常陸國住人
飯嶋正広
常陸国飯嶋氏のルーツ探訪(その5)
今回は、1)地名について、2)年代について、に引き続き、飯島を名乗った人々の名跡の来歴とその後について若干の調査報告を試みます。
3) 名籍について
「水戸市史(上巻)」では、江戸氏と飯島氏との結び付きを不明であるとしていますが、更なる手掛かりとして、名籍に着目してみたいと思います。
「熊野山願文」に記録されているのは、初回が飯島七郎光忠・子息宗忠(1391年)、二回目が悉知左衛門尉宗忠・同七郎通忠(1403年)です。この両者を比較すると、飯島七郎の子息である「宗忠」の名は、初回のみならず二回目にも見られます。
二回目は悉知左衛門尉「宗忠」とあり、飯島住人とされているので同一人物であると判断してよいのではないかと思われます。
つまり、「宗忠」は飯島姓から悉知姓に改めた可能性があります。ただし、同行者に七郎通忠の名が見られます。飯島七郎光忠-宗忠-七郎通忠と並べてみると、「七郎」という名と、「忠」という文字が継承されています。
これは、飯島七郎を名乗った人物は単独ではなく、累代に及ぶことを裏付けるだけでなく、一方で、飯島氏と江戸氏との結び付きの手掛かりにもなります。
「通」は江戸氏の当主が用いていた文字であることから、七郎通忠という人物は、飯島氏の当主であると同時に江戸氏との信頼関係が厚い人物である可能性が高いということになろうかと思われます。
あるいは江戸氏の「通」と飯島氏の「忠」の文字の順序から考えて、江戸氏の一族の一人を飯島氏が養子として迎え入れた可能性もあるかもしれませんが、私の憶測の域を過ぎません。
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