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線維筋痛症診療のお問い合わせ電話で受付担当者が困惑していること。
<御意見、ご感想をお待ちいたしております。>
パターン1:
(場面)当方の事務職員が、電話をお受けした途端
(状況)<線維筋痛症の件で>と切り出され、明確なご用件をお伝えくださらぬまま、
いきなり一方的にご自分の病状経過を怒涛のようにお話はじめ止まらなくなるケース。
時系列的に一気に早口で、しかもエネルギッシュ、相槌も打てない状態が延々と続きます。
【すべての経過を相手に聞かせてからでないと話を先に進めることができない】と思い込まれているかのようだそうです。
⇒ 御自分の苦痛や苦悩を、誰かにしっかり訴えたい、というお気持ちが強いことがうかがわれます。
おそらく、周囲の人々に、何度も同じように訴えてこられたのではないでしょうか。
専門家でない一般の方が、このような状態にある方の訴えを受け止めることは相当な困難を伴うことが想定されます。
もっとも、専門家であれば特別な責任が発生しますので、一般の方とは質的に違った困難に直面することになります。
パターン2:
(場面)根気を要する傾聴の後、ようやく相互の対話や質疑応答による情報交換の段階に入ったかという段階
(状況)すでに自覚症状について詳細をお話いただいたにもかかわらず、
必要なコミュニケーションの流れを何度も中断し、
<痛み>や<苦悩>のテーマに逆戻りしてしまうケース。
【医療機関として必要不可欠な段取りや手続きのご説明について十分にお伝えすることが困難を極めます。】
⇒ このパターンもパターン1との類似点がありそうです。
とにかく、<今、この瞬間、この場で、自分を受け止めてほしい、無条件で理解してほしい、あるいはそんな自分の存在を見捨てないで欲しい>
という魂の叫びを聴く思いがいたします。
しかし、このような面識のない方との電話でのやりとりのプロセスは、
医療、とりわけ保険医療の限界を超えたご要望であることを正しく冷静に受け止めていただかざるを得ません。
あるいは、社会全体で対策を講じ、支えていくべき性質の訴えが、そこには内在しているのではないでしょうか。
パターン3:
(場面)必要な手続きや規則などのシステムをご説明した後
(状況)準備手続きを省略し、原則を無視して、例外的に、その当日すぐに診察して欲しい、というケース。
⇒このパターンの方は、医療機関にとって不可欠な手続きが
患者であるご本人の利益の確保のために必要であることを
ご理解されていないのではないでしょうか。
ご自分に対して誠意をもって支援したいと願っている周囲の人々や医療機関が見つかっても、
そうした善意の人々の困惑させることが、御自分自身にとっても損失と無駄を生むことにお気づきではないようです。
医療機関を受診するための最低限のルールとマナーの意味について、
冷静な判断に辿り着くことができない状態にあるのではないでしょうか。
パターン4:
(場面)最初、やり取りの途中、受診決定のための最終過程、のいずれの段階でも遭遇する場面です。
(状況)<生活保護受給者で弱者なので、特別の配慮と支援があって当然である>
という含みでたたみかけてこられるケース。
⇒弱者は生活保護受給者ばかりではありません。また生活保護受給者がすべて弱者であるとも限りません。
このような方々の多くは、ご自分自身を社会的弱者だとお考えになっているようにお見受けします。
そのようなお考えの方々をも必死に支えている多くの善意の人々や医療機関も同じ弱者の仲間である、
という気づきを期待することは難しいことのようです。
ただし、両者の違いは、<希望を失った弱者と自らを見なしている存在>なのか、
<希望を持った弱者>なのか、というあたりにあるのではないか、と思います。
医療機関は、たとえ弱者であっても、希望を失ってしまっては世間様に対して何のお役に立つこともできません。
医療機関は希望を失わないでいる限り、癒しのわざを発揮できる可能性をもった組織なのだと思います。
高円寺南診療所は、希望を失わない、という前提で、より弱者の立場にありたいと願ってきました。
しかし、これを逆に申し上げれば、私共を<希望を失った弱者>に引きずり込もうとする他者に対しては、
たとえ相手がどなたであっても、徹底的に抗議する姿勢を貫く立場にあることも明言させていただきたい、と存じます。
パターン5:
<障碍者として認定して欲しい>というケース。
障碍者の認定基準に該当しないのに、障碍者として認定して欲しい、
という御要望にお応えすることは不可能です。
高円寺南診療所の弱者の定義でいえば、そうした一方的な自己主張をされる方は、弱者とはみていません。
私共のいう弱者とは、社会全体で対策を講じ、皆で支えていくべき性質の問題を抱えながら、
かつ、当然の権利を持ちながら誰からも支援を受けることのできない個人や組織を意味します。
なぜ、高円寺南診療所が弱者なのか、という御質問に対しては、
疾病や病人の中には、社会全体で対策を講じ、皆で支えていくべきであるはずなのに、
そこから漏れてしまったような皆様、つまり、真の意味での弱者に相当する皆様を応援し続けているからです。
たとえば、わが国の医療制度、とりわけ保険医療制度の中できちんと救済すべき策を講じるべきであるのに、
制度の不備や視野の狭さのために救済されていない方々を、国家や社会全体に欠落した役割を補い、
何とかお支えしたい、希望を持ち続けていただきたい、そう願って誠実に実践すれば、
医療機関は、少なくとも経営的・経済的な弱者に陥ります。
国家や自治体、地域共同体に臨みたいことは、弱者を支えようとしている真の弱者こそを支えていただきたい、
少なくとも、その試みを妨げないでいただきたい、ということに尽きるのではないかと考えております。
“他者を助け、支える者たちへの配慮” これが無視され続けていくならば、
わが国の医療・介護・福祉は崩壊していかざるを得ないのではないでしょうか。
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