水氣道―合気道に学ぶー(その2)

9月30日(水)

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私の誕生日に先立つことおよそ2年弱の昭和32年7月20日に刊行された「合氣道」の復刻版を読んでいて、内容の古さを少しも感じないことは驚くべきことでした。

 

序において「合気道」とは、天地を貫く真人の道である、と説かれても大方の読者は戸惑うことでしょう。そして第一章の総説では、それが天地の実相に即した永久性を持ったもの、・・・諸生活の一端に至るまで実現する時にこそ、人間性にとけ込んだ真の合気道を体得したものということができる、と続きます。この一文中の合気道を水氣道に置き換えて吟味することができる私にとっては、たとえ合気道そのものに馴染みが無くとも十分に実感をもって受け入れることができます。

 

さらに第二章の合氣道とは何か、を読み進めていくのですが、言葉や文章で「合氣道」をズバリ説明して、諸人に納得させることが容易でないことがわかります。このことは、水氣道を創始して20年を経た私にとっても同様な経験を繰り返しているところです。そのような中で、第四節の武道界における合気道、は教えを受ける人々にとってはイメージし易い内容になっていると思います。それは、比較やたとえを使って説明しているからです。これは、あたかも「愛」を説く聖書が「愛」そのものを哲学書や経典のように説くのではなく、物語や詩や、新約に至ってはキリスト・イエズスの言葉によって平易に、しかもたとえ話で語られているのと似ていることに気づきます。

 

「ここまで述べたところにより、合気道とは何かということが大体わかったと思う。」の一文で始まる第四節ですが、残念ながら私にはまだまだ分からないところだらけです。しかし、間もなくやっとわかりやすい説明展開に出会うことができます。

 

「合気道と柔道とどう違いますか? 空手道と比較してどうですか」

 

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先ず技法において、柔道は必ず袖を持ち合い、襟を持ち合いその相対した動きの中で、互に機をうかがいながら変化の限りをつくし、技の精妙さをきそうのであるが、合気道は、一瞬ふれた時にはすでに勝敗決定の時であり、互に離れ、間合を取りながら、ありのままに何等動きの制限なく、自由自在に変化してその技をほどこすのであって、組み合いもみ合うということは絶対に見られないのである。

 

更に空手道と比較すれば、一層大きな相違を見出すのである。空手道は突きと蹴りとに帰一するようである。従って、その動きは円運動も多分に加味されているとはいうものの、えてして直線的なものが多いようである。

 

合気道においては、突きも蹴りもあるにはあるが、その動きは多彩であり、全くの円運動、球運動の捌きの中に技法の集約を見ることができるのである。故に全く直線的な動きというものは見出しがたいのである。

 

動きの点において柔道、空手道よりも剣道が最も合気道と共通したものを見出すことができる。剣道は一見合気とは本質的に異なる感じがするが、合気道の動きはすべて剣の動きになっており、合気道の技法を剣の理念から説明した方が、他によるよりも理解しやすい点が多々あるのである。

 

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「合気道には形も無ければ様式もない、自然の動き、これこそ合気道の動きであり、その奥は深遠にして極まりなし」

 

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これを要するに、合気道の技は柔道、剣道、空手道等とは異なったものであるが、合気の技を生み出している精神は、その何れの道の奥義とも一致しているものであると言うべきである。

 

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以上が抜粋です。比較による説明は輪郭がはっきりしてくるのでイメージし易くなるのではないかと思います。

 

それでは、「水氣道と合気道とどう違いますか? 他の武道と比較してどうですか」

 

まず、水氣道は水中で稽古します。これは水氣道が合気道を含めた他の武道と比較した場合の最大の特徴です。それから、水氣道の技法においては、他者と接触することは少なく、例外的に相手に一瞬触れる技法があるだけです。さらに水氣道では試合というものがありません。合気道でも「試合は死合である」と言っていますが、水氣道は、これをさらに徹底させて、進級や昇段のための検定は行いますが、互いに競わせたり、試合に臨ませたりすることはありません。

 

水氣道の技でも、空手道のように突きや蹴りの動作を含んでいます。ただし、水氣道は陸上ではなく水中での運動であるがゆえに、その動きは一見直線的に見えるものであっても、必然的に円運動やらせん運動が加味されてきます。

 

合気道の動きはすべて剣の動きになっているとのことでしたが、水氣道の動きのすべてが剣の動きになっているかというと、そこまでは言いきれません。空手のような動きはもちろん、その他の武道の中では、たとえば弓道のような動きをするものも含んでいます。

 

また、合気道には「形(かた)」もなければ「様式」もない、とのことですが、水氣道には「形」や「様式」とは呼ばず「航法」という一連の稽古の流があります。この流れこそは、水中と水面上で連続展開していく「水気の技」を支えるものですが、この技は、あたかも母親の羊水の中で動く胎児のように、水中でのごく自然な動きによって育まれていくものです。それは、水氣道は、水に抗うのではなく、むしろ委ねることを大切にしていることによるものなのです。

 

合気道の技は柔道、剣道、空手道等とは異なったものであるように、水氣道も明らかにこれまでの武道とは異なっています。しかし、水気の技を生み出している精神は、その何れの道の奥義とも一致している、という主張に対して、水氣道の精神としては、合気道をはじめとする諸武道に対する敬意の念をもって尊重しつつ、独自の道の奥義を極めていきたいものです。