今回の「水氣道と私」は、30代の男性より。

 

初めて参加された時の感想を綴っていただいきました。

 

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初めての水氣道では、動きの単調さにがっかりした。

 

プールの中でただ歩くだけ。

 

5分もすると「本当に意味があるのか?」と疑わずにはいられなかった。

 

ただ、せっかく来たのだからと最後まで体験する。

 

約1.5時間の水氣道が終わり、プールから出ると体が重い。

 

その後、帰宅してすぐに寝てしまった。

 

自分が思っている以上に疲れていることに驚き。

 

また、その日はいつもよりよく眠れた。

 

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※「水気道の動きが単調でがっかりした、ただ歩くだけ。」

 

たぶん準備運動の親水航法のことであろうと推察します。

 

しかし最後まで体験したことで気づいたことが沢山あったと思います。

 

※「体が重いと感じたこと。その後帰宅しすぐに寝てしまったこと。」

 

ご本人が思っている以上に疲労感を覚えたこと、通常よりも熟睡出来たこと。

 

なんと素晴らしい発見と思いませんか?

 

第一印象とは全くかけ離れていることに気づかれたと思います。

 

たかが水気道、されど水気道。

 

大自然の水を侮るなかれ、ドクターが言うように母体の羊水に包まれている赤子であることを感じ取ったのではないでしょうか。

 

私はそう思いました。これからも赤子の気持ちで水気道を楽しんでください。

 

 

日本水氣道協会 上席支援員 水氣道従弐段下

水氣道活水航法 直伝 林 亮博(はやし あきひろ)

ウィーンの街は、美しい街並みで有名ですが、ドナウの流れも空気もきれいです。

 

 

私の定宿であるAustria Trend Hotel Ananasの入り口では、かつては多数の宿泊客が常時紫煙をくゆらせているので咳き込むほどでしたが、最近ではかつてに比べて人数が減り、快適になりました。私の部屋のテレビスクリーンをオンにすると、真っ先に表示されるのが禁煙についてです。

 

それから、地下鉄の駅の構内での禁煙の掲示も目につきます。

 

診察室では、初診の患者の皆様にも、喫煙者には禁煙をお勧めしていますが、外国での禁煙のトレンドについても、〔番外編〕として、ご紹介しておきましょう。

 

ウィーンの高級ホテルは若干プライドが高いためか、原文のニュアンスでは多少厳しい表現のような印象を受けましたが、日本語に馴染むように、なるべく自然な表現に訳してみました。

 

 

#1.ホテルの例

 

Sehr geehrter Gast,

 

Wir möchten Sie darauf hinweisen, das Sie ein Nichtraucherzimmer bewohnen.

 

Alle Zimmer unserer Hauses sind Nichtrauchzimmer.

 

Sollten Sie dennoch in Ihren Zimmer rauchen,sind wir gezwungen,

 

für eine Spezielreinungr eine spezielreinung 50 EUR in Rechnung zu stellen.

 

Durch Zigarettenrauchen verursachte Aktivierndes Brandmelders wird Ihnen der

 

Feuerwehreinsatz zusätzlich verrechnet. Dieser beläuft sich

 

in der Regel ab 350,00 EUR.

 

 

お客様各位

 

お客様がご利用いただいているのは禁煙の客室でございます。

 

私どものホテルは全室禁煙となっておりますのでご注意いただきたく存じます。

 

それでもあえてお客様の室内にて喫煙される場合は、

 

特別クリーニング代としてお客様に50ユーロをお申し受けます。

 

喫煙されると火災警報が作動し、防火体制手数料が加算されることになります。

 

通常では350ユーロになります。

 

 

コメント:ホテルならではの慇懃な表現です。

 

法的規制について触れることなく、これはまさにホテルの掟です。

 

船や飛行機が独立の行政組織のように機能することもありますが、

 

ホテルにも独自のルールがあって、

 

宿泊客といえどもそのルールには従う義務がある、ということです。

 

 

 

#2.地下鉄のホームの掲示板の例

 

Rauchen Kann Ihr Geldbörsel belasten.

 

Rauchen im Bereich der U-Bahn kann Sie 50 € kosten.

 

Weggeworfene Zigaretten können in Miatkübeln 

 

und dem Gleiskörper Brände verursachen.

 

Das gesetztliche Rauchverbot in allen Fahrzeugen und U-Bahnstationen

 

Ist daher unbedingt zu befolgen!

 

Die Stadt gehört Dir.

 

 

Wiener Linien

 

www.wienerlinien.at

 

 

喫煙するとあなたの財布に負担が掛ります

 

地下鉄の管内で喫煙すると50ユーロが課されます。

 

投げ捨てられたタバコがゴミ箱に集められることがあり、

その吸い殻が原因となって火事を引き起こすことがあります。

 

喫煙禁止法により、すべての車両および地下鉄構内では

これを厳守することが義務付けられています。

 

街はあなたのものです。

 

ウィーン交通局

 

 

コメント:いかがでしょうか。私は喫煙者ではないですが、ウィーン交通局の掲示文の方が好ましく感じられました。

 

日本で良くありがちな、当局が立法規制に従わなければならないことを盾に取って振りかざしているわけではありません。

 

このメッセージを逆にたどれば、こうなります。

 

 

あなたが愛する街なのですよ。

 

⇒その街に火事を起こしたくはないですよね。

 

⇒あなたの財産も減りますよ。

 

日頃、<喫煙者には愛を>と呼びかけている私は、

 

ウィーンの地下鉄が益々大好きになりました。

 

 

まとめ:ウィーンの禁煙の掲示を見ていて気付いたのは、個人や集団の健康被害のことには一切触れていないということです。

 

つまり、喫煙による健康障害や他者加害については常識だからなのでしょうか。

 

<健康のために吸い過ぎに気をつけましょう>などとやむなく無責任な表示をしている日本のタバコ会社とは大違いです。

 

吸い過ぎなければ健康は維持できるかのような誤解を与えているとすれば、明らかな詐欺です。

 

<吸い過ぎ>という定義や根拠のあいまいな表現を好むのも日本人の残念なところです。

 

日本人の禁煙意識、あえてする喫煙に伴う義務と責任感についてはまだまだ遅れていると考えざるを得ませんでした。

 

日本日時3月18日11:00pm

(現地Wien 日時:3月18日3:00pm)

 

 

絶えず日本時間を確認しながら行動しないと、帰国後の時差障害で苦しむことになります。

 

日本時間3月18日4:00am(現地Wien時間:3月17日8:00pm)

 

