2019欧州国際医学会研究旅行 第11日:3月9日(土)

行動目的:

昼過ぎまで集中力を維持しつつ積極的に研修をこなしたあと、パリの文化に触れる。

 

行動計画:

1)参加スケジュールにしたがって参加する。

2)ポスターセッションでディスカッションする。

3) Palais Garnier(ガルニエ宮)英語Live付ガイドツアーに参加する。

4)界隈散策の後ホテルに戻る

5)学術収集情報を整理する

 

実際の活動成果:

①朝食(07:30am~)

②ホテル出発(08:00am)

 

 

最短コースを狙い、ホテル最寄りのGrands Boulevards駅(大通りという意味)から地下鉄8号線でConcorde駅(コンコルドという名前は英国とフランスが共同開発した超音速旅客機の名称として懐かしいですが、2003年に運航が停止されました。もともと融和・和合という意味で、英仏間の融和の象徴だったのかもしれません)まで行き、そこで地下鉄1号線に乗り換えれば、目的地のPorte Maillot駅(水着の港という意味か?)に到着するつもりでした。

 

しかし、実際に乗車してみると乗換えるConcorde駅は通過され、やむなく次のInvalides駅(廃兵院という意味)でいったん降車しました。ちなみにConcorde駅はセーヌ川右岸で、Invalides駅は左岸です。改めてこの駅からConcorde駅を目指したのですが、またしても通過され、またやむなくMadelaine駅(フランス菓子のマドレーヌが有名ですが、もともとは聖書に登場するマグダラのマリアを指すのだとか…)で下車して、ホームで路線変更を検討し、次のOpera駅(ガルニエ宮の駅)車し、Auber駅(場所柄からみて作曲家Auberの名にちなんだものか?)で地下鉄A線に乗り換えるため、構内の連絡通路を移動しました。

 

 

ちょうど東京メトロでいえば銀座線と丸ノ内線が乗り入れる赤坂見附駅から有楽町線、半蔵門線、南北線が乗り入れる永田町駅へ連絡しているのに似ていると思いました。Auber駅から目的の駅までようやく繋がりました。なぜ、Concorde駅が通過されてしまうのが、路線図を見ても、ガイドブックをみてもわからないままなので、落ち着かない気分がつづいています。

 

 

③  学会会場にて

学会会場には何とかたどり着きましたが、30分遅れとなりました。

 

08:30AM-10:50AM

INTEGRATIVE SCIENCE SYMPOSIUM

 

How Changing Our Bodies Changes Our Selves

Henrik Ehrsson, Department of Neuroscience, Karolinska Institutet, Sweden

Carolyn Mair, Psychology for Fashion, United Kingdom

Nichola Rumsey, Centre for Appearance Research, University of the West of England, Bristol, United Kingdom

Mel Slater, Department of Clinical Psychology and Psychobiology, Universitat de Barcelona, Spain

No other period in history has seen such preoccupation with and dedication to the presentation, manipulation, and modification of the physical body—particularly its appearance—as a way to experience and socially share the self. This symposium takes a scientific perspective on the tension between identity and change at a time when technology increasingly helps us alter our appearance or present it to others.

 

身体の存在,操作、変容という話題に対する関心がこれほど高まった時代はかつてありませんでした。自己というアイデンティティと変化の間の緊張状態に対して科学的立場から検討しようというテーマでした。テクノロジーが高度に発達している現代にあって、それが私たち自身を変容を助け、他者にもそれを示せる時代を種々の角度から検討され、議論されました。

 

身体認知、身体構造の変化が自分自身の認識、自己の全体像を変えていくという見方は興味深いものであったが、研究はまだ初期に段階であると思いました。拒食症や過食症の患者さんは自分自身に対する歪んだイメージをもっていて、それ自体が病気を治りにくくしていることは、これまでも、しばしば議論されてきましたが、こうした患者さんの病態理解や治療アプローチにつなげていけそうな方向性での研究が多くの研究者の関心を引き付けていることは希望が持てる傾向であると思いました。

 

 

10:50AM-

Poster Session

 

学会会場では、昼前にコーヒータイムが準備されていて、コーヒーやジュース類、パン類がテーブルに準備されます。朝食抜きで来場した参加者にとってはありがたい心遣いだと思います。私は、コーヒーを手に、いくつかのポスターの前に行き、ポスターを読み込んだり、質問したり、討論したりしました。

 

ポーランドのワルシャワ大学の若い女性研究者のポスター、

 

The Correlates of Fear of Happiness in Social Anxiety

(社会不安における幸福不安の相互関係)というタイトルが目につきました。

 

