相変わらず、「わかっています…でも」Part7

 

 

これまでのMr. NoGucciの座右の銘「明日からがんばる!」

 

この考えはいつから、そしてどこからくるのでしょうか?

 

 

Mr. NoGucciは考えを巡らせました。

 

 

ふと思ったのは、変化することへの不安。

 

変わってしまうと自分が自分で無くなってしまうのでは?

 

という妄想に近い不安でした。

 

 

そこで、反省(消極的受動的でなく積極的能動的に)により、

 

過去を内省してみることにしました。

 

 

すると、ふと高校生の頃が思い出されました。

 

1年間で12kg減量(75㎏⇒63㎏)できた記憶です。

 

そういえば自分の本質は特に何も変わらなかったなあ…

 

 

自分で無くなるという考えは無用の不安。

 

「今を変えたくない」、「努力するのがシンドイ」

 

そういう怠惰な自分の言い訳でした。

 

 

さえらに、本音では

 

1)このままでいるほうが楽

 

2)スタートするには心の準備がまだ

 

3)やる気はあるが、もうちょっと待ってから

 

という禁煙を勧められている方がよく口にする言い訳も…

 

 

やはり、まずスタート。

 

そして、行動のきっかけを作るのが大切だと気付いたのでした。

 

さらにさらにさらに、「わかっています…でも」Part6

 

 

辞書を引くと「反省」とは、また「内観(ないかん)」に同じ、とされます。

 

Mr. NoGucciは反省しても内省に欠けることを、目下、反省中、否、内省中です。

 

Mr. NoGucciはこうして「過去を内省」すれば内観することにもなるのでしょうか?

 

 

そこで、内観について調べてみました。

 

  1. 白隠禅師の内観法:白隠は江戸時代の禅僧で白隠慧鶴と号したそうです。

 

その著書『夜船閑話』(やせんかんな)に紹介される心身リラックス法が内観法。

 

白隠は修行時代に心身のバランスを崩して禅病(ノイローゼ状態)に陥りました。

 

そこで京都白川の山奥に住む「白幽子」という仙人に伝授された

 

「内観の法」により、健康を回復したといいます。

 

 

その方法は、仰向けに寝て、

 

丹田から両足にかけての範囲に意識を置くための4つの公案を静かに唱えるというものです。

 

自律訓練法に似ているとされます。

 

 

Mr. NoGucciは、高円寺南診療所で勤務する中で、自律訓練法を習得しましたが、

 

これにも、最初はかなりの心理的抵抗がありました。

 

このお話は、いずれまた・・・

 

 

2.「内観」という用語:

 

明治期の浄土真宗の思想家・清沢満之が「内観」という用語を用いました。

 

昭和期の実業家で僧侶の吉本伊信が

 

諦観庵(浄土真宗系の信仰集団)に伝わっていた自己反省法の「身調べ」から

 

秘密色、苦行色、宗教色を除き、「内観」と名づけ、万人向けのものとした修養法です。

 

 

浄土真宗だけでなく、

 

たとえば内村鑑三のようなキリスト教信者も「内観」という言葉を用いているそうです。

 

現在、医療に応用されて内観療法ともいわれます。

 

森田療法と並ぶ日本起源の心身医学療法として国際的に認められています。

 

さらにさらに、「わかっています…でも」Part5

 

 

Mr. NoGucciは振り返りの乏しい人間だと、よく指摘されます。

 

つまり、内省が徹底的に欠如しているようなのです。

 

内省とは「自分の考えや行動などを深く省みること」だそうです。

 

辞書を調べてみると「反省」と同じ意味でも使われています。

 

 

ただし、Mr. NoGucci自身しょっちゅう反省はしているはずです。

 

だから、反省と内省は何となく違うのかな、と感じています。

 

 

Mr. NoGucciの反省の対象の多くは、今さっき、しでかしてしまった失敗です。

 

日常的でささいなものがほとんどで、大抵は周囲の注意で自覚します。

 

否、「日常的でささいなもの」と受け止めていること自体が反省の欠如です。

 

後悔の念には程遠く「今日はツイてなかったな。」という感じに近いです。

 

これは自己憐憫に近いもので、罪悪感は希薄かもしれません。

 

楽しくないので「この状況から早く逃れたい」という気分です。

 

 

「反省はしているが内省に欠ける」のはなぜか、検証してみます。

 

そこでMr. NoGucciの反省の特徴の核心をあぶり出してみます。

 

 

あれれ、浮かんできましたよ。

 

それは、自分自身で気づいて行う積極的な反省ではないことです。

 

