私が還暦を越えてから、故郷(茨城)に興味を持った理由は、両親の家系が古くから茨城の地に代を重ねてきたことも大いに関係しています。
私の家系にかかわらず、地元においていわゆる旧家と呼ばれるほどの家の祖先を遡っていくと、事実としてはともかくとしても、たいていは天皇や藤原家などの有力な豪族にまで辿れてしまうようです。
しかし、関東においては、旧い家でも平安時代の後期まで辿ることができる家はそれほど多くないことでしょう。
水戸界隈では、江戸時代より以前からの系譜を持つ家もありますが、そうした家は、水戸徳川家以前の歴史をもつ家ということになります。その多くが士分ではなく、庄屋とはいえ農民の身分で江戸時代を経過していたようです。
私は水戸の出身であるというと、せいぜい「水戸黄門、水戸納豆、偕楽園」の三点セットで事足れり、とされてしまうのが残念でなりません。
そのわけは、江戸時代より前の常陸の国の姿こそが、未来の茨城を映し出す鏡であり、原点であるという思いが、私にはあるからなのかもしれません。
父方の墓碑の記述内容を確かめてみて、我が家の先祖を奈良時代にまで遡らせようとする作為があることを感じざるを得ませんでした。
我が家計の古老らは藤原不比等の流であるとしていますが、私は一種の貴種ロマンであると受け止めています。
しかし、それでもなお私は「常陸国風土記」に大いに親しみを感じています。
『風土記』の進選を全国に命じた藤原不比等や、『常陸国風土記』の執筆者と伝えられる藤原宇合にとっては、一族の発祥が常陸の国にあると考えていた模様です。藤原家にとっては、常陸の国こそが、常世の国なのでした。
常世の国とは、古代日本民族が、はるか海の彼方にあると想定していた国であり、常の国とも呼ばれました。
常陸という地名の由来は様々ですが、私にとって、常陸の国とは常世の国です。そこに住むものにとっては、まさに地上の楽園であるということです。そして、茨城は、まだまだ知られていない秘められた魅力に満ち溢れた土地である、と私は次第にそう感じるようになりつつあるのです。
現在の茨城県の大部分は、かつて常陸国と呼ばれていました。そして、県南から県西にかけての一帯は下総の国の一部です。
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