アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo33 

 

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外国語小説の翻訳にあたって、人名をどのように音訳するか、諸氏はどのように翻訳しているかも気になるところです。興味深いことに主人公のRieuxについては、三者三様です。

リウー(宮崎)、リユー(三野)、リュー(中条)、そこで私は、自分が最も気に入った音訳として、これからはリゥに決定することにしました。

 

フランス語の小説は代名詞を重宝していますが、人間関係を明確にするためには、より具体的な名詞で訳すことも必要だと思います。

 

とりわけ、今回のシーンの登場人物は、男性のみで3人以上が登場するので、混同しないように訳す必要もあるように感じられます。

 

カミュの小説には、登場人物の内面的な心理を、観察可能な具体的で写実的な動作を通して表現している箇所が見出されます。ですから、登場人物の会話だけでなく動作の意味するメッセージを丁寧に読み取らなければ退屈な小説であると誤解されかねないと思います。

 

なお、登場人物の発言内容も文字通りに受け止めておけばよいという代物ではなく、背景や状況を十分に弁えた上で、より深い意味や裏の意味を味わっていくことが求められているかのように感じ始めているところです。

 

 

― C’ est la police, hein?
— Oui, dit Rieux, et ne vous agitez pas. Deux ou trois formalités et vous aurez la paix.

Mais Cottard répondit que cela ne servait à rien et qu’il n’aiment pas la police. Rieux marqua de l’impatience.

 

「警察ですか、ねえ?」

- 「そうです。だけど慌てることはないですよ。型通りの手続きの二、三済ませれば、すっかり放免されます。」とリゥ医師は言うのであった。
しかし、コッタールは、そんなことをしても何の役にも立たないし、自分は警察が好きではないのだと答えた。リゥはいらだちを隠さなかった(註1)。

 

(註1)(リゥは)いらだちを隠さなかった

Rieux marqua de l’impatience

 

「リウーは、いらだった素振りを示した」(宮崎訳) 

 

「リユーはいらだちを示した。」(三野訳)

 

「リューは苛立った様子を見せた。」(中条訳)

 

この部分の訳し方は、翻訳者がリゥのキャラクターをどのように受け止めているか、また著者のカミュがリゥをどのように紹介しようとしているか、誰の視点からの描写なのかの解釈によって微妙に違いが表れてくるのではないでしょうか。

 

リゥがコッタールに苛立ちを感じていることには異論はないが、その苛立ちを敢えてコッタールに示そうとしたものか、あるいは陰性感情が表出を意図的に表出する意図ではないが、強制的に抑え込むことまではしないというスタンスなのか、私は後者の方であると考えて訳しました。

 

 

― Je ne l’adore pas non plus. Il s’agit de répondre vite et correctement à leurs questions, pour en finir une bonne fois.

Cottard se tut et le docteur retourna vers la porte. Mais le petit homme l’appelait déjà et lui prit les mains quand il fut près du lit:

 

「私だって警察が好きなわけではありません。ただ彼らの質問には手短に明確に答え、それで一度きりで片づけてしまうことです。(註2)。」

コッタールは黙り込み、リゥ医師はドアに向けて引き返した。しかし、この小柄なコッタールはいち早くも彼を呼び留め、彼がベッドに近づくとその両手をつかんで言った(註3)。

 

 

(註2)それで一度きりで片づけてしまうことです

pour en finir une bonne fois

 

「これっきりもうおしまいにするように」(宮崎訳) 

 

「一度で済ませたければ」(三野訳)

 

「これっきりで終わりになるように」(中条訳)

 

Pour une bonne foisというのは、ロワイヤル仏和辞典では、(古)い表現で、「これを最後に」という訳文が添えられています。

この慣用表現にen finirが挿入されているのですが、en(中性名詞:前節の内容を受ける)+finir(済ませる、決着をつける)の例文としては、Il veut en finir avec elle.(彼は彼女と手を切りたがっている.)などがありますそこで、やっかいなことを片付けてしまうニュアンスを活かした訳としました。

 


(註3)しかし、この小男のコッタールはいち早くも彼を呼び留め、彼がベッドに近づくとその両手をつかんでこう言った

Mais le petit homme l’appelait déjà et lui prit les mains quand il fut près du lit:
    

この一文には、翻訳上の課題が山積しています。それは三氏の訳文の比較においても明らかです。
 

「しかし、この小柄な男コタールはそれより早く彼を呼びとめ、そして寝台のそばへ来ると、その両手をとった。」(宮崎訳) 

 

「しかし、小柄なその男はすでに彼を呼んでいて、医師がベッドに近づくと、男は相手の両手を取って言った。」(三野訳)

 

「だが、小柄なコタールはすぐにリューを呼び、リューがベッドのそばまで来ると、その手を掴んだ。」(中条訳)

 

ポイントの第一は、人物を表す代名詞の処理です。直訳すれば、<その小さな男>ですが、代名詞を多用しない日本語の習慣としては不自然な感じがします。そこで<小柄なその男>⇒<小柄なコタール>⇒<小柄な男コタール>の順でより丁寧な訳となるわけですが、小柄な男とは、端的に言えば小男ということになります。

 

ポイントの第二は、コッタールの動作に表現された彼の心理をどのように理解するかということです。

その際には、Les mainsは複数形なので、片手ではなく両手に他なりません。宮崎訳や三野訳は<両手>であるのに対して、中条訳は<その手>と訳しているのは残念です。リゥ医師に対するコッタールの心理を読み解く上での重要な所作の表現なのですが、片手を掴むのと、両手を取るのでは、天地程の開きがあるように感じられます。

 

ポイントの第三は、コッタールの一連の動作の流れやタイミングです。

déjàという一見シンプルな単語は、仏文和訳的には三野訳のように「すでに」と訳されるのですがふつうです。

しかし、この単語にも動作主たるコッタールの内面が表出されているので、「それより早く」(宮崎訳)、「すぐに」(中条訳)と様々に工夫を凝らして訳されているのは納得がいき、評価に値します。

 

ポイントの第四は、文末の「:」(deux points)の処理です。

フランス語のドゥポワンは接続的な働きをします。すなわちドゥポワンの前後の節(または語句)が意味上結ばれていることを示します。

ここでは、直後にコッタールのリゥ医師に対しての問いかけの言葉が続きます。そこで、「両手を取った」で訳し終えてしまうのではなく、「男は相手の両手を取って言った。」(三野訳)と丁寧に反映させて訳出するのが良いと考えます