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茨城県には近年まで多くの鉱泉宿がありましたが、今やかなり閉鎖され名前の消えた鉱泉も多いことに気が付きました。大津港の関山温泉、日立の三京温泉、高萩の菊の湯、水戸の常陸の湯や成沢温泉もついにその歴史を閉じてしまいました。

 

ここ内原鉱泉湯泉荘は常磐線水戸駅から数えて上りの2つ目の内原駅から歩いて10分のところにある、純和風建築の二階建て風情ある温泉旅館です。

 

旧内原町三湯地区に古くから佇む木造旅館。当地に湧出する鉱泉を使用。鉱泉泉質は無色透明に近い単純泉系。当旅館は昭和初期の1920年代~1930年代築で耐震工事を基にしたリニュアル工事をして使用してきました。1984年(昭和59年)秋に経営引継にて現在の「湯泉荘」を設立しました。

浴槽は超音波龍紋石を使用。敷地内の日本庭園や木造建物が懐かしさを感じさせるという紹介文はなるほど、その通りといえます。

 

庭には池があり、また湯泉神社が鎮座しています。三湯(みゆ)地区という地名ならびに敷地の背後には茨城県神社庁が控えている立地からして、霊験あらたかな土地柄を感じさせます。しかし、「鉱泉」を名乗る以上、成分表は掲示してほしいところです。残念でありました。

 

気持ちを取り直して、改めてよく翌週に水戸に帰省しました。

2月27日は天気の良い日曜日でした。私は午前9時頃にJR常磐線赤塚駅から下り列車で水戸駅に向かうつもりでいたところ、途中の偕楽園臨時駅で停車することを知り、降車することにしました。

 

水戸出身であるにもかかわらず、この臨時駅を利用するのははじめてでした。

なお、上り列車はこの臨時駅を通過するため、この臨時駅は観梅のシーズン中に東京方面からの旅行・観光客の便宜に供するためであるということが言えるでしょう。 

 

偕楽園(かいらくえん)は、茨城県水戸市にある日本庭園であり、国の史跡及び名勝に指定されています。

指定名称は「常磐公園」ですが、これは偕楽園内にある常盤神社周辺を指すものと誤解している人もいるようです。

文化庁認定日本遺産“近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―”のストーリーを構成する水戸市内の文化財の一つでもあります。

 

常磐線の上下線の列車の車窓からは、偕楽園に隣接する千波湖周辺の拡張部を含めた広域公園の景色を楽しむことができます。

偕楽園の本園は約13haでしたが、茨城県は1999年(平成11年)、隣接する千波公園や桜川緑地などと合わせて広域公園として運営する構想を発表、面積の合計は300haとなりました。

現在は茨城県営の都市公園「水戸県立自然公園」として管理・運営されています。

ここまでの規模になると世界最大の都市公園と目される米国のニューヨーク市のセントラルパークの341haにほぼ匹敵するのですが、300haに留めておくのが水戸らしさです。

1図

 

 

早春であるためか、梅の花もまばらで、ここかしこにつぼみの膨らみが見られました。そのために観光客もまばらでしたが、気ままな散策にはうってつけでした。

 

私は偕楽園臨時駅から、常盤神社と公園の間の舗装道路を上り、表門から園に入場しました。

敢えて梅林ではなく竹林に入り、吐玉泉の近くを巻いて降っていきました。

この泉は飲泉可能であり、夏なお冷たく、玉のような澄んだ水をたゆまなく吐くことから命名されたそうです。

なお泉質が気になるところですが、いつか確認してみたいところです。

 

そうして梅の開花やつぼみのほころびを楽しみながら南向きの崖を下り、車窓から見慣れていた池に沿う園地に足を踏み入れ、茨城県立歴史館に向かいました。

あたかも欧州の郊外を歩いているかのような風情を楽しむことができました。そうして日本庭園である偕楽園の新たな側面を味わうことができた次第です。

 

<はじめに>

 

 

前回は「吐き気」に効果のあるツボを紹介しました。

 

 

「大陵」は手のひら側で手首のシワの中央にあり、

 

 

「中封」内くるぶしの前のくぼみにあり、

 

 

「内関」は手のひら側で手首の中央から指3本分肘側にあるというお話でした。

 

 

今回は「腹部の不調」に効果のある「商陽(しょうよう)」「太谿(たいけい)」「合谷(ごうこく)」のツボを紹介しましょう。

 

