『水氣道』週報

 

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声楽の理論と実践から学ぶNo.4

 

水氣道の稽古と声楽のレッスンの共通点

 

私が声楽レッスンのためにウィーン国立音楽大学でクラウディア・ヴィスカ先生のマスタークラスで集中レッスンをうけていたとき、医師である私の研究分野を尋ねられたことがあります。

その際に、心身医学(Psychosomatische Medizin)とお答えしたところ、ヴィスカ先生は、ただちに、声楽も心身医学の芸術的表現です。」とお答えになったことを印象深く記憶しています。


わたしは水氣道を心身医学の実践体系として構築してきたためか、水氣道と声楽との繋がりを、ますます密接に感じながら今日に至っております。

 

現代のストレス社会においては、行政による理不尽な行動抑制や社会的同調圧力なども加味して、なかなか自分を解放することが難しくなってきています。  

 

そのような生活環境の中で抑圧された自分の現実を直視することから逃避していては問題を先送りにして解決を困難にするばかりです。そのためには、自分の感情をみずからが否定したり、押し殺したりすることを止めようとする勇気と決断が必要です。

 

つまり、自分を解放するためには、まず抑圧された、あるいは抑圧されて凍り付いていた自分の感情を、温め、解凍し、動き出すことが求められるのです。

動きが無ければ音楽が成り立たないように、水氣道にも動きがありますが、そのためには、まず自由な体の動きを可能とする、とらわれのない心の動きへ働きかけることから始めなければならないのではないでしょうか。

 

ちょっとした不愉快なできごとや心配事、その他ネガティブな体験をした瞬間に、私たちは無意識のうちに自己防衛システムが作動して、自動的に呼吸と筋肉が収縮します。

一瞬ではあっても、呼吸も動作も止まってしまいます。そのような状況下にあると、再び動き始めたとしても、息は浅いまま、動きもぎこちないままとなってしまいがちです。

 

私は水氣道や声楽によって自然に復帰した姿勢・動作・呼吸・発声を通じて、閉ざされていたエネルギーの通路が開いたことをしばしば体験し、その体験をくり返すことによって、そうしたメカニズムが、より確かに作動するようになるという経験を重ねてきました。

 

水氣道の体験生や修錬生たちも私と同じプロセスを経て成長を続けています。

これらの一つ一つはとても感動的な体験であり、また何度でも再現可能な解放的で美しい経験になっていきます。

 

私たちの無意識のうちに「凍りついて流動性を失った」感覚は、水氣道の実践によって、徐々に「解凍」され、溶けていき、流れるような、自由なスイングと感覚を持った本来の自分の心身の状態へ回帰していきます。

その瞬間から、鼓動や呼吸のリズムが再生し、心身の音楽が流れ始めるのです。

 

そこから、水氣道のメソッドに従ってさらに体系的に稽古をしていくこと、水氣道では、それを「修錬」と呼んでいます。この段階に至るためには、水氣道独自の感動的な「体験」を経て、自分の心身のあるがままの姿に対する気づきが促されなければなりません。

つまり、単回の偶然の事象や一過性の受動的な「体験」ではなく、反復して再現させることができる能動的な「経験」を「技」と体得していく必要があります。

そして、こうした「体験」や「経験」は単に主観的で個人的な感覚のレベルにとどまっている限りにおいては、「技」として定着するには至りません。他者との共有が必要だからです。互いに共鳴し、調和することができなくては水氣道は成立しないのです。

 

水氣道の「技」は教えられ、自ら実践して完成するものではなく、自らが教えられた通りに、自らの実践してきた通りに、未体験・未経験の参加者に伝達することができるまでのレベルに達していなければなりません。水氣道における「修錬」は、そこから始まるのです。

 

訓練(クンレン)の「レン」は練習の「練」で糸偏です。これに対して、修錬(シュウレン)の「レン」は鍛錬の「錬」で金偏です。

読みは同じ「レン」であっても、水氣道においては、「訓練」と「修錬」とにおいて存在する格段の質の違いをわかりやすく表示したものなのです。

 

水氣道は、無理なく、皆に楽しく味わっていただける稽古体系です。

多くの皆様を、より楽しくより充実した喜びに誘うためにも、稽古の体験・訓練・修錬という段階を、これからもいっそう丁寧に踏襲していきたいと思います。