指摘を受けて、やむを得ず行う消極的な反省に過ぎなかったことに思い至ります。

 

 

そうなると、反省にも二種類があることがわかります。

 

仮に自主的で能動的に反省することを特別に<内省>と呼ぶとするならば、

 

Mr. NoGucciにそれが欠けているのなら、「内省に欠ける」というのは納得です。

 

徹底的に欠けていたのは、「過去を内省する」習慣だったのかもしれません。

「わかっています、でも…」Part 4

 

皆様は、阿修羅(あしゅら)をご存知でしょうか。阿修羅は修羅ともいいます。

 

この修羅の世界を経験しましたのでご報告いたします。

 

 

修羅界の特徴は、

 

自分をいかにも優れたもの(減量目標の達成者)に見せようと虚像をつくります。

 

表面上は人格者や善人を装っています。

 

謙虚な素振りすら見せてしまうこともあります。

 

しかし、内面では自分より優れたものに対する嫉みと悔しさに満ちています。

 

修羅界の特徴を一言でいえば、内面と外面が異なり、心に裏表がある点であると思います。

 

阿修羅像

 

NoGucciの忌まわしい記録が、それを永遠に証明してくれることでしょう。

 

 

明かされたデータ、それは28キロの体重リバウンドです。

 

自己申告73.5Kg(実は 100Kg超、詳細データは後ほど)

 

 

三界の鬼のアドバイスは便利で魅力に満ちていました。

 

うっかりこれに従うと、楽になるどころか、ますます辛さが増していくのでした。

 

三界の鬼の誘惑に陥らないためには、

 

1.見通しをつける(大まかな行動計画を立案する)

 

2.見通しがつたら、できることから、まず「手を付ける」(着手する)

 

 

特に「手を付ける」ことが重要だと思います。

 

それから、何事も自力で解決しなくてはと無理をせず、

 

「誘惑に陥らないよう、三界の鬼からお救い下さい」と

 

謙虚に祈り、懺悔することもはじめてみました。

 

 

明日から本気出す!では永遠に「明日から」になってします。

「わかっています、でも…」Part3

 

 

先へ先へと片付けていったほうが、時間的・精神的に余裕ができます。

 

先手必勝が仕事の定石、のちのち楽になるのだということ、

 

それは私でも解ってはいます!

 

…でも… ついつい、私の魂に住み着いている地獄界・餓鬼会・畜生界、

 

三界の悪魔の誘いに乗ってしまいます。

 

 

「現世は地獄だ。どうせお前に先はない。

 

今が大事、明日のことなど誰ぞ知る?(地獄界の鬼)

 

 

餓え乾いているお前に未来はない。

 

確かな今を満たせ。先の事は心配するな(餓鬼界の鬼)

 

 

悩むな。迷うな。考えるな。本能を信じて後回し。

 

すぐに極楽、君のもの(畜生界の鬼)」

 

 

 

Mr. NoGucciは、勇敢にも、これら三界の鬼から逃れ出て、一時、減量に成功。

 

 

その後も、苦痛に負けずに修羅の世界を通過して、

 

やっと人間らしい姿かたちと心を取り戻して人界へ、

 

さらに有頂天の天界に達していたと思われます。

 

 

しかし、そんな矢先に、想定外の東日本大震災が発生しました。

 

未曽有の天変地異に飲み込まれ、心の弱みを三界の鬼に狙われたのでした。

 

まず修羅界に引き戻され、そこから、畜生界、餓鬼界へと転落の一途を辿り、

 

そこから脱出できなくなってしまいました。

 

 

さらに続きます

「わかっています、でも…」Part2

 

今回は「有頂天・油断」:まだまだ続くこのパターン。

 

 

スタートは125Kgでした。

 

一時、45Kg減量に成功(80Kg達成!)しました。

 

そこで有頂天になってしまうのが、いつものNoGucci の悪い癖であります。

 

 

有頂天は油断を生みます。

 

油断して食べてしまうのはリバウンドのきっかけ。

 

それはわかっています!(頭では)

 

でも、少しぐらいなら大丈夫だろう…

 

ここまで痩せたのだから(根拠のない言い訳)

 

過食がぶり返した時、自分への言い訳です。

 

 

「このままでは、ダメなのはわかっている

 

でも、明日から頑張る!(先延ばし)

 

それが積りにつもって、28キロのリバウンド!!」

 

 

気を付けよう!甘い誘惑、先延ばし!!

 

 

この誘惑に乗らないためには…

 

さて、どうしましょうか?

 

 

次回をお楽しみに!

