ロシア語旅行、ロシアと白ロシア(ベラルーシ)

9月8日(火)

現在注目を浴びているロシアの隣国ベラルーシに関して、ボルトンのテキストにはどのように描かれているか興味がありました。

 

巻末索引にはBelarus,475-76とあるので、該当部分をしらべてみました。しかし、その記述はベラルーシに焦点が当てられたものではなく、トランプ大統領のウクライナ疑惑とのかかわりの中で登場するのみでした。今後は、ベラルーシがウクライナの二の舞になるのかどうか、今後が注目されます。

 

アメリカの週刊誌「ニューズ・ウィーク」は、ウクライナ大統領のゼレンスキー氏は、<トランプに組して、民主党を敵に回した>というような記事を書いていますが、まるで中国の王毅外相のような恫喝に似ています。むしろ、大いに結構なことではないか、と私は考えます。その理由は、中国共産党と組んで日本を食い物にしかねない輩が、米民主党だと考えられるからです。

 

The Zelensky meeting began at twelve thirty p.m. and lasted until about two. On the Ukrainian side were basically all those who had participated in the earlier meetings. Bill Taylor, NSC officials, and several embassy officers comprised the US side. Zelensky was impressive throughout, very much in command of the issues. He started by thanking us for keeping our Crimea sanctions in place and our continued recognition of Russia’s purported annexation. I thought: If only he knew how close we were to giving all that away! We discussed Crimea, the Donbas, the failing Normandy Format peace process, and his desire to get the US and the UK more active in resolving the Russia-Ukraine dispute. Domestically, Zelensky said the fight against corruption, the centerpiece of his presidential campaign, was his highest priority, His “Servant of the People Party”, named after his TV show, and 254 Rada members, and he said that when the new session opened, they would introduce 254 reforms bills, one for each party member to shepherd through. Zelensky emphasized that the time for promises alone was over, and it was now time to implement the promises he had campaigned on.

 

ゼレンスキー(註1)氏の会議は12:30から始まり、2:00頃まで続いた。ウクライナ側では、基本的に前回の会議に参加していた人たちが全員参加していた。ビル・テイラー(註2)、NSC(註3)関係者、大使館員がアメリカ側を構成していた。ゼレンスキーは会議中ずっと印象的だった。彼はまず、(米国が)クリミアに対する制裁を維持し、ロシアの併合疑惑を認め続けたことに感謝の意を表した。私はこう思った。もし彼が知ってさえいたら、この全てを手放すことになっていたかもしれない!クリミア、ドンバス、ノルマンディー・フォーマット(註4)和平プロセスの失敗、そしてロシアとウクライナの紛争解決に向けてアメリカとイギリスがもっと積極的になることを望んでいることについて話し合った。国内では、大統領選挙の目玉である汚職との戦いが最優先事項であると述べ、テレビ番組にちなんで名付けられた「人民奉仕党」と254人のラダ議員は、新会期の開幕時に254の改革法案を各党員に1つずつ提出して通過させると述べた。ゼレンスキー氏は「約束だけの時代は終わった」と強調し、選挙戦で掲げた公約を実行に移す時期に来ていることを強調した。

 

註1:

ウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)
ウクライナ大統領。喜劇俳優出身。就任してから1年が過ぎた。東部での親ロシア派武装勢力との紛争終結や汚職撲滅、経済再生を公約に掲げ、国民の熱烈な支持を受けて一躍、国のトップに就いた。しかし、紛争終結に向けたロシアとの和平交渉は停滞し、汚職対策の実績も見えづらい。新型コロナウイルスの感染者も1万8千人を超え、正念場を迎えている。米メディアに即座にリークされた15ページにわたる証言の書面の中でテイラー氏は、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)大統領にどのような圧力がかけられてきたか詳細に説明した。

 

註2:

ビル・テイラー(Bil Taylor)
駐ウクライナ臨時代理大使。ドナルド・トランプ米大統領に対する連邦下院の弾劾調査が、13日に初めて公聴会という公の場で行われた。証人として出席したビル・テイラーが、すでに明らかになっている内容とは別のことを、冒頭発言の終盤で言い出した。テイラー大使は、自分の部下の1人がゴードン・ソンドランド駐欧州連合(EU)大使と同席中、ソンドランド氏とトランプ氏が電話で話をしていたと語りだした。その日付は今年の7月26日。トランプ氏とウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領との電話会談の翌日だ。テイラー大使によると、電話の向こうのトランプ氏の声が、自分の部下の耳に入った。トランプ氏は「捜査」についてソンドランド大使に質問し、ソンドランド氏は「ウクライナ側は前に進める準備ができている」と答えたという。テイラー氏によると、トランプ氏はゼレンスキー氏に対し、バイデン氏とその息子ハンター(Hunter Biden)氏がウクライナ国内で犯した汚職について捜査すると発表するよう求めていたという。さらにテイラー氏は、ゴードン・ソンドランド(Gordon Sondland)駐欧州連合(EU)大使から「そういった発表が、安全保障分野での支援を含むあらゆる事項を左右する」と聞かされたと証言した。これに加え、ゼレンスキー氏とトランプ氏の会談といった見返りも用意されていたという。

