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認定内科医、認定痛風医

アレルギー専門医、リウマチ専門医、漢方専門医

 

飯嶋正広

 

見落とされがちな微量栄養欠乏症

<25OHビタミンD>No1

 

新型コロナウイルスや従来からのインフルエンザウイルスなどの感染症を予防するためには、免疫力を高めることが重要だと考えられています。そこで期待されているのが、免疫機能を調節する栄養素「亜鉛」や「ビタミンD」です。そのうち、「亜鉛」については、前回までに詳しくご紹介してきました。

 

当クリニックでは本年のゴールデンウィークまでは、新型コロナ感染者は、2,3人だけでしたが、その後、少しずつ増えてきています。その理由は、免疫力の低下にあることが疑われます。

 

若干名ではありますが、新型コロナ感染症に罹患した方の血液データには共通の所見がありました。それは第一に、亜鉛欠乏症もしくはビタミンD欠乏症であるということでした。第二に、一例を除いて、すべて新型コロナワクチン接種済み(2回以上)であったこと、第三に、私が一昨年から推奨してきた漢方薬による免疫増強に無関心であったこと、などです。

 

そこで今回からは、しばらくの間、免疫機能にかかわる「ビタミンD」の働きや効果的な摂取方法をお伝えします。その前に、まず「免疫」とは何かについて、説明しておきたいと思います。

 

 

免疫とは?

 

免疫とは、ウイルスなどの有害な物質から体を守る仕組みです。そして、免疫力は体に入ってきたウイルスなどと戦う防衛体力のことをいいます。

 

体内にウイルスが侵入してきたとしても、それを有害な「非自己」として認識して排除し、病気にならないような働きを自動的にしてくれるのが免疫機能です。これには自然免疫と獲得免疫との連携によって担われています。

 

免疫力が低い人はウイルスに対しての抵抗力が弱いため、感染症だけではなく、様々な病気にかかりやすくなります。

この場合、自然免疫が十分に機能すれば感染しにくくなるので、予め自然免疫を強化しておけばよいのですが、自然免疫は一朝一夕に強化できわけではありません。ですから、短期間に免疫力を増強するためには従来型のワクチン(ⅿRNAワクチンは注意を要します!)などにより獲得免疫を活性化させる必要があります。

 

一方で自然免疫力が高い人はウイルスに対する抵抗力が強いため、たとえワクチンを接種しなくとも病気にかかりにくく健康な状態でいることができるのです。

 

免疫力が低下した人は、新型コロナウイルスなどの感染症にかかりやすくなります。なお、武漢株を目的に作られたワクチンは、仮に武漢株ウイルスに特異的に有効であったとしても、変異株には効きにくいと考えるのが医学上の常識です。

 

これに対して自然免疫の素晴らしさは、病原体などの異物の侵入に対して即時的・直接的に生体防御反応が起こり、しかも非特異的に働くことにあります。

 

つまり、特定のウイルスにだけに対応するのではないのと同様に、さまざまな変異株にも対応可能だということです。この自然免疫は、生体が生まれながらに、だれでもが持っている免疫機構です。この自然免疫は、2段階の防御機構を有していて、体表面における機構と対組織内における機構によって成り立っています。

 

 

まず体表面における自然免疫は、異物の侵入を未然に防いでくれる反応です。皮膚・粘膜面からの分泌液や常在細菌叢により、異物の侵入を未然に防ぐバリア機能を持っています。このようなバリア機能はワクチンに期待することはできません。

 

次に対組織内における自然免疫は、体表面のバリアを突破し、組織内に異物(病原体)が侵入した際に、免疫応答により炎症を惹起させることによって生体を防禦する機構です。

 

これら2段階の自然免疫機構は、相互の連携プレーによって効率的に防御力を発揮することができます。受動的にワクチンの接種を繰り返すのみでは、のこのような2重のバリアー機構を強化することはできないのです。

 

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臨床産業医オフィス

<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

 

飯嶋正広

 

<先月から、当面の間、職場の健康診断をテーマとして、産業医紹介エージェント企業各社が提供しているコラムを材料として採りあげ、私なりにコメントを加えています。>

 

産業医紹介サービス企業各社が提供する<健康診断>コラム

 

No2.ファースト・コール提供資料から(その3)

 

ここからは、厚生労働省がまとめた『平成28年版過労死等防止対策白書』『令和3年版過労死等防止対策白書』を基に、長時間労働による労働者の不安と自殺者の状況について解説します。


出典:厚生労働省『令和3年版過労死等防止対策白書』『平成28年版過労死等防止対策白書』

 

 

疾患の発症や悪化への不安

 

『平成28年版過労死等防止対策白書』によると、調査人数全体の約27%にあたる人が、過去半年間に「脳・心臓疾患、精神障害の発症や悪化の不安を感じたことがある」と答えていることが分かりました。

 

図1

画像引用元:厚生労働省『平成28年版過労死等防止対策白書』

 


また、不安を感じた理由として、約30%の人が「長時間労働や残業が多いため」と答えています。

 

これは「仕事で精神的な緊張・ストレスが続くため」「職場の人間関係に関する悩みがあるため」に次いで3番目に多い理由です。このことから、長時間労働は心身の不調を引き起こす原因の一つになり得ると考えられます。

