アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo4

 

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 Ce qui est plus original dans notre ville est la difficulté qu‘on peut y trouver à mourir. Difficulté, d’ailleurs, n’est pas le bon mot et il serait plus juste de parler d’inconfort. Ce n’est jamais agréable d’être malade, mais il y a des villes et des pays qui vous soutiennent dans la maladie, où l’on peut, en quelque sorte, se laisser aller. Un malade à besoin de douceur, il aime à s‘appuyer sur quelque chose, c’est bien naturel. Mais à Oran, les excès du climat, l’importance des affaires qu’on y traite, l’insignifiance du décor, la rapidité du erépuscule et la qualité des plaisirs, tout demande la bonne santé. Un malade s’y trouve bien seul. Qu’on pense alors à celui qui va mourir, pris au piège derrière des centaines de murs crépitants de chaleur, pendant qu’à la même minute, toute une population, au téléphone ou dans les cafés, parle de traits, de connaissements et d’inconfortable dans la mort, même moderne, lorsqu’elle servient ainsi dans un lieu sec.


この街独特なのは、死ぬことの難しさだと思う。ちなみに困難(la difficulté)という言葉は適切ではなく、不快(inconfort)と言った方が当を得ているだろう。病気になるのは決して楽しいことではないが、病気になっても支援してくれる市町村や国があるので、ある意味、自分を解放することができる。病人には穏やかさが必要で、何かに委ねているのが好きなのだ。しかしオランでは、極端な気候、そこで行われるビジネスの重要性、陳腐な景観、夕暮れの早さ、楽しみの質、すべてが健康であることを要求する。病人は、とても孤独だ。その一方で、電話やカフェでは、乾燥した土地柄で起こる死、それも現代的な死の特徴や慣習、不快感について話す人々がいる。

 

 

 

Ces quelques indications donnent peut-être une idée suffisante de notre cité.
Au demeurant, on ne doit rien exagérer. Ce qu’il fallait souligner, c’est l’aspect banal de la ville et de la vie. Mais on passe ses journées sans difficultés aussitôt qu’on a des habitudes. Du moment que notre ville favorise justement les habitudes, on peut dire que tout est pour le mieux. Sous cet angle, sans doute, la vie n’est pas très passionnante. Du moins, on ne connaît pas chez nous le désordre. Et notre population franche, sympathique et active, a toujours provoqué chez le voyageurs une estime raisonnable. Cette cité sans pittoresque, sans végétation et sans âme finit par sembler reposante, on s‘y endor enfin. Mais il est juste d’ajouter qu’elle s’est greffée sur un paysage sans égal, au milieu d’un plateau nu, entouré de collines lumineuses, devant une baie au dessin parfait. On peut seulement regretter qu’elle se soit construite en tournant le dos a cette baie et que, partant, il soit impossible d’apercevoir la mer qu’il faut toujours aller chercher.

 

これらのいくつかの指標は、私たちの都市を十分に理解させてくれることだろう。いずれにしても、何事も大げさに考えてはいけない。強調すべきなのは、都市やそこでの生活のありふれた側面だ。しかし、ひとたび日常茶飯事となってしまえば、何の問題もなく毎日を過ごすことができる。この街での習慣化が進んでいけば、すべてがうまくいく。この観点から見ると、人生とはあまり刺激的ではないものかもしれない。少なくとも、私たちには障りがない。また、開放的で友好的で活動的な国民性は、常に旅行者から相応の評価を受けている。この街には絵もなく、草木もなく、魂もないが、最後にはそこで安らかな眠りにつくことができる。しかし、それは、完璧に設計された湾を前にして、光り輝く丘に囲まれた剥き出しの高原の真ん中にあるという比類なき風景に接ぎ木されていることを付け加えてもいいだろう。街はこの湾を背にして建てられたために、私たちが常に探し求めなければならない海を見ることができないのは残念でならない。


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私にも日本のある風景に対して「接ぎ木された(s’est greffée sur)」という表現に似た感覚を覚えた経験があります。それは、形的には連続しているが、自然な、有機的繋がりではない、互いに無関係な、あるいは対照的な領域どうしが人工的に繋がっているようなグロテスクな風景との遭遇によるものでした。
 

日本の殆んどの都市の構造や周囲の光景は、たとえそれが近代化によって大きく変貌を遂げたとしても、歴史の盛衰に委ねてゆっくりと変化しながら形成されてきました。そのためか、街の遥か郊外から、街はずれ、そこからまた街の繁華街や中枢部に向かって進んでいくと、自然に、ほぼ連続的になだらかに街や周囲の景観が変化していきます。そうした光景は、多くの人々にとっても当たり前になっていて何の疑問も浮かんでこないのではないかと思います。

 

そうした日常の感覚が当然であるかのように慣れてしまい、疑問すら抱くことのなかった私に大きな違和感を与えた光景があります。それは国家計画によって大規模な予算を投入されて開拓されつつあった筑波研究学園都市です。開発以前は、古代からの常陸の国の象徴とも言うべき筑波山を背景とする、直線距離では東京のほど近くに位置するが、どちらかといえば交通の不便な辺鄙な田舎でした。

 

それまで通りの、平凡で、日常的で、何の変哲もない田舎の国道を、今は亡き自動車好きの父が運転する車の助手席から前方を注視していると、何の前触れもなく、突如、近代都市が出現してきたのでした。その姿は、慣れ親しんできた穏やかで優しい日本の風景とは全く異なり、米国の都市を想起させるものでした。違和感のある風景でした。そこからは無機的で威圧的な、とうてい馴染めそうにない空間が広がっていました。

 

田園の憂鬱のイメージとは違った人工都市の得体のしれぬ憂鬱を想わせるものでした。当時の私はこの人工都市での生活を余儀なくされたとしたら、自分がどのような精神的悪影響を被ることになるだろうか、と想いを巡らさざるを得なかったことを覚えています。