 

<商陽>

Pasted Graphic 6

 

手の人差し指の爪の生え際の親指側にあります。

 

 

<太谿>

Pasted Graphic 7

内くるぶしとアキレス腱の間のくぼみにあります。

 

 

<合谷>

Pasted Graphic 8

手の親指と人差し指の間にあります。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

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今回のパッセージは、とても暗示的な表現が取られています。まさに、これが文学的表現というべき一つの典型かとうならされます。訳出に当って、宮崎嶺雄氏も相当な工夫と吟味が加えられていることがうかがわれます。

 

Ses carnets, en tout cas, constituent eux aussi une sorte de chronique de cette période difficile. Mais il s’agit d’une chronique très particulière qui semble obéir a un parti pris d’insignifiance. À premiere vue, on portrait croire que Tarrou s’est ingénié à considérer les choses et les êtres par le gros bout de la lorgnette. Dans le désarroi général, il s’appliquait, en somme, à se faire l’histoirien de ce qui n’a pas d’histoire. On peut déplorer sans doute ce parti pris et y soupçonner la sécheresse du coeur. Mais il n’en reste pas moins que ces carnets peuvent fournir, pour une chronique de cette période, une foule de détails secondaires qui ont cependant leur importance et don’t la bizarrerie même empêchera qu’on juge trop vite cet intéressant personage.

 

いずれにせよ、彼の手記は、この困難な時期の一種の時事記録でもあるのだ。しかし、この記録は、自己韜晦の趣味に偏った(註1)極めて特殊な記録であるように思われる。一見すると、タルーは物事をオペラグラスの拡大レンズを通して(註2)見ようとしているかのようにも思われるかもしれない。このような漠然とした混乱の中で、彼は、要するに、筋書のないものに筋書を作る(註3)ことに専念していたのである。この偏向は間違いなく嘆かわしいことであり、そこには無情感が漂っている(註4)。しかし、これらの手記は、当時の時事記録にとって重要であり、その奇妙さでさえ、この興味深い人物を早急に判断することを阻む、多くの副次的仔細を提供することができるという事実には変わりないのである。

 

(註1)

自己韜晦の趣味に偏った<obéir a un parti pris d’insignifiance>

自己韜晦(じことうかい)という言葉自体が難しいかもしれません。 

「韜晦」とは、広辞苑によると、自分の才能・地位などをつつみかくすこと。形跡をくらましかくすこと、とあります。

宮崎訳<かまえて些末事ばかりをとりあげる方針を採った>

 

(註2)

オペラグラスの拡大レンズを通して<par le gros bout de la lorgnette>

宮崎訳<ことさら微視的に>(見ようとした)

la lorgnetteとは、オペラグラス、小型双眼鏡、の意。

 

(註3)

筋書のないものに筋書を作る<se faire l’histoirien de ce qui n’a pas d’histoire>

宮崎訳<物語のないものについて物語り手たらんことを務めた>

 

(註4)

無情感が漂っている<y soupçonner la sécheresse du coeur>

宮崎訳<心の冷淡さから来ているのではないか>(と見ることもできよう)sécheresse du coeurは、こころの冷たさ、無情、の意の慣用的表現。

 

 

Les premières notes prises par Jean Tarrou datent de son arrivée à Oran. Elles montrent, dès le début, une curieuse satisfaction de se trouver dans une ville aussi laide par elle-même. On y trouve la description détaillée des deux lions de bronze qui ornent la mairie, des concidérations bienveillantes sur l’absence d’arbres, les maisons disgracieuses et le plan absurd de la ville. Tarrou y mêle encore des dialogues entendus dans les tramways et dans les rues, sans y ajouter de commentaires, sauf, un peu plus tard, pour l’une de ces conversations, concernant un nommé Camps. Tarrou avait assisté à l’entretien de deux receveurs de tramways:
 

ジャン・タルーが最初にとった記録は、オランに到着した日から始まっている。その冒頭から、こんなにも醜い都市に自分がいることに不思議な満足感を示しているのだ。市庁舎に飾られている2頭の青銅のライオンについての詳しい描写や、樹木がないこと、見栄えのしない家屋、不合理な都市計画などについての好意的な考察がある。タルーは、路面電車や街角で耳にした会話をそれに混じえながら、少し後に出てくるカンという男に関する一つの会話を除いては、何の注釈も加えていない。タルーは、路面電車の二人の車掌の間のやりとりに耳を傾けていた。

 

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聖楽院主宰 テノール 

飯嶋正広

 

岸本先生からのメールが届きました。翌日に、楽譜を数曲郵送してくださるとのことでした。その翌日には、確かに楽譜が届きました。

 

3曲分の楽譜です。すべてチャイコフスキーの歌曲です。

 

限られた1年間での集中的個人レッスンであるため、「チャイコフスキーの声楽作品」を焦点を当てて研鑽することになるでしょう。

 

 

#1  отчего?...(何故?)
 