 

注3:

NSC(United States National Security Council)アメリカ合衆国国家安全保障会議

アメリカ合衆国における国家安全保障と外交政策に関する最高意志決定機関の一つ。米国NSCはアメリカ合衆国の安全保障(「安全保障」には外交も含まれる)の司令塔であり、その機能は大きく分けて3つある。一つ目は大統領への政策助言である。二つ目は中長期的な安保戦略の立案である。NSCは『国家安全保障戦略』などの戦略文書を起草している。三つ目は戦略に基づいた各省庁の調整である。グローバルな安全保障政策を行うためには確固たる戦略に基づいて外交、軍事、情報(インテリジェンス)、経済、文化といった各機関を一斉に動かす必要があり、NSCはそのための調整機能を担う。

 

注4:

ノルマンディーフォーマット(Normandy Format)パリ首脳会談共同合意事項

フランス大統領、ドイツ首相、ロシア連邦大統領、ウクライナ大統領は、パリで会談を行った。ミンスク合意(2014年9月5日ミンスク議定書、2014年9月19日ミンスク覚書、2015年2月12日ミンスク包括的措置)は「ノルマンディー・フォーマット」の根拠であり続けており、参加各国はその完璧な実現に忠実である。
上記首脳は、ヨーロッパ安全保障機構の原理に基づき、ヨーロッパにおける信頼と安全の安定した総体的な仕組みを構築することを一致して志向することを強調し、そのためウクライナにおける紛争の調停は重要なステップのひとつである。
これにより、以下を定めることとした。

 

1. 紛争地域における即時鎮静化のための措置
関係各国は、2019年末までに停戦体制を維持する必要な措置を実施することで、完全かつ全面的な停戦体制の実現を志向することを表明する。

 

2. ミンスク合意の政治的体制を実現するための措置
関係各国は、ミンスク合意を実現するための2015年ミンスク包括的措置にある通り、その効力を恒久的なものにするため、地方自治すなわちドネツクおよびルガンスク州の一部の特別地位のあらゆる法的な側面を、「ノルマンディー・フォーマット」および三者折衝グループにおいて合意することに関心を持っている。
上記首脳は、「シュタインマイヤ―方式」を、「ノルマンディー・フォーマット」および三者折衝グループで合意した形でウクライナ法に導入することが必要だとみなす。

 

3. 今後の行動
上記首脳は各国の外相および政治顧問に対し、合意事項の実現を徹底することを依頼し、次回のこのフォーマットでの会合を4カ月以内に行って、地方選挙を含めた政治上の条件や安全上の条件を協議することを合意した。

 

 

 

He said the issue that prompted his first call to Putin was trying to get the Ukrainian sailors released. He was determined to get the Donbas back as soon as possible and end the war within the Minsk agreements. Zelensky had very specific ideas for a cease-fire, starting at one particular town and then expanding it. There would be no diplomatic games from him, he said, but Ukraine needed to see reciprocal steps from Russia: he wanted to resolve the issue, not let it drag out for years. We also discussed the tricky issue of what would happen if the Donbas were resolved but not Crimea. No one, including the US, had a way around this dilemma, but Zelensky stressed that the West as a whole had to keep sanctions tied to the Crimea problem, not just ending the Donbas war. After discussing Belarus and Moldova, and their common problems with Russia and corruption, we concluded. There was no discussion of Hillary Clinton, Joe Biden, or anything in Giuliani land. If this didn’t demonstrate what America’s real interests were, and what Zelensky should rise with Trump in Warsaw, I didn’t know how else to do it.

 

プーチンに最初に訴えた動機となった問題は、ウクライナの船員を解放してもらおうとすることだったという。彼はドンバスを一刻も早く奪還し、ミンスク協定の枠組みの中で戦争を終わらせようと決意していた。ゼレンスキーは停戦について非常に具体的なアイデアを持っていた。彼の側から外交的な駆け引きはしかけないが、ウクライナはロシアからの互恵的な行動を見る必要があると彼は言った。彼は問題を解決したいと思っている、それを何年も引きずってはいけない。また、ドンバスは解決してもクリミアは解決しなかったらどうなるのかという微妙な問題についても議論した。このジレンマの解決案は米国を含めて誰も持っていなかったが、ゼレンスキー氏は、西側全体としてクリミア問題に関連した制裁を維持すべきであり、ドンバス戦争を終わらせるだけではないと強調した。ベラルーシとモルドバとロシアとの共通の問題点や汚職について話し合った後、締め括った。ヒラリー・クリントン、ジョー・バイデン、ジュリアーニの領域には何の言及もなかった。それでアメリカの本当の利益は何か、ゼレンスキーがワルシャワでトランプと何を提起すべきかを示していないとしたら、他にどうすればいいのかわからなかった。

