2019欧州国際医学会研究旅行詳細日程 第1日:2月27日(水)

Wien到着(6:00am)

 

行動計画:

①Wien市内のHotel Ananasへ(荷物預け)

② 市内のWien国立音楽大学へ(11:00am~)

③★★★★Hotel Ananasチェック・イン(03:00pm~)

④フォルクス・オーパーへ(開演06:30pm)オペラ・ピノッキオ/PierangeloValtinoni

 

 

 

活動成果:

①Wien国際空港には、予定より15分早めに到着。

機中(ANA)は、比較的快適でした。

 

深夜(01:55)出発の便は、身動きの取れない状態での機内食の提供が1回なので消化管への負担が少ないうえに、到着後の1日がフルに活用できるメリットに気が付きました。ただし、欠点は初日のチェックイン(15:00)までの時間が長いことです。

            

空港から市内の交通の要衝であるウィーン・ミッテ駅に直結している列車(CAT)が速くて快適です。3月3日と4日に開催される国際線維筋痛症学会の会場は、この駅を出てすぐの通りに面しているヒルトン・ホテルです。

            

しかし、ここまでの間に、すでに大失敗をしてしまいました。それは、メガネの喪失です。これは、早急な対応を要します。

            

定宿のホテルの前の地下鉄U4路線のPilgramgasse駅が来年の1月まで改修工事で閉鎖されているため、一駅手前のKettenbrücken駅で下車して15分ほど歩きました。それでも07:35には、宿に到着することができました。さっそく、留守中の診療所を管理している野口氏、本日おせわになるピアニストの今泉弘江さん、去年、お世話になったピアニストでテノールPablo Cameselle先生の仕事仲間でもある由里Pranzlさんとネットで連絡を取りました。大きな荷物だけホテルに預かってもらい身軽になりました。

        

 

②Wien国立音楽大学は、U4路線のSchönbrunn駅から歩きました。

           

ホテルの最寄りの駅が使えないことで、外出のたびに必ず一駅は歩くことになりましたが、快適な天候であり、時差を積極的に解消するためにも役に立ったような気がしました。

 

伴奏ピアニストの今泉弘江さんには、ここ数年お世話になっています。

 

声楽レッスン指導者はソプラノのClaudia Visca教授、ピアノ伴奏者は今泉弘江さんで、このお二人には毎年お世話になっています。

 

声楽個人レッスン(於:ウィーン国立音楽大学)は予定通り、11:00から1時間。

(公用語表記: ドイツ語: Universität für Musik und darstellende Kunst Wien)

(英語表記: University of Music and Performing Arts Vienna)

 

これまではドイツ語でのレッスンでしたが、今年はレッスンの録音をすること、報告の便のために英語でのレッスンをお願いしました。Visca先生は67歳とのことで、ウィーン在住歴は長いのですが、米国人です。

 

 

レッスン曲目:

1)コンコーネ50番(イタリア語訳小倉百人一首歌詞付き)から5曲(No8,9,11,16,26)

 

2)モーツアルトのオペラ・アリアから・オペラ「ドン・ジョヴァンニ」第1幕から

Dalla sua pace la mia dipende(彼女こそ私の宝)

 

レッスン内容は、聖楽院所属の皆様には後日、音源付きでご報告いたします。

     

さて、レッスンの後は心地の良い公園の中を通り抜けて再びU4のSchönbrunn駅に戻りました。U4の路線は最も慣れ親しんだ路線で、丸ノ内線のミニチュア版のような感じです。ただし、ターミナルの駅名が、HütteldorfとHeiligenstadt、前者が荻窪駅だとすると後者は池袋駅ということになるでしょうか。頭文字がいずれもHなので、混同しがちです。チェックインの15:00までに時間があること、

    

乗り放題の1日券をもっていること、などもあるため両方の駅まで乗車してみました。まず、Schönbrunn駅から近いSchönbrunn駅、引き続き、逆方向のHeiligenstadtに向かいました。

 

Heiligenstadtはベートーベンゆかりの土地、近くにはホイリゲで有名なGrinzingがあります。Heiligenstadt駅前にはすでにバスが停車していたため、目的地も確認せずに乗り込んだところ、幸いGrinzing行きでした。下車してすぐに教会の尖塔を発見しました。このそばを通りかかったときに鐘の音が重厚に鳴りました。帰りには立ち寄るようにという神様のお告げのような気がしました。さて、ホイリゲといえば夕刻以降の酒場ですが、ランチタイムも営業しているZum Martin Seppというホイリゲをすぐ近くに見つけました。この店は、すでにお客で賑わっていました。平日の昼下がりということもあってか、ドイツ語の世界でした。

