令和元年5月4日<杉並国際クリニック>事始め

平成の30年間と共に歩み続けてきた高円寺南診療所の総括と、積み残してきた課題、そして令和と共に始める杉並国際クリニックの新たな役割と使命

3回シリーズ(1/3)

 

 

I 高円寺南診療所30年間の総括

 

皆様は平成の30年間をどのような時代であったと評価しますか?

 

私は、平成の30年間は空白の時代、さらにいえば失敗の時代だったと考えています。

 

その理由は「痛みを伴う構造改革」を行う絶好の時代を生かせなかったからです。

 

平成の初年度には、すでに新しい時代の重要課題が明確になっていたはずです。

 

それらの解決に向けての対策を誠実に着手していれば、現今のような事態には至らないで済んだのではないかと考えています。

 

しかし、それを避けてきたのは政府や経済界のリーダーたちでした。彼らの多くは昭和の成功モデルのまま遵守しようとして失敗を続けてきました。

 

失敗の原因を作ったのは、彼らばかりではありません。日本は世界に冠たる医療制度を持っているという思い込みから抜け出すことができなかった厚生労働省や日本医師会にも大きな責任があります。

 

たしかに日本での医療へのアクセスは世界で最も高水準であることは事実であり、これが今日の日本の長寿社会を可能にした大きな原動力の一つではありました。また自分で自由に病院や医師を選ぶことができる「フリーアクセス」が保証され、専門分業化が進んだ大病院志向が強いことも特徴です。

 

そして心身のトータルな健康管理を得意とする公的な「かかりつけ医」制度がないため、介護予防を含む予防医学や健康増進サポートがほとんど機能していません。

 

しかし、体力も気力も衰え、遠方の複数の大病院のはしご受診ができなくなった高齢者が行きつく先は近所の診療所です。そうした診療の仕事の多くが、重複する薬剤の整理と要介護申請業務に割かれるだけ、というようなことが増えてきています。

 

大病院の受診継続のみでは体力・気力の維持向上には役に立たないばかりか介護予防の目的も果たせません。その理由は、日本の医療保険制度のもとでは、提供される医療サービスは「診断」と「治療」にほぼ限定されていて、予防医学へは、医療費全体のほんの数%程度しか使われているにすぎないからです。

 

今後、医療費が増加していくことを考えると、ますます予防医学や維持期の公的医療サービス拡大は期待できなくなるでしょう。

 

零細な一医療機関に過ぎない高円寺南診療所でさえ反省点が浮き彫りになりました。

それは国家的な課題を解決すべきなのはあくまで行政であって一医療機関や一国民ではないという勝手な思い込みや責任逃れがあったということです。今になって気づいたことは、国家的課題と日常診療指針とはつねに密接不可分である、ということす。