外国語といえば、多くの日本人にとって、英語が第一外国語であろうかと思います。
私もご多聞に漏れず、英語が最初でした。

 

私は一般家庭の育ちであったために、中学校の英語の授業が最初でした。

当時、地方都市では中学・高等学校6年間一貫制の学校は、まだ少なかった頃の話です。英語の先生が教室に入ってくるなり英語であいさつし、クラスメート全員が英語で応答したのにはカルチャーショックを受けたのでした。

 

 

どのようにしたら、クラスメートから取り残されないで済むか、どう勉強を進めて行ったら良いのか皆目見当がつきませんでした。

しかし、幸いなことに英語のテキストは薄くて文字が少なく、絵が豊富でした。しかも、ソノシートというビニール製のレコードが別売されていたので、これを活用して物まね練習を始めることを思いつきました。

 

 

当時、すでに流行りつつあったカセットテープに較べて便利だったのは、巻き戻しの時間の節約です。

繰り返して聴いて勉強するうえで、巻き戻し時間はストレスフルですが、レコードプレーヤーでは、針のついたアームをちょいと移動させる一瞬だけで済むのが強みだったと今でも思います。

 

 

そうして、結局、薄っぺらな英語の教科書の本文を全部暗唱する訓練を取り入れました。まるで英語の歌を覚えるようなノリでどんどん覚えていったのでした。

 

この頃、言葉というのは音楽なのだ、という悟りを得ることができました。外国語と外国音楽はその頃から一組のものとして認識するようになっていったように思います。

 

 

テキストの英文を一字一句間違えずに覚えたかどうかの確認のためには、ノートに書きだしてテキストと照らし合わせてみるのが一番でした。こうして、中学2年生の終わり頃までには、中学英語の教科書の本文は丸暗記できていました。

 

 

高校受験から免れていたためか、中学生時代はいろんな本を読むことができました。

そして、高校生になると、選択制でドイツ語の勉強をする機会がありました。

 

このとき楽しんだのがドイツ・リート(ドイツの芸術歌曲)でした。

音源はカセットテープでした。その頃になると、英語以上にドイツ語の歯切れよさを心地よく感じたものでした。

私が最初に覚えたドイツリートは、ベートーベンの「Ich liebe dich(あなたを愛す)」でした。

 

 

その後、医学生になって以降は専ら英語の修行でしたが、これは仕事柄、現在までも続けています。

 

フランス語は医学生の頃から、イタリア語は開業医となってからのお付き合いですが、その間、スペイン語や中国語の勉強をしたこともあります。

 

 

このくらいで打ち止めにしておくのが常識人というものなのでしょうが、還暦を越えてロシア音楽に興味を覚え、何と昨年になって、ロシア声楽の大家である、現在の師匠、岸本力先生に入門したのでした。

 

ロシア語そのものについては、毎年4月や10月になるとNHKのラジオやテレビのテキストを手にするのですが、1か月も持たず、そのつど挫折、ということを繰り返しておりました。

そこで、これは原点に戻って、「言葉は音楽だ、音楽なのだから歌で覚えてみよう!」というヤンチャな動機でした。

 

 

武蔵野音大の別科を受験する頃には、何とか2曲程度のロシア歌曲が歌えるようになったのですが、甚だお粗末なレベルであったので、日本歌曲とイタリア歌曲の2曲で受験したのでした。

 

晴れて合格して、4月から毎週の個人レッスンを受けることにより、前期の終わりころには合計6曲、夏休みを経て11月の大学院受験までに合計8曲のロシア声楽曲と1曲のオペラアリアを人前(とはいっても、音大の試験官の先生方)で披露するまでになったのは奇跡に近いと思います。

提出曲の6曲すべてをロシア声楽曲に統一することに決めたのは、しかしながら、岸本先生ではなく、私自身なのでした。

 

 

物事をしっかり学び取るためには、教えてくださる先生ご自身にその気になっていただくことに越したことはない、と考えたからです。そして、それは大正解だったように思います。

 

毎回、とても情熱的なレッスンを受けることができました。そして、自分自身が先生以上に熱心でなくてはならない、という思いがこみ上げてくるものなのだからです。

 

 

岸本先生は声楽実技試験当日の直前までサポートしてくださいました。ロシアの歌曲やアリアを歌うためには、岸本先生独自の発声練習が大きく効いて来ることが分かっていましたから、とても有難いことでした。