最高音はAなので、高声用(ソプラノ・テノール)向けの曲ですが、無理のない曲であるようです。歌詞の反復が多いためビギナーにとっても馴染み易いように感じられます。その分、表現には工夫が求められることになるでしょう。

 

Tchaikovsky: Отчего? (Why?), Op. 6, no. 5: Galina Vishnevskaya, Mstislav

Rostropovitch - Bing video

 

Otchego (Why?) Отчего by Tchaikovsky - YouTube

 

 

Vocalist: Miranda Albarez Pianist: Chanson Youn No. 5, Op. 6 Otchego? (Why?) by Tchaikovsky Отчего Чайковский Отчего побледнела весной

 

 

 

#2  серенада дон-жуана(ドン・ファンのセレナード) 

 

最高音はFisですが、楽譜はト音記号ではなくへ音記号です。つまり低声(バス)用の楽譜です。このままの楽譜ではテノールは歌えません。しかも長めの曲です。一オクターブ高くすれば歌いやすくなりますが、どのようなレッスンになるのか、これから楽しみです。

 


Tchaikovsky - "Don Juan's Serenade" from 6songs(op.38), ロマンス「ドン・ファンのセレナーデ」 - Bing video

 

DON JUAN'S SERENADE - Tchaikovsky - Gregory Martynenko - Серенада Дон Жуана Giovanni - YouTube

 

 

 

#3  средь шумного бала...(騒がしい舞踏会の中で...)

 

Leonid Sobinov - Средь шумного бала (at the ball) - 1910 - YouTube

 

Дмитрий Хворостовский - Средь шумного бала - YouTube

 

 

最高音はEです。この楽曲は中声(メゾソプラノ・バリトン)用のようです。

 

テノールとしては無理なく歌える音高ですが、深みのある発声で歌えるかどうかが課題かも知れません。高音域だけでなく、中・低音域もしっかりとした声の響きを活かせるように歌うための材料となりそうです。

 

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認定内科医、心療内科指導医・専門医、アレルギー専門医、リウマチ専門医、認定痛風医


飯嶋正広

 

 

専門医でも迷うリウマチ関連疾患の診断(その2)

 

素人診断は無視せず、しかも惑わされぬべし!

 

伝染性単核症の診断のためには、病歴聴取、身体診察と共に急性期はまずVCA-IgG、VCA-IgM、EBNAを測定します。またサイトメガロウイルス(CMV)も原因の5-10%を占めるため、CMV の抗体(IgMおよびIgG)の測定も検討します。

 

これらの検査は、総合病院で行われていて、急性期での測定ではなかったのですが、これらのウイルス感染症は否定的でした。

 

そこで、その他のデータを確認することにしました。

 

検査データ:

白血球数13,000/μL(好中球79%、好酸球2%、好塩基球1%、単球6%、リンパ球12%)

赤沈40㎜/1時間、CRP13㎎/dL、リウマトイド因子陰性、抗核抗体陰性、CH₅₀60.0U/mL(基準:25~50)、IgG1,900㎎/dL(基準:900~1,700)、AST35U/L、ALT50U/L、LD480U/L(基準:125~250)

 

 

本人の訴えである「薬疹」ですが、医師の診断ではなく、市販の感冒薬を内服したことが原因であるとの思い込みが確信となり、「薬疹」と自己診断していたことが、対話を通して判明しました。

 

たしかに、この方に限らず、一般外来診療で治療薬を処方することは日常茶飯ですが、その経過中に皮疹が発生すると、「薬疹ではないのですか」と質問されることは少なくありません。

 

ただし、薬剤中止後も皮疹が持続あるいは再発するか、発熱に伴って皮疹が悪化するかどうかを確認することが判断の手掛かりになります。

 