これは、Fear of Happiness(幸福不安)というのはわかりにくいので、説明を求めたところ、長い人生には良いことも悪いことも経験するが、幸福を感じるときにむしろ、その後に襲ってくるかもしれない不幸を予測して不安になる心理状態である、といったような説明でした。この幸福不安は、苦難からの回復力が高まるほど、歳を取るほど、うつ状態が強まるほど顕著になる傾向がデータでは示されていました。

 

社交不安障害に関する発表は、地元パリのルネ・デカルト大学の研究者ともディスカッションしました。パリには13の大学があり、この大学はパリ第5大学といって、医学部、哲学系の学部が特徴。サンジェルマン・デ・プレに医学部の古い校舎があり、歴史を感じさせる大学です。

 

その他、カナダのモントリオール大学、フランス語が第一公用語のケベック州の大学の研究者、米国のハーバード大学の研究者とも有意義なディスカッションができました。それらの発表の要点については、後日取り上げたいと思います。

 

 

01:30AM-

パリオペラ座ガルニエ宮見学

今回は、パリのオペラ座でオペラを鑑賞する準備ができなかったため、英語のガイド付きの見学に申し込んでいました。現地集合で、しかも入場手続きをしてから、ガイドを待つという約束になっていました。私は、集合時間の02:30pmより早めにOpera駅に到着して、周囲を散歩しながら、ガルニエ宮の入館チェックを済ませておきました。

 

さて、ここからですが、e-mailで入手したバウチャーとパスポートを持ってles visiteures guidées(ガイド付き見学者)の窓口で早めに正式の入場券を取得しようとしたところ、チケットは準備してあるがI.Dを示すように言われました。

 

パスポートも見せているし何のことかさっぱりわからないので、念のため英語で再度説明してもらいましたが、同じことでした。しかも、予定時刻になったのですが、ガイドらしい人物は見当たりません。

 

しまいには、English guide :sold outという表示が出される始末。売り切れ、とは、まったくもって不可解。これでは、全く話になりません。

 

そこで、<せっかく来たのだし、手続き上の問題はあるとのことだが、私がここを見学できる実質的権利を持っています。しかも、あなた方はこの仲介会社と契約して利益を得ているはずです。したがって、このような当然起こりえるべき状況に対して、適切な代替手段を提案する義務があなたがたにはあるのではありませんか?>というような意味のフランス語をまくしたてたら、あわてて窓口の女性が入場チケットをもってきました。

 

私は英語でさえこのような主張をすることは経験がなく、なぜ、このようなデリケートなことをとっさにフランス語でいえてしまったのか自分でも不思議なくらいです。適切なフランス語だったかどうかは率直なところ自身はありませんが、この状況を見守っていた他の見学客が、<なかなかやるね!>といった表情でOKサインを送ってくれたので、まんざらではなかったようです。

 

私にとってはその代わり、オーディオガイドの料金を支払うように求められたので、やむなく妥協して英語の案内ガイド機を借りて、自分のペースで見学しました。見学客の声が大きいことも手伝ってか、そのガイドの音声も聞き取りにくく、ボリュームも調節できません。去年、ウィーンのシェーンブルグ宮でも団体のガイドツアーを申し込んだのに不愉快な経験をしましたが、パリのガルニエ宮でもそれを繰り返す羽目になり、午前中の社会不安のポスターの件が頭をよぎりました。

 

ガルニエ宮の内部は圧巻でした。先ほどの私とは打って変わって形容すべき言葉が出てきません。不愉快な気分がすっかり解消され、調子がのってきてスタンドで最高級シャンパン一つを求め、一気に飲み干しました。 

 

肝心のオペラ劇場ですが、豪華絢爛この上ないですが、ウィーンの国立歌劇場(シュターツオーパー)よりははるかに小さく、国民歌劇場(フォルクスオーパ)並であったような印象です。しかし、特別仕立てのバルコニー席の豪華絢爛さは圧巻でした。次回パリ訪問の機会があったら、必ずこの歌劇場でオペラを楽しみたいと思います。

 

ガルニエ宮を出ると、そこは旅行客で賑わう土曜日の繁華街でした。私は、連日の運動不足解消のため、少し遠回りの散歩をしました。

 

ホテルに戻る間に、パリに来る前から気になっていた近所にあるらしいGrévin (グレヴァン) ろう人形館に行ってみる気になりました。こちらは、地元の市民家族が集まってきそうな場所だからです。

 