 

 

合格発表の翌日には、正式の合格通知が届きましたので、ここに掲載いたします。

武蔵野音大合格通知

 

11月14日には、私の現在の師匠である、岸本力先生は、ご自身のデビュー50周年記念リサイタルを上野文化会館で大成功を収めました。

 

偶然ですが、丁度この日に63歳を迎えた私にとって、もっとも芸術的な誕生日プレゼントとなりました。

 

そして、コロナパンデミックの兆しさえ予測していなかった3年前に迎えた還暦は、杉並公会堂において「聖楽院コンサート」を朝から夕方まで開催したことを思い出さずにはいられませんでした。

 

 

そして、翌15日には、武蔵野音大の修士課程入試結果が発表されました。

 

端的にご報告すると、結果は以下の通りです。

 

〇 声楽専攻/ヴィルトゥオーゾコース・・・不合格
 

〇 声楽専攻/声楽コース・・・合格

 

来春4月に入学して、2年間更に声楽修行を続けていく予定です。

 

幸い、武蔵野音大は、高円寺駅北口バス停から13分、徒歩3分の練馬区羽沢にあるため、通学のためのロスタイムは最少であり、診療時間をほとんど減らすことなく通学できることは、極めて幸運な、天からの恵みのように感じられます。

 

年度末までに、現在在籍している別科の修了試験コンサートを終えて、終了する予定です。

 

ヴィルトゥオーゾコースとは違い、声楽コースは修了条件の一つに、修士論文作成があります。

 

修論作成が本決まりとなった現在、岸本先生から、(修士に合格したと仮定して)予めいただいていた大きな研究テーマを修士論文でまとめるためには、この間にも、早々に手ほどきを受けておかないと2年間での修了に間に合いそうもない気配を感じているところです。

 

団体としての聖楽院の活動は、コロナ禍にあって中断して久しくなってしまった一方で、水氣道は中断することなく脈々と続けてくることができました。

 

そして水氣道の会員こそが、杉並国際クリニックの岩盤の会員である、ということをここで宣言しておきたいと思います。

 

そう申し上げると、なぜそこまで言い切るのか、一般の会員の中で特別な待遇なのか、といったようなご質問や、ときにはご批判を受けることもあろうか、と思われます。

 

しかし、そのような特権や優越意識によって水氣道を続けている方はいらっしゃらないように思います。

 

 

「あなた何をされているの?」「水氣道…」「それって武道の一種、それともカルト?」「水中エクササイズというかアクアビクスというか・・・」「ちょっと怪しそうね!」などといったやりとりが発生することがあるということを以前から耳にします。

 

そして、新たに創造された活動であるために、一般の方にはまったく馴染みがない名称でもあるために、説明に苦労する、という話をしばしば承っております。あるとき、読売新聞の全国版で写真付きで掲載されたこともありましたが、読者の反応は乏しかったです。

 

現代社会においては、耳慣れた名前もしくは洒落た呼称、流行の波に乗ったジャンル、テレビ等のメディアでおなじみ、という背景がないと、共通のイメージを形成することは甚だ難しいものです。

 

水氣道という呼称が定まったのは、私が40歳を迎えた頃でしたから、およそ23年ほどが経過しています。

 

水氣道の稽古プログラムは徐々に体系的にまとまっていったのですが、参加者のほぼ全員が私の患者さんであったことから、フィットネスおよびメディカルの両面での評価や経過観察を継続することができました。

どのようなプログラムを組んだら期待する結果が得られるのかを絶えず追求してきたことになります。

 

 

水氣道のような医学的、科学的検証を繰り返しながらデザインされた武道の存在は、私は寡聞にして存じ上げません。

また、スポーツのジャンルにおいても同様です。

 

だいぶ以前に日本医師会が認定する健康スポーツ医という資格を取得したことがあります。

しかしながら、そもそも、健康になることを目的としてスポーツが成立したわけではないし、スポーツをすれば誰でも必ず健康になれるというものではないことに思い至りました。

むしろ、様々なスポーツ障害が発生するためにスポーツ医学があるといっても過言ではないでしょう。

 

 

それでは、健康になるための新たなエクササイズプログラムを創造してみてはどうか、というのが水氣道誕生の秘話ということになります。

 