 

図2

画像引用元:厚生労働省『平成28年版過労死等防止対策白書』
出典:厚生労働省『平成28年版過労死等防止対策白書』

 

 

産業医からのコメント

調査人数全体の約27%にあたる人が、過去半年間に「脳・心臓疾患、精神障害の発症や悪化の不安を感じたことがある」というデータを正しく認識する必要があります。

 

その不安を感じた理由として、「仕事で精神的な緊張・ストレスが続くため」「職場の人間関係に関する悩みがあるため」に次いで約30%の人が「長時間労働や残業が多いため」という明確な理由があります。

 

長時間労働は、このように不安に直結し、また長引く不安はストレスフルな状態(高ストレス状態)であることが示唆されます。職場の一般健康診断だけでは、高ストレス者を発見し、健康障害や事故を未然に防止することはできません。

 

ストレスチェック制度とは、労働者がメンタルヘルス不調になることを未然に防止することを主な目的とした、労働安全衛生法第66条の10全体に係るものをいい、2015年(平成27年)12月に施行されました。

 

定期的に労働者のストレスの状況について検査を行い、本人にその結果を通知して自らのストレスの状況について気付きを促し、個人のメンタルヘルス不調のリスクを低減させるとともに、検査結果を集団的に分析し、職場環境の改善につなげるという一連の手続きが取られるようになりました。
 

長時間労働を減らしていく過程でストレスチェック制度を有効に活用していくことが望まれます。

 

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常陸國住人 

飯嶋正広

 

常陸国の万葉集歌を味わう(その3)

 

高橋虫麻呂の歌は、万葉集に36首もあります。虫麻呂の歌には、鳥を歌った歌や、地方の伝説を歌った歌が多いです。

 

筑波山を詠んだ歌もあります。

 

虫麻呂のこの歌のタイトルは、<筑波山にのぼらざりしことを惜しむ歌>となっています。しかし、折口信夫の著書「万葉集」によると、ホトトギスを聞きたかった虫麻呂の負け惜しみの歌であるとのことです。

 

自分たちは(筑波山に登ったので)ホトトギスの声を聞くことができたと自慢する知人たちに対して、それは虚言であって、もし自分が筑波山に登ってもホトトギスを聞くことはできなかったに違いない、と言い放ったもののようです。

 

無理にでも、そのように決め込んでおかないと悔やまれてならない、ということなのかもしれません。

 

いささか頑固で負け惜しみが強く、かつ、そんな自分を素直にさらけだすことのできる虫麻呂のお人柄がしのばれてきます。ひょっとすると、実際にホトトギスの声を聴くことができなかった知人たちが、わざと虫麻呂を悔しがらせようとからかったものとも考えられそうです。

 

第8巻 1497番歌

 

作者:

高橋虫麻呂 題詞:惜不登筑波山歌一首

 

左註:

(右一首高橋連蟲麻呂之歌中出)

 

原文:

筑波根尓 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其

 

訓読:

筑波嶺に我が行けりせば霍公鳥山彦響め鳴かましやそれ

 

かな:

つくはねに わがゆけりせば ほととぎす やまびことよめなかましやそれ

 

現代訳(飯嶋訳):

今回は私は筑波山に登れなかったけれど、もし登って行ったとしたら ホトトギスよ そのときに限っては山彦を木霊させるように盛大に鳴いておくれ

 

英訳(飯嶋訳):

I couldn't climb Mount Tsukuba this time,
but if I did, you cuckoo,
please make a grand chirp
so that we can hear the spiritual echo
of the mountain.

 

 

ほととぎすは、霍公鳥と記載されていますが、その別名が子規です。万葉集を絶賛した正岡子規も、おそらく、ホトトギスを愛し、そしてこの歌も好んでいたことでしょう。

 

子規は古今集を酷評したことでも知られていますが、その是非はともかく、そうした俳人子規の目には虫麻呂という歌人がどのように映っていたのでしょうか?

 

また、夏目漱石の漱石という筆名の由来が物語る作家の負け惜しみの強さ、についても、虫麻呂のそれに匹敵する代物だったかも知れない、などと勝手な想いを巡らせています。

 

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今回の部分は、独立した単独の段落ではなく、先回からの段落の後半部分です。

カミュの人間観や歴史観が哲学的随筆のように展開されています。

 

Quand une guerre éclate, les gens disent: « Ça ne durera pas, c’est trop bête.» Et sans doute une guerre est certainement trop bête, mais cela ne l’empêche pas de durer. La bêtise insiste toujours, on s’en apercevrait si l’on ne pensait pas toujours à soi. Nos concitoyens à cet égard étaient comme tout le monde, ils pensaient à eux-mêmes, autrement dit ils étaient humanistes: ils ne croyaient pas aux fléaux. Le fléau n’est pas à la mesure de l’homme, on se dit donc le fléau est irréel, c’est un mauvais rêve qui va passer. Mais il ne passe pas toujours et, de mauvais rêve en mauvais rêve, ce sont les hommes qui passent, et les humanites en premier lieu, parce qu’ils n’ont pas pris leurs précautions.

