水氣道 准3級(特別訓練生) 野口将成

 

 

減肥航法の特訓を続けてきて、結果的には

 

「自分にやや厳しく、相手にやや優しく」という関係に近づきつつあると思います。

 

 

これこそが、中庸であり、自然で健全なバランスの取れた人間関係の在り方であること等、

 

気づくことがたくさんありました。

 

 

水氣道は、長所(競技的な強み)を限界まで引き延ばし、

 

超越させようとする並のスポーツではありません。

 

 

むしろ全体(心身両面および社会関係性)の中での欠点や弱点を発見して、

 

集団的ダイナミズムにより少しずつ着実に補って、

 

それを各人に相応しい水準まで回復させようとするものです。

 

 

人生いろいろ、長所も欠点もいろいろですが、欠点を長所に替えることで、

 

総合的、統合的に、全体として自然なバランスの取れた健康

 

あるいは調和のとれた人間性が育まれるのだと確信しています。

 

わかっています、でも… 「できることなのに、課題の先延ばし」

 

 

1)かつてのMr.NoGucciの行動パターン③

 

≪他人に任せるより自分でするほうが早くて楽。≫ 

 

この思い込みは、どこから来たのだろうか?

 

さらに、検討を続けます。

 

 

Q3 : 本当に自分でする方が楽だったか?

 

 

A3-1:頼むことの面倒を考えたら、頼まないで済む方が楽なハズ・・・だった

 

 

A3-2:自分ですれば自分のペースでいけるから訳なハズ・・・だった

 

しかし、結果はいつもパンクして終わった。

 

なお悪いことに中途半端のまま放棄。

 

したがって、これらの仮説も、ことごとく誤りだったハズだ。

 

しかし、同じ過ちを何度も何度も繰り返し。

 

性懲りもせずに、改めようともせずに、ただ繰り返し。

 

 

なぜ、繰り返してしまうのだろうか。

「できることなのに、課題の先延ばし」

 

 

1)かつてのMr.NoGucciの行動パターン②

 

≪他人に任せるより自分でするほうが早くて楽。≫ 

 

この思い込みは、どこから来たのだろうか?

 

≪他人に任せるより自分でするほうが早くて楽。≫ 

 

これを、いくつかの小問に分割して検討を加えてみました。

 

Q1: なぜ楽なのか?

 

A1-1: 頼むための準備を始めるのが面倒!

 

A1-2: 人頼みだと完成度や完成時期がわからないので不安!

 

そう考えた結果、やみくもに引き受けてしまい自分の容量超過。

 

 

Q2 :本当に自分でする方が早かったか?

 

A2-1:すぐに取り組めば間に合ったハズ・・・だった

 

A2-2:他の仕事を受けなければ間に合ったハズ・・・だった

 

これらの仮説は、ことごとく誤りだったハズだ。

 

「できることなのに、課題の先延ばし」

 

 

今回は、取り組みを始めないこと(スタートでぐずぐずする)に対する内省

 

 

かつてのMr.NoGucciの行動パターン①

 

来るものは拒まず、

 

まずは何でも受けておいて、

 

それからゆっくり段取りを決める手はず、

 

なかなか決まらずグズグズになる。

 

考えだすことにグズグズしはじめる。

 

♬ 時は流れ、また月曜となり、先週と同じ、頭空っぽ・・・

 

♬ 巡る、巡る季節の中で、ボクは何をしてきたのだろう・・・

 

♬ ケ・セラ・セラ・・・なるようになる・・・

 

この無計画で無邪気な脳天気。

 

 

それでは、なぜ、来るものは拒まず、だったのだろうか?

 

それは≪他人に任せるより自分でするほうが早くて楽≫ だから!

 

この思い込みは、どこから来たのだろうか?

極楽と天国。

 

 

この際ですから、もう一歩突っ込んで両者を比較してみましょう。

 

 

極楽 ⇒ 四苦八苦

 

(生・老・病・死+4苦:別れ、手に入らない、嫌な人に会う、心身がままならない)が無い。

 

心身共に楽~な世界。

 

 

(イメージ)何もしないでぼーっと楽に居られる所。

 

温泉に浸かると「極楽~極楽~」

 

 

良~く考えたら現実ではどれ一つ実現しないものばかり。

 

そうか、現実では「四苦八苦」してこそ成長できるのでは?