そもそも日本は四季の変化が大きく、天候も変わり易く、自然災害大国でもある、そして早晩、地球環境汚染や広域的な感染症が日本を襲うに違いない、という観測の下に理想のエクササイズを求めてのあくなき探求がはじまりました。

 

一生涯を通して集団で楽しく安全に続けることのできるエクササイズを創出するためには、どのような準備が必要であろうか、という観点から、全天候対応型、生涯継続型、さらに高度な安全性、などの観点から、屋内の温水プールでの有酸素運動にたどり着くのでありました。

 

 

私が20年ほど前に想定していた環境変化が次々に的中し、黄砂、大震災、コロナパンデミックなどが次々に襲い掛かってきました。

しかし、幸いなことに、集団エクササイズである水氣道は統制のとれた、しかも、堅苦しくないエクササイズであるため、防災訓練としての側面をも併せ持つばかりでなく、屋内であるため花粉や黄砂の影響を受けずにのびのびと稽古することができ、ウイルスなどの感染症に対して安全性が高いことが強みを発揮しました。

 

 

水質管理の専門家であれば、プールの水に含まれる次亜塩素酸や50%以上の湿度などがウイルスの不活化に効果があることを認識しているはずです。

 

水氣道では、集団で、盛んに水しぶきを発生させるため、細菌やウイルスの不活化のためには打ってつけの環境を作りながら鍛錬できるという大きなメリットを生かすことができました。

 

 

3密を避けよ、という社会的メッセージが過剰な圧力となって、やむなく水氣道の稽古を中断せざるを得ない時期もありましたが、幸いなことに、短期間のうちに、徐々に解除されていきました。

 

今後の自然環境や社会環境の変化を鑑みるにつけても、一人でも多くの皆さんに実績ある水氣道をご紹介し、共に健康的に楽しんでいけることを望んでおります。

 


<失われた30年を克服するために!>

 

高円寺南(産業医)労働衛生コンサルタント事務所の業務拡大

 

コロナパンデミック禍の影響によって、日本の医療や介護を財政的に支えている一般企業の収益も伸び悩み、経済成長は低迷し、労働者や生活者の収入の確保が難しい局面となってきました。

 

とくに現役世代の受診者が主体である当クリニックにおいては、安心して受診できる体制の維持のために、セルフケア能力を高めていただくことを含めた予防医療体制の強化、ならびに時間的隔離のために「完全予約制」を徹底させ、会員制を導入しました。

 

予想通りであり、覚悟の上ではありましたが、医療収益は激減し、クリニックの経営状態は悪化しました。税制上も優遇されている新型コロナワクチン接種業務や、それ以前からのPCR検査業務には関与を控える方針を固めていたため猶更でありました。

 

それにも関わらずクリニックの運営を維持できているのは、受診者個人のみならず、広く諸企業における労働現場での予防医学や健康経営に積極的に関与し、はからずしも大いに評価されるようになったためです。

 

主として、昼休みの時間帯等を積極的に活用して、都内の複数の企業へ産業医あるいは労働衛生コンサルタントとして出向したり、週末等においては茨城県や福島県へ向かったりして様々な重要事業の従業員の健康管理のサポートを展開しております。

 

内科の臨床医としての私は、個人的にはオンライン診療の導入には消極的な立場ですが、企業における安全衛生委員会参加やリモート業務に従事している労働者の方々のための健康相談や産業医カウンセリングのツールとしてのオンライン業務は有効な手段であると考え、今後も妥当なケースにおいては積極的に活用していきたいと考えております。

 

産業医活動を積極的に推進していく中で、医療機関での臨床医としての限られた視点だけでなく、家庭での生活環境や職場での就労状況などの情報を、日常診療においても、これまで以上に尊重して扱う習慣が定着してきたように思われます。

つまり、産業医活動は、日常診療の質を大きく向上させるための修錬であるとさえ言い切って良いように思われます。

 

産業医としての収益性に関しては、率直に申し上げて、日常の診療業務と比較すると、かなり地味なものであり、移動時間等も加味すると、時間単価としてはかなり低廉なもので敢えて関わろうとしない臨床医も少なくありません。

しかし、医師としての総合的力量を高めて、より多くの人々に貢献していくためには、重要欠くべからざる業務であると考えております。

そして、結果的には、クリニック運営維持のための支柱の一つになりつつあることを実感しております。

 