私の声楽の先生の一人であるテノール歌手Pablo Cameselle氏のコンサートを聴くためにコンツェルトハウスのシューベルト音楽堂に向かいました。

 

コンツェルトハウスといえば、ウィーン交響楽団の本拠地であり、楽友協会と並ぶウィーンの2大コンサートホールとして有名です。

 

Wien滞在中の私は、これまで国立歌劇場か国民歌劇場(フォルクスオーパー)(シュターツオーパー)のみだったのが、昨年は楽友協会(ムジークフェライン)のチケットをプレゼントされて初めて聴くことができたのを思い出します。

 

 

以下が広告のポスターです。

 

Latin Classic Ein unvergesslicher Abend mit Latino Flair im Wiener Konzerthaus Werke von berühmten spanischen und südamerikanischen Komponisten sowie Amiris bekannte Kompositionen Tangos, Gitarresolos sowie stimmgewaltige Künstler bereichern das Programm. Pablo Cameselle Tenor, Gonzalo Manrique Gitarre, Pablo Rojas Klavier ton. pendium Ensemble Wien, Carlos Pino-Quintana Dirigent Sa. 17. März 2018, Beginn 20:00 Uhr, Schubertsaal

 

 

ラテンクラシック

ウィーン・コンツェルトハウスで忘れられないラテンの雰囲気に包まれた夜を

有名なスペインと南米の作曲家やAmirisの作曲による作品

タンゴ、ギターソロ、ボーカルアーティストがプログラムを充実させます。

 

Pablo Cameselle Tenor、Gonzalo Manriqueギター、Pablo Rojasピアノ。

pendium Ensemble Wien、Carlos Pino-Quintana指揮者

2018年3月17日土曜日、開演20:00、シューベルトホール

 

 

チケットは、予定通り、本番30分前にPablo先生から受けとり、そこで、ピアニストYuri Pranzlさんを紹介していただきました。

 

彼女と隣同士の席をアレンジしていてくれました。Yuri(由里)さんは名古屋出身で桐朋音大をご卒業の後、ウィーン国立音楽大学に留学、現在も市内に御在住です。

 

昨年、Pablo先生からいただいたタンゴCDのジャケットで彼女の写真の見覚えがあるため、初顔合わせという気がしませんでした。

 

 

コンツェルトハウスには複数のホールがあり、シューベルトホールは300人収容ですが、とても立派なホールで、雨交じりの雪と寒風の夜であるにもかかわらずほぼ満席でした。

 

演奏後の聴衆が起立して拍手するスタンディング・オヴェ―ションというものを初めて体験しました。

 

演奏後、Yuriさんに誘われて、楽屋のPabloさんに挨拶にいきました。

 

Yuriさんにトスティ50番を小倉百人一首のイタリア語で歌うお話と、水氣道の紹介を簡単にしたところ、興味を持っていただくことができました。

 

そこで、さっそくYuriさんの御自宅に伺って伴奏していただくことになりました。

 

 

タンゴは19世紀後半にアルゼンチンの都、ブエノスアイレスで起こった4分の2拍子系の舞曲、つまりダンス音楽です。

 

Pablo先生たちの演奏は、タンゴ本来の荒々しい踊りを思わせる激しい音楽ではなく、メリハリが効いてはいても、クラシック音楽に対する耳が肥えているウィーンの聴衆を満足させるような、とても洗練された調和のある音楽でした。

 

 

Pabloの声は高音も無理なく良く通るだけでなく、フレーズを長く支えることができ、デミュネンドも繊細で表現豊かです。

 

昨年「技術によって豊かな感情表現が可能になるのであって、その逆ではない。」ということを教えてくれました。

 

逆に言えば「最初に技術ありき。感情移入して技術をないがしろにしてしまうと、まっとうな表現ができない。」というアドヴァイスを思い出します。

 

 

ホテルに戻り、次の予定に備えて仮眠を摂りました。

 

 

Wien時間で6:30am(日本時間で2:30pm)に日曜日の朝食を摂り、7:30am(日本時間で3:30pm)に臨床心理士のHarald Mori先生が、約束通りにホテルまで迎えにきてくれました。

 

彼とはすでにファーストネーム(ハラルド、マサヒロ)で呼び合う仲です。

 

 

ウィーン郊外のヴァッハウ(Bachau)渓谷への半日ドライブでした。

 

互いのコミュニケーションはドイツ語交じりの英語でいきました。

 

テーマは互いに共通する仕事のこと、研修や研究のことが中心でしたが、ハラルドの旅行ガイドが間に入って、実にヴァリエーション豊かでした。

 

また、ドライブの後、昨日初めて知己を得たYuriさんからハラルドと共にお茶の御招待を受けることになりました。

 

 

ハラルドは臨床心理士として市内の自宅で開業の傍ら、ウィーン大学の医学部やヴィクトール・フランクル研究所で、医学生や心理学専攻の学生を教育しています。

 

フランクルは自らがナチスの収容所に送られた経験のある著名なユダヤ人医師ですが、ハラルドはフランクルの最後の弟子です。

 

そのハラルドは、来年3月には、日程をすり合わせてくれるということなので私も授業に参加することになりました。

 

また、昨年彼からいただいたドイツ語の原書を英語に翻訳し、さらに日本語訳にすることの打ち合わせもドライブ中に済ませました。

 

彼は、フランクルの実存心理学の専門家ですが、授業の内容は、そもそもの心理学発達史から解きほぐすことからはじめるのを常とし、学問や時代背景を踏まえながらフランクルの医学について講義するのだそうです。

 

特に臨床家は、自分が専門とする技法に目の前の患者が乗ってくるかどうかという従来の視点だけでは、多くの患者を救えないので、心理学の全体像を、歴史的な発達背景を含めておさえておく必要があるという彼の主張には、深く共鳴できました。

 

 

さてヴァッハウ渓谷に話を戻します。

 

この渓谷は、ドナウ河流域で最も美しいことで有名であり、2000年に世界遺産に登録されています。

 

曇天で雪が残っていたため、水墨画のようでもあり本来の『美しく青きドナウ』のイメージとは異なりますが、日本でいえば最上川を想起させる風景でした。

 

このあたりは古来より交通の要衝であったためか、いくつもの古城や修道院が見られます。

 

先日からの小雪は、寺院や古い建築物の輪郭を浮き立たせ、また岸辺の斜面に延々と続くブドウの段々畑の構造を明確にするのに役立っていました。

 

 

最初に下車したのはドナウ川左岸のクレムス(Krems)。

 

バッハウ渓谷の東端に位置しているので、ウィーンから車を走らせると、入り口に当たります。

 

