外国人診療と外国人 10月11日 <日本人より日本人?>

<日本人より日本人?>

 

シュウカツというと、かつては就職活動のことでしたが、最近では人生の終焉に向けての準備である終活という言葉が大流行りです。

 

 

私自身を振り返ってみますと、私の学生時代は、医学生であったため、ほとんど就職活動をすることなく危機感もなく過ごしていました。

 

研修先も最初に受験した虎の門病院に合格したので、全くと言ってよい程、就職活動には無縁でした。

 

その分マイペースで勉学に専念できたことは、今から思えばとても恵まれていたのかもしれません。

 

そうしたわけで、私にはシュウカツは無縁であると思っていたところ、誰しもが避けることのできないシュウカツなるものに遭遇することになりました。

 

もっとも、淡々と日々を過ごし、特別な備えをせずにこの世を終えることもできないわけではありませんが、

 

後に残すことになるであろう若い人たちのために、自分たちの終焉活動を通して何らかのメッセージを残していくことも意味があるように思えてきました。

 

 

すると自分の最後をどこで、どのように迎えるか、ということを決断する過程が終活のように思われてきました。

 

 

先週末の連休に、郷里の茨城で過ごしました。先月にはじめて訪れたカトリック教会が茨城県の概ね中央部に位置する笠間市にあります。

 

そこはイエズス・マリアの聖心会の日本本部です。

 

妻と次女とともに最初に預かった主日の御ミサはコルネリウス・ビファー神父(1927年3月28日~)によるものでした。

 

米国ニューヨーク出身の90歳の司祭は、1951年10月28日に来日されて以来、日本での布教に専心されてきました。

 

1959年生まれの私よりも以前から、日本での生活を始められたことを考えると、人生における先輩だけでなく、日本の市民としても先輩であることを改めて深く受け止めました。

 

90歳の現在も現役でカトリック司祭のミッションを果たし続けておられる姿に心打たれました。

 

 

翌日は、早朝午前5時50分の妻の思い付きに合意し、朝ミサに預かることにしました。

 

 

そこで、修道会の朝の聖務日課を共にし、朝の御ミサに参加した後、ビファー神父、川又巳三男神父(1937年3月20日~)との分かち合いのひとときに恵まれました。

 

さて司祭たちは終活をいつ始めるのであろうか、などとの自問は愚かなことであることに気づきました。

 

彼らは、司祭の道を選んだ時点で、すでに終活をはじめているように思えました。

 

否、洗礼を受けた段階ですでにそれが始まっていたのかもしれません。

 

 

この修道院の裏手には司祭の墓地があります。それに隣接して、一般の墓地が整備されています。

 

その一隅に、その日、妻と私の墓所を求めることに決めました。