いかに高邁な理想を掲げての医療であっても、経営を維持できずに撤退してしまう結果を招いてしまうと、多くの皆様の期待を裏切り、失望を招くだけでなく、継続的な健康管理を損なってしまうため、何としても更なる経営安定化をはかっていかなければならないと反省しているところです。

 

 

当クリニックは、会員制です。

 

当会員の皆様は、一般の平均的な皆様とは異なり、医学的検査から始まるのではなく、概ね3カ月に1回(つまり、春夏秋冬の四季折々の季節の変わり目ごとに)フィットネス・チェックを経験されています。

その定期的な御体験の反復、継続により、フィットネス・データ(健康水準評価情報)とメディカル・データ(疾患の拡がりや重症度の情報)とを、日常的に組み合わせてご確認され、更には様々な、セルフチェックによるモニタリングの習慣を獲得されています。そのため、病気になる前段階の半病さらには半健康状態になっているかどうか、何が計画的な健康管理習慣が定着し、セルフケアに関する具体的なスキルを獲得されています。

そうした健康意識の高い皆様が、家庭や御親戚あるいは身近な共同体で触れ合う方々に、とても有益な影響を与えてくださっているものと信じております。皆様にとって大切な方の健康改善のために、ともにお手伝いできるならば、それは、まさに当クリニックが目指す「善意の拡大再生産」に適うものです。

 

杉並国際クリニックは会員の皆様方全員がリーダーであり健康エキスパートです。

 

御自分自身が育てる手作りのクリニックであるとのご理解のもとに、今後も共に成長させていただければ幸いです


<ポストコロナ期に備えて>

 

別科の前期のレッスンが終わりに近づいたころ、岸本先生は、私の熱心な取り組みを評価してくださるのと同時に、私の本業(医業)の妨げになっているのでは、と時折心配してくださるようになりました。

 

声楽と医療はとても相性が良いので、その旨をお伝えしたところ、また驚きのお申し出がありました。

 

「11月の大学院の入試を受けてみませんか?」

 

これには別科受験のお勧めを戴いたとき以上に驚きました。

 

 

しかし、実は、勘の鋭い家内が以前から「岸本先生から大学院の話が出たりして?」と冗談ながらにからかわれていたのが本当の話になってしまったので空恐ろしく感じました。

 

なにしろ音大を卒業していない素人が、3カ月足らずのうちに、大学院を受験するレベルに達することができるイメージがまったく湧いてこないのです。

 

 

声学専攻ですから、歌唱試験は当然としても、その他に専門の筆記試験が待っています。

 

外国語試験は良いとして、西洋音楽史(論述式試験)、音楽理論/和声学(バス課題、ソプラノ課題)など、眼が回りそうでした。

 

とくに和声学は間に合いそうもない、という弱音を率直に申し上げたら、「飯嶋さんなら大丈夫ですよ」と、さっそく作曲科主任の野崎教授と相談できるように手配してくださいました。

 

 

野崎先生は、若手ながら指導実績のある成宮先生を紹介してくださり、早速、週1回1時間のリモートレッスンを受講する運びになりました。これには不思議にも大いに嵌ってしまい、試験後も引き続きご指導いただき、歌曲の作曲ができるようになることが新たな目標になりました。

 

 

あっという間に時間が経過し、受験当日が訪れました。

 

私は、声楽専攻受験ですが、これには声楽コースとヴィルゥオーゾコース(声楽)の2コースがあり、併願可であるため、両方を受験する意向を岸本先生にお伝えしました。

 

すると、その時ばかりは、岸本先生の方が大いに驚かれて、「今から間に合うのですか?」と絶句された後、1日後にとりあえずの許可をいただきました。

 

受験曲目のリストを提出してOKをいただいた後、実際の演奏を聴いていただき、ようやく改めて正式に併願受験のお許しを得たのでした。

 

 

声楽コース受験提出曲6曲とヴィルトゥオーゾコース(声楽)の9曲、併せて15曲は、重なってはならない規則であるため15曲のレパートリーが必要です。

 

そのためもあってか、ヴィルトゥオーゾコースというのは他の音大の「演奏家コース」などと同様に、特別選抜の少人数精鋭コースのようです。今年の受験者は、私を含めて4名のみでした。