 

ひとたび戦争が勃発すると、世間の人々は「こんなことは長引かないだろう、あまりにも愚かなことだから」と言う。そして、戦争はあまりにも愚かなことであることには違いない。だからといってそれが長引かないという理由にはならない。愚行は飽くことなく常に繰り返される(註1)。常に私事にばかりにかまけてさえいなければ(註2)、私たちは、そのことに気づくはずである。わが市民も世間並であり、皆自分たちのことばかりを考えていた。つまり彼らは俗物主義者であるため、天災いが襲ってくることなど気にも留めていなかった(註3)。天災は人間の尺度で測ることはできない。人々は天災とは非現実的なもの、だからやがては過ぎ去る悪い夢なのだと自分に言い聞かせることになるのだ(註4)。しかし、悪い夢はいつも過ぎ去るものとは限らないし、悪い夢から悪い夢へと過ぎ去っていくのは人間たちのほうである。その筆頭が世俗主義者社会たちであるというのは、彼らは警戒を怠っていたからである。

 

 

(註1)

愚行は飽くことなく常に繰り返される。

La bêtise insiste toujours,

 

La bêtise(愚行、ばかげたこと)とは、文脈に沿うならば、une guerre(戦争)ということになります。ただし、女性名詞 guerre には不定冠詞uneが付されているのに対して、同じく女性名詞bêtiseには定冠詞laが付されています。
    

La bêtise=La guerre(戦争)はinsiste toujours(いつまでも続くものである)という意味であるとすれば、以下の各氏は、それぞれ適切に訳されていることになるでしょう。

 

「愚行は常にしつこく続けられるものであり、」(宮崎訳)

 

「ばかげたことはいつまでも続くのだ。」(三野訳)

 

「愚行はつねに長びくものであり、」(中条訳)

 

各氏に共通する視点とは別に、人間中心主義の世俗的な考えの人々に対する視点から『愚行(戦争)とは、ひとたび収まったかのようにみえても、実は人知れず水面下でくすぶり続けていて、いずれ不意打ちを食らわせたかのように再発するものである』という理解を前提とした訳を試みました。

 

(註2)

常に私事にばかりにかまけてさえいなければ、人間中心主義の世俗的な考えの人々が大多数を占める社会では、「今だけ、金だけ、自分だけ」といったことが価値観や行動原理になってしまいがちです。
民主主義が人類の危機を招くとしたら、このような堕落した人間中心主義の世俗的な価値観の支配を無批判に受け入れてしまいがちな社会風潮にあるのかもしれません。

 

私事を離れて歴史の流れを振り返りつつ、現代社会全体の在り方を俯瞰し、望ましい未来を展望する、といった習慣を身に着けることの大切さを改めて気付かされます。
    

on s’en apercevrait si l’on ne pensait pas toujours à soi.
   

「人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ」(宮崎訳)

 

「自分のことばかり考えるのをやめれば」(三野訳)


「人々も自分のことばかり考えなければ、」(中条訳)


    
(註3)

彼らは俗物主義者であるため、天災いが襲ってくることなど気にも留めていなかった。

ils étaient humanistes: ils ne croyaient pas aux fléaux.

 

このセンテンスの構造は、文中に<:>、すなわちドゥポワン(deux-points)によって2つのセンテンスが関連しているということです。このコロンは句読点の一種であり、説明や引用を導きます。
 

また、単語としてはhumanistesをどのように理解するかで、翻訳者各位が苦労された形跡がうかがわれます。意味の文化的背景が深く、ただちに適切な日本語に訳しにくい単語です。

 

à l’humanisme, aux humanistes de la Renaissance,aux humanités.

ルネッサンス期の人文科学分野での人文主義者に、
   

Caractère d‘une personne en qui réalise pleinement la nature humaine.

人間性が十分に発揮された人物の性格。
   

L’amour suscite 《une source vive d’humanite》CHARDONNE

愛が呼び覚ます《ウマニテの生きた源泉》シャルドンヌ

 

宮崎、中条の両氏はhumanistesを人間中心主義者(ヒューマニスト)と訳し、三野は、より柔らかい説明体で「人間を中心に考えていた」と訳しています。
    

私は、「人間中心主義」と直訳しておいて、カタカナで(ヒューマニスト)と添えるのは、かえって読者に違和感を与えることになるのではないかと危惧します。
    

もはや、日本語にもなっている(ヒューマニスト)が、私事にばかりかままけている人々という理解からは遠ざかってしまうのではないかと思われます。

 

「彼らは人間中心主義者(ヒューマニスト)であった。つまり、天災などというものを信じなかったのである。」(宮崎訳)

 

「彼らは人間を中心に考えていたのであり、災禍が起こるなどとは想定もしていなかった。」(三野訳)

 

「彼らは人間中心主義者(ヒューマニスト)だった。つまり、天災など信じなかったのだ。」(中条訳)

 

(註4)

だからやがては過ぎ去る悪い夢なのだと自分に言い聞かせることになるのだ。

on se dit donc le fléau est irréel, c’est un mauvais rêve qui va passer.