町の南を西から東へドナウ河が流れ、北方に連なる河岸の丘陵は、南面のほとんどをブドウ畑で占められているように見えました。

 

ドナウ河遊覧船の乗り場があり、観光シーズンには、歩行者天国などでは訪問者で溢れかえるそうですが、この季節はオフシーズンでもあり、遊覧船の発着もなく昨日来の雪が残る岸辺は閑散としていました。

 

しかし、平たい大型の船舶が河を行き来している様子は十分楽しむことができました。

 

 

そこから橋を渡って右岸に沿って車を走らせると、その丘陵は北側に面しているためブドウ畑はなく、ドナウ河の両岸は別の世界のようにも感じられました。

 

しばらくして山上のメルク修道院(Stift Melk)が迫ってきました。

 

そこで二回目の下車をして、メルク修道院と付属教会を訪れました。

 

ハラルドによるとメルク修道院は、オーストリア第一の修道院とのことでした。この修道院の由緒は、11世紀、ベーベンベルク家のレオポルド1世が建てたベネディクト会修道院です。

 

18世紀に改築され、オーストリア・バロックの至宝の名に相応しい華麗な姿を今に残しています。

 

日曜日の礼拝に預かる人々が聖堂から降りて来るので、互いの目が合うたびにGrüß Gott(グリュース・ゴット)と自然に挨拶しました。

 

それがドイツ南部からオーストアに広がるカトリックドイツ語圏の素晴らしいところです。

 

「こんにちは」に相当しますが、元来の意味は、「神に挨拶」あるいは貴方に神様の御加護がありますように」という祝福の言葉です。

 

わたしは、この挨拶で癒されるので、とても気に言っています。

 

さてこの修道院は、マリー・アントワネットがフランスのルイ16世の元へ嫁ぐ途中で、この修道院で一泊したのが1770年とされますから、きっとこの修道院が改築されたばかりの頃だったのではないかと考えてみたりもしました。

 

 

そこから再度橋をわたって左岸に戻り、ドナウ河の流れに沿うてウィーンに戻る途中でシュピッツ(Spitz)を経てデュルシュタイン(Dürstein)で最後の下車をしました。

 

ドナウ河を背にして、山稜を見渡すと、急峻な山上には、いかにも廃城と見て取れるみケーンリンガー城が聳えていました。

 

この廃城にまつわる歴史のキーワードについて、ハラルドが繰り返し教えてくれたので覚えているのが、イギリスのリチャード獅子心王の名です。

 

後で調べてみると、これが実に興味深い話でした。英王リチャードは第3回十字軍遠征から帰還するにあたって、オーストリア公レオポルド5世の怒りに触れ、1192~1193年に、この城に幽閉されていたようです。

 

この十字軍参加の折、敵の返り血を浴びて全身赤く染まったが、ベルトの部分だけは白く残ったという伝説が、上から赤・白・赤のオーストリアの国旗のデザインになったとのこと。

 

この経緯から、第3次十字軍が終わった後にイングランド本国に帰還しようとしていたリチャード1世を逮捕し、その身柄を聖ローマ皇帝であったハインリヒ6世に引き渡した。

 

そして、莫大な身代金を受け取ることでリチャード1世を釈放しています。

 

しかしサラーフッディーン(サラディン)と並び「獅子心王」とまで称される英雄リチャード1世を逮捕したことは、ローマ教皇ケレスティヌス3世の怒りを買うことになり、レオポルト5世は破門されてしまいました。

 

そして1194年、落馬事故が原因であっけなく死去しました。

 

 

落馬が原因で死去ということで思い起こすのが源頼朝。

 

獅子心王リチャードがケーンリンガー城に幽閉された1192年は、ちょうど日本では頼朝が鎌倉に幕府を開いた年に相当します。

 

イングランド王リチャード一世(1157~1199)は、ヘンリー二世の三男で、が獅子心王と呼ばれ敬愛されたのは、彼が勇敢・寛大で、中世騎士の典型とされたためのようです。

 

しかし、彼は第3回十軍に出征して帰国後、フィリップ2世(フランス王)と交戦して戦死しました。

 

計算してみるとデュルシュタインの幽閉を解かれて英国に帰国後6年目のことです。

 

 

修道院教会(Stift Dürstein)に立ち寄りましたが、修道院関係者以外は3月一杯まで閉鎖されているようで、聖堂内に立ち入ることはできませんでした。

 

その代り、近くの小さな落ち着いた雰囲気のレストランでアメリカンコーヒーとウィンナーソーセージのみの軽い昼食を楽しみました。

 

 

ウィーンに戻ると、ハラルドと共に招待されていた由里さんの御自宅を訪問しました。

 

そこでコーヒーとチョコレートでお茶の時間を楽しい会話でしばらく過ごしてから、由里さんにピアノ伴奏をお願いし、ハラルドを唯一の聴き手として、トスティ50番作品1から7(イタリア語訳詞)、コンコーネ50番作品50(日本語原詞)を歌いました。

 

ハラルドの所望もあり、都合8曲を歌うことになったのですが、その後の会話も弾みました。

 

 

Yuriさん邸を出ると、音楽館(Haus des Musik)の隣に位置するウィーン国立音楽大学第1区の校舎まで、ハラルドに送ってもらいました。

 

ここで4:45pm(日本時間0:45am)からPablo先生の個人レッスンを受けるためです。

 

日本では日付が変わり19日月曜日になるので、本日の報告はここまでとします。

風邪の症状と花粉症

 

3月に入って暖かい日が増え、花粉症のシーズンとなりました。

 

Nogucciも目が痒くなり、お薬を頂いています。

 

 

気温の変動も激しく、体調を崩しやすいです。

 

昼に気温が上がり、朝晩が急に冷え込む、日中の変動だけでなく、2~3日暖くなったと思うと急に冬に戻ったような気温の低い日が来る。

 

そんな日が続いています。

 

 

体調を崩し、風邪の諸症状で来院される方が増えました。

 

症状をお聞きすると、「鼻水、鼻づまり、のどの痛み、頭痛」等が多いようです。

 

 

この症状だけ見ると花粉症と同じ?と思った方は鋭いです。

 

この時期には、花粉症を合併していることも多いのです。

 

 

「風邪で来たのに花粉症?」と思われる方もいますが、花粉症も一緒に良くなればラッキーだと思いませんか?