このケースの場合、軽度の肝機能障害を伴っているため、発熱に対して自己判断で内服したのが解熱剤(消炎鎮痛剤)であったため、肝機能障害は薬剤性である可能性も考慮はしなければなりません。

 

それよりもむしろ、首(頸部)と腋の下(腋窩)のリンパ節腫脹や脾臓の腫大(脾腫)が生じている場合には、全身性リンパ節腫脹を来す疾患を整理しておく必要があります。

 

1.感染症:伝染性単核球症、トキソプラズマ症、風疹、結核、梅毒、HIV(エイズ)など

 

2.膠原病・アレルギ―:全身性エリテマトーデス(SLE)、関節リウマチ、     混合性結合織病(MCTD)、薬剤アレルギー、血清病など

 

3.悪性疾患:リンパ腫、白血病など

 

4.その他:サルコイドーシス、H鎖病など

 

すべての感染症を除外することはなかなか容易ではありません。ただし、梅毒、HIV(エイズ)、伝染性単核球症は除外できました。

 

リウマチ専門医としては、また関節痛や筋肉痛の訴えがあると、念のために関節リウマチに特異性が高い自己抗体である抗CCP抗体を調べたくなります。しかし、関節リウマチでは一般的に高熱は見られないので、直ちに検査する必要はありません。しかし、内科系リウマチ専門医の守備範囲であるとはいえ、膠原病の診断は必ずしも容易ではありません。

 

そのためにも、予め悪性リンパ腫やリンパ性白血病などをはじめ、悪性腫瘍に伴う症状ではないかと疑い、除外診断を済ませておくことが肝要です。

 

さて、ここで大切なことを思い出しました。それは、皮疹の所見です。日常の外来診療では直接、簡単に確認できるのですが、リモート診断の場合は、画像の解析度が高くないと判断がつきにくくなります。しかし、「百聞は一見に如かず」とは、臨床医の座右の銘とすべきでしょう。

 

そこで、なるべく見やすい画像を準備して、送っていただくことにしました。

 

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水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(結論)その3

 

(教学不岐・環境創造の原則)

 

水氣道の「教習不岐」の原則と集団の中で個として「生きる態度」

 

多くの武道や競技ゲームにおいて、能力(勝率)などが上がれば昇級し、下がれば降級する制度の場合(例えば将棋の奨励会など)、段級位は現在の実力の目安といえます。

 

しかし、多くの段級位制はタイトル奪取、大会優勝、試験合格、経験年数、勝数、授与者の裁量などで昇級しますが、例えば将棋のプロ棋士の段位などは、能力が衰えても基本的に降級しません。

この場合は、段級位は現在の実力というより、過去の実績や、その世界での序列を示すものとして理解することが可能だと思います。過去の実績は、個人の対戦能力の評価だけではなく、対戦相手に対する貢献の積み重ねであるともいえるのが、将棋における感想戦の伝統です。

 

将棋が発祥となった将棋用語の一つに感想戦があります。

これは対局後に開始から終局まで、またはその一部を再現し、対局中の着手の善悪や、その局面における最善手などを検討することです。

 

これは「局後の検討」です。プロの公式戦では感想戦はほとんどの場合に行われ、アマチュアでも高段者、上級者の対局では感想戦が行われることが多いです。この感想戦の目的は、一局を客観的に見直すことによって、相互の棋力の向上につなげることにあります。

 

しかも感想戦は、勝者が敗者に対して、一方的に施すものではありません。対局直後という好機を逃さず、共に学び合うという互角の、互いに対する敬愛を伴う教育・学習行動であるともいえましょう。

そこでは、自我意識が消えて、すべきことに極度に集中しているような心理状態を獲得しやすいだけでなく、自己にとらわれない行為を志向する「生きる態度」を育みやすい条件が揃っています。そこに水氣道の「教習不岐」の原則に通じるものを見出すことは困難ではありません。

 

 

当クリニックは現在までのところ院内感染クラスター発生はなく経過しております。それのみならず、事前のお約束通りの対策を実践した方の中から感染者は一名も発生しておりません。これらの成果は、継続受診者(会員)の皆様の御協力の賜物であると認識致しております。安全体制が確立したので新患受付予約受付を再開することになりました。会員の皆様の継続受診の妨げにならないよう十分に配慮いたしておりますので、今後も引き続き、新型コロナ感染症対策および弱者救済のためのご協力をお願いいたします。

 

  • 新患受付予約再開のお知らせ

 

202244日以降、診療日1日あたり、概ね1件限定で、新患受付枠を確保しました。

 

初回診療の予約をご希望の方は、当クリニックの公式サイトを通してお手続きくださいますようお願い申し上げます。

 

 

English

Re-starting of Appointments to Receive New Patients

Beginning from April 4, 2022, spaces for new patients, usually limited to one per clinic day, are available. To schedule an initial consultation, please visit the official clinic website.