まず<on se dire +直接話法>は、…だと(自分自身に)言う、思う、考える、などの訳語があります。

前者の…だと(自分自身に)言う、に近いのは(三野訳)「…とみなすのだ。」、これに対して、後者は(宮崎訳)「…と考えられる。」と(中条訳)「…と考える。」です。

私は、結果や結論に結びつけるdonc (だから)という接続詞の働きを活かした三野訳を高く評価したいと考えます。
      

次いで、un mauvais rêveは、そのまま「悪い夢=悪夢」と訳すこともできるのですが、ここで気になることがあります。英語の場合「夢」と「悪夢」は、それぞれdream, nightmareという別系統の語がありますが、フランス語でもrêve(夢)に対してcauchemar(悪夢)という語があります。

 

カミュがcauchemarという単語を用いなかったのには、理由があるのか、という疑問が浮かんだため、Petit Robert仏仏辞典で確認すると以下のような記述がありました。

 

Rêve pénible dont l’élément dominant est l’angoisse.

《 je tombais de rêve en cauchemar, de cauchemar en convulsions nerveuses 》COLETTE

 

「苦悩を主な要素とする苦痛な夢。」という説明があり、コレットの文章からの用例が添えられています。

 

《夢から悪夢へ 悪夢から神経痙攣へ》COLETTE

 

その悪夢は、漠然とした悪夢ではなく、苦悩を背景とする悪夢であることから、「苦悩」とまで深く認識されていない悪夢の場合は、これに該当しないということになりそうです。このような理解に立つならば、un mauvais rêveの訳語は「悪夢」という熟語的な硬い表現ではなく「悪い夢」という、より柔らかい形にしました。
      

「やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。」(宮崎訳)

 

「やがて過ぎゆく悪夢とみなすのだ。」(三野訳)


「やがて消え去る悪夢だと考える。」(中条訳)

 

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聖楽院主宰 テノール 

飯嶋正広

 

第13回レッスン(7月5日)

 

別科前期のレッスンは第15回(7月19日)まで、夏休みを隔てて後期は第16回(9月20日)から個人レッスンが再開されます。

 

この間、8週間の夏休みのほぼ中間の8月22日(月)には、岸本門下コンサートが開催され、私も参加させていただくことになっております。

 

そこで、夏休み前半は、主としてコンサート出演準備ということになろうかと思います。私の発表曲は歌曲(ロマンス)のみで固めるのであれば、現在レッスン中のチャイコフスキーの作品の中から3曲ということになる予定です。そして、その3曲は、大学院入試の実技試験の提出曲目の一部を構成することになります。

 

大学院修士課程声楽専攻声楽コースの専攻別実技試験では、課題曲(予めリストされた作曲家群の作品)3曲と自由曲3曲を提出し、その6曲の中から演奏時間に応じて指定されることになります。

 

課題曲の3曲については、すでに前回の第12回レッスン(6月28日)の段階で、以下の作品が候補となりました。

 

a) 群からA.Scarlatti(スカルラッティ):

イタリア歌曲

<Già il sole dal Gange>(陽はすでにガンジス川から)

 

b)群からTchaikovsky(チャイコフスキー):

ロシアロマンスもしくはアリアの中から選択しますが、受験曲中1曲は受験者が指定できることと、受験曲6曲中には必ずアリアが含まれなくてはならないという規定があることから、チャイコフスキーのオペラ・アリア:

歌劇「エフゲニー・オネーギン」第2幕から、

「レンスキーのアリア」

(青春は遠く過ぎ去り)


を受験者指定曲とする可能性が高いのではないかと考えておりま
す。

 

c)群からRachmaninov(ラフマニノフ):

ロシア・ロマンス
   

<Полюбила я на печаль свою>

(私は悲しい恋をした)

 

また自由曲の3曲は、

Tchaikovsky(チャイコフスキー):

ロシアロマンスで統一、という方針で行くことになりました。
現在レッスン中の曲で完結します。

 

さて、この回のレッスンは、早速、受験課題曲の中から、はじめました。

 

最初は、A.Scarlatti(スカルラッティ):

イタリア歌曲

<Già il sole dal Gange>

(陽はすでにガンジス川から)

 

岸本先生の前で歌うのは初めてでしたが、やはり、この曲が候補課題曲の一つになりそうです。

 

次が、Rachmaninov(ラフマニノフ)の<Полюбила я на печаль свою>(私は悲しい恋をした)

 

歌詞の発音チェックを受けた後、直ちに歌唱することになりました。
 

私にとっては最初のラフマニノフの作品です。これも、候補課題曲として稽古を続けていくことになりました。
  

そして、別科の後期には、すでに岸本先生に推薦していただいているラフマニノフのロマンス数曲をご指導いただくことになっています。
  
  

大学院の受験とその後については未解決の課題があることについて、岸本先生に率直に申し上げたところ、別科をもう一年繰り返す、という選択肢についての御示唆を受けました。
  

私は、別科を複数年繰り返す希望は全くないため、むしろ、別科の一年間で学ぶべきことを徹底したいと御返事しました。
  

そこで、別科終了までに、大学院入学試験の課題曲にリストされている作曲家群中から、チャイコフスキー、ラフマニノフ以外のロシア作曲家の作品を、それぞれ1曲ずつを岸本先生にご推薦いただくことにしました。

 

それはグリンカ、ムソルグスキー、リムスキー・コルサコフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチから各1曲、計5曲です。これらを別科終了までに一通り歌えるようにできれば、別科1年間の課程をまとまりのある充実したものに仕上げることができるものと考えているからです。

 

