「わかっています、でも…」
私の過食してしまった後(心の中での)口癖でした。
過食の時は、「味わう」ことを忘れています。
とにかく、食べ物をかき込み、
お腹に物が溜まっていくことに集中するのです。
そうすると「あら不思議、不安や焦り等嫌な気分から解放される!」
解放されると言いましたが、
実際は「何も考えずに済む。」の、ほうが近いのです。
お腹の物を詰めこむと(食事ではありません)一時楽になります。
「でも…」その後で「またやちゃった…」と後悔の繰り返し。
「わかっている」ことからまず実践していきました。
「食事は味わって、ゆっくりと。」
実践するって大切です。
正月に107.5キロあったのが6月30日で99.5キロまで落ちました。
まだまだですが、できることから頑張っています。
たまに、かき込みたくなる衝動に駆られます。
ホントは内緒にしておきたいのですが、
応援してくださる皆様に対する感謝をこめて喜んで懺悔いたします。
ドクトル飯嶋からのコメント
「はい。だけど・・」というパターン。
このパターンは、これまでの禁煙外来などで
Mr.NoGucci自身が何千回も繰り返し聞かされてきた言い訳に違いありません。
≪わかっちゃいるけど、やめられない≫の名セリフで有名な「スーダラ節」
これをコメディアンの植木等さんに因んで
「スーダラ・パターン」と呼ぶことにします。
とはいえ「スーダラ・パターン」にも
若干の反省が見られる分だけ、まだ見込みがあります。
《後の祭りだ、どうにでもなれ》の
「失敗・開き直りパターン」よりはましだからです。
その「失敗・開き直りパターン」も≪そんなの関係ね~≫の
「否認・逃避パターン」よりは遥かにましなのです。
試行錯誤の中からたくましく学び取り、
少しずつ上質な価値観を確立させてきた歴史を傍から見ていて、
Mr.NoGucciが、ときには後戻りしつつも、
弛まず着実に成長していることは、確かなようです。
ところで、そのMr.NoGucci。
彼は個人的な懺悔録をネット上に公開することを決断しました。
並の人物ではありません。私は、彼の予想外の勇気に驚いています。
もちろん、勇気にも2種類あると思います。
創造的で生産的な勇気と破壊的で無謀な勇気(蛮勇)です。
医療機関に勤務する個人としての立場にもかかわらず、
このような投稿をするならば、
大抵の医療機関では蛮勇扱いで厳重注意が相当でしょう。
ところが、高円寺南診療所も並大抵ではないのです。
むしろ、これを閲覧者の皆様と共に支援しているくらいなのです。
院長のドクトル飯嶋も、Mr.NoGucciから勇気を貰っています。
「失敗を恐れるな。失敗から学べ。」と言われている気がします。
失敗を懺悔することの勇気は、謙譲の美徳と共に
他者に対する無条件の信頼から発しているもののように思われます。
彼のそうした姿勢から謙虚に学びたいことがあります。