アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo30 

 

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こうして翻訳を試みているとフランス語に限らず、欧州の諸語は日本語より人称代名詞を用いる頻度が高いことに気付かされます。日常の会話においても、それが習慣的に体得されているはずなので取り違える可能性が少ないのではないかと思われます。

 

ただし、日本語話者である多くの読み手にとっては、代名詞の多い物語の翻訳文の読解は、なかなか至難の業になりがちです。とくに同性の登場人物が3人以上となると、なおさらではないでしょうか。

そのあたり、翻訳者も工夫しているようです。

 

またフランス人にとっては、フランス名は馴染みのあるものであるから簡単に登場人物のキャラクターに結び付け、それを保持しつつ読み進めていくことが可能ではあっても、日本人にとっては、なかなか厳しいものを感じます。

 

今回は、医師リウー、市職員のジョセフ・グランが自殺未遂を図ったコタールについて語り合います。

 

 

Quand il arriva, le commissaire n´était pas ancore là. Grand attendait sur le palier et ils décidèrent d’entrer d’abord chez lui en laissant la porte ouverte. L’employé de mairie habitait deux pièces, meublées très sommairement. On remarquait seulement un rayon de bois blanc garni de deux ou trois dictionnaires, et un tableau noir sur lequel on pouvait lire encore, à demi effacés, les mots « allees fleuris». Selon Grand, Cottard avait passé une bonne nuit. Mais il s’était réveillé, le matin, souffrant de la tête et incapable d’aucune réaction. Grand paraissait fatigué et nerveux, se promenant de long en large, ouvrant et refermant sur la table un gros dossier rempli de feuilles manuscrites.

リウー医師が到着した時、警部(註1)はまだ来ていなかった。グランが階段の踊り場で待っていたので、二人は先に彼の部屋に入り、扉は開け放したままにしておいた。市職員であるグランの住居は二部屋で、家具はごく簡素だった。辞書を2、3冊載せた白木の棚と、まだ読めるのではあるが、半ば消えかかった<allees fleuris>(註2)と書かれた文字が残っている黒板が目に止まっただけだった。グランによると、コタールは落ち着いた夜を過ごしていたらしい。しかし、その日の朝には頭痛を訴える以外は為すすべもない様子で目を覚ました(註3)。グランは疲れて緊張した面持ちで、部屋の中を歩き回りながら、食卓の上の、手書きの原稿用紙を分厚く束ねた大きなファイルを開いては閉じることを繰り返していた。

 

(註1)警部 le commissaire

警官(宮崎訳)、警察署長(三野訳)、警察の責任者(中条訳)

 

この訳は三者三様なので興味深いです。警官と訳してしまうと巡査(巡査長・巡査部長あたりまで)がイメージされます。これに対して、多くの辞書訳では、警視、警察署長の訳語が充てられていますが、いささか大げさに過ぎないのではないでしょうか。

これに対して、中条訳はより妥当のように思われます。ちなみに、ドイツ語でDer Kommissarは警部を意味します。そこで、私はここでは敢えて<警部>と訳することにしました。

 

(註2)<allees fleuris>allees fleurís 「花咲く小道」

黒板に残されたこの文字を、なるべく視覚的に直接感じていただくことも大切なのではないかと考えました。それから、何故、コタールがこの言葉を残したのか、心に留めおきながら物語の展開を追っていきたいと思います。

 

(註3)その日の朝には、しきりに頭痛を訴える以外は為すすべもない様子で目を覚ました

il s’était réveillé, le matin, souffrant de la tête et incapable d’aucune reaction

この部分の各氏の翻訳は、一見いずれも似たり寄ったりですが、重要な違いを見出すことができます。

 

「しきりに頭を痛がり、なんの反応も示す気力がなかった。」(宮崎訳)

「頭痛に苦しんでいて、どんな反応も示さなかった」(三野訳)

「頭痛を訴えるだけで、ほかにはなんの反応も示さなかった」(中条訳)

 

なかでも三野訳には矛盾を感じます。頭痛に苦しんでいるだけで、明らかな反応を示していることになるからです。これに対して、中条訳では、<ほかになんの>反応も、と訳しているので、この矛盾は一応クリアしています。

 

ここで、私が最も参考にしたいのは、草分けの宮崎訳です。まず、宮崎は、souffrantという語を丁寧に扱っています。宮崎訳の優れているところを二点あげることができます。

 

まず、第一に、動詞souffrir(苦しむ)が、~antとジェロンディフであることを見落としていないからです。日常生活でよく使うフレーズ「~しながら~する」を言い表しているのですが、ここでは<苦しみながら>目覚めることを意味し、一定の時間の経過を感じることができます。ですから、これを、「しきりに頭を痛がりながら」と訳せば、より伝わりやすくなったのではないでしょうか。「しきりに」という訳語は、すっきりと一瞬で爽やかに目覚めたのではなく、ズキン・ズキンという拍動性の痛みが続いているであろうことを想起させます。

 

つぎに、「気力」という訳語を巧みに用いていることです。「しきりに頭を痛がっている」とすれば、それに伴う典型的な姿勢や動作を観察することができるはずです。これに続いて「なんの反応も示さなかった。」と訳してしまいがちなところを「気力」という訳語を慎重に補っているあたりに、宮崎氏の優れた言語感覚が表れています。訳出に当っては、先人の業績から謙虚に学ぶべきだと思います。なお、こうした場合の「気力」は本人にしか感じ取れないものではなく、介護者等にも伝わるものであることを付言しておきたいと思います。
   
 

 

 

Il raconta cependant au docteur qu’il connaissait mal Cottard, mais qu’il lui supposait un petit avoir. Cottard était un homme bizarre. Longtemps, leurs relations s’étaient bornées à quelques saluts dans l’escalier.

そんな中にあっても(註4)グランはリュー医師に、自分はコタールのことはよく知らないが、小金は持っていそうだと語った。コタールは奇妙な男だった。長い間、グランとコタールの二人の関わりは、ときおり階段で挨拶を交わす程度にとどまっていた。

 

(註4) そんな中にあっても cependant

cependantという副詞は、本来ce(その)+pendant(間に)という本来の意味ですが、<しかしながら、それにもかかわらず、>など口語でも逆説的な意味で頻繁に用いられています。宮崎訳のみが、これらの両方の意味を活かして訳しています。

 

「それでも(医師に語った)ところによると」(宮崎訳)

「そうしながら」(三野訳)

「そんな様子を見せながら」(中条訳)

 

三野訳では、そうしながらも、また、中条訳では、そんな様子を見せながらも、というように、文節の末尾に<も>を加えるだけで、訳文に深みが増してくるような気がします。