私が仮に、大学院に進学したとしても、私にとっては、修士論文作成はあまり気乗りがしないので、修士論文を提出せずに修了することはできないのかを岸本先生にお尋ねしました。

 

すると岸本先生は、修士課程では修士論文を提出することが必須であるとのことでした。

 

実際には、修士論文を提出せずに修了することができるコースがあるのですが、岸本先生は、そのコースについては論外とされていることを推測することができました。

 

そのコースとは、声楽専攻ヴィルトゥオーゾコース(声楽)です。このコースは声楽専攻声楽コースと併願することができることになっています。

 

歌曲5曲、オペラ、コンサートアリア、オラトリオまたはカンタータアリア4曲を予め提出し、その中から当日指定され、あわせて30分程度の歌唱実技試験となります。ただし、[声楽コース]で演奏する課題曲および自由曲と重複しないこと、という注意書きが入試要項にあります。
  

私は、もし大学院を受験することになるのであれば、併願を考えています。この件に関しては、適切な時期を見計らってご相談することになるでしょう。

 

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認定内科医、認定痛風医

アレルギー専門医、リウマチ専門医、漢方専門医

 

飯嶋正広

 

 

感染症に対する予防対策の必要性

 

新型コロナウイルス感染症に限らず感染症対策の要は予防です。ウイルス感染症に関しては、予防がとりわけ大切です。

 

残念ながら今年度になってから、当クリニックの受診者の中で新型コロナ感染者が発生するようになりました。

一例を除いて他の全員がmRNAワクチンを複数回接種した方ばかりでした。

その方々に共通しているのは、亜鉛、カルシウム、ビタミンD欠乏症であるにもかかわらず、私が推奨していた感染予防のための漢方薬を積極的に継続服用していなかった方々です。

 

幸い、感染後に推奨漢方薬を服薬して快方に向かっていますが、ふだんから予防内服をしていれば、感染や発症リスクを下げることができた可能性があるばかりか、発症後に内服した漢方の効力も高かったのではないかと推測しています。

 

その理由は、漢方薬は本来の自然免疫力にかわるものではなく、それを助け増強させるものだからです。自然免疫力は、長期間にわたって少しずつ養っていくものであり、ましてや、感染症に罹患している状態は免疫力が低下している状態だからです。

 

予防がなぜ重要なのかは、治療薬である抗ウイルス(療法)薬の効果には限界があるからです。

 

 

 

課題が残される抗ウイルス(療法)薬

 

抗ウイルス(療法)薬と表記したのには理由があります。

 

それは、抗ウイルス薬はウイルスに直接作用する薬剤であるのに対して、ウイルス療法薬はウイルス排除機構を補助する薬剤であるため、本来であれば分けて書くべきだからです。
 

抗ウイルス薬は、本来は抗悪性腫瘍薬として開発され、その中でも核酸であるヌクレオシド誘導体が抗ウイルス薬の主流をなしています。これは、正常細胞機能を損なうことなく、ウイルスの増殖過程に不可欠なウイルス核酸合成のみを阻止するため使いやすい薬剤です。
 

これに対して、抗ウイルス療法薬としては、インターフェロン(IFN)や免疫グロブリン、抗RSウイルス薬などを挙げることができます。

 

 

<新型コロナウイルス感染症>

 

はじめて承認された抗ウイルス薬としてレムデシビル(2020年)があるが、その効果は限定的です。

しかし、2種類のモノクローナル抗体(カシリビマブとイムデビマブ)による治療である抗体カクテル療法は2021年に承認されています。

この抗体は新型コロナウイルスのスパイク蛋白の受容体結合部位に結合することによって、ウイルスに中和活性を示します。ただし、承認されているのは、軽症か中等症で酸素投与の必要のない重症化リスクのある患者への投与に限られています。

 

 

<インフルエンザ感染症>

 

インフルエンザ治療薬の主流はノイラミニダーゼ阻害薬です。ノイラミニダーゼ阻害薬はA・Bいずれの型にも有効であるため、多用されてきました。

 

バロキサビルマルボキシル(ゾフルーザ®)は2018~2019年のシーズンには、耐性ウイルスの頻発が大きな問題となりました。そのため、オセルタミビル(タミフル®)が処方されることが多いですが、近年、やはり耐性株が報告されています。

しかし、この耐性株はベラミル(ラピアクタ®)にも耐性を示します。

そのため、インフルエンザ治療薬の選択は容易ではないといえます。

 

なお、ファビピラビル(アビガン®)は、新型コロナウイルス感染症の治療候補薬として一時注目されましたが、これはRNAポリメラーゼ阻害薬であり、新型あるいは再興型インフルエンザ感染症が発生した場合に限って、国の判断のもとで投与が許されるに過ぎないため、一般外来で処方できる治療薬ではありません。

 

また、小児のインフルエンザは水痘と同様に、一般的な解熱鎮痛剤である非ステロイド性抗炎症薬やアスピリンを投与するとライ症候群(意識障害、けいれん、脳浮腫、肝障害など)を発症することがあるため投与しないことになっています。

 

 

<中枢神経系感染症>
 

単純ヘルペスウイルス(HSV)感染症は頻度が高いですが、脳炎を伴うと予後が悪いので注意しなければなりません。

診断が確定しなくても、それを疑った時点でアシクロビル(ゾビラックス®)を可及的速やかに投与することで、予後や死亡率を改善させることができるとされますが、予防投与は保険適応外であることが問題となります。

