アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo36 

 

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コロナパンデミック騒ぎに巻き込まれた現場の臨床医としての私は、文学作品とはいえ、その中で展開される医師の言動に、とても新鮮な印象と共感を覚えます。それと同時に、これまでの先行翻訳者の諸先生方とは異なる気づきに恵まれているのかもしれません。

 

 

La presse, si bavarde dans l’affaire des rats, ne parlait plus de rien. C’est que les rats meurent dans la rue et les hommes dans leur chambre. Et les journaux ne s’occupent que de la rue. Mais la prefecture et la municipalité commençaient à s’interroger. Aussi longtemps que chaque medecin n’avait pas eu connaissance de plus de deux ou trois cas, personne n’avait pensé à bouger. Mais, en somme, il suffit que quelqu‘un songeât à faire l’addition. L’addition était consternante. En quelques jours à peine, les cas mortels se multiplièrent et il devint évident pour ceux qui se préoccupaient de ce mal curieux qu’il s’agissait d’une véritable épidémie. C’est le moment que choisi Castel, un confrère de Rieux, beaucoupe plus âgé que lui, pour venir le voir.

ネズミの事件であれほど喧伝していたマスコミも、もはや何も報道しなくなっていた。ネズミは道端で死に、人間は自分の部屋で死ぬからである。そして、新聞は巷の話題しか扱わない(註1)。しかし、県や市町村の当局はいぶかりはじめていた。めいめいの医師は、それぞれ二、三の症例しか経験していないうちは、誰もが動き出そうとはしなかった。しかし、詰まるところ、誰かが集計するのを思いつけば済んだはずのことなのであった(註2)。集計数は驚愕するほどだった。高々数日間で、死亡件数も膨れ上がり、この奇妙な病気を懸念していた人々の間では、これが紛れもない疫病を意味することが明らかな事実となった。まさに、そのような折を見計らって(註3)、リゥの同業者で彼よりずっと年嵩のカステルが、彼に会いに来たのであった。

 

(註1)

新聞は巷の話題しか扱わない

les journaux ne s’occupent que de la rue

 

「新聞は街頭のことしかとりあげない。」(宮崎訳) 

 

「新聞は通りで起こることにしか関心をいだかないのだ。」(三野訳)

 

「新聞は町の話題しか取り上げない。」(中条訳)

 

 

(註2)

詰まるところ、誰かが集計するのを思いつけば済んだはずのことなのであった

en somme, il suffit que quelqu‘un songeât à faire l’addition

 

「要するに、誰かが合計を出すことを思いつきさえすればよかったのである。」(宮崎訳) 

 

「結局、だれかが合算することを思いつくだけで十分だった。」(三野訳)

 

「結局、誰かが足し算をしてみるだけで十分だった。」(中条訳)

 

 

 

(註3)

まさに、(カステルは)そのような折を見計らって

C’est le moment que choisi Castel

 

「いよいよ潮どきと見てカステルという・・」(宮崎訳) 

 

「まさにこのときを選んで、・・・カステルが・・・。」(三野訳)

 

「まさにそのとき、」(中条訳)

 

 

 

 

― Naturellement, lui dit-il, vous savez ce que c’est, Rieux?
― J’attends le résultat des analyses.
Moi, je le sais. Et je n’ai pas besoin d’analyses. J’ai fait une partie de ma carrière en Chine, et j’ai vu quelques cas à Paris, il y a une vingtaine d’années. Seulement, on n’a pas osé leur donner un nom, sur le moment. L’opinion publique, c’est sacré: pas d’affolement, surtout pas d’affolement. Et puis comme disait un confrère : « C’ est impossible, tout le monde sait qu’elle a disparu de l’Occident. » Oui, tout le monde le savait, sauf les morts. Allons, Rieux, vous savez aussi bien que moi ce que c’est.

「むろん、リゥ君、君はこれが何なのかわかっているかね?」とカステル医師は言うのであった。
「解析結果を待っているところです。」
- 「私には、それが何なのかわかっている。これ以上の解析結果を待つまでもないことだ(註4)。私には中国で過ごしたり、パリでいくつかの症例を見たりした職務経歴がある。20年ほど前になるがね。しかし、ただ、あえてその病状に病名を付けようとはしなかった、その当座にはね(註5)。世論というものは神聖で侵しがたいもの、だから、慎重が上にも慎重に、ということになる(註6)。そして、ある同僚が言ったようにうに『ありえない。それが西洋から消滅したということを知らぬものはいない。』ということだった。そうだ、みんな知っていたのだ。死んでしまった者以外はね。さてはて、リュ君、君も私と同様、それが何なのか十分知っているはずだね

 

 

(註4)

だから私には解析など無用だ。

Et je n’ai pas besoin d’analyses.

 

各人とも<je>(私)を省略していますが、たとえば世間一般の人々は、そのようには考えていないとすれば、主語を省略すべきではないのではないでしょうか。

 

「だから、分析なんぞ必要としない。」(宮崎訳) 

 

「分析の必要はない。」(三野訳)

 

「分析を待つ必要なない。」(中条訳)

 

 

(註5)

あえてその病状に病名を付けようとはしなかったのだ、その当座にはね。

on n’a pas osé leur donner un nom, sur le moment.

 

各人ともosé leur donner un nomの<un nom>を単に漠然と「名前」訳するのではなく、文脈に沿って具体的に「病名」としています。
   

何に対して「病名」を付けるか、についても、省略したり、代名詞であるため「そいつ」と訳したりするのではなく、「病態」と訳することにしました。また、各人とも「勇気が(は)なかった」と訳していますが、自らの保身のためだけでなく、既得権益の積極的な拡大を狙って「あえて・・・行わない」という立場の医師が存在することを弁えた上で翻訳したいと考えます。

 

「世間はそいつに病名をつける勇気がなかったのさ、即座にはね。」(宮崎訳)

病名をつけるのは医師であって、世間ではありません。勇気がなかったのも世間ではなく、医師たちであったのではないでしょうか。

 

「だれも即座に病名を口にする勇気はなかった。」(三野訳)

 

「すぐに病名をつける勇気がなかったんだ。」(中条訳)

 

 

(註6)

世論というものは絶対なのだ、だから、慎重が上にも慎重に、ということになる。

c’est sacré は直訳すれば、「それは神聖だ」となりますが、神聖不可侵あるいは絶対的な存在であることを示唆しますが、一方で、非科学的で、非合理的であるにもかかわらず権威をもっていることをも示唆することがあります。カステル医師のこの発言は、医師という職能集団全体に対しての警句であると、私は解釈します。そして、現代でも多くの心ある医師は、科学的根拠よりも、政府や利権組織の思惑に誘導された世論やマスコミの主流派の意見に逆らうことに困難を覚えています。

 

L’opinion publique, c’est sacré: pas d’affolement, surtout pas d’affolement.

 

「世論というやつは、神聖なんだ―冷静を失うな、何よりもまず冷静を失うな、さ。」(宮崎訳)

誰に呼び掛けているのか、わかりにくい訳文だと思われます。 

 

「世間というのは神聖なのだ。パニックを起こしてはならない、とりわけパニックはいけない。」(三野訳)

世間にパニックを起こしてはならない、と警告しているように誤解を与えかねない訳文か?世間様にパニックをもたらしてはならない、という訳だとわかりやすいのではないでしょうか。

 

「世論には逆らえないからね。慎重に、いやが上にも慎重に、というわけだ。」(中条訳)


とてもこなれた良い訳だと思います。良い訳はその一文自体が分かりやすいだけでなく、前後の分との繋がりもしっくりいきます。