故郷(茨城)探訪

令和4年1月2日

  

この年始の時期を、東京で過ごす方、地方に帰省して過ごす方、それぞれの方がいらっしゃることでしょう。

そして、東京で過ごされる方の中には、生まれも育ちも東京、三代以上続いているから、れっきとした江戸っ子、というような皆様もいらっしゃる一方で、諸事情で帰省できないという皆様も多数おいでになることを私は存じております。

 

この年末年始も、さまざまな要因で「帰省」が「規制」されることが当然であるかの如く「既成」事実となりつつあることに寂しさを感じています。

 

「帰省」とは郷里に帰り、父母の安否をうかがうことが本来の意味らしいです。まず初めに高齢の父母や縁者の感染・重症化のリスクを考えるのは当然のように受け止められています。

東京在住の家族の面会を警戒し、歓迎しない高齢者入居施設がほとんどであるようです。

 

医療供給のキャパシティの乏しい地方にとっては、感染が拡大すればすぐに危機に陥る事情もあり、已むを得ない事情もあります。そのような昨今を過ごす中で、自然に思い出され、口をついて出てきそうな詩歌が、私には二つあります。

 

一つ目は、欧州での医学・音楽研修が困難になった背景から、せめてフランス文学の世界へ、と考えてカミュの「ペスト」を細々と翻訳をしている自分自身にとって、より身近に感じられるようになった詩です。

 

萩原朔太郎の旅上(純情小曲集)より、

ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背廣をきて きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき みづいろの窓によりかかりて われひとりうれしきことをおもはむ 五月の朝のしののめ うら若草のもえいづる心まかせに。

 

もう一つは、これは、室生犀星の望郷の詩句です。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」

 

「遠きにありて思ふもの」とうたわれていますが、犀星が郷里の金沢に帰郷したおりに作られた詩とされます。帰郷することをためらいつつ望郷の思いに駆られて作歌されたのではなく、実際に故郷に帰ってみて落胆したもののようです。

 

東京で思うにまかせぬ暮らしを強いられ、懐かしい故郷にはるばる帰ってさえも温かく受け入れてもらうことがなかったとしたら、どれだけわびしく、そして切ないことでしょうか。その悲哀、郷里への愛憎半ばする思いが「遠きにありて……」の言葉となったらしいのです。

 

故郷とは時に複雑な思いを呼び起こす場所です。それは、久しぶり訪れる故郷を理想化し、過剰な期待を抱いてしまいがちであるためでもあることでしょう。

 

「遠きにありて思う」とは、現在の故郷ではなく、傷つきつつも心の奥深くに刻み込まれたままの在りし日の故郷なのかもしれません。

 

とはいっても、人と故郷の事情は千差万別です。私などは幸い「遠きにありて」を「悲しくうたふ」人ではなく、「いつも身近に感じていて」「楽しくうたう」人の一人になろうとしています。

 

せめて、遠く隔たっていてもオンライン時代の「帰省」に工夫をこらしたいものだと考えています。たとえリモートであっても、昔から音程が正確で歌声の美しかった老母と一緒に楽しく歌える正月を過ごしたいものです。

 

文学や音楽をはじめとする芸術の価値は、このような時節において、改めて、しみじみと有難みを感じるものなのかもしれません。