故郷(茨城)探訪

 

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常陸國住人 

飯嶋正広

 

常陸国の万葉集歌を味わう(その4)

 

高橋虫麻呂の才能は短歌ばかりでなく、長歌にも及んでいます。

 

今回ご紹介したいのは、万葉集第9巻1753番歌(長歌)と1754番歌(短歌)の組み合わせです。

 

1753番歌の題詞に検税使大伴卿登筑波山時歌一首[并短歌]とあります。長歌と、その反歌の組合わせで構成されています。

 

長いので、まずは拙訳ではありますが、万葉時代の筑波山紀行をご案内いたしましょう。

 

 

第9巻 1753番歌(現代語:飯嶋訳)

 

常陸の国に雄岳(男体山)と雌岳(女体山)の二つの峰が並びそびえている筑波山を見てみたいものだ、と都のお役人(検税使の大伴卿)がおいでになった。

 

暑い最中、汗を掻き、木の根をつかんで、あえぎながら登り、頂上をご案内した。

 

雄岳の神は快くお導きくださり、雌岳の神も霊力でお守りくださって、いつもであれば、ややもすれば雲がかかったり、雨が降ったりしがちなこの筑波山は快晴に恵まれた。

 

どれ程の天候だろうかと気がかりにしていた、国で随一の絶景を余すところなく御披露してくださった。

 

あまりに嬉しいので、着物の紐を解いて、家にいるような、打ち解けた気分を味わった。

 

草がなびく春に見たいものではあるが、夏草が生い茂っているとはいえ、今日も楽しく素晴らしい。

 

 

<訓読文>

衣手  常陸の国の  二並ぶ 筑波の山を  見まく欲り  君来ませりと  暑けくに  汗かき嘆げ 木の根取り  うそぶき登り  峰の上を  君に見すれば  男神も  許したまひ  女神も  ちはひたまひて  時となく  雲居雨降る  筑波嶺を  さやに照らして  いふかりし  国のまほらを つばらかに  示したまへば 嬉しみと  紐の緒解きて  家のごと  解けてぞ遊ぶ  うち靡く 春見ましゆは  夏草の 茂くはあれど  今日の楽しさ

 

 

<訓読文解説>

冒頭に「衣手 常陸の国」とありますが、「衣手」は「常陸」の枕詞になっているようです。

そもそも常陸国という国名の由来には諸説があって、船を用いずに陸路だけで行き来できる所なので、「直通(ひたみち)」という意味合いから「ひたち」と名づけた、という説のほかに、常陸國風土記に、「衣袖漬国」あることに思い至ります。

 

その部分の標準訳を紹介します。
 

倭武命(やまとたけるのみこと)が東国征討に行かれて新治郡を通ったときに、国造(くにのみやつこ)を遣わして新たに井戸を掘らせたが、すばらしく清い、いい水が出たので、輿(こし)を停(とど)めて水を愛(め)で手を洗われた。

 

そのとき、倭武命の着物の袖が泉の水に垂れて、袖が濡れてしまった。そこで、袖を漬(ひた)すという意味合いで、それを常陸の国の名前とした。

この長歌に対する反歌が、次の短歌です。

 

第9巻 1754番歌

 

作者:

高橋虫麻呂 題詞:(検税使大伴卿登筑波山時歌一首[并短歌])反歌

 

左注:

右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出

 

原文:

今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛

 

訓読:

今日の日にいかにかしかむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も

 

かな:

けふのひに いかにかしかむ つくはねに
むかしのひとの きけむそのひも

 

 

現代訳(飯嶋訳):

今日の絶好の日和に勝ることなどあったのだろうか。
この筑波嶺にやってきた昔の人たちが来た良き日でさえも。

 

 

英訳(飯嶋訳):

What could have been better than today's perfect day?
Even the good days of the past when people came  to this Tsukuba Ridge.

 

 

コメント:

虫麻呂の反歌は、誇張した表現になっていると感じられます。この短歌だけを読むと、虫麻呂の作風や人柄を誤解してしまいかねません。

しかし、都の大切な役人である大伴卿(いわば国税庁の査察長官か?)の、いささか無理のある、たっての所望に応えなければならない不安に満ちた接待の役目を仰せつかった下役の虫麻呂であったのでした。

 

幸い、当日の首尾は上々で、満足のいく結果が得られて大いに安堵した虫麻呂の気持ちを考えれば、この短歌は決して過度に大げさで自己満足な表現とまでは言えず、むしろ彼の率直な心の内が、素直に表現されているように思われます。