認知症を考える「症例は小説より奇なり」No1(奇の巻)

第4週:神経病・内分泌・代謝病    


神経内科は心療内科と同様に内科の一専門領域であり、精神神経科とは別の括りです。しかし、神経内科の専門医が開業すると、一般の方には神経科(精神科)と紛らわしく、誤解して来院する受診者との間に種々のトラブルが生じることがありました。そのため、神経内科を標榜せず、脳卒中外来、認知症外来、パーキンソン外来などと更に細分化した表示を行っているところもあるそうです。

 

かつては、一般内科診療で検査の異常が見られないのにもかかわらず訴えの多い患者さんに対して「精神科」と言いたいところだけれど、「精神科」という言葉に偏見と嫌悪感を示しそうな相手を刺激しないように「神経科」という言葉で受診を勧めているという話を聞いていました。それが現在では「心療内科」が置き換わってしまったため純系の心療内科医は現在でも悪戦苦闘しています。

 

もっとも、精神科で診るべき病気なのか神経内科で診るべき病気なのかは、しばしば議論される領域があります。また、両方で協力しながら見ていかなければならない病気もあります。そこで1923年にCapgras. J. とReboul-Lachoux. J.によって報告された症例をご紹介します。なおCapgrasはカップグラスではなく、フランス名なのでカプグラと呼びます。

 

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症例は53歳の女性。「自分が高貴な家の出身である」、「悪の結社によって子供やパリ市民が地下に幽閉されている」ことの他に、「乳児期に死んだ彼女の子供、夫、彼女が結社を告発している警察庁の長官、彼女が入院している精神病院の医師や看護婦や患者、及び彼女自身に、それぞれ数人から数千人におよぶ瓜二つの外見をした替え玉(Sosies:ソジ―)が存在する」と言う訴えが含まれた。 しかし、これらの訴えは事実ではなく妄想であった。

 

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ソジー (Sosie) とは、最初期の演劇家である古代ローマの劇作家ティトゥス・マッキウス・プラウトゥス(Titus Maccius Plautus, 紀元前254年 – 紀元前184年)の戯曲「Amphitryon」の登場人物です。Amphitryonの妻Alcmeneの篭絡を企むJupiter(ジュピター)は、Mercure(メルキュール)をAmphitryon 家の召使に変身させて送り込むが、この召使の名前がSosieでした。17世紀後半、フランスの劇作家Molière(モリエール) がこのPlautusの戯曲を題材にして同名の作品を上演して以来、ソジー(sosie) は「瓜二つの替え玉」を意味する一般名詞になりました。
 

提示した症例は、1923年にCapgras. J. とReboul-Lachaux. J.によって最初に報告され、「ソジーの錯覚」と呼ばれました。フランスの医師たちの教養の深さがうかがわれます。ただし、その後1929年、Lévy-Valensi, J.はソジーの錯覚を「カプグラ症候群」と呼ぶことを提唱し、自己や近親者に関する事物、居住する街などに関わる誤認もカプグラ症候群に含めました。


カプグラ症候群とは、友人や配偶者、両親その他近親者などが、瓜二つの外見の別人に入れ替わってしまったと誤認する妄想です。誤認の対象は人物以外にも場所、物体、時間など様々なものがあります。症状は一過性であることもあれば、繰り返し出現することもあります。これは独立した臨床単位ではなく、多様な病態を背景にして出現する「症候群」の一症状にすぎないとする立場からは、カプグラ妄想 (Capgras delusion)、カプグラ現象、カプグラ症状、「ソジーの錯覚」などと呼ばれます。

1970年代以降、カプグラ症候群に関する報告が急速に増加し、かつて考えられたほど稀な病態ではないと考えられています。当初は女性に多いとされたが、1936年にMurray, J.R.が男性例を報告し、現在では性差について諸説があります。カプグラ症候群の病態や成因についてはいまだ見解が一致しておらず、この現象が妄想なのか認知障害なのか議論があります。
 

カプグラ症候群は妄想型統合失調症において最も頻度が多く、統合失調感情障害や気分障害の症例も報告されています。これら内因性精神病の場合は精神神経科が担当すべきでしょう。しかし、器質性疾患で認めたとする報告が1980年代後半から増加しています。カプグラ症候群の報告例全体のうち、約25~40%程度において器質因の合併が認められました。

たとえば、各種の認知症(アルツハイマー型認知症、レヴィー小体型認知症、脳血管性認知症)、頭部外傷、てんかん、脳血管障害、脳腫瘍、脳炎、AIDS、偽性副甲状腺機能低下症、ビタミンB12欠乏症、糖尿病、片頭痛発作、ケタミンの使用などです。このような病態では、精神神経科ではなく神経内科や内分泌代謝科など内科の複数の領域が関与することになります。逆に言えば、純粋に身体疾患として広く認識され、そのように扱われている偽性副甲状腺機能低下症、ビタミンB12欠乏症、糖尿病、片頭痛発作のような疾患が精神症状をもたらす原因となる可能性があるということにもなります。さらに、頭部外傷、てんかん、脳血管障害、脳腫瘍などが原因となる場合には脳神経外科の協力も必要になることがあるでしょう。
 

また、明確な身体疾患がなくても、器質性を示唆する異常脳波などとの関連や、カプグラ症候群を伴う統合失調症患者は、伴わない群より前頭葉と側頭葉の萎縮が有意に強いことを指摘する報告もあります。