 

 

 

I left Kiev confident Zelensky understood the magnitude of the task facing him, at home and abroad, as did his incoming team. These were people we could work with, so long as we didn't get lost in the fever swamps, which remained to be seen. Taylor who had been in all my meetings except my brief Ryaboshapka one-on-one, spoke to me alone before I left for the airport, asking what he should do about the swirling Giuliani issues. I sympathized with his plight, so I urged him to write a “fire-person cable” to Pompeo telling him what he knew. “First-person cables” are rare, direct messages from a Chief of Mission straight to the secretary of State, reserved for extraordinary circumstances, which we obviously had here. Besides, it was past time to get Pompeo more actively into the fray. Taylor’s subsequent congressional testimony made him one of the most important witnesses in the house impeachment investigation.

 

私はゼレンスキーが国内外で直面している課題の大きさを理解していることを確信してキエフを後にした。いまだに見受けられる馬伝染性貧血熱で死なない限り彼らは一緒に仕事ができる人たちである。リャボシャプカ(註5)との一対一のやりとりを除いて私の会議にはすべて参加していたテイラーは、私が空港に向かう前に一人で話しかけてきて、渦巻くジュリアーニ問題をどうすべきかを尋ねた。私は彼の窮状に共感したので、ポンペオに自分の知っていることを伝える「消防士の電報火」を書くように促した。「一人称電報 」とは、ミッションの最高責任者から国務長官への直接のメッセージであり、特別な状況の場合にしか書けないものである。それにポンペオをもっと積極的に参戦させるべき時が来ていた。テイラーのその後の議会での証言は、彼を弾劾調査の最も重要な証人の一人にした。

 

(註5)リャボシャプカ

ウクライナの検事総長。ウクライナ側はトランプ氏による圧力は否定している。リャボシャプカ氏はバイデン氏の息子が不正を働いた証拠は現時点でないとの認識を示した。疑惑のカギを握るとされるトランプ氏の顧問弁護士ジュリアーニ元ニューヨーク市長からの接触もないとし「決定に影響を及ぼそうとする試みは外国からも国内からも受けていない」と中立的な立場を強調した。

 

 

 

On August 29, I left from Kiev to Moldova and Belarus, continuing my travels in the former republics of USSR. I wanted to show Russia we had a substantial focus on its periphery and were not content simply to leave these struggling states to content with Moscow alone. Had I stayed in the White House longer, I had more substantive plans for US relations with the former Soviet states, but that was not to be. Particularly in Minsk, despite Alexander Lukashenko’s less-than -stellar human-rights record, I wanted to prove the US would not simply watch Belarus be reabsorbed by Russia, which Putin seemed to be seriously considering. One aspect of my strategy was a meeting the Poles arranged in Warsaw on Saturday, August 31, among the national security advisors of Poland, Belarus, Ukraine, and the United States. Let the Kremlin think about that one for a while. I obviously had much more in mind than just having additional meetings, but this was one that would signal other former Soviet republics that neither we nor they had to be passive when faced with Russian belligerence or threats to their internal governance. There was plenty we could all do diplomatically as well as militarily. After I resigned, the Administration and others seemed to be moving in a similar direction.

 

8月29日にキエフを出発し、旧ソ連共和国を移動しながら、モルドバとベラルーシに向かった。私は、ロシアの周辺部に細心の注意を払っていることを示したかったし、これらの問題を抱えた諸国家をモスクワのために和解させることには満足していないことを示したかった。ホワイトハウスに長く在任していたら、アメリカの旧ソ連との関係について、もっと充実した計画があっただろうが、そうはならなかった。特にミンスクでは、アレクサンダー・ルカシェンコの人権問題の悪さにもかかわらず、ベラルーシがロシアに再吸収されるのを見て米国が満足していないことを証明したかった。私の戦略の一側面は、8月31日(土)にワルシャワでポーランドが主催したポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、米国の国家安全保障顧問との会談にあった。クレムリンにはしばらく考えさせたい。もちろんこれは他の旧ソビエト共和国に、ロシアの好戦的な態度や内部統治の脅威に直面したときに、我々も彼らも受動的である必要はないということを示すものだった。外交的にも軍事的にも、我々ができることはたくさんあった。私が辞任した後、政権や他の国も同じような方向に向かっているように見えた。

 

 

Flying from Minsk to Warsaw, I called to Pompeo to brief him on the trip to Ukraine, Moldova, and Belarus. I relayed specifically what Taylor had told to me candidly in Kiev: he had left the private sector to rejoin the government temporarily as Chargé in a country where he had been Ambassador (a rare occurrence, if it ever happened before), because of how strongly he supported a close Ukraine-US relationship. If we took an indifferent or hostile approach toward Ukraine, he said,” I’m not your guy here”, which Pompeo confirmed Taylor had also said explicitly before taking on the post in the spring, after Yovanovitch was removed. Neither Pompeo nor I had any doubt that Taylor’s resignation was nearly certain if the military assistance did not go through.