 

 

武蔵野音楽大学大学院音楽研究科修士課程(声楽専攻)

 

入学試験

 

学科試験(令和4年11月6日)

 

❶ 外国語-英語(90分)

❷ 西洋音楽史(90分)

❸ 音楽理論/和声(90分)

 

面接試験(令和4年11月6日)

 

実技試験Ⅰ:

声楽専攻声楽コース(令和4年11月8日)

 

ロシア歌曲2、ロシア語オペラアリア1(計3曲)

 

実技試験Ⅱ:

声楽専攻ヴィルトゥオーゾ(声楽)コース(令和4年11月9日)

 

歌曲3、オペラアリア4(計7曲)

 

内訳:

イタリア歌曲2、フランス歌曲1、

イタリア語オペラ2、フランス語オペラ1

ドイツ語オペラ1

 

 

なお合格発表は、(令和4年11月15日)の予定です。

 

合否にかかわらず、ご報告いたします。

 

<コロナ禍の中で>

 

コロナパンデミックにあって、歌唱訓練の場を失った私が思いついた方法は、新たな師を得て個人レッスンを受けることでした。

 

昨年の12月12日に許しを得て、はじめて岸本力先生のレッスンを受けることができました。

 

最初のレッスンの直後、武蔵野音楽大学の別科(声楽専攻)受験のお勧めを受けました。

 

想定外の御申しであったため、1週間だけ悩ませてくださいと申し上げたことを思い出します。

 

 

1年という限られた期間であること、クリニックでの診療時間に影響がない時間帯を調整してくださるとのこと。

毎週1回の60分の個人レッスンのための通学時間は、高円寺北口バス停から羽沢バス停までバスで13分、徒歩数分という絶好のアクセスであること。

私立音大であるにもかかわらず、国立の東京藝大の別科(2年制:暗黙の年齢制限有り!私は45歳から50歳まで毎年受験してようやく実情を知ることができました)の授業料と大差ないこと(むしろ、レッスン1回あたりの費用は藝大よりも格安!)、何よりも家内の後押しがあったこと。

などにより、1週後のレッスンの際に、受験の決意を報告しました。

 

 

 

それでは、私の新しい師匠のプロフィールを紹介させていただきます。

 

昭和22年茨木市生まれ(私は昭和34年茨城県生まれ、同じく猪年)。

福井小―養精中―春日丘高校出身。東京藝術大学卒業、同大学院修了。昭和47年第41回日本音楽コンクール第一位。

昭和48年、日本フィル「第九」、大阪フィル「森の歌」でバス歌手としてデビュー。

昭和59年文化庁芸術祭優秀賞。平成22年文化庁長官表彰賞受賞。平成24年2月17日、ロシア大統領メドベージェフより、日本人歌手として初の「プーシキン・メダル」(ロシア文化勲章)を受章。

同年本市市民栄誉賞贈呈

 

岸本先生は、一流の声楽家であるにもかかわらず、出世にはご興味が乏しいらしく、あるいは不器用でらっしゃるらしく、東京藝大の教授になっても当然な方であるにもかかわらず、私立音大の講師(現在、非常勤講師)止まりです(失礼!)。

 

 

入門直後から、岸本先生の熱血個人レッスンが始まりました。

 

ロシア語は勉強不足でキリル文字すら読めない段階であった私は、チャイコフスキーのオペラ、『エフゲニー・オネーギン』のレンスキーのアリアをレパートリーにして、コンクールへ臨みたい一心でした。まずは、歌曲からということで、チャイコフスキーの美しいロシア歌曲を1曲ずつ丁寧に教えていただきことになりました。

 

何と、別科の入学試験まで2カ月足らず、ロシア歌曲での受験は間に合いません。
そこで、日本歌曲とイタリア歌曲の各1曲を提出して受験しました。

 

受験会場は、音大構内のモーツアルト・ホールでした。

 

以下が、その後の経緯と今後の予定です。

 

<武蔵野音楽大学別科声楽専攻>

受験(令和4年2月11日および12日)

合格(令和4年2月16日)

入学(令和4年4月1日)

 

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修了試験(令和5年2月)予定

修了式(令和5年3月24日)予定

修了(令和5年3月31日)予定

 

 

