故郷(茨城)探訪: 茨城に人気がない理由(その4)

 

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茨城弁と茨城訛の茨城県人は県外の人々に誤解されやすい⁉

 

他県民が聞く茨城弁は、茨城県生まれの茨城弁話者にとってはごく普通の普段使いの会話であっても驚かれることがあります。一本調子の速口でまくしたて、尻上がり調のうえ、おまけに語尾の「だっぺ」など、耳触りの良くない独特の言葉遣いが、まるで「怒っている」ように、あたかも「けんか腰」のように聞こえると指摘されることもよくありました。

 

茨城弁の代表的な語として列挙される言葉の中に、「ごじゃっぺ」(「でたらめ」など否定的な意味合い)、「でれすけ」(「だらしない、しまりがない男」の意)、「いじやける」(じれったくてイライラする気持ちを表す語)などがあります。こうした独特の語感を持つ語や、我慢の感情を表す他の地域や県には見られない希少な言葉があり、茨城の県民性をよく表す方言ともいわれます。

 

また水戸の三ぽい(みとのさんぽい)は、茨城県水戸市を中心とした地域の住民気質を表現したとされる言葉。理屈っぽい・怒りっぽい・骨っぽいの3つからなるが、「理屈っぽい」または「骨っぽい」を「飽きっぽい」に置き換えることもあります。水戸人の直情径行な気質を表したものと解釈され、とても社交的とは言い難い印象を与えてしまいます。

 

これらは本来、水戸藩の「水戸っぽ」の気質を表す言葉でした。かつては「日本のテロ史上に水戸出身者あり」と言われるほど、水戸出身者の義侠心は天下に鳴り響いていましたが、現在ではそうした義侠心は影を潜めています。既に「三ぽい」の性格が見られたのは昔のことであるという主張がなされていますが、私自身が「水戸っポ」なので、本質は昔のままのような気がします。根っからの茨城県人であるはずの私が、県名の「茨城」を「いばらぎ」と発音したところ、「茨城県人なら正確に『えばらき』と発音するように」と叱られたことがあります。もっともその御老人は性格に「いばらき」と発音されているつもりなのです。

 

このように茨城弁では「い」と「え」の区別が曖昧であったり、ときには逆転してしまったりすることがありました。わたしはかつて「ええずま」と呼ばれても、何の抵抗もなく「はい」と答えていました。最近ではさすがに「ええずま」は聞かれなくなりましたが、「ええじまさん」と発音しがちな老人は健在ですし、なぜだかわりませんが「いいずかさん」と明らかに誤って呼ばれたり、「飯嶋」でなく「飯塚」と表記されたりすることがありますが、茨城県に限らず、東日本出身者が多いような気がします。

 

さて日本放送協会が実施した県民意識調査によると、茨城県民は郷土意識があまり高くなく、特に土地の言葉に対する強いコンプレックスが見られるといいます。その理由として、首都圏にありながら垢抜けず、独特の語尾が上がる話し方によって田舎っぽさが増していることが要因の1つとして挙げられています。また、元々の方言に敬語表現が少なく、軽い気持ちで話したとしても威張っている、叱られたように受け取られるという説もあります。しかし、それよりもかつての茨城県人は自分が方言を話しているとか、訛っているという自覚が乏しい人たちも少なくありませんでした。何を隠そう、私自身も茨城特有の語彙を標準語に置き換えれば訛はない、と単純に考えていたのでした。だから、他者から「訛っている」と指摘されても、アクセントやイントネーションのことまで気が回らず不思議な思いを体験したものでした。

 

『茨城県大百科事典』の「県民性」の項を参照してみると、「温暖な気候による閉鎖的農村社会の存続と水戸藩の気風が茨城県の県民性を作り出している」と解説し、「文化や社会の変化と人々の移動によってゆっくりと変容していくであろう」と結んでいました。ただし、これには異論があります。水戸藩は殿様からして常陸国出身者ではなく、主要な藩士の多くも、他国からの寄せ集めだからです。それにもかかわらず、茨城県人、水戸人は、水戸徳川家をよそ者扱いにはしませんし、水戸藩士を他国者呼ばわりをすることもありません。魅力度最下位の茨城県人は、現在でも、他県からの移住者を、お客様としてというよりも、新しい仲間として快く迎えています。

 

茨城県人の私の心によりピンとくるのは、古書『人国記』の常陸国の項の記載です。それは、「昨日の味方が今日の敵になるようなことはめったにないとあり、中世の頃から律儀な性格であるとみられてきた」という一文です。そして、県民性研究の第一人者である祖父江孝男は、著書『県民性の人間学』で、まさに茨城県人の特質を鋭く分析しています。「茨城県民が口下手で、ゴマスリができないことにより、相手に分かってもらえなくて怒り出すが、すぐ忘れてケロリとしている」旨を記述しています。

 

心理学者の宮城音弥は、茨城県の県民性が千葉県と似ているが、関東奥地の躁鬱質が混入しているらしい、としています。特に茨城県民には「理想家はだ」の特性が強く、<三ぽい>の気質が環境・社会教育・武士の道徳だけで形成されるものではない、とも述べていますが、まさに卓見であり、自分自身のことを振り返ってみても、すこぶる腑に落ちる点があります。

 

また矢野新一は、茨城県北部の男性は保守的で見栄っ張り、女性は愛想が今一つで気が強く、県南部は男女とも北部に比べおおらかである、と述べています。これは表面的な観察所見であり、残念な気がします。男性については概ね正解ですが、茨城育ちの女性の愛想が乏しいのではなく、いささか臆病で内気であるにもかかわらず、安っぽく媚びたり甘えたりすることを良しとしない性質であることを申し添えておきたいと思います。茨城の女性は、自分を飾ること少なく、表裏なく誠実さと真心に溢れていることは、理解されていないようです。

 

茨城男子が保守的で見栄っ張りとされるのも、茨城女子が気丈で愛想に乏しいのも、共通するベースがあるような気がします。それは、自己表現や自己宣伝に対して晩稲(おくて)であるということです。弁舌爽やかな人に引き付けられることはあっても、自分自身がそのようになりたいとまでは考えない傾向が、どうやら今日に至る茨城の男女には見られるような気がするのです。そして、表現力が乏しい一方で、自分の純粋な誠意が曲解されてしまうと、深い悲しみと嘆きを覚えます。その気の毒な感情ですら巧みに表現できず、あたかも怒っているかのように受け取られてしまうのはすこぶる残念な気がしてなりません。