 

私は声楽レッスンを終えたあとの解放感も手伝ってか、ハウスワイン(白)を注文して堪能した後、Spezialitëtenのリストの中からThymianbuchteln mit Schwammelgulasch(vegetarisch)を選びました。

Thyme filled yeast dumplings with mushroom goulasch(vegetarian)という英語表記も書かれていたのでイメージしやすく助かりました。

二つ目はSuppennの中からAlt Wiener Suppenntopf mit Nudeln,Rindfleisch und Gemüseを選びました。昔のウィーン風のスープというのに惹かれたのと、内容がうどん、牛肉、野菜類というのが分かりやすかったからです。

スープの塩気はごく薄口で、セロリをはじめとする野菜の風味とサイコロ型の牛肉が程よく調和していて美味であると同時に、食後に疲れが癒された実感がありました。給仕人はやや年配の素朴で誠実な微笑を浮かべた現地の男性でした。彼は、私の希望や好みを上手に聞き取り、平易で聞き取り易いドイツ語の平易な言葉で物静かに丁寧に話す方なので、とても良い印象を持ちました。

 

     

食事の後に、先程目に留まった教会を訪れました。Pfarrkirche Grinzing十いう名のローマ・カトリック教会でした。聖堂ではすでに祈りを捧げている男性がいて、私もしばらく時間を過ごしましたが、教会の外に出るとまた鐘の音が響き渡りました。

     

ホテルに戻ったのはちょうど15時過ぎで、正式のチェックインを済ませて、部屋でインターネットを整備したところ、カトリック医師会から私指名でメールが届いていました。それは、筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)についての講演の示唆です。この病気は、線維筋痛症との合併例も多く、両者の異同は必ずしも明らかではありません。

     

また、ピアニストのPranzlさんからもメールが届いており、17:30にVolks Operの前のカフェで会うことになりました。30分程度でいたが定評あるメランジェを飲みながら今後の音楽活動について語り合いました。

 

   

 

④オペラ観劇(於:国民歌劇場/Volks Oper)

 オペラ・ピノッキオ/PierangeloValtinoni

 

可愛くて元気な子供たちが多数出演していて、童心にかえることができました。家族連れが目立ち、出演している子供たちのフィナーレには盛んに」声援を送っていました。

       

ピエランジェロ・ヴァルティノーニのオペラ「ピノッキオ」は、子供たちにオペラのライブの魅力を知らせるのに理想的との定評があります。カルロ・コッローディの「ピノッキオの冒険」に基づいて、パオロ・マドロンが書いた「才能あふれる人形ピノッキオ」の台本に、ヴァルティノーニが曲をつけ、2001年、ヴィチェンツァのオリンピコ劇場で初演されました。ヴァルティノーニは、その後、タイトルを単に「ピノッキオ」と短くし、作品は1幕ものから2幕ものへと長くしました。この新しいバージョンは、2006年、ベルリンの コーミシェ・オーパーで初演され、3年間のロングランとなりました。評論家たちは、ヴァルティノーニの音楽について、プッチーニ、ラヴェル、バーンスタインの抒情性や響きを持つものだと絶賛しました。オペラ「ピノッキオ」は、物語性についても、さまざまな点から評価すべき点が多く、音楽性のみならずストーリーテリングの最高峰とも言えるでしょう。

 

ピノッキオは人形であるにも関わらず、他の少年たちと同じように、自分で歩いたり話したりできます。ピノッキオを作った大工のジェペットは、彼を学校に送りますが、ピノッキオは、マリオネット劇場に行ってしまいます。この劇場の親方マンジャフオコは、新しい演目のためのストーリーが見つからず、ピノッキオに託して旅立たせます。旅の途中、ピノキオは泥棒に遭い、お金も、食べ物も宿も失い瀕死の状態であったところ仙女に助けられ、息を吹きかえします。けれども、仙女に苦境のわけを尋ねられた時、彼女にバカだと思われることを恐れて嘘をついてします。すると彼の鼻はどんどん長くなってしまい、仙女は、本当のことを言わなければ、どのような結果になるかをピノッキオに忠告します。

 

ピノッキオは旅を続けます。途中で、誰も仕事も勉強もしなくていい、怠け者の国を知り、その魅力に勝つことができませんでした。それは実は意地悪な魔法使いの作り出した世界でした。その魔法使いは、囚われ人をロバに変えてしまいます。自分の姿の変化に驚いたピノッキオは、海に飛び込み、サメに飲み込まれてしまいます。そして、そのお腹の中で、ピノッキオを探して旅をしていたジェペットに出会います。