。

 

今回は、とても2時間程度の予定ではじっくりと見学することはできないと思いました。35分程度の音声解説では結局のところ満足できなかったことでしょう。塔に登ることも地下の祭室の考古学博物館を見学することもなく、大聖堂を後にしましたが、いずれまたの機会の楽しみにすることにしました。

 

 

4)ホテルに戻るまで

パリ滞在も最後のころになって、ようやく地下鉄に慣れてきました。地下鉄の列車の壁に4号線の工事予定が駅ごとに表示されているのを見ました。

工事期間中はバスなどの代替の輸送手段でサポートすると書かれていました。このあたりの情報は、地元の居住者ならともかく、旅行者にとってはとても不自由な状況となります。

 

そう感じる私は特段の地下鉄愛好家というわけではなく、バスその他の交通機関を活用するまでの余裕がなかっただけの話です。慣れない外国での一人旅は、あちこちに想定外の落とし穴があって当然と考えて余裕を持った行動計画を立てておくのが無難でしょう。

 

本日最後のイベントは、ムーラン・ルージュでのショウを楽しむことですが、ホテルの近くのベルギー料理のレストランで軽い食事を済ませました。

 

 

5)ムーラン・ルージュ観劇

事前バウチャー購入によるイベント参加は、これまでもたびたび不都合が生じたので、覚悟しながら現地に向かいました。地図上の直線距離で見ると最寄りのブロンシュ(Brancheとは白い、という意味)駅は近いのですが、安全のため地下鉄を2回乗り換えて現地に到達しました。ムーラン・ルージュ(Moulin Rougeとは赤い風車という意味)はその名の通り、地下鉄の駅から出てすぐ赤いネオンの風車が目に留まりました。

 

「赤い風車」の最寄り駅が「白い」という駅ですからいっぺんに覚えてしまいます。

 

私のe-ticketにはバー・コードが付いているので大きな問題はないことを期待していましたが、ムーラン・ルージュのスタッフは、とても洗練されていて、受付でバーコードを読み取ると、コンシエルジュが私の指定席まで案内をしてくれました。

 

彼はいきなり聞きなれない言葉で話しかけてくるのですが、なんとそれは日本語なのです。すぐに返事をしなかったためか、今度はAre you a Korean or a Japanese?と質問されて、Japaneseだと答えると、「暗くて段差があるので、足元にお気をつけてください」といって、「一つ目」、「二つ目」、「三つ目まで段差に気を付けてください」、「はい、ここがお客様のお席です」というのです。

私は思いがけないことで、「Merci, monsieur! Vouz parlez très bien japonaise.(ありがとう。とても素晴らしい日本語ですね)」と礼を言うと、日本語で「本当にそうだったでしょうか、恐縮です。」とかえって来るではありませんか。

 

私のテーブルは舞台から少し離れ、舞台に向かってやや右側でしたが、とても見やすい良い席でした。同じテーブルには、すでに他の観客が着席していて、飲食しながら市互いに会話を楽しんでいました。08:00pm開場、09:00pm開演でしたが、開演前にも女性シンガーとバンドのグループが演奏を始めていていたようでした。

 

私の向いの席の男性が話しかけてきました。何を言っているのか聞き取れないので、Pardon(パルドン)?とフランス語の発音で尋ねたところ、<ちょうど良いタイミングで到着しましたね>ということを英語で話しかけられていたことに気づきました。

 

私の席は右端で、左隣の年配の男性と、その向かいの同年配の女性も、皆英語で会話を楽しんでいるので、隣の男性に、皆さんはご家族でいらっしゃっているのですか?と尋ねたら、今日初めてだとのことでした。開場から開演までの1時間に満たない間にコミュニティーが誕生しているのは素晴らしい順応力であり、コミュニケーション能力です。  

 

ふと気づくと、私の注文を取りに男性ウェイターが来ていたので白ワインを頼みました。あとでワインをもってきた若い女性ウェイターが、なかなかコルクを抜けないでいたら、私の隣の男性が、<I’m a wine maker. It’s my profession. I’ll do it.>といって、手伝うことを申し出ましたが、彼女にも意地があるらしく、ようやくコルクを抜いたところ、皆で一斉にCongratulationといい、場が盛り上がりました。舞台ではなぜか、Happy Birthday to you! が歌われていたからです。

 

しばらくして、気づいたのが隣の男性は向いの女性に話しかけるときはイタリア語なのです。そしてイタリア語だと思って女性の応答を聴いていると、少し癖があるのです。聞き耳を立てているわけではないのですが、気になっていたところ、彼女はスペイン語で答えていました。

 

これは、私がずいぶん前にローマに行ったときに、ホテルのBarでイタリア人のバーテンダーとスペイン人の夫婦の会話が同じようであったのを思い出しました。まるで東京の人と大阪の人が話しているような感覚なのかもしれません。

 

09:00pmになると本格的なショウが始まりました。舞台が明るくなると、ステージが予想外に前に広がっていて、私たちの席は、ほぼ特等席といってもよい位置を占めていることに気づきました。

 

催し物はフレンチ・カンカンが有名ですが、曲芸なども含め様々なアトラクションが次から次と催されました。音響も照明も舞台もめまぐるしく変化して、観客を虜にしていく手法は圧巻でした。最前列の女性ダンサーは、トップレスなのでわが目を疑ったのですが、決して下品ではなく芸術の域に達していました。

 

日本の宝塚歌劇団もムーラン・ルージュに親しんで目が肥えているパリ市民に受けるのは難しいだろうということが、明らかに伝わってきました。もっとも、宝塚の団員がトップレスで踊ることを期待してるわけではありません。しかし、それ以上にムーラン・ルージュから学び取るべき要素はとても大きいのではないかという感想を持ちました。

 

百聞は一見に如かず!パリの最後の夜のムーラン・ルージュは圧巻でした。