話が前後しますが、コロナによる悪影響だけでなく、この間、ロシアーウクライナ紛争までもが勃発しました。そして、ロシア歌曲に対する世間の風当たりが、急激に強くなっていきました。ロシア歌曲や、その指導者である岸本先生にまで、あからさまな反感を示す方も現れました。岸本先生は、そのことに大変悩んでおられました。

 

私は、このようなご時世であるからこそ、むしろロシア音楽の勉強をする意義が多きいのではないか、と考えています。

 

武蔵野音大での岸本先生の熱血レッスンは4月12日から始まりました。その甲斐もあって、前期が終了する7月19日には、都合6曲のロシア歌曲に親しむことができるまでになりました。そこから、私の運命が大きく展開してきました。

 

ブログ休止中は、主に医学研鑽の強化に充てておりました。


特に、本年は心療内科専門医の資格更新の年でしたが、長引くコロナ禍のため、関連学会参加が十分に行なえず、業績単位取得に奔走しておりました。

 

その他の専門領域の更新のための準備もあり、節目の年でありました。

 

幸い、無事に業績を確保することができました。

 

 

令和4年10月1日

日本心療内科学会理事長からの委嘱により、日本心療内科学会の評議員に就任しました。

 

令和4年11月1日

日本心療内科学会専門医の資格を更新しました。

(認定期間:令和4年11月1日から令和9年10月31日まで)

それに伴い、日本心療内科学会認定指導医資格の維持も確保しました。

 

 

その他の主な専門医資格更新のための業績確保(資格期限)のための研鑽を積みました。

 

 

年内に引き続き力を注ぎ、専門医資格を更新する時期なのは東洋医学(漢方)です。

 

新型コロナ感染症予防対策、感染後の治療、さらにコロナワクチン後遺症に当クリニック考案の漢方療法が有効であった症例を中心に臨床報告をする予定です。

 

 

〇 日本東洋医学会漢方専門医資格維持細則

 

(2023年3月31日)現在85単位取得、残り15単位

 

(1)専門医資格更新申請書

(2)漢方医学的治療が有効であった50症例の症例一覧

(3)前号に定める50症例のうち10症例の臨床報告

 

 

以下は、来年度以降に、着実に臨床業績を積み上げていくべき専門領域です。

 

新型コロナパンデミックのために自宅勤務や休校、自宅内での引き籠り生活等の、一般的には好ましくないライフスタイルによって日光浴の機会が減少したためか、骨生成が阻害され、男女を問わず、多くの方の血中の活性化ビタミンD濃度が低下、さらには欠乏レベルでした。それに伴い骨量低下の傾向が例年よりも顕著でした。

 

 

〇 日本リウマチ学会専門医資格維持細則

 

(2025年2月28日)までに総単位数として 50 単位以上を取得し、更新時にリウマチ性疾患 20 症例以上(関節リウマチ/若年性特発性 関節炎 10 症例以上を含む)の診療実績を所定の症例報告書により提出しなければならない。

 

継続的なマスク着用は、呼吸を抑制し、好ましい呼吸パターンを阻害していた可能性が疑われました。また、水分摂取の機会を減少させた可能性もあります。換気高率の低下に伴う呼吸性アシドーシスと脱水による排尿量の低下に伴う尿酸排泄低下により、血清尿酸血が上昇し、痛風発作をきたしたのではないかと思われる症例が増えました。

 

 

〇 日本痛風・尿酸核酸学会痛風認定医細則


(2025年3月31日)までに学会参加3回以上


日本内科学会認定医資格を喪失してしまうと、すべての専門医資格も同時に喪失してしまう規定になってしまうので必要単位数は少ないのですが、絶えず注意を払って研鑽につとめております。

 

〇 日本内科学会内科認定医資格維持細則


(2026年3月31日)までに25単位以上

 

COVID-19の流行後に、喘息入院は減少しています。マスク装着等により呼吸器感染症が減少している可能性があります。そして、マスク着用によって受動喫煙のリスクも大きく減少しました。


当クリニックでは喘息やアレルギー性鼻炎などのアレルギー疾患を総合的専門的に診療しておりますが、これらアレルギー患者の皆さんは、コロナワクチンを接種しない限り、COVID-19に感染しにくい傾向が見て取れました。また、当クリニック推奨の漢方薬レシピが新型コロナ感染症予防に有効であったばかりでなく、アレルギーの継続治療効果を高めることができました。