 

 

Français

Reprise des rendez-vous pour recevoir de nouveaux patients

À partir du 4 avril 2022, des places pour les nouveaux patients, habituellement limitées à une par jour de clinique, sont disponibles. Pour programmer une première consultation, veuillez consulter le site officiel de la clinique.

 

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内科認定医、心療内科指導医・専門医 アレルギー専門医 

 

飯嶋正広

 

呼吸器病学とアレルギー学の接点

 

<慢性に進行する鳥飼病と夏型過敏性肺炎>No2

 

67歳の女性。3カ月前から空咳が続いているため来院。

 

現病歴:

3カ月前から乾性咳嗽が持続するため、総合病院を受診した。胸部単純CTで間質性陰影を認めたため

 

既往歴:

特記すべきことはない。

 

家族歴:

特記すべきことはない。

 

喫煙歴:

ない。

 

職業暦:

夜間飲食業および雀荘経営

 

ペット飼育歴:

ない。

 

粉じん吸入歴:

ない。

 

 

現症:

意識は清明。身長156㎝、体重68㎏。体温36.0℃。脈拍70/分、整。血圧160/96㎜Hg. SpO₂ 97%(室内大気)、表在リンパ節を蝕知しない。心音と呼吸音とに異常はない。

下腿浮腫はない。

 

 

検査所見:

(ゴチックは決め手となった検査項目)

 

血液所見:

赤球球410万/μL,Hb13.5g/dL,Ht38%、白血球9,300/μL、血小板17万/μL

 

血液生化学検査:

AST25U/L,ALT20U/L,LD220U/L(基準115~245)、γ-GT85U/L,
BUN15㎎/dL,Cr0.9㎎/dL,随時血糖94㎎/dL, KL-6 2,990U/mL(基準500未満)、
SP-D430ng/mL(基準110未満)

 

免疫血清学所見:

CRP1.1㎎/dL、

トリコスポリン・アサヒイ抗体CAI:0.43(基準0.15未満)

 

 

【代表的な過敏性肺炎の種類と抗原】

 

1. 夏型過敏性肺炎・・・居住環境中のトリコスポロン(真菌)

<クリニックの近所の日中日当たりのよくない飲食店で発生。その古い建造物は、すでに取り壊されています。>


2. 農夫肺・・・干草や飼料中の好熱性放線菌

 

3. 塗装工肺・・・イソシアネート

 

4. 空調肺・加湿器肺・・・真菌

<新型コロナ禍以前は、しばしば診療しました。>

 

5. 鳥関連過敏性肺炎(鳥飼病)・・・羽毛、鳥の糞など

<先月、数年ぶりで現在栃木県在住のK氏から連絡あり。鳥の飼育歴はないかと、私が問診したことを契機として慢性咳嗽の原因が羽毛布団の羽毛であったことが判明とのこと。問題の羽毛布団を処分したら、急速に回復した模様。>

 

近年、IPFと診断されていた症例の中に羽毛布団による慢性過敏性肺炎が存在することが注目されています。

 

 

治療としては、以下が標準的です。

 

1. 抗原回避:転居、寝具の交換、本人に関与させない大掃除

 

2. 薬物療法:副腎皮質ステロイド、免疫抑制剤
抗原回避が基本であり、薬物療法は補助的に用いられますが、しばしば著効を呈します。

 

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臨床産業医オフィス

<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

 

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

 

飯嶋正広

 

 

産業医による就業上の措置に関する意見のあり方について(No1)

 

―事業者が医師から適切な就業上の意見を聴取できるための諸課題―

 

労働人口の高齢化、業務の高密度化や有所見率の上昇により、健康診断結果に基づく事後措置の重要性は以前に比して増しています。
 

労働安全衛生法により、「事業者は、健康 診断の結果に基づき、当該労働者の健康を保持するために必要な措置について、医師の意見を聴かなければならない」と定められています。