 

ミンスクからワルシャワに飛んでいた私は、ポンペオにウクライナ、モルドバ、ベラルーシを訪問したことを説明するために電話をした。私はキエフでテイラーが率直に話したことを具体的に伝えた。それは、彼が民間企業を離れ、大使を務めたことのある国で、一時的に政府の代理大使として参加(今までになかった珍しい出来事)したということだった。それは彼がウクライナと米国の緊密な関係を支持する強みを持っていたからだ。もしウクライナに対して無関心または敵対的なアプローチを取った場合、彼は「私はここではあなたの部下ではない」と言うだろう。これについてはポンペオ氏が確認したところによると、ヨバノビッチ(註6)氏の解任後、テイラー氏が春の就任前に露骨に言っていたとのことだ。ポンペオも私も、軍事援助が通らなければテイラーの辞任はほぼ確実であることを疑っていなかった。

 

(註6)

ヨバノビッチ(Marie Yovanovitch)

アメリカ合衆国の女性外交官。2019年12月から始まったドナルド・トランプ アメリカ合衆国大統領の弾劾裁判をめぐるキーパーソンの一人。2019年3月に駐ウクライナ大使の任期延長を打診されていたが、同年4月末に「次の航空便」でアメリカ本国へ戻るよう突然指示を受ける。マリー・ヨバノビッチは、同年5月にウクライナを離れた。この事実上の更迭の理由について、ジョン・J・サリバン国務副長官は「トランプ大統領の信頼を失ったからだ」と説明している

 

 

I asked whether it might be possible to get a decision on the security funds before Trump left for Warsaw. Pompeo thought it was, noting also that he would have another chance on Air Force One, which was leaving Andrews Friday night and arriving in Warsaw Saturday morning. The meeting with Zelensky was scheduled for Sunday morning, so there was also at least some time in Warsaw. Jim Inhofe, chairman of the Senate Armed Services Committee, was trying to reach me, and Pompeo and I reviewed the several Hill options we had been considering and discussing quietly to get some relief from the September 30 deadline. There might be ways to buy more time, usually impossible at a fiscal year’s end but doable here in a variety of ways because of the overwhelming bipartisan support for security assistance to Ukraine.

 

私は、トランプ氏がワルシャワに出発する前に、安全保障資金の決定を得ることができるかもしれないかどうかを尋ねた。ポンペオはそれを考え、金曜日の夜にアンドリュースを出発して土曜日の朝にワルシャワに到着するエアフォースワンにもう一つチャンスがあることにも言及した。ゼレンスキーとの会談は日曜日の朝に予定されていたので、少なくともワルシャワでの時間もあった。上院軍事委員会のジム・インホーフェ委員長が私と連絡を取ろうとしていたので、ポンペオと私は、9月30日の期限からある程度の緩和を得るために、私たちが検討していたいくつかの議会の選択肢を検討し、静かに議論していた。

より多くの時間を稼ぐ方法があったのかもしれない、通常は会計年度末には不可能だが、ウクライナへの安全保障支援のための圧倒的な超党派の支持のために、ここでは様々な方法で実行可能だ。

 

 

That night, we learned Trump would not travel to Poland because of Hurricane Dorian’s approach to Florida, and that Pence would come instead, not landing until Sunday morning. Both Pompeo and Esper dropped off the trip, and the Warsaw schedule was thrown into disarray because Pence would arrive twenty-four hours latter than planned for Trump. In particular, the Zelensky meeting would now have to be after the ceremony for the eightieth anniversary of Nazi attack on Poland rather than before. All of that could be done, but it obviously meant that a Trump decision on Ukraine military aid had again been pushed to the back burner. Time was now racing away from us.

 

その夜、ハリケーン「ドリアン」がフロリダに接近したため、トランプ氏はポーランドへの渡航を見送り、代わりにペンス氏が来て、日曜日の朝まで上陸しないことが分かった。ポンペオもエスパーも渡航を中止し、ペンスがトランプの予定より24時間遅れで到着することでワルシャワのスケジュールは混乱に陥った。特に、ゼレンスキーとの会談は、ナチスのポーランド攻撃の80周年記念式典の前でなく、むしろ後ということになるだろう。これらのことはすべて可能だったが、それは明らかにトランプ氏によるウクライナへの軍事援助に関する決定が再び保留されたことを意味した。時間がどんどんなくなっていった。