 

 

<エイズ(HIV)感染症>

 

抗HIV薬は、副作用や併用薬との相互作用が多いことが問題になります。そのため、最新の添付文書などで確認してから使用しなければなりません。ガイドラインは毎年改定されているので、実際には専門の医療機関でない限り、適切な最新の情報に基づく使用は困難であると考えます。

 

なお、抗HIV療法は、性的接触による他者へのHIV感染を低下させますが、危険性を完全に排除できないことに留意しなければなりません。

 

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声楽の理論と実践から学ぶNo.8

 

水氣道の稽古と声楽のレッスンの共通点(続・続・続・続々)

 

水氣道は、浮力によって支えられることによって、立位であっても抗重力筋の緊張が緩和されます。それによって、身体の内側の深層筋を活性化させることができます。

また、深層筋の活性化によって、外側の筋をリラックスさせることができます。 

 

このように、水氣道の稽古では直立姿勢を内側から安定させることができます。そのため、水氣道の稽古を続けることによって筋肉を3次元的に活性化させることができるようになります。

 

歌を歌うときにはフレーズの前で息を吸いますが、舌の後方の筋肉(舌骨筋など)と舌の付け根でギクシャクした動きが発生し易くなります。私も例外ではありませんでした。その原因は、口呼吸と鼻呼吸の正しい呼吸バランスがとれていなかったためです。そのような場合には、どうしてもフレーズの始まりに圧力がかかり易くなるために、このとき、筋肉を三次元的に活性化させて、この緊張を補正する必要があります。

 

プロの声楽家でさえも、ほとんど反射的に間違ってしまいかねないのが「舌の支え」方です。これを避けるためには、喉頭の筋肉を意識的に弛緩させることが必要です。これはなかなか習得するのが難しいですが、私はこの難題を克服するために、水氣道で養われる注意力と忍耐力を用いています。

 

私は、「舌根が固くなっている」とよく注意を受けてきました。その状態のままでは、呼吸がアンバランスとなり、歌唱を継続させるために必要な水準のリラックスが得られなくなってしまいまうのです。そのような場合は舌の裏側が「ケーキの生地」のように大きく丸まり、なおかつリラックスした状態を保つことで、呼吸のバランスとリラックスを得るようにしています。こうすることで、喉仏を圧迫することもなくなりました。

 

このような方法で喉頭蓋の活性化により、軟口蓋が持ち上がり、口呼吸と鼻呼吸のバランスが取れるようになります。スローモーションであくびを始め、リラックスしてあくびをする前に少し間をおきます。 

 

今、あなたはこの活性化を感じ、心地よいリラックスした感覚を持ち、鼻と口で同時に息を吸ったり吐いたりすることができます。このエクササイズを完璧にこなすと、息を吸うときと吐くときの音が同じになるのがわかると思います。つまり、息を吸うときも吐くときも、呼吸圧が変わらないということです。

 

水氣道では、脱力状態と緊張状態のバランスの上にリラックスがあると教えています。声楽もこれと同じであり、感情レベルだけでなく、身体にもバランスのとれた緊張と緩和が構築されればされるほど、歌の芸術性が高まると考えられています。このバランスを崩し、リラックスよりも緊張して歌うと、声に負担がかかってしまいます。逆に、リラックスより緊張の方が強いと、色気のない声になってしまい、芸術性のない歌い方になってしまいまうのです。

 

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見落とされがちな微量栄養欠乏症<亜鉛>No.6

 

今回は、亜鉛の栄養管理の実際について、診断基準から、治療、管理にいたる一連の流れについてまとめ、併せて、杉並国際クリニックでの実践例についてご紹介してみたいと思います。

 

 

<亜鉛欠乏症の治療の実際>

 

 

亜鉛欠乏症の症状があり,血清亜鉛値が亜鉛欠乏または潜在性亜鉛欠乏であれば,亜鉛を投与して,症状の改善を確認することが推奨される.

 

1. 下記の症状/検査所見のうち1項目以上を満たす

 

1) 臨床症状・所見:
皮膚炎,口内炎,脱毛症,褥瘡(難治性),食欲低下,発育障害(小児で体重増加 不良,低身長),性腺機能不全,易感染性,味覚障害,貧血,不妊症

 

2) 検査所見:

血清アルカリホスファターゼ(ALP)低値

 

 

2. 上記症状の原因となる他の疾患が否定される

 

 

3. 血清亜鉛値

 

3-1:60µg/dL未満:亜鉛欠乏症

 

3-2:60 ~ 80µg/dL未満:潜在性亜鉛欠乏  

 

血清亜鉛は,早朝空腹時に測定することが望ましい

 

3-3:80~130µg/dL:亜鉛充足(日本臨床栄養学会基準)

 

3-4:250µg/dL以上:亜鉛過剰(亜鉛摂取の減量を開始する)

 

 

4. 亜鉛を補充することにより症状が改善する

Definite(確定診断):

・上記項目の1.2.3-1 ~ 4をすべて満たす場合を亜鉛欠乏症と診断する.