しかし、この義務規定は、産業医の選任義務がない事業場においても適用されます。

そのため、労働者数 50名未満の事業場において産業医が選任されていない場合は産業医以外の医師が意見を述べることになっています。

しかし、それらの産業医でない医師は、 職場環境や作業の実態を十分に把握しているとは言い難いです。

 

一方、適切な産業医活動が行われている事業場においては、経年的な健康状態の把握が行われているため、 健康診断の機会で新たに見出された疾病によって就業配慮をする機会以外に、経過観察中において慢性疾患の管理が不良となったり、疾病により長期休業したりするなど、 多様なきっかけをもとに就業上の配慮が行われています。
 

職場の健康診断に関して、事業者がしなければならない作業は数多くあります。

それでは、この実務を担当するのは誰でしょうか。労働安全衛生法が想定しているのは、衛生管理者です。

ですから、衛生管理者またはそれに準じる職員が選任され機能していない限り、健康診断を実施することはできても、法が求める「事後措置」の実行は難しくなります。

 

衛生管理者や産業医が選任されている事業場では、いちおう「事後措置」の実施体制の基礎が構築されているとみなすことができるでしょう。

そこで、一般定期健康診断が実施されることになりますが、「健康診断」の実施の後に、その結果に基づく「事後措置」がなされます。労働者にも受診義務が伴ないます。

 

平成8年(1996)に行われた労働安全衛生法の改正(同法第66条の3第2項)に基づいて「健康診断結果に基づき事業者が講ずべき措置に関する指針」で、職場の健康診断結果に基づく措置に関する事業者の義務が具体的に強化されました。

 

「事後措置」の流れとしては、

まず、<無所見>者および<有所見者ではあるが医療上の措置不要>と判定された受診者には、その結果を検査データを含め文書で通知します。

また、<要観察>、<要医療>と判定された受診者には、生活状況調査や精密検査などを受けるように伝え、そのために必要な支援を行います。
 

ただし、一般健康診断の有所見者に対して疾病の診断や治療を受けさせる法的な義務は、事業者には課されていません。ただし、産業医は、該当労働者の就業に関する意見及び関連する作業環境管理・作業管理上の問題点についての意見が求められています。
 

産業医は、その労働者が<通常勤務可>、<就業制限>、<要休業>のいずれに該当するかを判定するとともに、作業環境管理・作業管理上の問題点について事業者に報告します。
 

事業者は、産業医の判定について、その労働者の意見を聞き、必要があれば産業医との調整を行ったうえで、就業上の措置を決定し、その結果を検査データを含め文書で通知します。
 

また、必要な者について、産業医に「保健指導」を依頼します。

なお健康診断の実施および受診者への文書による結果通知(罰則付き強制規定)、
産業医の意見聴取(罰則なしの強制規定)、保健指導(努力義務規定)とされています。
 

このような現状認識をもとにすれば、事業者が医師から適切な就業上の意見を聴取できるためには、多くの課題を検討する必要があります。

これらの課題は、①制度面の課題、②手順や判断基準に関する課題、③体制や人材に関する課題に分けられます。これらの課題について、次回から、個別に検討を加えてみたいと思います。

 

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番外編:偕楽園と徳川斉昭公の和歌

 

水戸駅の北口からほど近い銀杏坂の観光看板で、偕楽園の写真に添えて、徳川斉昭公の和歌が添えられていました。率直に申し上げて、あまり上等な出来ではないのですが、斉昭公は、歌の技術的な出来よりメッセージと実践を大切にする指導者であり、その人柄が滲み出てくるような温かさを感じ、足を止めました。

 

世を捨てて 山に入る人

山にても なほ憂きときは

ここに 来なまし

(徳川斉昭)

 


徳川斉昭(烈公)は、水戸藩第9代藩主で、最後の将軍慶喜の父、藩校「弘道館」の設立者として知られています。

 

1833年(天保4年)藩内一巡後、水戸の千波湖に臨む七面山を切り開き、回遊式庭園とする構想を持ちました。

造園は本草学者である長尾景徳が実施しました。その人の出自は長尾景虎(後の上杉謙信)を輩出した家柄です。

この広大な大名庭園は藩校「弘道館」で文武を学ぶ藩士の余暇休養の場へ供すると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいという目的があり当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていました。

 

「偕楽」とは中国古典である『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節から援用したもので、斉昭の揮毫『偕楽園記』では「是れ余が衆と楽しみを同じくするの意なり」と述べられています。

