2020年5月24日 19時16分新型コロナウイルス
東京都内の住宅で1人暮らしの70代の男性が誰にもみとられず死亡し、その後の検査で新型コロナウイルスに感染していたことが関係者への取材でわかりました。専門家は感染の影響で人との接触が難しくなる中、孤立しがちな高齢者をどう見守るのか、社会全体で考えるべきだと指摘しています。
ここで事例に戻ります。
この男性は、死亡する2か月ほど前、食べ物もなくなってきて友人を頼ってきたということで、その時の様子について「やせていてフラフラしていた。“頼みがあって来たんだ。力を貸してほしい”と言っていた。これまで本人はきちんと食べていなかったようだ。学校を辞めた後、家に閉じこもってしまい、誰も家に入れなくなっていたようだ」と話しました。
友人は男性を買い物に連れて行くなど支援を続けました。
しかし、死亡する2週間ほど前、男性の体調がすぐれない様子だったため、病院に行くよう促しましたが、男性は「病院は嫌いだ」と受診を断ったということです。
さらに死亡する前日の5月2日、男性は「胸の辺りが気持ち悪い」と言うようになり、薬局で薬を買いましたが、発熱やせきなどの症状はみられなかったということです。
そして、5月3日の朝、友人が様子を確かめようと家を訪れたところ、男性は風呂場で死亡していたということです。
友人は「どんなことがあっても返事をしてくれていたが、今回は返事がなかった。お風呂で見つけた時は、顔が半分くらい水につかっていて、びっくりした」と発見した際の状況を話しました。
そして、男性の火葬が終わった後、保健所から、男性は新型コロナウイルスに感染していたと告げられたということです。友人は男性と接触していたため、保健所から2週間、自宅待機を求められましたが、その後、発熱などの症状はありませんでした。
誰にもみとられず死亡し、感染が発覚した男性について、友人は「いちばん覚えているのは、男性は年齢が1つ違いなのに、こちらのことを“お父さん、お父さん”と言っていた。本当は家族愛に飢えていたのだと、こういう人ほどさみしがり屋なのだと思った。まだ人生に未練もあっただろうし、“生きたい”と思うから頼ってきたのだと思う。心が痛い」と無念の思いを語りました。
そのうえで「家には思い出の品があった。ピンクのピアノが残されていて、彼の心の宝物だったのだと思う。小学校の先生だったから音楽の授業の練習をしていたのではないか。家にこもっていたので、世間には楽しいことがいっぱいあると教えてあげたかった」と話していました。
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東京都内の住宅で1人暮らしの70代の男性が誰にもみとられず死亡。この男性は元小学校教諭で、50代で退職されたとのことですから、その後およそ20年前後の人生を送ってこられたことになります。その20年とは、いったいどのような人生であったのかについて詳細を知ることはできません。しかし、退職後は、ずっと家に閉じこもるようになっていき、実兄に面倒を見てもらう人生であったようです。この方を支える外部資源は兄という人物であったわけですが、その兄が亡くなることによって、他に支援者を求めざるを得ませんでした。
親族とは疎遠になっているために支援を求めることがためらわれたようですが、その代わりに助けを求めた相手が中学生のときの同級生で、60年以上会っていなかったということですから、親戚以上に疎遠であったはずでした。また、互いにに助けを求め、幸いなことにえ、足が不自由になり買い物にも行けず困っているとして、60年以上会っていなかった中学時代の友人に助けを求めてきたということです。旧友の勧めにもかかわらず、男性は「病院は嫌いだ」と受診を断ったということですから、この方は、助けを求める相手を自分の意思でしっかりと吟味していることになります。医療従事者の一人として、「病院は嫌いだ」という発言に触れると寂しく感じます。また、「医者は嫌いだ」と言われてしまうと身も蓋もありません。
この男性にとって親戚や病院は、たとえ身近に存在していたとしても、疎遠であると感じるかどうかということは、地理的距離や時間的距離とは違って、心理的距離によって決まってくることが示唆されます。
この方にとっては、中学生時代の野球部員としての仲間意識と親近感が60年以上の歳月を経ても薄れることが無かったということに驚きと感動を覚えます。この旧友からの思いがけないSOSに直ちに応じた男性は、おそらく素晴らしい人格の輝きをもった方なのであろうと想像します。それを裏付けるのが、この方の述懐に現れています。
誰にもみとられず死亡し、(新型コロナの)感染が発覚した男性について、友人は「いちばん覚えているのは、男性は年齢が1つ違いなのに、こちらのことを“お父さん、お父さん”と言っていた。本当は家族愛に飢えていたのだと、こういう人ほどさみしがり屋なのだと思った。まだ人生に未練もあっただろうし、“生きたい”と思うから頼ってきたのだと思う。心が痛い」と無念の思いを語りました。
そのうえで「家には思い出の品があった。ピンクのピアノが残されていて、彼の心の宝物だったのだと思う。小学校の先生だったから音楽の授業の練習をしていたのではないか。家にこもっていたので、世間には楽しいことがいっぱいあると教えてあげたかった」と話していました。
幼馴染の男性の述懐は、あたかも慈悲深い聖職者のような語り口であり、詩のようでもあります。この方は中学生の頃には、すでに慈父のような素晴らしい人柄の萌芽があって、亡くなった方にとっては、忘れ得ぬ永遠の輝きを放っていたのではないかと思われます。
「誰にもみとられず死亡した」1人暮らしの70代の男性が新型コロナウイルスに罹患していることが判明したことが書かれていますが、決して孤独死ではなかったようなので救われる思いがします。最期にはたとえ一人であったとしても、それに至る経過において、この方は素晴らしい感動的な体験ができたように思います。それは、生きている意味、これまで生きてきた意味を実感させてくれるほどの純粋で誠実な友情に包まれて安堵して生を終えられたのではないかと思われるのです。
60年以上の時空を超えて、自然に寄り添うことができた友人の方の存在によって、このエピソードを知った多くの人々も癒され、勇気づけられるのではないかと感じた次第です。
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