 

とボクは考え、ガッカリするのでした。

 

 

『極楽とは・・・ そうか・・・ ガッカリ。』

 

 

天国 ⇒ ボクにはまったく知識が無い、縁も所縁(ゆかり)もない世界。

 

そこでドクトル曰く「天使でも神に叱られることがある」

 

叱られるのは嫌いだが、叱られると成長できる。

 

叱られ方を考える。

 

 

怠惰で叱られるのが一番ボクにはこたえる。

 

行動を起こして間違った方向に行きそうな時に叱られるのは大丈夫。

 

そこにはボク自身を変えていける喜びがある。

 

 

こんなボクでも天使になれるだろうか???

 

天国から来た本物の神様にだったらボクも叱られてみたい。

 

そうしたら、ボクも天使になれるような気がするから・・・

 

 

でも臆病で疑い深いボクにとって、

 

天国は葛藤をもたらす最たるものです。

 

 

そうか、ボクにそう思わせて引き込んでしまうトリックが、

 

そこにあるのではないか?

 

そんな声が地下からボクにささやきかける・・・

 

『トリックには騙されるな!

 

天国とは・・・

 

良いか、トリックなのだ。』

 

 

それでも本物の神様のトリックにだったら、

 

かかってみたい気もするのでした。

 

『突然ですが、あなたは極楽と天国、どちらに行きたいですか?』

 

いきなりドクトル飯嶋に問いかけられ、ボクは言葉に詰まりした。

 

それはボクが、とあることでドクトルに叱られたときの質問でした。

 

 

知識もないので、「google」のお世話になってみました。

 

以下Wikipedia より引用

 

 

「極楽とは」・・・

 

「衆苦あることなく、ただ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」諸楽を楽の材料というから、

 

極楽とは身心が共に苦を離れていて、幸福の材料だけがあるところの意味。

 

 

相対の立場では四苦や八苦のような現実苦と相対する身心共に楽な世界ということ。

 

絶対の立場では、不苦不楽の世界 であり、無為涅槃界である。

 

 

「天国(heaven)とは」・・・

 

神や天使などがいて、清浄とされる、天上の理想の世界。

 

信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所(キリスト教での用法)。

 

 

(転じて)そこで暮らす者にとって、理想的な世界のこと。

 

何にわずらわされることもない、快適な環境。

 

もしくは、かくあるべきだとする究極の神の創造理想と定義できる世界。

 

 

うーむ、「極楽は幸福の材料だけがある」はボクにも少しは理解できます。

 

 

ところが「かくあるべきだとする究極の神の創造理想と定義できる世界」

 

これはボクの理解を超えています。

 

 

<食べてしまいました…>

 

大変です!先生の罠のマンマとはまり、食べ過ぎてしまいました!

 

 

先生がフランスへの出発前夜、一緒に食事をした際。

 

注文された物を平らげたら、

 

なんとそれは、先生が仕掛けた罠だったのです!

 

 

据え膳食わぬは男の恥です。

 

NoGucciその時は、食べようと思えば、食べられるものだな~と、

 

の~んびり考えていました。

 

 

注文の時点で多い!と思っていたのですが。

 

ついつい…完食です!

 

 

反省しています、「イカの一夜干し」と「カジキのステーキ」は多かったです。

 

 

体重減っていたのに…

 

今週は97.5㎏ ⇒ 97.5㎏ 

 

何とか横ばいで済みました。

「イライラするとドカ食いしてしまう過食」の続き

 

ドカ食いをしている時は、イライラが忘れられた。

 

< 畜生界の悪魔の声:ご同輩、俺もそうだよ!>

 

 

いや、目をそらしていました。

 

< 餓鬼界の悪魔の声:お前らしく眼前のことにのみ囚われてみたらどうだ。

 

もっと執着して、神も仏もない世界の現実を知れ!>

 

 

嫌なことがあると、内省する代わりに何か食べて発散。

 

< 天使の声:嫌なこととは、どんなことですか?

 

私でよければ、お話を承りましょう。>

 

 

解決に向かうわけではないので、また食べての繰り返しでした。

 

< 天使の声:解決することにおびえているのですか?