そこで水戸学へ帰着する斉昭の愛民精神により斉昭自らにより「偕楽園」と名づけられました。

 

しかし、この斉昭の和歌は本歌取りのようです。

 

本歌は、おそらく古今集に収載されている凡河内躬恒による以下の和歌でしょう。

 

世を捨てて 山にいる人

山にても なほ憂き時は

いづち行くらむ

(凡河内躬恒・古今集)

 

 

この和歌の大意は、「世を捨てて山に入ってしまう人は、山にいてもまだつまらなくてたまらないときは、いったい今度はどこにゆくというのだろう。」ということです。

 

この歌の本音のところは、出家をする人達に対する皮肉を込めた歌で、どこへ行っても辛いことは多いということが言いたいのだと解釈されているようです。

 

なぜ、これが皮肉をこめた歌なのか、ということを理解するためには、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)という人物についての背景知識が欲しい所です。


凡河内躬恒とは、平安前期の歌人で生没年は未詳です。宇多・醍醐天皇に仕え、古今集撰者の一人であり、三十六歌仙の一人であるばかりでなく、紀貫之、壬生忠岑と併称されるほどの大歌人です。

 

最もよく知られている和歌は、『小倉百人一首』29番歌でもある心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花(『古今和歌集』巻5-277)ではないでしょうか。

 

とても雅で洗練された定家好みの歌だと思います。ちなみにこの歌について、写生を重んじる歌人・俳人の正岡子規が酷評していることは有名です。

その評価の妥当性は別として、私はこの和歌が三位以上の上級貴族の作品のように感じられるのです。

しかし、躬恒の実際の官位は六位止まりで、通貴(四位・五位)にも届かない身分でした。

つまり、歌人として超一流ではあっても官位官職には恵まれないという人物像が見えてきます。

 

このような才人は、逆の立場の人、たとえば生まれつきの高貴の家柄の出身であるにもかかわらず、上等な和歌を詠むことができずに辛い思いをしなければならない人々に対して、どのような感情を抱くのでしょうか。

 

プライドを傷つけられるのを恐れて貴族文化サロンから身を引きたいと願っている人たちに対して、たしかに、とても辛辣で皮肉なメッセージを贈っていると解釈することも可能でしょう。

 

私は、官位に恵まれない立場にある自分は、出家もままならず、逃げ場とてなく、ひたすら歌の道を極める他に道はないのだ、という悲痛な叫びのように聴こえてくるのです。
 

さて、躬恒の和歌については、そのあたりで止めておき、斉昭の和歌との比較を試みたいと思います。すると、斉昭は、躬恒の和歌の上の句ばかりでなく、下の句の最期の七音を除いて、ほぼこの歌の大部分を援用していることがわかります。
 

しかし、ここで思わぬ発見をすることができました。それは結句次第で、それまでの句の意味するところ、言葉の温かみが大きく転換するということです。

 

初句の 

世を捨てて 山にいる人

 

これが、躬恒の「世を捨てて山に入ってしまう人は」という冷徹な一般論としてではなく、「世を捨てて山に入ってしまおうかと悩んでいるお方よ」という斉昭の暖かい呼びかけのように響いてくるような気がします。

 

次いで、

山にても なほ憂き時は

 

これも、躬恒であれば「山にいてもまだつまらなくてたまらないときは」と、その相手との距離を感じさせるのに対して、斉昭は「山にいてもまだつまらなくてたまらなくなったとしても」と救いを暗示する流れへと繋がって行くようなきがするのです。

 

そして、斉昭は、

ここに 来なまし

「ここ(偕楽園)にいらっしゃい」

と迎え入れるのです。

 

これが真の斉昭の心、水戸学の心なのではないか、

水戸人の真心(誠)は俗人からはなかなか理解されがたいのです。

 

和歌は繰り返し詠んでこそ和歌、リフレーンが必要であると私は考えています。特に日本語は最後まで丁寧に伝え終えることができないと、なかなか真意が伝わらない言語です。

 

つまり、相手の言うことを最後まで聴き届けることが相互理解にとって不可欠な約束ごとなのです。ですから大切な思いは、繰り返して歌ってみるのは良い方法だと思います。

 

私は躬恒の歌と斉昭の歌を一つの問答歌に仕立てた上で、前奏、間奏、後奏を付して作曲してみました。いずれ、吟味の上、御披露することができるように準備したいと考えております。