<線維筋痛症 JFIQの経過報告>

 

 

(図1)

 スクリーンショット 2022-03-03 17.21.07

 

JFIQは線維筋痛症の経過観察に欠かせない指標です。

 

 

最高点が100点で、20点未満が正常値になります。

 

 

 (図1)は左側が初期時の点数、右側が現在の点数でその2点を結んだものです。

 

 

 図2)

スクリーンショット 2022-03-03 17.19.03

(図2)は線維筋痛症の治療効果の割合を表したものです。

 50以上点数が下がると「著効」です。

 

 

 20以上50未満点数が下がると「有効」です。

 

 

 20未満の点数の低下は「無効」の判定となります。

 

 

 

 

<今回の考察>

正規性の検定で初期値、現在値共に正規性がありました。

その後、関連2群の検定と推定を行いました。

 

 

1)統計的にみて、JFIQスコアが有意に改善したことが証明されました。P(危険率)

 

0.001%でした(図1)

pが0.05以下であれば統計学的優位である。

 

 

pが0.01以下であれば統計学的に極めて優位である。

 

 

2)JFIQスコアの判定基準として、20点以上改善されると治療が有効、50点以上改善されると著効となります。

 

 

  今回、 9名の平均で    36.5点改善していたため、全体として鍼治療は   有効であったと言えます。

 

 

個別でみると、著効1名(11.1%)、有効6名(66.7%)、無効2名(22.2%)でした。(図2)

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

前回はこちら

 


第一部 第3章(註:訳読者飯嶋が便宜的に区分した)

 

習慣は無意識の思考や行動の集積であり、深い観察や分析を遠ざけ、ときには危険な兆候に気付くことを妨げてしまいます。先入観や思い込みというものも、私たちが陥りやすい誤った思考習慣と結びつきがちです。集団的パニックがどのような背景で発生するのかについて、カミュは丁寧に描いています。

 

 

La mort du concierge, il est possible de le dire, marqua la fin de cette période remplie de signes deconcertants et le debut d’une autre, relativement plus difficile, où la surprise des premiers temps se transforma peu à peu en panique. Nos concitoyens, ils s’en rendaient compte désormais, n’avaient jamais pensé que notre petite ville pût être un lieu particulièrement désigné pour que les rats y meurent au soleil et que les concierges y périssent de maladies bizarres. De ce point de vue, ils se trouvaient en somme dans l’erreur et leurs idées étaient à reviser. Si tout s’était arrêté là, les habitudes sans doute l’eussent emporté. Mais d’autres parmi nos concitoyens, et qui n’étaient pas toujours concierges ni pauvres, durent suivre la route sur laquelle M. Michel s’était engagé le premier. C’est à partir de ce moment que la peur, et la reflexion avec elle,commencèrent.

 

管理人の死は、この不穏な気配に満ちた時代の終わりと、初期には驚きであったものが次第にパニックに移り変わっていく、より困難な時代の始まりとを画するものであったと言える。わが市民たちが、今頃になって気付いたのは、この小さな都市が、白昼のもとネズミが死に、管理人が奇病で死んでも不思議でないような場所だとは思ってもみなかったということであった。この点からしても、彼らの考えは結局のところ誤りだったのであり、修正すべきものであった。もし、そのままですべてが留まっていたら、間違いなく、従来どおりの思い込みが蔓延していたことであろう。しかし、市民のなかで、必ずしも管理人でなく、貧しいわけでもない人たちもが、ミッシェル氏が最初に踏み出した道をたどらなければならなかったのだ。この瞬間から、恐怖と、それに伴う反省が始まったのである。


註:Si tout s’était arrêté là, les habitudes sans doute l’eussent emporté.

