故郷(茨城)探訪

 

どなたにも故郷があるように、私にも故郷があります。

 

私は茨城県の水戸市に生まれ、父の仕事の関係で幼いころに土浦市に転居。そこで小学校に入学し、その後、県南西部の利根川のほとりの猿島郡境町で小学生時代のほとんどを過ごし、6年生になるときに再び水戸に戻りました。茨城県は旧常陸国と旧下総国の北西部から成り、長い幕藩体制の伝統によるものか、それぞれ言葉や風土や人情に、微妙な違いがあるのを感じ取ることができます。

 

 

誰にでも思い出があるように、私にも思い出があります。

 

物心つく以前の水戸の暮らしについては、極めてかすかな記憶しかありません。十年ひと昔と言いますが、およそ十年ぶりに訪れた土浦や境は、さまざまな記憶が残っていたのですが、それでも幼い時に感じていた広い空間や長い距離が、縮小して、凋んでしまっていて、まるで自分がガリバーのような巨人になってしまったような錯覚にとらわれたものでした。

 

 

幼い頃の思い出は、日頃は自分だけのものになってしまっていることに改めて気が付かされます。

 

妻や今はすでに成人となった二人の娘たちとも共有することのない時間と空間に身を任せることを、ことさらに淋しいとは感じないまでも、何か、そこはかとなく、しみじみとした独特な感覚に襲われます。半世紀を経ても変わらず残り続けている景色や建造物もある一方で、まったく別の光景や風景に変貌してしまっているものありです。

 

 

とりたてて探し求めるというのでもなく、偶然にも、ふとしたきっかけで、長い間忘却の彼方にしまいこまれていた思い出の種に再会できたとすれば何と幸いなことでしょう。

 

そういえば、かつてこのあたりに、こんなものがあった、こんなことが起こった、そのとき自分はこんなだった、など思い出とはかならずしも経時的に萎縮していくものではなく、まるで水を得て復活したかのような種子のようにどんどん成長していくこともあります。その思い出の植物がやがて花を咲かせ実を結ぶに至るかどうかは別であるとしても。

 

 

郷里とは言いましたが、帰省先の近所には旧友や知人は全くいません。それに加えて水戸市近郊の父母のそれぞれの実家の界隈にも顔見知りといえる人々はほとんど過去の人になっています。

 

果たしてそれでもわが故郷と呼ぶことができるのか、と自問自答してみるのですが、やはり、故郷は故郷なのだと思います。その故郷の他に故郷と呼ぶにふさわしい土地がないために、そのように思われるのかも知れません。故郷とは、過去に遡る対象であるばかりではなく、未来に向けて成長していく樹木の根のようなものでもあるからです。

 

 

故郷喪失ではなく、故郷創出という視点から、これから故郷探訪の旅に出発したいと思います。