ここは1882年創業のパリ唯一の蝋人形館です。ガイドブックによると、Passage Jouffroy(パッサージュ・ジュフロワ)というこじんまりとしたアーケード街にあるとのことでしたが、アーケードの奥の右手にある扉は閉じられていました。このアーケード街は有名なだけあって、両側には様々な文化的に洗練された店舗が軒を連ねていました。サイズだけでいえば高円寺のパル商店街のほうが大きいのですが…。

 

今日は、3月9日という私にとっては特別な日なので、何があってもこの日は私を見捨てたり失望させたりするはずがない、と思い直してこのアーケード街を出て一回りするとありました。蝋人形館の立派な入り口は、アーケード街の入り口と並んで大通りに面しているではありませんか。そこにはすでに何人もの入場客が集まっていました。

 

ガルニエ宮とはうってかわって、入館はスムーズでスタッフも親切でした。蝋人形館というと、たいていはショウケースに収まっていて、来訪者とは区画され、とくに東京タワーの蝋人形館の記憶があるので、あまり期待はしていませんでした。

 

しかし、この蝋人形館は全く別の世界でした。入館して最初の部屋が、Palais des Mirages(蜃気楼の宮殿)という光と音によるインド的スペクタクルで、1900年のパリ万博に展示されたものとは思えないほどの前衛的な仕掛けでした。等身大というよりは、少し小さめな蝋人形は、訪問者と同じ空間に立っていて、人形とは思えないほどリアルで精巧な作り、そしてファッションの都パリに相応しい衣装をまとっていて、今にも動き出したり、話しかけてきたりするような錯覚にとらわれます。

 

フランスの見学者の特徴として気づいたことは、時間を気にせず、のんびり、ゆっくり、皆で楽しんでいることです。せかせかと先ばかり急ぎがちな人は全く見当たりませんでした。歴史上人物から、各界の有名人まで、ありとあらゆるジャンルの人物が、ショーケースの中ではなく、訪問者と同じ空間で存在感を示しているのです。フランス人は味わい、楽しみ、それを皆で分かち合うことに秀でた人々だという印象をもちました。

 

蝋人形館ですっかり堪能したあと、夕食を済ませて、ホテルにもどる予定でしたが、週末の大通りに面したBarのオープンスペースはどこも若者のグループとたばこの煙で包まれていました。Barの中は原則禁煙であるせいか、テラスにあるテーブルは、単にアルコールとタバコと賑やかな会話を楽しむ若者たちの場になっているようです。白ワインを一杯注文して、初日にMax君に教えてもらった食事がとれるBrasserie(ブラスリー)とよばれるカフェ・レストランを探すことにしました。

 

大通りの反対側も探しましたが、見つかるのはBarばかり、そうしている間に目に入ったのが、ici (ここ、という意味)のLibrarie(書店)でした。地階があって、そこには子供向けの書籍や日本のマンガが並んでいました。

 

私は、C’est quoi La violence?(暴力とは、何なのでしょうか?)というタイトルの絵本と、les JOURNALISTES nous cachent-ils des choses? (ジャーナリストが私たちに内緒にしていることとは?) という2冊を購入しました。

 

これらの本が子供向けだということ、中を読んでみても、それがますます不思議でなりません。フランスの教育は、大人が子供の世界にノスタルジアを感じて、子供のファンタジーに合わせていくという文化ではなく、これから社会を立派に生き抜いていくために必要なことを子供たちにしっかりと伝えていく、といった文化なのかもしれないと感じました。もっとも、これは私の限られた経験の範囲での仮説にすぎませんが…。

 

再び表通りを歩いていて、食事のことを思いだしました。パリの食事で意外だったことは、生野菜をなかなか口にすることができないということです。

 

ですから、野菜不足になったせいか、因果関係は不明ですが、左下の臼歯のクラウンが外れてしまい、少し不自由をしています。そこで、通りを一本入ってみると、やや暗いのですが、さいわいすぐにBrasserieが見つかりました。

 

飲み物とメインとデザートの組み合わせ、しかも、メインはサラダで代用と考えました。ワインは白、それからシーザーサラダを注文しましたが、これが圧巻でした。深みのある大きな皿に、豊富なレタスを中心に、チーズやハムやパン切れまで盛られているのです。

 

野菜不足はいっぺんに解消できただけでなく、デザートが不要になるくらいのボリュームでした。ちなみに、デザートはmousse au chocolat (チョコレートムース)にしましたが、すこぶる甘く、ワインと同時に運ばれたボトル入りの水の3分の2ほど飲むほどでした。

 

いろいろありましたが、やはり3月9日は私を祝福してくれたようです。

 

神に感謝!