宮崎峯雄は<それでも、もしすべてがそれだけにとどまったならば、習慣がおそらく勝ちを制したであろう。>と訳しています。習慣(les habitudes)を忠実に直訳しています。この文脈の中で、習慣とは具体的には何かということを考えると、習慣的な考え方、すなわち、「従来通りの思い込み
を意味しているのではないかと私は解釈しました。

 

 

 

Cependant, avant d’entrer dans le détail de ces nouveaux événements, le narrateur croit utile de donnionner sur la période qui vient d’être décrite l’opinion d’un autre témoin. Jean Tarrou, qu’on a déjà rencontré au début de ce récit, s’était fixé à Oran quelques semaines plus tôt et habitait, depuis ce temps, un grand hôtel du centre. Apparemment, il semblait assez aisé pour vivre de ses revenus. Mais, bien que la ville se fût peu à peu habituée à lui, personne ne pouvait dire d’où il venait, ni pourquoi il était là. Dès le début du printemps, on l’avait beaucoup vu sur les plages, nageant souvent et avec un plaisir manifeste. Bonhomme, toujours souriant, il semblait être l’ami de tous les plaisirs normaux sans en être l’esclave. En fait, la seule habitude qu’on lui connût était la fréquentation assidue des danseurs et des musiciens espagnols, assez nombreux dans notre ville.

 

しかし、これらの新しい出来事の詳細に入る前に、語り手としては、今述べた期間について別の目撃者の意見を述べることが有益であると考えている。冒頭で紹介したジャン・タルーは、数週間前にオランに居を構え、それ以来、中心部の大きなホテルに住んでいた。どうやら、諸々の収入で楽に生活できるほど暮らし向きが良いようだったようだ。しかし、街の人々も次第に彼の姿に馴染みになっていったが、彼がどこから来たのか、なぜそこにいるのか、誰も言うことができる者はいなかった。春先から海水浴場にいて、楽しそうに泳いでいでいるのをよく見かけるようになった。愛想がよく、いつも笑顔であり、あらゆる正常な楽しみに親しみつつもそれらに溺れることはないように見えた。実際、彼の唯一の習慣として知られているのは、この町にあふれていたスペインのダンサーやミュージシャンのところに熱心に通うことだけだった。

 

前回はこちら

 


聖楽院主宰 テノール 

飯嶋正広

 

 

武蔵野音楽大学別科声楽コースの学生として

 

すでにご報告済みですが、2月16日(水)16時に武蔵野音楽大学ウェブサイトに合格者の受験番号を掲載されて、合格を確認しました。そして、間もなく、合格通知が郵送されてきました。そして3月1日に入学手続きを完了しました。

 

2022年度武蔵野音楽大学別科入学試験概要によると、別科は、「音楽を志す幅広い年齢層を対象に、音楽の技術および知識のレベルアップを図ることを目的としています。」とあります。

幅広い年齢層といっても還暦を越えた私までがそれに含まれるとは予想していなかったので、まだ、実感が伴ってきていません。

 

4月2日(土)に入学者のための健康診断があります。医師である私が健康診断を受ける側になるというのは、いささか面映ゆい気がいたしますが、何事も新鮮な経験として受け止めることにしたいです。

 

指導教官から毎週1時間の個人レッスンを受けることができるのは、特権と言ってもよいくらいに恵まれた条件です。しかも、決まった曜日の決まった時間帯が準備されるというのは、社会人学生にとっては理想的であるといえるでしょう。

 

音大からの通知で、当初の希望通り、指導教官は岸本力で先生に決定しました。そこで、岸本先生にメールでご報告したところ、受験番号を尋ねられました。

何と、私に受験をお勧めしてくださった先生でも、合否について直接確認できないシステムになっているようなのでした。

 

そういえば、2月11日の実技試験の審査員の中にも岸本先生のお顔は見当たらず、ましてや翌12日の3人の面接官は初対面の先生方ばかりでした。

 

4月以降の毎週の個人レッスンと言うのは、実にありがたい話なのですが、逆に言えば、毎週着実に稽古を積み上げて行いかなければならないのは当然です。

そもそも声楽科専攻の学部生は、複数の欧州の言語を学習するのですが、イタリア語、ドイツ語までは必須ですが、さらにフランス語、スペイン語までが限界であるようです。

 

ロシア語まで勉強するような方は大学院在学中か、留学組などに限られるようです。

たしかに、ロシア語は印欧語族ではありますが、ラテン系でもゲルマン系でもないスラブ系言語で、使用される文字も独特なキリル文字なので、慣れるまでに大きな労力を要することは覚悟しなければなりません。

 

そこで、本格的なレッスンが始まる前に、4月以降の個人レッスン課題曲を予めご教示いただきたい旨を、岸本先生に御願いしたのでした。はたして、その顛末や如何に?