 

さらに花粉症の症状が良くなれば風邪の諸症状も良くなります。

 

一石二鳥です。

 

 

ここからが本題です。

Nogucciに風邪の症状を言ったのに、花粉症の問診表を渡されたら、ご協力をお願いします。

日本日時3月17日11:00pm

(現地Wien 日時:3月17日3:00pm)

 

 

昨日が脚を使った巡礼の日であったとすれば、

 

本日は、乗り継ぎによる移動の日、そして素晴らしい再会と出会いの日でした。

 

 

Rüdesheimは聖なる町であり、朝5時には教会の鐘が朝ミサの刻を報せます。

 

これを起床の鐘としている地域住民も少なくないことでしょう。

 

限られた旅行日程ではあるため、教会の朝ミサや、地元の男声合唱団の礼拝コンサート、ホテルにはプールもありますが、いずれも諦めて、移動の準備をせざるを得ませんでした。

 

最低二泊しないと、その土地ならではのせっかくの体験を期待することが難しいことに改めて気が付きました。

 

 

また宿泊したHoteltraube Rüdesheim の朝食開始時間は、ふだんは6:30amですが、週末は7:00amとのこと。

 

こうした事情があるということは、先を急ぐ旅人にとっては旅程を決めるにあたってとても大切なことです。

 

特に、飛行機での移動がある場合にはなおさらです。朝食はあきらめて、早々とチェックアウトを済ませました。

 

 

Rüdesheim ⇒ Frankfurt国際空港への移動

 

Frankfurtを経由しない空港直行便とFrankfurt経由便の2種類がありました。

 

すでに駅構内に電車が入っていたので、直行便の切符を購入しました。

 

しかし、その電車は予定の電車と違い、Frankfurt経由便でした。

 

 

そこで、Rüdesheim ⇒ Wiesbaden中央駅、乗換、⇒Mainz中央駅、乗換⇒Frankfurt国際空港というコースを辿りましたが、各駅のホームはとても寒く、予定より時間を要しましたが、十分早めに出発したため時間的、精神的な余裕は保てました。

 

 

Frankfurt国際空港(ドイツ連邦)⇒ Wien国際空港(オーストリア共和国)

 

Frankfurt空港に到着し、軽食を済ませたのが現地時間の9:00amでした。

 

その時間は、日本時間で土曜日の水氣道が終わる5:00pmなので、水氣道に参加している皆様に激励のメッセージをと思い立って野口氏に電話をしたのですが、生憎、着替え中で不如意だった模様です。この空港での搭乗時間が11:50amなので、時間的な余裕はありました。

 

 

空港の出発ロビーに早目に到着しておくと、パソコンでの学会関連資料の作業が捗ります。ベルリンでの私自身の発表の準備は完了しているので、他の時間帯のセミナーのレジュメを読んで、どれに出席するか最終決定したのも、この合間の2時間でした。

 

 

しかし、平和もつかの間、気が付かない間に、突如、出発ゲートが変更になったのには驚きました。

 

同じ便に搭乗する予定の中年女性が「自分の便が掲示板に見当たらない」という意味のドイツ語で心配そうに私に尋ねて来るので、掲示板と私の搭乗券を改めて見比べてみました。

 

すると私の搭乗券には、搭乗時刻が11:50amではなく11:20amと打刻されているではありませんか。そこで、私自身も驚きながら、その女性にEs hat sicher verändert. Von A21 nach A13. / Anyway, it seems changed.(確かに変わっています。A21からA13へ。/ とにかく変更のようです。)ととっさに対応しました。

 

あやふやなドイツ語を口走ってしまったために、英語をつけたしました。空港側からは結論だけ表示されていて、変更についての説明がありません。

 

それでは彼女も私も乗り遅れたのかと焦るのも無理がありません。他にも同様に困惑顔の現地人らしき旅行客がいました。

 

 

もし、この女性が尋ねてくれていなかったら、私自身の移動も危うかったかもしれません。

 

突然の変更に対するアナウンスがあるものと信じ、ドイツ語と英語のモードの耳にして待機していましたが、期待外れでした。これでは、果たして変更なのか、表示ミスなのか判然としません。

 

早い段階でA13ゲートに移動できたのは幸いで、移動できた乗客だけが、その場のグランドホステスからの説明を直前で受けることができました。

 

しかも、出発が遅れることも知らされました。こんなことがあるから、空港には早目に到着して、余裕を確保していないと大変な目に遭いかねない、ということを実体験した次第です。

 

 

Wienへ向かう便の機内飲食サービスは、食事の時間帯ではなく、しかも短時間の飛行のためかサンドイッチと飲み物という軽食でした。

 

私の飲み物は、Apfelsaft gespritzt, bitte!(炭酸入りのリンゴジュースをお願いします)といって受け取りました。

 

中欧圏に滞在していると、なぜか私の身体が炭酸水を求めるようです。いろいろあって疲れたこともあり、カフェインやアルコールは遠慮することにして、ジュースをと考えました。

 

しかし、甘過ぎて、まったりし過ぎるのも困りもの。そこでリンゴジュースを炭酸水で割ると、甘さが抑えられスッキリとした喉越しになり、リフレッシュすることができます。

 

これは、ウィーンのフォルクス・オーパでのオペレッタの幕間の休憩時間に覚えた味覚です。

 

 

Wien国際空港⇒Hotel Ananas

 

ウィーンは粉雪が舞っていました。空港からの直通列車16分でウィーン中央駅に到着し、そこで72時間チケットを購入すると、その間、電車やバスは乗り放題。

 

ウィーンは便利で洗練された文化がある気が利いた都会です。

 

定宿のある目の前の駅は、この中央駅から4つ目なので、丁度、新宿から丸ノ内線に乗って東高円寺に至る感覚に近いです。

 

 

ホテルチェックインを3:00pm (日本時間11:00pm)を済ませて、インターネット接続するまではルーチンワーク。約4時間のまとまった時間があり、疲労回復のための仮眠に充てるこも可能ですが全く眠気がありません。

 

そこで、大事な約束を控えて寝過してしまいかねないのでネットのメール確認と、今後お世話になる関係各方面に向けての連絡のための時間としたまま翌日を迎えることになりました。

 

 

日本日時3月16日6:00am

(現地Rüdesheim 日時:3月15日10:00pm)

 

 

Frankfurtでの最初の朝。この間、睡眠をとる必要がなかったため、ドイツ語放送を流したままにしておきました。

 

ロシアの大統領選に臨むプーチン大統領や、ロシアに向けてのドイツのメルケル首相や英国のメイ首相の政治的な動き、パラリンピックの実況中継の他、天気予報などを見ていました。

 

 

予報ではドイツ全体が悪天ですが、幸い今日のメインテーマである聖ヒルデガルト探索の目的地周辺のみが、辛うじて大雨から免れていました。

<さすがは世界の晴れ男>という家内の声が聞こえてきそうな気がしました。

 