 

・上記項目の1.2.3-2 ~ 4をすべて満たす場合を潜在性亜鉛欠乏症と診断する.

 

Probable(推定):

・亜鉛補充前に1.2.3.をみたすものは、亜鉛補充の適応になる.

 

 

<亜鉛欠乏の治療指針 >

亜鉛として

・成人50 ~ 100mg/日,

・小児1 ~ 3mg/kg/日
または体重20kg未満で25mg/日,

 

体重20kg 以上で50mg/日を分2で食後に経口投与します.
ただし、症状や血清亜鉛値を参考に投与量を増減します.

 

慢性肝疾患,糖尿病,慢性炎症性腸疾患,腎不全では、しばしば血清亜鉛値が低値になります。

 

血清亜鉛値が低い場合,亜鉛投与により基礎疾患の所見・症状が改善することがあります.

 

したがって,これら疾患では,亜鉛欠乏症状が認められなくても,亜鉛補充を考慮してもよいと考えられます.ただし、杉並国際クリニックでは、亜鉛欠乏症に至っていない、潜在性亜鉛欠乏症に対しては、経口亜鉛剤投与開始に先立って、食事療法を指導しています。

 

亜鉛を多く含む食品には魚介類、肉類、藻類、野菜類、豆類、種実類があります。特にかき(養殖/生)には100gあたり14.5㎎と亜鉛が多く含まれるほか、魚介類や肉類に亜鉛が多く含まれています。

 

・豚レバー(生100g)あたり6.9㎎

 

・うなぎの蒲焼(1串100g)あたり2.7㎎

 

 

<亜鉛投与による有害事象>

・消化器症状(嘔気,腹痛)

・血清膵酵素(アミラーゼ,リパーゼ)上昇

・銅欠乏による貧血・白血球減少

・鉄欠乏性貧血

 

が報告されています。

 

血清膵酵素上昇は特に問題がなく、経過観察でよいとされます。

亜鉛投与中は、定期的(数か月に1回程度)に血清亜鉛、銅、鉄を測定します。
血清亜鉛値が250µg/dL以上になれば、減量します。


また、銅欠乏や鉄欠乏が見られた場合は、亜鉛投与量の減量や中止、または銅や鉄の補充を行います。

 

しかし、本指針を広く周知してもらうために、今回,学会承認の指針として改定されました。従来から亜鉛製剤としてポラプレジンク(プロマックⓇ)と酢酸亜鉛(ノベルジンⓇ)が保険診療で使用可能であったが、ポラプレジンクは胃潰瘍、酢酸亜鉛はWilson病のみが保険適応でした。

 

2017年3月に酢酸亜鉛製剤(ノベルジンⓇ)の適応拡大が承認され、「低亜鉛血症」の疾患名で処方可能になりました。

 

亜鉛薬剤を適切に処方するためにも「亜鉛欠乏症の診療指針」は必要であり、その点においても本指針発行は非常にタイムリーでした。
以上により、日常外来診療において、適正な血清亜鉛のために、どのような検査をしておけばよいかが、明らかになります。下記を参考にしてください。

 

 

杉並国際クリニックにおける低亜鉛血症の標準検査項目

 

1)診断のための検査項目(2項目)

血清亜鉛、血清アルカリホファターゼ(ALP)

 

2)亜鉛投与による有害反応の早期発見のための必須検査項目(6項目)

血清銅、血清鉄、膵アミラーゼ、膵リパーゼ、血中ヘモグロビン、白血球数

 

3)基礎疾患のスクリーニングための参考検査項目(6項目)

肝機能(AST,ALT)、腎機能(血清クレアチニン、推定糸球体濾過率)、
耐糖能(血糖、HbA1c)

 

前回はこちら

 


臨床産業医オフィス


<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

 

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

 

飯嶋正広

 

 

<先月から、当面の間、職場の健康診断をテーマとして、産業医紹介エージェント企業各社が提供しているコラムを材料として採りあげ、私なりにコメントを加えています。>

 

産業医紹介サービス企業各社が提供する<健康診断>コラム

 

No2.ファースト・コール提供資料から(その2)

 

長時間労働がもたらすリスクと企業における解決策

 

2022-05-27

長時間労働が起こる原因

 

厚生労働省の『令和2年版 過労死等防止対策白書』によると、長時間労働が必要になる理由のうち、「業務量が多い」「仕事の繁閑の差が大きい」などが3〜4割を占めています。これらは、従業員数や作業効率を考慮せずに、無理な業務量を割り振ったり、短納期のスケジュールを設定したりすることに起因すると考えられます。

 

また、現在、少子高齢化によって生産年齢人口が減少しており、企業の人手不足感が高まっています。現場が人手不足になることで従業員一人あたりの業務量が増えることから、労働時間の増加につながります。

 

人手不足のなかで生産性を高めていくには、いかに効率的に業務を行えるかが重要です。しかし、紙媒体の書類をベースとしたやり取りや物理的な環境に依存する労働環境では、業務効率が悪くなり、結果的に労働時間の増加につながる可能性があります。

 

これらを踏まえると、残業時間を把握して長時間労働の把握や業務体制の見直しを行い、業務量やスケジュールを調整することが必要といえます。

 

出典:

内閣府『令和元年度 年次経済財政報告』/中小企業庁『第2章 生産性向上の鍵となる業務プロセスの見直し』/厚生労働省『令和2年版 過労死等防止対策白書』

長時間労働がもたらすリスクと自殺者の状況

 

 

長時間労働は、労働負荷が大きくなるだけではなく、次のような理由から従業員の心身の疲労につながり、健康障害や事故などを引き起こすリスクがあります。

 

▼心身の疲労につながる要因として考えられること

 

睡眠時間の不足

家庭生活や余暇時間の不足

仕事に対する精神的負担

 

実際に、厚生労働省の『平成28年版過労死等防止対策白書』では、残業時間が長いほど疲労の蓄積度とストレスが高いと判断される人が多いことが分かっています。

 

1

画像引用元:厚生労働省『平成28年版過労死等防止対策白書』

 

2

画像引用元:厚生労働省『平成28年版過労死等防止対策白書』

 

 

長時間労働によって睡眠不足や疲労の蓄積が起これば、業務中の事故・ケガを引き起こすおそれがあります。また、過重労働は脳・心臓疾患、精神障害などの重大な病気や過労死につながるリスクもあります。

 

 

産業医からのコメント

 

長時間労働が必要になる理由のうち、「業務量が多い」「仕事の繁閑の差が大きい」などが3〜4割を占めていると、厚生労働省の『令和2年版 過労死等防止対策白書』は報告しています。これは、実のところ、私たちのような医療機関も例外ではありません。

 

そこで、残業時間を把握して長時間労働の把握や業務体制の見直しを行い、業務量やスケジュールを調整することが必要であることが示唆されています。

 

平成元年7月から31年4月までのおよそ30年間にわたり、外来医療機関としての高円寺南診療所(当時)は、フリー・アクセスを基調として、予約診療は極力制限してきましたが、まさに「業務量が多い」、そして「仕事の繁閑の差が大きい」という二重の要因で、大きな負荷がかかり、ややもすれば重大な事故に繋がり兼ねないリスクの増大を意識せざるを得ませんでした。

 

こうした背景もあって、令和元年5月の改元とともに、医療機関名称を「杉並国際クリニック」に改称し、医療コンセプトを地域医療機関としてではなく、広域の専門医療機関として大胆に舵を切りました。そして、次第に、フリーアクセス制から、原則予約制とし、さらに、会員制に移行しました。

 

このような大胆なシステム改革に伴い、それまで、予測不能だった日常業務が、予測可能となり、診療のための事前の準備をすることができるようになりました。つまり、計画的・効率的な医療サービスを提供することによって、毎回の診療内容の質的向上を図ることに成功しました。

 

幸いにも、このような体制が予め定着していたため、新型コロナパンデミックに対しても無事に診療業務を継続することができたということができます。

 

医療の質の向上の礎は、何といっても相互の信頼関係の強化・促進です。
  

それによって、「業務量が多い」「仕事の繁閑の差が大きい」と言った長時間労働の二大要因が発展的に解消され、さらに、時間的、精神的な余裕を生み出すこともできました。それを、新たな創造的な取り組みに充当しているところです。
 

このような経験を医師自らが経験することによって、嘱託産業業務に対しる説得力のある、かつ効果的なサポートが可能になってきているのを実感しているところです。

 

前回はこちら

 


常陸國住人 

飯嶋正広

 


常陸国の万葉集歌を味わう(その2)

 

先週に引き続いて、今回も虫麻呂の歌です。私は虫麻呂の歌が大好きです。この歌は、万葉集の中の収録番号では、前回の作品の一つ前です。この作品は、私個人にとっては、最も馴染み深いものです。それは、どういうことかというと、中学・高校の6年間自宅から学校までの通学途上の程近くの歌だからです。

 

題詞の那賀郡曝井(なかぐんさらしい)とは、茨城県水戸市愛宕町の滝坂の泉であろうといわれていますが、他にもそれらしき候補の泉があります。この泉は『常陸国風土記』にも紹介されていて、村落の婦女たちが洗濯した布を曝すためこの名が付いたといわれています。

 

歌の冒頭の「三栗の」は、「那賀」に係る枕詞です。このあたりは、古来より栗の産地で、「三栗」は、一つのいがに三つの実ができる栗のことです。その真ん中の栗の意から「なか」に掛かるとされています。

 

那賀は、常陸国那珂郡です。現在の茨城県中央部で水戸市やひたちなか市を含む一帯に当ります。

 

万葉集 第9巻 1745番歌

 

作者:高橋虫麻呂、題詞:那賀郡曝井歌一首

 

左註:(右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)

 

原文:三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我

 

訓読:三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが

 

かな:

みつぐりの なかにむかへる さらしゐの たえずかよはむ
そこにつまもが

 

現代訳(飯嶋訳):

那賀の郷に向かって流れている清泉。
その水は絶え間なく湧き出ている。
そのように、私もそこに絶えず通ってみることにしよう。
ここを洗い場としてたくさんの女性たちが通ってきている。
その女性たちの中に、私の愛妻がいてくれたらよいのに。

 

英訳(飯嶋訳):

The clear spring flows towards the county of Naka,
its waters are continually gushing forth,
As such, I shall pass there constantly.
Many women come here to wash and bleach clothes,
I wish my beloved wife were among them.