 

前回はこちら

 

認定内科医、心療内科指導医・専門医、アレルギー専門医、リウマチ専門医、認定痛風医


飯嶋正広

 

 

専門医でも迷うリウマチ関連疾患の診断(その1)

 

産業医と臨床医の役割分担

 

20代男性。私が嘱託産業医として訪問している某社のイケメン職員。リモートでの高ストレス者面談の際に、「薬疹」の相談がありました。この方には、別の薬剤でのアレルギー歴があるとのことでした。

 

このような相談は、本来の産業医の業務ではないのですが、アレルギー・リウマチ専門医としては、とても気になる貴重な症例であったわけです。

 

はじめは発熱、のどの痛み(咽頭痛)、痰の絡まない咳(乾性咳嗽)、関節と筋肉の痛みに始まったそうです。

 

現病歴:

3週間前から咽頭痛と乾性咳嗽とが出現。市販の感冒薬を服用後、両腕に皮疹が出現。

 

2週前から38℃台の発熱が出現したため近所の医院を受診した。

 

インフルエンザウイルス抗原陰性、新型コロナウイルスPCR検査陰性、

咽頭には軽度の発赤があったため細菌性咽頭炎と診断され抗菌薬(ペニシリン系)を処方されたが改善しなかった。

 

10日前から関節痛と筋肉痛が出現した。

 

総合病院を受診し、首(頸部)と腋の下(腋窩)のリンパ節腫脹があったため、胸・腹・骨盤造影CT検査を実施したところ、脾臓の腫大(脾腫)を指摘された。
血液培養検査は陰性。その後も発熱が続いていた。

 

筋肉痛は二の腕(上腕)と太もも(大腿)にあり、つまんだりつかんだりしてみるとさらに痛みを感じた(筋把握痛)。関節痛は、肩、手、指に生じた。

 

 

やはり原因不明の発熱を見た場合には、一般的には感染症を疑います。

この相談者は、複数の女性との性交渉があるため、性病を恐れて、予めHIV(エイズ)や梅毒などは検査済みで陰性であったと報告してくれました。

 

そこで私は、この段階では伝染性単核球症を疑いました。また、サイトメガロウイルス感染症なども想起しました。

伝染性単核球症は、思春期以降に感染した場合に発症することが多く、接吻病(kissing disease) とも呼ばれています。

病原体のエプスタイン・バー・ウイルス(EBV) の既感染者の約15〜20%は唾液中にウイルスを排泄しており、感染源となりえます。

 

伝染性単核球症を疑うべき根拠は、思春期から若年青年期の患者で発熱、咽頭痛、倦怠感を訴え、リンパ節腫脹、咽頭炎が認められる場合には伝染性単核球症を疑うべきだからです。

 

このケースのように伝染性単核球症の診断が得られる前に抗菌薬を使う例も見られます。

しかし、伝染性単核症では、ペニシリン系抗菌薬により薬疹が出現することがあるため、使用は避けるべきです。

 

脾腫が認められる場合、脾破裂のリスクとなるため発症3週間は運動を避けるよう指示する必要があります。

ただし、運動再開の目安について、明確なデータは不足のため明確な基準はありません。

通常、腹痛は稀であり左側腹部痛が出現した場合は脾破裂を精査する必要があるのですが、このケースも腹痛の訴えが無かったのは幸いでした。

 

伝染性単核症であるとすれば、特異的な治療法はないけれども、アセトアミノフェンなどの対症療法で治癒することが多いです。

 