 

本日の目的地はRüdesheim、

 

ネットで“Zug von Frankfurt nach Rüdesheim”を検索すると

 

 

Streckenübersicht

Durchschnittl. Fahrzeit 所要時間 1h 13min

Bahnverbindungen pro Tag                21

Preisspanne                                             €155 - €192

Entfernung                                              55km

Erste und letzte Züge

Abfahrt erster Zug  始発                    04:42

Abfahrt letzter Zug    終電                    22:42

 

Schnellste Reise                       

Schnellste Verbindung                      1h 11min

Umst.                                                        Direktverbindung

 

Bahnhöfe

Abfahrtsbahnhof        出発駅             Frankfurt (Main) Hbf

Zielbahnhof         到着駅             Rüdesheim (Rhein)

 

Strecke 旅程

07:53 Frankfurt (Main) Hbf

09:04 Rüdesheim (Rhein)

VIA25006

 

 

そこで本日の日中の時間をフルに活用するために、ホテルのレストランのオープン時間(現地6:30am、日本2:30pm)きっかりに食事を始めました。

 

人影はまばらで、日本人は皆無でした。昨日からの小雨が続いたので、ホテルの前に待機しているタクシーでFrankfurt中央駅に向かいました。

 

 

Frankfurt中央駅から、Rüdesheim駅に向かうのですが、24あるホームのいずれかは表示を見ても簡単にわかりません。

 

そんなときに役立つのが駅内にある旅行案内所で、24番ホームから出発する切符を購入し、予定通りの出発ができました。

 

 

9:04amにRüdesheim駅に到着したところ曇天でしたが雨は降っていませんでした。

 

9:30頃に、今夜の宿Hoteltraube Rüdesheimでトランクを預かって貰いました。

 

市役所に隣接した教区教会、聖ヒルデガルトに関わる教会を経て丘の上の目的のベネディクト会修道院に向かいました。

 

修道院は比較的近くに見えるのにかかわらず道標では4㎞と案内されています。

 

その謎は、漸くすると解けました。

 

修道院までの道のりは、九十九折で、収穫が終わって葉もつけていない幹だけのブドウ畑の間を縫うように続いているのです。

 

ふもとをふり返ってみるとRüdesheimの街並みが一望でき、その先にゆったり流れるライン川を挟んで、対岸のBingenの街や丘を望むことができます。

 

道の勾配がなだらかでないため、かなりのスタミナを要します。

 

そのためなのか歩いて登ろうとする人は、私以外には皆無でした。

 

しかし、徒歩で登ることによってのみ与えられる気づきや感動がありました。

 

これはすでにささやかな巡礼なのかもしれません。

 

先ほど立ち寄った二つの教会の尖塔は、視覚的なランドマークとして、自分の位置関係を把握するのに役立つばかりでなく、時折ならされる教会の鐘は、時刻の確認と、振り返って景色を眺める機会を与えてくれました。

 

二つの教会の鐘の音の高さや鳴らすタイミングが異なっていて、互いに和音を形成しつつ、響き合うのが美しいと感じました。

 

日本では、仏教寺院の鐘があります。

 

平家物語の冒頭は『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』ですが、教会の鐘には『諸行無常』の響きを感じることはなく、希望や癒しが与えられるような気がしました。

 

 

ようやく私がベネディクト会修道院に到着する頃になって小雨が降り始めました。

 

こんなとき<世界の晴れ男>であるとされる私が神に導かれていることを感じる瞬間でもあります。

 

しかも、聖ヒルデガルトが招いてくれた修道院で最初に辿り着くことができたのがカフェでした。

 

そこには老若含めて数人の男女が従事していて、中にはダウン症の男性1人も窓口で働いていました。

 

ダウン症の人の外観は人種差を超えた明らかな特徴があります。

 

注文など簡単なコミュニケーションだけでしたが、十分に意思疎通ができました。

 

修道院内の案内所では聖ヒルデガルトに関する解説資料が展示されている他、付属の売店では、御土産物の他に、ヒルデガルトに関する書籍の他、ヒルデガルトの作曲した曲目のCDが並んでいました。

 

ヒルデガルトについて医師が書いた英文書籍1冊、ヒルデガルト作曲の演奏CD3点などを購入しました。

 

 

勾配のために負担が大きかった往路とは打って変わって、帰路は軽快で、霧雨に近い小雨がかえって心地良く感じられるくらいでした。

 

往路とは少し違うコースを歩きましたが、ふもとの二つの教会の尖塔とライン河の流れとの位置関係を頼りに安心して下山することができました。

 

 

2:00pm(日本時間:10:00pm)のチェックイン後に、ネット接続を済ませてからBrömserburg Weinmuseum (最終入場時間5:15pm)、自動演奏楽器コレクションのあるBrömserhof(閉館時間6:00pm)を見学する予定でしたが、これらの副次的な行動は取りやめて睡眠を確保することにしました。

 

 

いま、目が覚めてみると日本時間の5:00am(現地時間は前日の9:00pm)です。これから朝までの数時間は、修道院で入手した資料の整理と、付属の売店で購入したばかりのWighard Strehlow博士とGottfried Hertzka医師の共著によるHildegard of Bingen’s Medicine(ビンゲンのヒルデガルトの医学)の読書のための充実した時間に充てることになります。

 

 

そうこうしているうちに日本時間の6:55amになりました。

この原稿を、診療所にMailし、7:00amを過ぎたら野口さんと電話で業務連絡をとることにします。

 

 

ベネディクト会修道院の教会は毎日5:30amに開くので明日17日は朝ミサに預かってから、ホテルをチェックアウトして、7:53am発の列車に乗ることも可能でしょう。

 

 

 

 

日本日時3月16日6:00am

(現地Frankfurt 日時:3月15日10:00pm)

 

 

私の腕時計は、帰国後の時差ボケ予防のため、日本時間のままにしています。

 

 

3月15日(木)3:15pmにルフトハンザで羽田を発ち、

 

フランクフルト空港に無事定刻に到着しました。

 

 

ホテル名はScandic Frankfurt Museumsufer です。

 

高円寺南診療所グループのドイツ語顧問のHans君は、

 

Frankfurtの出身なので、彼のお勧めで決めました。

 

 

フランクフルト中央駅を出ると小雨が降り、肌寒かったですが、

 

Hotelは比較的駅に近いために助かりました。

 

 

私の部屋は、仕事をし易い環境なので、気に入りました。

 

大画面のスクリーンにはドイツ語ニュースが流れていて、

 

日本語・英語のバイリンガル頭からドイツ語・英語のバイリンガル頭に変換するには好都合な環境でもあります。

 