なお、アレルギー患者で、新型コロナワクチンを3回以上接種された方に帯状疱疹などの細胞性免疫低下に伴って発症しやすいと考えられる副反応の発生が散見されました。中には、昨年、帯状疱疹ワクチン接種済みであるにもかかわらず、今年、発症してしまった症例がありました。このようなケースは以前は全く経験していなかったため、以後は、注意深く観察しております。


喘息における2型炎症や、治療に用いている吸入ステロイドは、呼吸器粘膜上のACE2という新型コロナウイルス受容体の発現を低下させることも明らかになりました。

 

 

〇 日本アレルギー学会専門医資格維持細則

 

(2026年3月31日)までにアレルギー学の業績が50 単位以上

 

自ら診療しているアレルギー疾患患者 40 名分の診療実績書の提出

前項提出患者の内 2 例についての症例報告書の提出

ただし、下記1)、2)の出席を必須とする。

1)本学会開催の学術大会2回以上

2)本学会開催の総合アレルギー講習会1回以上

 

 

 

本年729日を最後に、永らくブログ記事の掲載を中断し、その間、一度、再開期限も延長させていただきました。

 

記事掲載の中断の理由について、予めご報告していなかったため、この間、多くの皆様からの鄭重で心優しいお問い合わせがございました。

 

この間の私の心身のコンディションは極めて良好で、とても充実した創造的活動に従事することができたことをご報告いたします。

 

中断事由となった複数の特別ミッションを完了することができました。

 

そこで、お約束通り、1114(私の63回目の誕生日)から、徐々に再開して参りたいと存じます。

 

ただし、年内は残務処理のため、しっかりとした軌道に乗せるための試験運転をするつもりで再開させていただきたく存じます。

 

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

令和4年1110

 

杉並国際クリニック

高円寺南産業医労働衛生コンサルタント事務所

 

飯嶋正広

 

 

 

 

 

Notice of resumption of our medical and health, arts and culture-related blog posts.

 

I suspended the posting of blog articles for a long time, ending on July 29 of this year, and during this period, I extended the deadline once for resumption.
Since I did not inform you in advance of the reason for the suspension, I have received many heartful and polite inquiries from many of you during this period.

 

I would like to express my apologies and gratitude to the many of you who have expressed concern about my health problems.

 

I am happy to report that my physical and mental condition during this period was excellent and that I was able to engage in very productive and creative activities: I have fulfilled several special missions that were the reason for the interruption.

 

As promised, I will gradually resume our activities from November 14:my 63th birthday. However, I would like to resume the program during the year with the intention of making a test run to put it back on a solid track for the remainder of the year.

 

Thank you for your continued support.
November 10, 2022

 

Suginami International Clinic

Koenji-Minami Industrial Physician and Occupational Health Consultant Office

 

Masahiro Iijima,Ph.D.,M.D.

 

 

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Avis de reprise de nos articles de blog sur la médecine et la santé, les arts et la culture.

 

J'ai suspendu la publication d'articles de blog pendant une longue période, qui s'est terminée le 29 juillet de cette année, et pendant cette période, j'ai prolongé une fois le délai de reprise.

 

Comme je ne vous ai pas informé à l'avance de la raison de cette suspension, j'ai reçu de nombreuses demandes de renseignements cordiales et polies de la part de beaucoup d'entre vous pendant cette période.

 

Je tiens à exprimer mes excuses et ma gratitude à ceux d'entre vous qui ont exprimé leur inquiétude quant à mes problèmes de santé.

 

Je suis heureux d'annoncer que ma condition physique et mentale au cours de cette période a été excellente et que j'ai pu m'engager dans des activités très productives et créatives.

 

J'ai rempli plusieurs missions spéciales qui étaient la raison de l'interruption.

Comme promis, je reprendrai progressivement nos activités à partir du 14 novembre : mon 63e anniversaire.

 

Cependant, j'aimerais reprendre le programme en cours d'année avec l'intention de faire un essai pour le remettre sur une voie solide pour le reste de l'année.

 

Merci pour votre soutien continu.

 

Le 10 novembre 2022.

 

Clinique internationale Suginami

Bureau du médecin industriel et du consultant en santé au travail

 

de Koenji-Minami

Masahiro Iijima,Ph.D.,M.D.