「わかっています、でも…」

 

私の過食してしまった後(心の中での)口癖でした。

 

過食の時は、「味わう」ことを忘れています。

 

 

とにかく、食べ物をかき込み、

 

お腹に物が溜まっていくことに集中するのです。

 

そうすると「あら不思議、不安や焦り等嫌な気分から解放される!」

 

解放されると言いましたが、

 

実際は「何も考えずに済む。」の、ほうが近いのです。

 

 

お腹の物を詰めこむと(食事ではありません)一時楽になります。

 

 

「でも…」その後で「またやちゃった…」と後悔の繰り返し。

 

 

「わかっている」ことからまず実践していきました。

 

「食事は味わって、ゆっくりと。」

 

実践するって大切です。

 

正月に107.5キロあったのが6月30日で99.5キロまで落ちました。

 

まだまだですが、できることから頑張っています。

 

たまに、かき込みたくなる衝動に駆られます。

 

ホントは内緒にしておきたいのですが、

 

応援してくださる皆様に対する感謝をこめて喜んで懺悔いたします。

 

 

 

ドクトル飯嶋からのコメント

 

「はい。だけど・・」というパターン。

 

このパターンは、これまでの禁煙外来などで

 

Mr.NoGucci自身が何千回も繰り返し聞かされてきた言い訳に違いありません。

 

 

≪わかっちゃいるけど、やめられない≫の名セリフで有名な「スーダラ節」

 

これをコメディアンの植木等さんに因んで

 

「スーダラ・パターン」と呼ぶことにします。

 

 

とはいえ「スーダラ・パターン」にも

 

若干の反省が見られる分だけ、まだ見込みがあります。

 

《後の祭りだ、どうにでもなれ》の

 

「失敗・開き直りパターン」よりはましだからです。

 

その「失敗・開き直りパターン」も≪そんなの関係ね~≫の

 

「否認・逃避パターン」よりは遥かにましなのです。

 

試行錯誤の中からたくましく学び取り、

 

少しずつ上質な価値観を確立させてきた歴史を傍から見ていて、

 

Mr.NoGucciが、ときには後戻りしつつも、

 

弛まず着実に成長していることは、確かなようです。

 

 

 

ところで、そのMr.NoGucci。

 

彼は個人的な懺悔録をネット上に公開することを決断しました。

 

並の人物ではありません。私は、彼の予想外の勇気に驚いています。

 

もちろん、勇気にも2種類あると思います。

 

創造的で生産的な勇気と破壊的で無謀な勇気(蛮勇)です。

 

医療機関に勤務する個人としての立場にもかかわらず、

 

このような投稿をするならば、

 

大抵の医療機関では蛮勇扱いで厳重注意が相当でしょう。

 

ところが、高円寺南診療所も並大抵ではないのです。

 

むしろ、これを閲覧者の皆様と共に支援しているくらいなのです。

 

院長のドクトル飯嶋も、Mr.NoGucciから勇気を貰っています。

 

「失敗を恐れるな。失敗から学べ。」と言われている気がします。

 

 

失敗を懺悔することの勇気は、謙譲の美徳と共に

 

他者に対する無条件の信頼から発しているもののように思われます。

 

彼のそうした姿勢から謙虚に学びたいことがあります。

「優しさ」と「甘さ」と「甘いもの」

 

 

私はよく人に「優しい」と言われます。

 

しかし、それは自分にも「優しく」し過ぎてしまう結果を招いています。

 

 

要は自己管理ができない…

 

そこそこ頑張ったという自己満足を口実に自分に過剰なご褒美!と甘い物を飲む始末。

 

これで痩せろという方が無理でした。

 

 

そこで、自らを戒める警句を一つ。

 

「気を付けよう、甘い考え、甘い物!」

 

 

今までの自分の生き様を振り返ってみると・・・

 

「他人に優しく自分に甘い、長いものには巻かれろ。」

 

ということだったようです。

 

 

私は、この懺悔録に着手するときに、

 

すでに心を入れ替えて変心(変な心ではありませんよ!)したのです。

 

しかし、変心はなかなか外からは見えないものです。

 

そこで、これからは、たとえ時間が掛っても、必ず変身してご覧に入れます!

 

自分に厳しく、人には優しいMr. No Gucci に生まれ変わりたいのです。

 

 

閲覧者の皆様からすでに多数の励ましのお言葉を頂戴いたしております。

 

このコラムの場をお借りして、心より御礼を申し上げます。

 

今後も、叱咤激励よろしくお願いします。

 

 

 

ドクトル飯嶋からのメッセージ:

 

Dr.飯嶋は、英語流のDoctor(ドクター)飯嶋ではなく、

 

ドイツ語流のDoktor(ドクトル)飯嶋を名乗るのか?

