アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo26


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今回の人物描写は興味深いものがあります。独特のそしてフランス語の表現の一語一語に忠実な訳語を宛てようと試みたあと、日本語として再構成しようとすると不自然になりがちであることもしばしば実感させられるところです。

 

 

«Au restaurant de l’hôtel, il y a toute une famille bien intéressante. Le père est un grand homme maigre, habillé de noir, avec un col dur. Il a le milieu du crâne chauve et deux touffes de cheveux gris, à droite et à gauche. Des petits yeux ronds et durs, un nez mince, une bouche horizontale, lui donnent l’air d’une chouette bien élevée. Il arrive toujours le premiere à la porte du restaurant, s’efface, laisse passer sa femme, menue comme une souris noire, et entre alors avec, sur les talons, un petit garçon et une petite fille habillés comme des chiens savants. Arrivé à sa table, il attend que sa femme ait pris place, s’assied, et les deux caniches peuvent enfin se percher sur leurs chaises. Il dit “vous” à sa femme et a ses enfants, débite des méchancetés polies à la première et des paroles définitives aux héritiers:
«-Nicole, vous vous montrez souverainement antipathique!
« Et la petite fille est prete à pleurer. C’est ce qu’il faut.
« Ce matin, le petit garçon etait tout excite par l’histoire des rats. Il a voulu dire un mot à table:
« - On ne parle pas de rats à table, Philippe. Je vous interdis   à l’avenir de prononcer ce mot.
« Les deux caniches ont piqué le nez dans leur pâtée et la chouette a remercié d’un signe de tête qui n’en disait pas long.

 

「ホテルのレストランには、とても興味の持てる一家がやってくる。父親は長身で痩せていて、硬そうな襟の黒い服を着ている。頭の頂が禿げ上がっていて、左右のそれぞれに一房ずつのグレーの髪が残っている(註1)。ぎょろっとした小さなどんぐり眼(まなこ)で、細い鼻筋が通っていて、口元は真一文字に結ばれていて、育ちの良いフクロウといった感じの男だ(註2)。彼はいつもレストランの入り口の傍らにまず自分が立ち、脇によけて、ほっそりとして黒いハツカネズミのような妻を先に通した後、躾(しつけ)と手入れの行き届いた犬のような(註3)出で立ちの小さな男の子と女の子を従えて入ってくる。テーブルまで来ると、先に妻に座らせてから自分も座り、そこでようやく2匹のプードルちゃんたちもめいめいの椅子の上によじのぼってそこに収まることができる(註4)。彼は妻や子供に対して『あなた方』という丁寧な言葉遣で呼びかけるのだが、妻には慇懃な皮肉をあびせ、子供達には問答無用な物言いをする(註5)。

「ニコール、君の態度は不愉快極まりないですよ!

すると、お嬢がいまにも泣きそうになる。それは定番なのである(註6)。

今朝は、ねずみ騒ぎの話題で坊やは大はしゃぎ(註7)である。食事の席で鼠の話を口にしようとした。

「食事中にネズミの話なんかするものではありません、フィリップ。今後、君が、その言葉を口にすることは禁じます。

「お父様のおっしゃるとおりですよ。」と黒いハツカネズミ婦人が言った。

「二匹のプードルはめいめいの餌皿に鼻を突っ込み、フクロウ紳士は、感謝のしるしに、あっさりと少しうなずいて見せた(註8)。

 

註1:deux touffes de cheveux gris, à droite et à gauche

宮崎訳では、「左右に二かたまりの灰色の髪の毛が茂っている」

この訳では、左右それぞれに髪の茂りが2かたまりずつあるような誤解を与えてしまいかねないと感じました。

 

註2:Des petits yeux ronds et durs, un nez mince, une bouche horizontale, lui donnent l’air d’une chouette bien élevée.

宮崎訳では、「丸くいかつい小さな眼、細い鼻、真一文字の口など、育ちのいい梟という様子である。」とありましたが、読者に「育ちの良さ」を連想させるような訳文になるように試みました。


註3:comme des chiens savants

宮崎訳では、「学者犬よろしく」とありますが、学者犬をイメージするのは難しいのではないでしょうか?

 

註4:les deux caniches peuvent enfin se percher sur leurs chaises.

宮崎訳では、「そこでやっと二人のちびさんもめいめい自分の椅子にのっかることができる」とあります。子供が大人と同じ食卓に就くには、大人用の椅子と同じ高さ、あるいはそれより高い椅子によじ登らなければならない様子を、より具体的に表現したいと考えました。

 

註5:Il dit “vous” à sa femme et a ses enfants

宮崎訳では、「彼は細君と子供たちに向かって『あなた』といい、」としています。フランス語に限らず主要な欧州の言語の二人称単数形には、親称と敬称とがあり、多くの文法書などでは、親称に「きみ」、敬称に「あなた」を宛てています。ここでは家族を親称ではなく敬称で呼んでいることに注目して描いている箇所であるため、Vous(大文字)でなくvous(小文字)であることも生かしながら、敬称二人称の複数形になぞらえて訳してみました。

 

註6:C’est ce qu’il faut.

宮崎訳では、「それがまさに型どおりということである。」であるが、どちらの訳が自然で分かりやすいかを比較していただきたい。

 

註7:le petit garçon etait tout excite

宮崎訳では、「男の子は(鼠の話に)すっかり興奮していた。」となります。

 

註8:la chouette a remercié d’un signe de tête qui n’en disait pas long.

宮崎訳では、「梟氏は、一向に余情もない頭の頷きで感謝の意を表した。」

宮崎氏と私とでは、この男性に対する解釈や印象に隔たりがあるような 気がします。そもそも「一向に余情もない」様子と感謝を示そうとする心情との隔たりをどう解釈すべきなのか判然としません。