 

私が必ず支えて差し上げるから、勇気と知恵をもって解決を目指していきましょう!>

 

 

とにかく、「向き合う」というのが苦手、嫌いでした

 

< 地獄界の悪魔の声:神に「向き合う」のはあらゆる恐怖の源泉だ。お前とは話が合うなァ!>

 

 

そのかわり、「逃げて誤魔化す!」は得意です

 

< 修羅界の悪魔の声:俺様も得意だ!お前は素晴らしく賢い奴だと認めてやるよ。>

 

 

何時でも逃げを打てる用意はしてありました。

 

< 地獄界の悪魔の声:それならサッサとこちらへ逃げて来い!極楽はすぐそこだ。>

 

 

でも自分自身からは逃げられないんですよね。

 

< 修羅界の悪魔の声:問答無用!自分自身とやらから力ずくで脱出してみてはどうかね?>

 

<天使の声:あなた自身の中にも神様が宿っている証です。

 

あなたにはすでに立派な信仰の種子があります。>

 

 

そんな嫌な自分にも向き合い、付き合っていけるように、少しずつ頑張っていきます。

 

<畜生界の悪魔の声:獣(けだもの)の分際で生意気を言うな!

 

理性はお前に似合わない。>

 

<天使の声:あなたが嫌っているあなたでさえも神は愛してくださっておいでです。>

 

 

多少無理していますが…

 

< 地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界の悪魔の大合唱:お前に無理はにあわない。

 

無理!無理!多少でも無理が続いた例はない‼

 

それがお前がたどってきた歴史というものだ!!! >

 

<大天使の声:信じて神にすべてを委ねなさい。

 

そうすれば、あなたの負う十字架は軽くなることでしょう。>

 

 

ああ、またもや、ここでも、逃げを打っている自分がいるようです。

 

< 地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界の悪魔の大合唱:天国は退屈だ!

 

極楽は楽園だ!我々の仲間になればこの世はお前のものになる!! >

 

<大天使の声:主よ!哀れなMr. NoGucciを誘惑に陥らせず、悪魔からお救いください

懺悔録 No.15 <続けられない言い訳>

 

 

8月31日の分に穴をあけてしまいました。

 

反省をこめて、3日遅れで掲載いたします。

 

 

私Mr. NoGucciお得意の言い訳:

 

掲載の曜日を月曜日から水曜日に変更、ということで、気が緩みました。

 

 

水曜日は『水氣道』シリーズも載せているし…

 

<だから、サボりが目立たないハズ!?ラッキー!

 

ドクトル飯嶋はフランス出張準備で気づくまい!シメシメ‼

 

ついでに「バレぬなら、サボってしまえホトトギス」てカ!>

 

 

ところが読者の皆様から、「今週のMr. NoGucci の懺悔録は?」

 

とのお問い合わせが複数あったそうで恐縮しております。

 

 

お問い合わせは、私をスルーしてすべてドクトル飯嶋の元へ。

 

<こんなハズではなかったハズ!?>

 

 

応援してくださっているのに申し訳ありません。

 

<ドクトル飯嶋の一言:NoGucci君、君の懺悔録はベストセラーものだね!

 

楽しみにしている愛読者の生活リズムを乱してはいけないよ!!>

 

 

さて私Mr. NoGucci の表層心理、否、病巣心理は

 

『またまた、出来なかった、どうしよう』でした。

 

ドクトル飯嶋に相談もせず悶々としておりました。

 

悪い癖がまた出てしまい筆が進まず放置でした。

 

 

ここで私Mr. NoGucci の深層心理ならぬ真相心理を懺悔いたします。

 

「まじめにやる奴ご苦労さん、こんな私もご苦労さん。」

 

そこで、下手な川柳をお一つ

 

「私は植木等かNoGucci」

 

植木等さん平成生まれの皆さんにはお馴染みが薄いかも・・・

 

 

こんな私とは対照的なドクトル飯嶋は、

 

NoGucciのサボりも気に留めず、

 

今日もひたすら自己修養、

 

「継続は力なり」を地で行く一日でした。

 

 

そんなMr. NoGucciも、恥を知る男ではあります。

 

さすがに続けることの大変さを経験し、またその大切さを思い知りました。

 

 

一から出直して参ります。

 

怒り(いらいら)と過食

 

 

自分は怒りとは無縁の人間だと思っていました。

 

しかし、イライラすることは、かなりありました。

 

怒っていたのには、うすうす感じていました。

 

しかし、その真実には自分の中で目を逸らし、

 

無かったことにしていました。

 

 

「怒りを面に出すことは悪いこと」と思っていました。

 

 

出すのが怖かった? 

 

なぜでしょう?

 

怒ると人を不快にさせ、場の空気を悪くしてしまう。

 

イライラするとドカ食いで解消していました。

 

<つづきます>