 

少しだけ、お話ししておきましょう。

 

いまどき、ドイツ語に堪能な日本人医師は希少価値です。

 

ドクトル飯嶋自身でさえドイツ語が流暢とまではいきません。

 

それから、Doktorはドイツ人でさえ、ドクターのように発音し、ドクトルと発音することはまれです。

 

ドクトル飯嶋は自然医療志向なので、

 

患者さんの体、心、魂に生じた「毒」を取り除くお手伝いをすることが

 

大切な勤めであると考えています。

 

Mr.NoGucciは、存在すること自体が周りの人々に

 

癒しを与え、彼の「言葉」、「行い」は、

 

しばしば「薬」を生み出すことができます。

 

しかし、彼は「思い」、「怠り」において、

 

しばしば、自分自身の中に「毒」を作りだしてしまうようです。

 

 

実にもったいない、放っておけない好人物なのです。

 

だから、実に厄介な人物でもあるワケなのです。

 

私がドクトルを名乗るのは、他でもありません。

 

私の仕事が「毒取る」作業だからに他ならないからなのです。

 

読者の皆様、臨床心理士の宮仕聖子先生から、

 

「良き不安」もとい、「予期不安」のことを教えていただきました。

 

 

予期不安とは…

 

「ある状況においてまだ直面してはいないのに、

 

それと似た状況や場面における失敗を

 

過去の経験の追想などによって

 

自己暗示的に予想して生じる不安。」

 

とのことです

 

 

今回のことで具体的に置き換えると

 

ある状況→空腹で水氣道の稽古に臨む

 

過去の経験→空腹で激しい運動をしたらフラフラした(低血糖かも?)

 

自己暗示→空腹のまま水氣道の稽古をすると低血糖をおこす!と不安になる。

 

エネルギーを摂らないと…、手っ取り早くエナジードリンクで!

 

となります。

 

 

なぜそれが体に負担をかけ、痩せない原因なのかは

 

栄養)炭酸飲料や果物の過剰摂取と肥満その1~3

 

で、ドクトル飯嶋が詳しく説明しています。

 

 

 

今?今はちゃんと稽古前に、

 

食事の時間を確保していますよ!(努力しています…)

 

 

ドクトル飯嶋からのメッセージ:

 

今回の懺悔録の中で、Mr. NoGucci の課題が見えてきました。

 

それはエナジードリンク自体よりも「手っ取り早く」という判断です。

 

現代社会は、「手っ取り早く」便利なもので満ち溢れています。

 

「手っ取り早く」便利なものは、思考停止と根本問題の先延ばしに通じます。

 

やむを得ず「手っ取り早く」行った行動は、熟考と反省が必要です。

 

 

ところが、Mr. NoGucciは、已むを得なかった、

 

「後の祭りだ、どうにでもなれ」と、問題を回避している限り、

 

問題行動の改善と進歩が期待でません。

 

 

生活習慣病の根本原因の一つは利便性依存です。

 

依存性は、問題の直面化と責任回避に通じます。

 

『当面は不便でも良い。良く考えて行動選択してください。』

前回は、話が半ばになってしまい申し訳ございませんでした。

 

 

懺悔の前に、

 

予め言いわけをさせてください。

 

あれは犯罪ではありませんでした。

 

いや、犯罪ではないかもしれません。

 

いやいや、仮に犯罪だとしても、誰にも迷惑を掛けていません。

 

そうです。ただの被害者無き犯罪に過ぎないのです。

 

そうなのです私は、ひたすら空腹だったのです。

 

 

ここで、正直に懺悔します。

 

空腹だったわけではなかったのです。

 

いや、空腹になるのが恐ろしかったのであります。

 

こうした心理状態を、専門的には『良き不安』というのだそうです。

 

「不安を必ずしも悪者扱いすることはない」

 

と院長がいつも患者さんに話しているのを身近に聞いていて、

 

いつも、なるほど、と納得しているので確かだと思います。

 

 

いや、違った。ごめんなさい。

 

「良き不安」ではなく『予期不安』が正解なのだそうです。

 

予期不安』は、とても大切なキーワードであるとのことですから、

 

専門家にお尋ねするのが一番でしょう。

 

とはいえ、今更、院長には尋ねづらいです。

 

そこで臨床心理士の宮仕聖子先生から、こっそり教えて貰うことにいたします。

 

皆様にも、こっそりご報告いたしますので、

 

楽しみにしておいてくださいますように。