スペイン語旅行、第75回敗戦記念日(聖母被昇天の祝日)記念シリーズ

8月29日(土)

 

前回はこちら



Y la alegría tomó las calles
El Día de la Victoria en Europa fue celebrado en muchas ciudades europeas. Después de seis años de miseria y sufrimiento, de bombardeos, alarmas y carreras a los refugios bajo suelo, de las numerosas bajas de civiles y soldados en el frente, los ciudadanos se lanzaron a las calles a celebrar la esperada llegada de la paz. Todo el mundo estaba necesitado de buenas noticias y cuando estas llegaron fue una explosión de alegría y euforia. Los londinenses habían resistido con austeridad y racionamiento toda la contienda, durante la cual sus vidas se habían regido por el mantra “reparar, remendar y arreglárselas como se pueda.”

 

喜びは通りに出た
ヨーロッパの勝利の日は、ヨーロッパの多くの都市で祝われた。6年間の惨めさと苦しみ、爆撃、警報、地下シェルターへのレース、前線での民間人や兵士の多くの犠牲者の後、市民は待ちに待った平和の到来を祝うために街頭に出た。誰もが良いニュースを必要としており、それが届いたときには喜びと陶酔の爆発だった。ロンドンの人々は、緊縮財政と配給制でコンテスト全体に抵抗し、その間、彼らの生活は「修理して、修繕して、作る」という呪文によって支配されていた。

 


¡Los nazis se rinden!
En Estados Unidos, país implicado en la guerra desde que en 1941 Japón atacara sus bases en el Pacífico, el periódico Stars and Stripes abría con un gran titular la portada: “Nazis quit!” (¡Los nazis se rinden!). En la imagen, miembros de la policía militar leen varios ejemplares del 8 de mayo de 1945. El presidente Harry Truman fue el encargado de dar la noticia a los estadounidenses, sin embargo, las celebraciones en el país norteamericano se vieron empañadas por el recuerdo de Franklin D. Roosevelt, presidente de EE.UU durante toda la guerra muerto tan solo un mes antes víctima de una hemorragia cerebral.

 

ナチスが降伏する!
日本が太平洋の基地を攻撃した1941年から戦争に巻き込まれたアメリカでは、星条旗新聞は「ナチスは降伏せよ!」と大見出しをつけた。写真では、憲兵隊のメンバーが1945年5月8日の数枚のコピーを読んでいる。ハリー・トルーマン大統領はアメリカ人にニュースを伝える役割を担っていたが、そのわずか1ヶ月前に脳出血で亡くなったフランクリン・ルーズベルト大統領の記憶がアメリカ国内の祝宴を損なってしまったのである。
コメント:チャーチルは、ルーズベルト米国大統領(おっちょこちょいで多少頭が弱い)をそそのかして、日本を戦争に引きずりこんだ歴史が明かになりつつあります。更なる黒幕はソ連だったようです。いずれにせよ、欧米の利権・覇権争いのために日本が手玉に取られて戦争に巻き込まれたというのが実際のところであるようです。現在、米国の国力が徐々に衰えていく中で、今後も、少しずつ事実が明らかにされていくことでしょう。米国は偽善的でずるい国ですがルーズベルト大統領時代からソ連のスパイに操作され、現在でもロシアの影が見え隠れします。しかし、失敗に懲りずに、近年では中国に騙され続けてきました。それでも米国は他の欧州の国々よりもお人好しなようです。トランプ大統領は、それの危険性に気づいて着々と手を打ち始めているようです。

 


La segunda liberación de París
La portada del periódico francés Le Figaro del 8 de mayo de 1945 decía “Alemania se ha rendido. La victoria será proclamada hoy a las 15h en las capitales aliadas.” El diario también ponía el foco en la jornada que se había vivido en las calles de París. Y es que la capital francesa también fue conquistada por la euforia de las multitudes de parisinos que salieron a festejar. Otros periódicos internacionales explicaban como, desde el Obelisco de la Plaza de la Concordia hasta el Arco de Triunfo apenas se podía respirar y no había ni siquiera espacio para moverse. Muchos ciudadanos reconocían que era un grandísimo día, pero que no podía compararse con la emoción que sintieron en el llamado Día de Liberación, cuando el 25 de agosto de 1944 la tropas aliadas liberaron París de la ocupación nazi.