 

ただし、部屋に入って最初の仕事であるインターネット接続は、簡単、と書いてあるにもかかわらず、すんなりとはいきませんでした。

 

電話でフロントに連絡して、サポート通りに作業しても繋がらないため、担当者に部屋まで来てもらいました。

 

気さくな青年で、特別なつなぎ方をして貰いました。ルーチンの方法では接続できなかったので正解でした。

 

 

高円寺南診療所の外国人の患者さんは窓口では流暢な日本語でやりとりできる方がほとんどです。

 

それにもかかわらず、一歩診察室に入ると、英語もしくは母国語交じりの早口の英語で必死にコミュニケーションを取ろうとされる方が多いので不思議に思っていました。

 

 

それが、私も例外ではなかったのです。チェックインはすべてドイツ語でクリアしましたが、インターネット接続の電話でのヘルプのときには、早口の英語になっていました。

 

精神的・時間的に余裕がないと、日常的に使用している言語でコミュニケーションをとるしかないのが実感としてよくわかりました。

 

 

ネットを接続してみると、およそ60件のメールが届いていました。

 

今回の学会発表の共同演者の一人である山岡昌之博士から激励のメールも届いていました。

 

山岡博士からいただいた資料とアドヴァイスの御蔭で、私の発表内容の意義が一段と大きくなり、ありがたい限りです。

 

国際的に普遍的な重要課題に対しては、国境を越えて意見を交換し、場合によっては共同研究を開始することが求められています。

 

 

さて、これを書いているうちに、日本時間の7:00amになりました。

 

そろそろ野口将成君が活動を始める時間なので、連絡を取ってみることにします。

 

 

日本時間では朝の7時でも、Frankfurtでは前日の午後11時ですから、外を歩き回る時間ではありません。

 

かといって、体は日本時間ですから、質の高い睡眠ができるわけでもありません。

 

中欧滞在中のデスクワークが捗るのは、現地の朝食時間6:00amまでのこうした時間を活用できるからです。

 

日本時間では2:00pmですから、朝食といっても少し遅めの昼食のようなものです。

 

 

これから、たっぷり7時間をデスクワークの時間に充てることにします。

 

今回の<水氣道と私>はY.Mさん(男性)です。

 

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YMさんは最初は体を沈ませる動作が固かったですね。

 

水に体を委ねられないくらい大変だっと思います。

 

気持ちに体(動作)がついてこないようでした。

 

 

しかし最近は水中で弛緩できるようになり、変化を感じます。

 

 

「水と上手付き合えるようになってきた、ようです」ともお聞きしています。

 

そういうことに気づけたことが、とても良いことだと思いました。

 

 

従弐段下 上席支援員  

 

中川良子

 

急性冠症候群(ACS)という病名は、比較的最近のものであり、不安定狭心症、急性心筋梗塞などを総称して呼ぶことが多いです。

 

狭心症のなかには、最近発症あるいは再発したものであって、経過中重症型(安静時や軽度の労作でも誘発される、頻発する、持続が20分以上、冷汗、吐き気などの随伴症状)に増悪するものがあり、これを不安定型と呼びます。

 

不安定狭心症は①新規発症の狭心症、②症状悪化型の狭心症、③安静時狭心症に分類されます。

 

これらには、急性心筋梗塞の前駆状態および突然死に移行し易い狭心症が含まれます。

 

このように不安定狭心症から急性心筋梗塞を発症する病態は同一と理解され、急性冠症候群と呼ばれます。

 

 

急性冠症候群の原因となる冠動脈プラークの特徴は、狭窄度は軽度で、プラーク内に資質が沈着(アテローマ)し、マクロファージなどの浸潤が著明で、プラーク被膜が薄いことです。

 

このような脆弱プラークを安定化することが冠動脈疾患患者の予後を改善することになります。

 

このように、狭心症の治療は、高度狭窄病変による狭心症発作を予防すること以外に、普遍的に存在する内膜肥厚内のプラークを安定化させて心筋梗塞への移行を阻止することも目標になります。

 

 

抗血小板薬:クロピドグレル、プラスグレル及びチカグレロル(ブリリンタ®)はインターベンションが考慮される急性冠症候群や待機的PCIが適用される安定狭心症/陳旧性心筋梗塞/ST上昇心筋梗塞に対して使われます。

 

抗凝固薬:急性冠症候群の発症と病態の進展に関与します。血栓形成を阻止する目的でワルファリンなどの抗凝固療法が行われます。

 

エゼミチブ:スタチンとの併用によりスタチン単独治療より有意に心血管イベント抑制効果を示し、スタチン以外の薬剤でもより強力にLDLコレステロールを低下させます。 

 

 

薬剤溶出性ステント(DES)治療後の2剤併用抗血小板療法(DAPT)は、急性冠症候群(ACSでは少なくとも1年間、安定冠動脈新患では6カ月間継続すします。

 

 

循環器疾患における抗凝固・抗血小板療法に関するガイドライン(2009年版改訂版)(日本循環器学会ほか)

 

心筋梗塞二次予防に関するガイドライン(2011年改訂版)(日本循環器病学会)

 

ST上昇型急性心筋梗塞に関するガイドライン(2013年改訂版)(日本循環器病学会)

 

2016年に抗血小板薬チカグレロル(ブリリンタ®)が承認されました。

高円寺南診療所では、人の居場所に着目したグローバルな医療の視点が必要と考え、家庭医学をはじめ産業医学(職場)、スポーツ医学、保養地医学などに関心を払ってきました。

 

しかし、国際社会に会って人の移動に着目した医療にも無関心であってはならないため、日本旅行医学会への入会手続き中です。

 

「旅行医学」とは、「人の移動の安全と快適性を高める医学」と定義されます。

 

日本旅行医学会のHPによると、日本旅行医学会の基本コンセプト は、統計的なアプローチを通して、科学的根拠のある具体的で分かりやすいメッセージを発信していこうということであると表明されています。

 

 

そこで、今回は日本旅行医学会のHPで解説している「感染症」のなかから、デング熱について引用してみることにしました。

 

 

病原体

デングウイルスは4種類の型があり、それぞれが免疫学的に関連しています。

 

このウイルスはプラス鎖のRNAウイルスで、フラビウイルス科のフラビウイルス属に属しており、デング熱とデング出血熱の両方を引き起こします。

 

無症候性感染もまたこのウイルスによって起こります。ある型のデングウイルスに感染すると、その型の再感染に対する免疫を生涯にわたり持続しますが、他の3つの型のウイルスに対する交叉防御免疫は長期間は持続しません(いずれの組合せの交叉免疫であっても2ヶ月以内)。

