野口君が手配してくれたホテルの近く小倉時代の鴎外の旧宅跡があることを知って、そこを見学することにしました。
鴎外の旧居後は、私が以前、文京区本駒込に棲んでいた関係で、千駄木の鴎外記念図書館を訪問したことがあります。
それから、ドイツのベルリンでの医学会参加の際にも、鴎外博物館に立ち寄りました。
今回の痛風学会も会場が小倉だというので何となく気にはなっていたのですが、御縁というものかもしれません。
いずれ機会があったら、鴎外の生誕の地津和野も音連れてみたいと思います。
それから、鴎外の墓所が三鷹であるということも改めて認識しました。
今月団体登録したばかりの水氣道の新しい稽古場が三鷹なので、不思議な縁を感じました。私は知らず知らずのうちに鴎外に導かれていたのかもしれません。
そこで、全く馬鹿げた試みではありますが、鴎外の事績と私自身のそれとを比較してみることにしました。
誕生:
〇 鴎外文久2年(1862)島根県津和野
× 私昭和34年(1959)茨城県水戸
⇒おおよそ1世紀後れ、いずれも中央から離れた地方です。
結婚歴:
〇 鴎外初婚27歳
× 私29歳
⇒2年遅れ
〇 鴎外再婚40再
× 私なし
大病罹患歴:
〇 鴎外肋膜炎(結核)19歳
× 私なし
医師歴:
〇 鴎外19歳
ただし、鴎外は1873年(明治6年)11月、入校試問を受け、第一大学区医学校(現・東京大学医学部)予科に実年齢より2歳多く偽り、12歳で入学
× 私26歳(防衛大学校早中退の経歴等のため)
⇒7年遅れ
ロンドン・パリ訪問歴:
〇 鴎外26歳
× 私ロンドン訪問歴なし、パリ訪問56歳
外国語学習歴:
藩医家の嫡男として、幼いころから論語や孟子、オランダ語などを学び、養老館では四書五経を復読した。当時の記録から、9歳で15歳相当の学力と推測されています。
<中国語(漢籍)>
〇鴎外おそらく幼少期から
×私30歳頃から概ね独学
⇒比較になりません!
<ドイツ語>
〇鴎外10歳から
×私16歳から
⇒6年遅れ、実力は月とスッポン、とうてい追い越せません!
<フランス語>
〇 鴎外37歳(小倉天主公教会=カトリック教会、ベルトラン神父から)
× 私20歳から独学するも成らず、59歳時に阿佐ヶ谷エコールサンパのフランス語教師ベルトラン(カトリック信者)からフランス語を学ぶ
⇒速習力で全く歯が立ちません。私は未だにフランス語には不自由しています。
漢方医学学習歴:
〇 鴎外12歳から
× 私30歳から本格的に学び始め38歳にて「漢方専門医」資格取得
⇒18年遅れ。
留学歴:
〇 鴎外22歳(官費)ライプチヒ大学ホフマン教授、
ミュンヘン大学ペッテンコーフェル教授、ベルリン大学コッホ教授
× 私なし、短期研修滞在のみ(自費)
文学活動歴:
〇 鴎外28歳「舞姫」
× 私なし
学位取得:
〇 鴎外「医学博士」29歳「文学博士」47歳
× 私「医学博士」50歳
⇒医学博士取得は21年遅れ
「文学博士」取得に至っては想定能力外
軍事・衛生学と医学との関係:
〇 鴎外19歳で陸軍軍医副(中尉相当)
22歳で衛生学を修めるとともにドイツ帝国陸軍の衛生制度を調べるためドイツ留学。
45歳で陸軍軍医総監(中将相当)官を極める
× 私18歳で防衛大学校入校するも同年退校、30歳から38歳まで東京大学医学部衛生学教室(故和田攻教授)の研究生として在籍し、医師としての基本スタンスを確立。
衛生学から健康科学(後に東京大学より保健学修士の学位授与)、労働衛生学(後に労働衛生コンサルタント国家試験合格)、リハビリテーション医学(東京大学より医学博士の学位授与)、東京大学医学部付属病院分院心療内科エクスターン(末松弘行名誉教授、久保木富房教授に師事、後に心療内科専門医・指導医となる)。令和の時代は、まさにいろんなウイルスとの国際戦の様相を呈しています。
死亡歴:
〇 鴎外60歳(死因:肺結核)
向島弘福寺に埋葬。後に三鷹の禅林寺に改葬。
× 私現在60歳にて生存中。いつの日か茨城県笠間市のカトリック友部教会(イエズス・マリアの聖心修道会本部墓地)に埋葬される予定。
まとめ:
鴎外と自分を比較しようなどという物好きな発想がどこから湧いてきたのでしょうか?
そういえば、小倉百人一首をコンコーネ50番とトスティ50番に誂えるという発想自体も唐突だと言われています。
しかし、なぜか一流の音楽家の皆様の協力が得られたばかりでなく、これまた医学の領域で一流の仕事をされている諸先生方にも高い評価を得ています。
小倉百人一首には豊富な掛詞がありますが、現代人は「ダジャレ」だとか「オヤジ」などという品のない反応をしてしまいがちなのが頗る残念です。
小倉(おぐら)百人一首のCDをお世話になってきた医学会の各領域の重鎮の先生方にプレゼントするととても喜んでくださいます。多忙であるにもかかわらず、感想を手紙やはがき、あるいはメールで送ってくださっています。
今回は早くも『さすが飯嶋先生。わかっていますよ!小倉(こくら)百人一首という趣向ですな‼』などとおっしゃってくださった大先生がいらっしゃいました。います。それは全くの買い被りで、私自身もそれに気付いていませんでした。
一流の方は頭の回転が速く、しかも「ダジャレ」だとか「オヤジ」を馬鹿にせず、ウィットとユーモアに富んだ芸術的な対応をしてくださるものだと感心した次第です。
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