2019欧州国際医学会研究旅行 第13日:3月11日(月)

行動目的:

安全確実に帰国し、水曜日からの診療再開に備える。

 

行動計画:

1)ホテルで朝食

2)ルーブル博物館見学

3)凱旋門見学

4)ホテルで休憩

5)今後の医療に向けての展望の考察

6)タクシーにて空港へ

7)空港にて搭乗手続き

 

実際の活動成果:

1)ホテルでの朝食は08:00am

すべて日本人の若者の集団。女子グループ3人と、男グループ3人。若いうちの外国旅行を経験しておくことは良いことだと思います。しかし、グループでの旅行となると、日本文化と日本人の価値観を背負ったまま、つまり日本人のコミュニティーが単に移動しているだけに終わりがちではないのだろうかと思いました。街角で、レストランで、バーや博物館での彼らの行動や言動を垣間見るにつけても、日本人の仲間同士のコミュニケーションに終始しているようなのがもったいない気がしました。フランスに来て、しかもパリのぶんかにふれて、現地のフランス人あるいは外国から来た旅行客との接点を積極的にもとうとしない彼らの姿に幼なさや頼りなさを感じるのは私だけだろうか。いつか、彼らが再びパリに来るときには、本物の国際人になっていてほしいものだと思いました。

 

2)ルーブル見学は10:00amを予定していましたが、帰国の前になってトラブルに巻き込まれるのを可能な限り防ぎたいので、取りやめにしました。

 

3)凱旋門見学も、同上です。とにかくパリの街は、住み慣れてみないと何が起こるかわからないし、少しずつ現場で学んでいくしかないように思われました。さいわいにも、パリの街を自分の足で歩いたり、積極的に地下鉄を乗り継いで移動したりして、何となく空気がわかってきました。しかし、少し路地裏に入ったり、店舗に足を踏み入れてみたりすると、想像もつかない空間が広がり、目新しい文化の数々が展開してくる、というエキサイティングな街であることは確かです。ガイドブックやガイドツアーは、上手に活用できればそれに越したことはありませんが、失敗は必要経費と考えておいたほうが良いのかもしれません。失敗を恐れず、果敢に冒険してみること、これは体で学ぶ、まさに体験学習です。体験ということばは、経験という言葉より生き生きとした若さと、再創造のエネルギーをもっているように思われます。

 

4)ホテルの自室で書き物をしていると、客室メインテナンスの係員が午前中から懸命に働いているのがわかります。部屋の外のノブに清掃希望もしくは休憩中の札を出しておかないと、ノックされます。Oui, bonjour!と言って、慌てて部屋をでてみると、肥満気味の中年の黒人女性でした。Bonjour ma’m! Je reste ici jusqu'à trois heures après midi.(おはようございます。私は午後3時までこの部屋にいます)と伝えたのですが、キー・カードを持たずに部屋をでたので、自分自身をうっかりロック・アウトしてしまいました。慌てて出てきた言葉が、 I’m locked out!でした。こういう時にとっさにフランス語がでてこないのは、まだまだな証拠です。彼女は、I’m sorry.と言ってマスターキーでドアを開けてくれました。その目元は慈愛に満ち、口元には微笑をたたえていました。私は、パリ滞在中には朝食後ほどなくして外出していたので、こうして目立たぬところで働いている彼女たちの姿に気が付きませんでした。

 

5)さて、頭を日常診療に切り替えてみることにしましょう。

私は困難な現状において医師達を奮い立たせ、医療崩壊を防ぐには、国民からの理解こそが最も重要なものの一つだと思っています。これまでは国民からの感謝の気持ちが私たちの世代までの医師達を支えてきました。

 

しかし、ヒラリー・クリントン米上院議員がかつて日本の病院を視察した際に、日本の医師や看護師の働きぶりをみて「聖職者さながらの自己犠牲」と感嘆したそうです。この話は、今回、米国の複数の医師たちから聞いて初めて知りました。

 

だから、彼らはチャンスがあってもWHOから世界一と評価されるほどの成果を上げたのに、医療費単価が世界最低水準なままの日本で奴隷のような仕事をしたいとは思わないそうです。

 

この事実はかなりショックだったので、真偽を確かめるためにネットで検索してみました。すると、私よりはるかに賢明で事情通な医師の方がおいででした。その方は、ヒラリー・クリントン女史のコメントの件はすでに周知のこととしていました。

 

そこで山口赤十字病院の村上嘉一医師のコメントの概要を引用しました。

 

<日本の医療水準の高さや現場の窮状が報道されることは、ほとんどありません。一方で、医療事故のニュースは連日報道されるが、背後にある疲弊した医療システムの問題は取り上げられず、事実が確認できていない情報で当事者を断罪するような報道さえあります。さらには、マナーを守らず、他の患者さんや医療者の事情には配慮しようとしない自らの権利ばかりを主張する患者さんが増えたことも、医師達から力を奪い、自分を犠牲にしてまで奉仕しようとする気持ちを失わせているという明らかな現実に直面しています。

『患者さんのために立派な医師になろう』と考えている若い医師が、次第に患者さんのことを思いやれなくなっていく流れは悲惨そのものです。私たちの世代の医師たちは、これまでは、それにもかかわらず、使命感に燃え、患者さんを思って献身的に医療に取り組んでこられました。そうした努力の結果である日本の医療水準の高さや現場の窮状は、ほとんど報道されません。一方で、医療事故のニュースは連日報道されています。>

 

確かに、事件や事故の背後にある疲弊した医療システムの問題は取り上げられず、事実の裏付けをとらないまま、読者の受けを狙った週刊誌まがいの記事で当事者を断罪するような報道さえあります。

 

さらに、村上先生はこう続けます。

<マナーを守らず、他の患者さんや医療者の事情には配慮しようとしない自らの権利ばかりを主張する患者さんが増えたことも、医師達から力を奪い、自分を犠牲にしてまで奉仕しようとする気持ちを失わせています。医療というのは、『心』が占める範囲が非常に大きい行為だ。どんなにシステムが完全であっても、義務や強制力で医師をしばりつけても、『こんな医療やってられるか』と思っている医師達に治療されては、患者さん達は決して幸せにはなれない。このままでは医師も患者さんもどちらも不幸だ。>

 

まったく、おっしゃる通りでご尤もです。だから、医療は医療従事者だけで成り立たせようという仕組みでは、限界にきているのだと思います。

 

どんなに献身的な医療を続けていても『こんな医療やってられるか』と思っている医師達は、聖職者のような天使のようなスピリットは持てません。かえって、悪魔のように底意地の悪いキャラクターが形成されていくことでしょう。

 

新しい時代を迎えるにあたって、これらの困難を乗り越えていくためには、行政にリードされたり、心無いマスコミの餌食にされたりしないで済む新しい方法が必要です。その解決策はとても簡単です。患者さんと共に新しい医療機関のモデルを創設することです。患者さんは単にお客様扱いされることを望むのであれば、少なくとも世界標準の医療費を負担すべきでしょう。しかし、多額の自己負担をしなくても、納得のいく医療を受けることは可能です。それは、自らが医療機関の経営陣の一員としての意識改革をすればよいだけの話です。それが実行できれば、壊滅的な医療崩壊を未然に防ぐことが可能になるでしょう。

 

 

なお、2019欧州国際医学会研究旅行報告の第14日:3月12日(火)で、私は、すでに機上の人になっているので、学ぶことが多い山口赤十字病院の村上嘉一医師のご意見の続きを取り上げることにします。