 

 

感染経路

人への感染は主としてウイルスに感染したネッタイシマカ(まれにヒトスジシマカやポリネシアヤブカ)に刺されて起こります。

 

雌の蚊がウイルス血症のヒトを刺してウイルスを宿すと、8~12日の外部潜伏期の経過後に感染状態となります。

 

感染した蚊はそれ以後はずっとデング熱ウイルスを感染させることができます(蚊の寿命は約1ヶ月)。

 

 

頻度は低くなりますが、輸血、内臓または骨髄移植、(針刺し、血液の粘膜接触等の)院内事故などによって汚染血液、内臓、その他の組織によりデング熱ウイルスに感染することもあります。

 

デング熱ウイルスが、感染した女性から子宮内の胎児へ、あるいは分娩の際に新生児へ垂直感染することもあります。

 

ヒトからヒトへの直接感染についての報告はありません。

 

 

発生地域

デング感染症は、アフリカ、南北アメリカ、カリブ海、地中海東岸、東南アジア、西太平洋の地域の100以上におよぶ諸国から報告されています(地図3-01、3-02)。

 

世界保健機構(WHO)の推定では、年間5000万件の発症があり、そのうちの50万件(1%)が入院を要するものとしています。

 

デング感染症の分布はマラリアと類似していますが、マラリアの場合と異なり、デング感染症は熱帯諸国の都市部や住宅地域での発生が多くみられます。

 

旅行をしようとする人はCDC(www.cdc.gov/dengue/travelOutbreaks/index.html)や  WHO (http://www.who.int/topics/dengue/en/)のウェブサイトを調べて、旅行を計画している国がデング感染症の流行地であるかどうか、また現在流行中であるかどうかを判断することが求められます。

 

 

1980年以来、米国本土ではデング感染症の発生が何件か認められています。

 

その中には、テキサス南部のメキシコ国境沿いの地域での7件、2001年のハワイでの1件、2009年と2010年のフロリダ南部での2件の発生が含まれます。

 

米国南東部のいくつかの州では、ほぼ年中蚊が生息し、住民は感染を受けやすく、しかも国外からの旅行者や海外からの帰国者がウイルスを持ち込む機会が多くあります。

 

しかし、住宅設備(例えば、エアコンや防虫網)や生活様式を変えることによって、これらの州でのデング感染症の流行を防げる可能性はあります。

 

 

デング熱とデング出血熱の症例は、毎年米国へ帰国する旅行者に確認されています

 

しかしながら、米国においてデングウイルス感染症について全国的に報告義務が課せられるようになったのは2009年の6月からで、2010年1月より前では症例報告が限られています。

 

熱帯地方のデング熱流行地からの帰国し、発熱の症状を示す旅行者の(血清診断による)感染率は3~8%に上ります。

 

GeoSentinel network(感染症に関するトラベルクリニックのネットワーク)のクリニックで診察を受けた罹病旅行者17,353人について最近実施された調査では、カリブ海地域、南米、南中央アジア、東南アジアからの帰国旅行者の全身性熱疾患の原因で最も多かったのはデング感染症であることを示しています。

 

また、熱帯地方からの帰国旅行者が入院治療を要するようになった原因で2番目に多いのはデング感染症(最も多い原因はマラリア)であるとする研究もあります。

 

 

デングウイルス感染によって生じる妊婦の健康状態や、母体のデングウイルス感染が発育中の胎児に与える影響について、公表されているデータは限られています。

 

母胎から胎児への垂直感染は起こりうることで、また周産期に母体が感染すると、新生児が症候性疾患を発症する可能性が高くなります。

 

文献で報告されている垂直感染の24症例では、発熱の母体発症と新生児発症の間には平均で7日(5~13日の範囲)の期間がありました。

 

すべての症例で発熱と血小板減少がみられ、また多くの症例で肝腫大と出血を認められました。

 

(以前の母体感染で生じた)母体の抗デングウイルスIgG抗体が胎盤を通して胎児に移行した場合には、生まれてくる新生児が生後6ヶ月から1歳になるまでの間にデングウイルスに感染すると、デング出血熱を発病するリスクが高くなります。

 

地図 3-01.デング熱流行地域(北中米カリブ海)

デング中南米

 

地図3-02.デング熱流行地域(アフリカ・中東)

デング1

 

地図3-03.デング熱流行地域(アジア・オセアニア)

オセアニア

 

 

 

臨床症状

発熱があり、症状が現れる2週間前に熱帯地方や亜熱帯地方に旅行したことのある人の鑑別診断の際には、デング感染症であるか検討すべきです。

 

デング感染症の潜伏期は通常4~7日です(3~14日の範囲)。

 

デングウイルスに感染しても発熱が軽微な場合にはデング熱と診断されないかもしれません。

 

旅行者が初めてデングウイルスに感染しても、他の疾患との鑑別がつかない微熱性疾患に終わるか、あるいは症状が出ないことが多くあります。

 

しかし、その後にデングウイルスに再感染した場合、ふつうは重篤性の高い疾患になります。

 

WHOによる臨床上の定義では、デング熱は、頭痛、後眼窩痛、筋肉痛、関節痛、発疹、出血症状、白血球減少のうち2つ以上の症状が該当する急性熱疾患であるとしています。

 

発疹は通常発熱が治まるにつれて現れ、2~4日間持続します。斑状または斑状丘疹性の発疹で全身に広がり、正常皮膚の小斑と融合する場合が多くあり、落屑状になり痒みが出るようになることもあります。

 

デング熱のその他の症状・徴候として、皮膚の紅潮(通常は疾患発症24~48時間後)、吐き気、嘔吐があげられます。

 

デング熱患者のおよそ1%がデング出血熱を発病します。

 

これは発熱が治まりかけた時点(通常は発熱後3~8日経ってから)で起こります。

 

別の型のデングウイルスによって再感染した場合には、病状がより重篤化することがふつうです。

 

 

血管透過性の亢進と血漿漏出がデング出血熱とデング熱とを鑑別する所見となります。

 

デング出血熱の特徴として、

(1)発熱が2~7日間続く、

(2)出血症状の所見、あるいは駆血帯試験の陽性所見、

(3)血小板減少症(100,000個/mm3以下)、

(4)血液濃縮を含む血漿漏出の所見(すなわち、ヘマトクリット値が年齢別の平均値より20%以上上昇、あるいは輸液後にヘマトクリット値がベースライン値よりも20%以上低下)、

(5)胸水、

(6)腹水、

(7)低タンパク血症、などがあげられます。

 

