『聖楽院』便り

 


東京へのこだわりN01:現在編<東京でしかできないこと>

 

令和4年度は、「東京でしかできないことは東京で、郷里(水戸)でしかできないことは水戸で」という私の行動指針が固まってきました。

郷里での生活より、東京での生活の方が遥かに長くなったのですが、いつの頃からか、東京で過ごしているから安心、という根拠の乏しい思い込みに染まり、日々をぼんやり過ごしつつある自分自身に気が付いて反省を始めているところです。

 

そこで、まず「東京でしかできないことは何だろうか?」という自問自答に始まるわけです。

しかし、東京に住んでいるだけで、地元の高円寺をはじめ杉並区のことすら皆目見当がつかないまま過ごしてきたことに気が付いて愕然とするのでありました。

 

まず、高円寺についてですが、高円寺には杉並区立杉並芸術会館があるということを私は本日まで知らないでおりました。もっとも「座・高円寺」の存在はさすがに認識しておりましたが、両者が同一の実体であることは知らなかったわけです。

 

「座・高円寺2」は演劇や音楽・ダンス等のさまざまな文化・芸術活動、発表会、講演会等に幅広く利用できます。また 「阿波おどりホール」は阿波おどりの練習や普及事業のための 専用のホールのようです。おまけに、一般社団法人 日本劇作家協会の事務局が高円寺北2丁目に置かれていて、高円寺は演劇の世界でのメッカでもあることなど全く知らないで過ごしていました。

 

劇団の演出部で演出助手として目下修業中の私の次女が既に数年前に「高円寺は、自分にとって必要なものが何でも揃っている街だ。」と言っているのを耳にしたときに、私は不思議な思いに駆られたものでした。

しかし、やたら遠方の世界に憧憬を抱く傾向にあった私よりも、身近な地元に素晴らしい宝を見出すことができる次女の感覚は大切に育んで欲しいものだと思うし、私自身もそのような発想が持てるように、毎日を生き生きとした感覚で過ごしたいとものです。

 

一言で「表現芸術」といっても色々あるわけですが、そもそも「表現」の仕方や表現者の心構えの在り方も様々であるように思われます。私は、一時期、能のお仕舞やお謡の稽古をさせていただいた時期がありましたが、残念ながら定期的に続けることは断念し、機会に恵まれれば観能を楽しめればと考えています。そのかわり、声楽の稽古は、コロナ禍にあっても、何とか続けております。

 

東京でしかできないこと、というお題で考え始めましたが、高円寺でしかできないこと、杉並区でしかできないこと、と置き換えて、折に触れて考えてみることが大切であることに気づくことができたように思います。

 

大切にしたいことは、もし私が何かの折に高円寺を、そして杉並区を去った後に、学問・芸術・文化等の領域において、高円寺や杉並の魅力を再発見したときに、大きな後悔に襲われないようにしたいということです。そうは言っても、後悔、先に立たずという言葉もあります様に、なかなか思うとおりに行かないのが世の常なのかもしれません。