鑑別疾患のためには、データが必要です。幸い、ご本人は、血液データを保管しているとのことでしたので、翌日、データを送って貰うことにしました。

 

前回はこちら

 


水氣道実践の五原理・・・集団性の原理(結論)その2

 

(教学不岐・環境創造の原則)

 

水氣道の「個」は自己実現に終わらない

 

水氣道の目指す「個」の在り方は「自己実現」に終わるべきものではありません。

なぜならば、現実の社会で誤解されがちな「自己実現」とは自己の欲求実現を目的とした行動の結果に過ぎないものに成り下がってしまったからです。これに対して、本来の「自己実現」には一過性ではない自己実現感が伴ないます。

 

ここでいう自己実現感とは、「結果」という見返りを求めずに行う過程で、自分が自分として輝いている喜びとして湧きあがってくるものです。ですから、すぐに安直な、自分に都合の良い「結果」ばかりを求めたがる人は自己実現感から遠ざかってしまいがちなのです。

なぜならば、このような「自己実現」では、自分が幸福になれないだけでなく、社会にも平和がもたらされないからです。

 

平和でない社会の中で幸福な人生を全うすることは至難の業なのですが、残念ながら、多くの人々がその真実を忘れかかっているように思われてなりません。そこで、次回は、「自己実現」を実力達成の成果とその顕彰の在り方の観点から考察してみたいと思います。

 

前回はこちら

 

 

内科認定医、心療内科指導医・専門医 飯嶋正広

 

呼吸器画像診断:胸部単純CT読影

 

<私が判断に迷うであろう腫瘤影:円形無気肺>

 

日常診療における診断において悪性腫瘍との鑑別を擁する画像診断ほど神経をすり減らす作業はありません。その一例として、円形無気肺を取り上げてみます。

 

円形無気肺は臓側胸膜(肺の周囲を二重に囲んでいる胸膜のうち、肺の表面にピッタリと張り付いているほうの胸膜で肺胸膜ともいう)の病変によって発生する円形ないし類円形の2.5~5.0cm代の末梢性無気肺です。

図1-1

 

診断画像では腫瘤影を呈し、典型的な症例ではCTやFDG-PETなどの画像検査で診断が可能であるとされています。好発部位は、右下肺野(肺の背側側、傍脊椎領域、特にS10領域)とされています。通常、胸膜肥厚(プラーク)や癒着を伴うことが多いが、胸水は伴わない場合もあります。

 

外科的治療の必要はなく、経過観察で良いとされています。しかし、腫瘤影が増大する症例がまれに存在し、石綿暴露歴のある中高年の喫煙男性などに発症例が多く、咳、痰、胸痛、呼吸困難などの症状を伴うことがあります。そのため、しばしば、結核種や石綿肺(アスベスト偽腫瘍、ブレソフスキー症候群)、肺癌との鑑別が問題となり,診断および治療方針の決定に難渋します。

 

造影CTでは類円形、均一に造影され、肥厚した胸膜に接した円形腫瘤映画認められ、気管支や血管が腫瘤影にまきこまれる陰影(comet-like tail)が観察されます。経過観察において、大きさが不変であることや縮小傾向を示すことは良性であることが示唆されます。❶ 胸水または肥厚した胸膜に接する肺末梢の腫瘤、❷ 胸膜と腫瘤影のなす角度は鋭角で、❸ 腫瘤辺縁に気管支透亮像(air bronchogram)を認めることが多く、❹ 肺血管、気管支の収束像(comet tail sign)が特徴的で、その結果、❺ 肺葉の容積が減少することがあります。

 

そのため画像所見のみで診断できるとされますが、それでも画像での診断確定は名人技に近いのではないかと私は感じます。専門医の試験問題であれば、訴訟のリスクがゼロ(試験不合格のリスクのみ)なので「経過観察」を正解としますが、実際の臨床の現場では、肺癌の可能性を容易に否定することは危険です。

私が教育病院での指導医であるならば、研修医に対して、特徴的な所見が見られなければ生検が必要、と教えることでしょう。