血小板減少症だけではデング出血熱の診断にはなりません。

 

デングショック症候群の定義は、デング出血熱の診断を満たす基準に加えて、血圧低下、脈圧の狭小化(20mmHg以下)、または循環血液量減少性ショックの所見のいずれかが認められることとされています。

 

 

診断

デング感染症の疑いがある症例については、同一血清標本に対して行われる次の検査所見の組合せによって確定します。

 

(1)デングウイルスのゲノム配列またはデングウイルス抗原の検出(非構造蛋白1[NS1]抗原)、

 

(2)抗デングウイルスIgM抗体の血清診断。デングウイルスのゲノム配列またはNS1抗原の検出は、主に急性発熱期(発症後5日以内)に行われ、抗デングウイルスIgM抗体の検査は主に発熱して5日間が経過してから行われます。

 

 

血清、脳脊髄液、剖検組織の標本の細胞培養によってデング熱ウイルスを分離することはできますが、分子生物学的診断法の時代にあっては、とりわけ有用というものではありません。

 

血清あるいは血漿、脳脊髄液、剖検組織の標本からの特定のデング熱ウイルスゲノムの同定は、逆転写ポリメラーゼ連鎖反応法(RT-PCR)を用いてルーチンの検査として行うことができます。

 

NS1抗原はウイルス血症の期間に循環血中に見い出され、これを検出する何種類かの免疫学的測定法があります。

 

組織標本からのデング熱ウイルス抗原の同定は免疫蛍光測定法または免疫組織化学的分析法を用いて行うことができます。

 

急性患者のデング熱ウイルスの血清学的診断は、主として抗デングウイルスIgM抗体を対象とします。

 

この抗体はデング熱を発症してから5日過ぎてから陽性となります。

 

 

そのほか診断確定のための方法として次の検査所見があります。

 

(1) 急性期(発熱後5日以内)標本と回復期(発熱後5日経過の後)標本の間で、抗デングウイルスIgM抗体陽性転化のセロコンバージョン

 

(2) 回復期標本では急性期標本に対し、抗デングウイルス抗原に対する抗デングウイルスIgG抗体価または赤血球凝集抑制力価が4倍以上も上昇

 

(3) 脳脊髄液に抗デングウイルスIgM抗体

 

 

旅行歴や症状からデングウイルス感染の疑いがある場合に、単一血清標本で抗デングウイルスIgM抗体が検出されると、それはデングウイルス感染が最近になって起きた可能性を示唆しています。

 

しかし、単一標本で抗デングウイルスIgG抗体が検出されても、それがずっと以前の感染である可能性もあります。

 

単一標本を用いた抗体検査(抗デングウイルスIgMまたはIgG抗体)のみで診断を行うには注意が必要です。

 

なぜならデング熱ウイルス抗体は、西ナイル熱、黄熱病、日本脳炎ウイルスなどの他のフラビウイルスの抗体と交叉反応を起こすからです。

 

このため、他の種類のフラビウイルスとの感染があった場合あるいはそのウイルスのワクチン接種を行った場合には、抗デングウイルスIgMまたはIgG抗体検査が偽陽性の結果を示すことがあります。

 

 

市販されているデング熱を診断するための検査キットがいくつかありますが、いずれも米国食品医薬品局(Food and Drug Administration)の承認を受けたものではありません。

 

検査は米国疾病対策センター(CDC)でも行っています(検査依頼手続きについては、 www.cdc.gov/Dengue/clinicalLab/index.htmlの“Requesting Dengue Laboratory Testing and Reporting” を参照)。

 

急性期と回復期の血清標本を、州・準州の保健局の検査機関を通じてCDC(住所:1324 Calle Cañada, San Juan, Puerto Rico 00920-3860)へ送ります。

 

血清標本には、発症日、標本採取日、患者の最近の詳細な旅行歴などの臨床・疫学情報を記載した書類を添付する必要があります。

 

デング感染症についてさらに説明が必要な場合は、CDC Dengue Branch (787-706-2399)に問い合わせるか、ウェブサイトwww.cdc.gov/dengueを参照してください。

 

 

治療

デングウイルス感染症に対して特異的な治療法はありません。

 

発熱の間は、安静を保ち、脱水を防ぐために水分補給をするようにします。

 

解熱薬としてアセトアミノフェンを投与します。

 

頭痛、眼痛、関節痛、筋肉痛には麻薬の投与が必要になるかもしれません。

 

アスピリン剤、アスピリン配合薬、(イブプロフェンなどの)非ステロイド性抗炎症薬には抗凝固作用があるため、投与は避けるべきです。

 

アスピリンなどのサリチル酸塩は、ライ症侯群を併発する危険性があることから、小児への投与は特に避けなければなりません。

 

 

患者には熱が下がったときにデング出血熱またはデングショック症候群の前兆がないか注意を求め、次のような前兆が見られる場合には病院へ行くように指示します。

(1)発熱から低体温への急激な変化、

(2)激しい腹痛、

(3)嘔吐の持続、

(4)出血、

(5)呼吸困難、または(6)精神状態の悪化(興奮性、錯乱、無気力など)。

 

デング熱またはデングショック症候群の患者には、等張晶質液とコロイド液の静注輸液を速やかに適切に行うと転帰の改善につながります。

 

デング熱またはデングショック症候群では患者を入院させて、対症療法を施すとともに、バイタルサイン、体液バランス、血液パラメータ(ヘマトクリット値、血小板数)を厳重にモニターリングする必要があります。

 

 

予防措置

デング熱には感染予防のためのワクチンも薬剤もありません。

 

ウイルス保有の蚊に刺されると感染する恐れがあります。

 

蚊に刺されるリスクは、早朝、夜明けから数時間の間、夕方から日没にかけての時間に最も高くなります。

 

しかし、日中であればいつでも蚊は刺すものと思って間違いありません。

 

ネッタイシマカは通常屋内に生息し、大抵は戸棚、ベッドの下、カーテンの裏、浴室などの暗くて涼しい場所に潜んでいます。

 

旅行者は殺虫剤を散布してこうした場所にいる蚊を駆除するとともに、可能であれば、網戸が完備した窓やエアコンの設備がある宿泊施設を選ぶようにすべきです。

 

さらに旅行者自身も蚊に刺されないような対策を取る必要があります(Chapter 2 Protection against Mosquitos, Ticks and Other Arthropodsを参照)。

 

長期旅行者や国外居住者の場合は、さらに予防措置を講じて、宿泊施設の周囲にある(貯水槽や植木鉢のトレイなど)水が溜まる場所では水を抜いたり、消毒したり、容器に蓋をしたりします。