 

パリの第二の解放

1945年5月8日のフランスの新聞「ル・フィガロ」の一面には、「ドイツが降伏した。勝利は本日午後3時に連合国の首都で宣言される」と書かれていた。 新聞はパリの街中で体験した日にも注目していた。フランスの首都も、お祝いに出てきたパリジャンの群衆の多幸感で制覇した。コンコルド広場のオベリスクから凱旋門まで、息をすることもできず、移動する場所もないという状況を、他の海外紙が説明していた。多くの市民は、この日は素晴らしい日だと認識していたが、1944年8月25日、連合軍がパリをナチスの占領から解放した、いわゆる解放の日に感じた感情とは比較にならないことを認識していた。

 


El Día de la Victoria sobre Japón
Aunque la gran mayoría de europeos estaban en las calles de sus ciudades brindando por el Día de la Victoria, para muchos fue una celebración prematura. Sobre todo para los miembros de las tropas aliadas que se encontraban luchando en los frentes del Pacífico, quienes sabían que la guerra en Europa era tan solo la mitad del conflicto. En el Reino Unido las malas noticias llegaban el mismo día después del VE Day, cuando un kamikaze japonés atacaba el submarino HMS Victorious. Y hay que recordar que las bombas atómicas aún no habían sido lanzadas. Truman, el presidente estadounidense, daría esa orden en agosto de 1945. Después de que Hiroshima y Nagasaki fueran destruidas por sendos proyectiles lanzados el 6 y el 9 de agosto respectivamente, se decidió establecer el VJ Day. El Día de la Victoria sobre Japón se celebró el 15 de agosto de 1945, cuando Japón anunció que iba a rendirse. Sin embargo, la firma de la capitulación no tendría lugar hasta el 2 de septiembre de ese mismo año, en una ceremonia que se llevó a cabo a bordo del USS Missouri, tal como muestra la imagen sobre estas líneas.

 

日本に対する勝利の日
ヨーロッパ人の大多数は街頭で勝利の日を乾杯していたが、多くの人にとっては時期尚早だった。特に太平洋戦線で戦っていた連合軍にとっては、ヨーロッパでの戦争が半分しか終わっていないことを知っていた。イギリスではVEデーの翌日、日本の神風(特攻隊)が潜水艦HMSビクトリアスを攻撃したという悪いニュースがあった。 そして、まだ原爆が落とされていなかったことを忘れてはなりません。アメリカの大統領であるトルーマンは、1945年8月にその命令を出すことになる。8月6日に広島、9日に長崎がそれぞれミサイルで破壊されたことを受けて、VJの日を制定することになった。対日戦勝記念日は1945年8月15日、日本が降伏すると発表した日に祝われた。しかし、降伏の調印が行われたのは同年9月2日、上の画像(省略)のようにUSSミズーリ艦内で行われた式典であった。

 

コメント:

欧州戦線終結については興奮に満ちた情緒的表現がなされているのに対して、人類初の原爆投下があったて、多数の市民が一瞬で死傷したにもかかわらず、余りにも淡々とした歴史記述になっています。スペイン人も含めて、欧州人にとって日本はまだ、心情的にも遠い国のようです。
しかし、私は台湾や、多くの東南アジア、環太平洋、中南米そしてアフリカ諸国の人々が、日本人以上に日本の歴史を深く認識していて、熱い視線を注ぎ続けています。私たち日本人は、彼らと共に、世界平和を築いていくことができるはずであることを忘れてはならないと思います。米中覇権戦争という第三次世界大戦での敗戦国にならないための賢い選択が必要です。私が最も警戒している国家は中国です。しかし、もっと恐ろしい敵を発見しました。

 

それは、米国が脱退した後でWHO(世界保健機関)の最大のスポンサーとなった一民間人、その名も高き、ビル・ゲーツ氏です。彼や中国の働きかけによってWHOは根本から変質してしまいまい、WHOはもはや無条件で信頼を置ける国際機関ではありません。情報やデータでさえ操作できます。いわゆるマスコミ界では支配的なリベラル系のメディアも容易に操作できます。WHOは、かつて電磁波障害について勧告を出していましたが、5Gとの関係があるせいか、その後は沈黙を続けています。ビル・ゲーツ氏はグローバルに生きていける立場の人物ですから、米国や英国を裏切り、中国と手を組むことも辞さないでしょう。

 

国境に拘束されない彼こそが最大の黒幕ではないかと私は警戒しています。ただし、日本が、ただちに米国と同様にビル・ゲーツ氏を敵に回すことは妥当ではありません。絶対に勝てる相手ではありません。しかし、彼らに負けないでいる方法はあります。それは、騙されないことです。そして、煽られることなく冷静で賢く毅然とあることです。彼が関わっているコロナワクチンにはご注意ください。「有害反応が発生した場合は、日本国の税金で補償すべし」という免責条項付きのワクチンを一億回分も購入する日本政府の決定には、ただただ呆れるばかりです。

 

「カモが葱を背負う」お人好しの日本人のレッテルは早々に剥がし、明確に脱皮すべき時期に来ているのではないでしょうか。速成ワクチンの接種は、甚だしく常識を逸脱するばかりでなく、多額の費用(税金を含む)を負担させたうえでモルモットにもさせるというリスクまで負わせるものです。これは、人権や人道的見地からしても問題があります。品格のあるまともな人物の手法であるとは到底思えません。同様の方法をアフリカ諸国に対しても実施する算段がなされているようです。中国は香港での間接統治を通して英国の植民地支配のスキルを学習したためか、世界の各地で植民地を作りつつあります。ですから、英国には、そうした中国を批判できる十分な資格と説得力には欠けるようです。