水氣道「合気道と水氣道」


7月29日(水)

 

先週の連休は、郷里の水戸に帰省し、散策の日々を過ごしました。かねてから気になっていたのが水戸に向かう途中のJR常磐線の岩間駅(笠間市、旧、西茨城郡岩間町)近くにある合気神社でした。

また、偶然にも自宅で重ねて聴くことになったラジオ番組(NHK古典講読)「更級日記」三二段、<軒近き荻・こしのびの森>の故地もそこからほど近いところに比定されていることを知りました。


水氣道という文字や音から合気道を連想する人は少なくありませんが、私は合気道の心得は全くありません。

しかし、合気道には、他の武道とは違った独特の精神性が息づいているのを感じています。

 

合氣神社は合気道開祖の植芝盛平師が昭和10年代に厳しい修行を重ね、合気道を完成させた地として創建したとされます。

盛平は1942年(昭和17年)妻はつと共に東京から旧岩間町に転居し、36畳の道場と神殿を建立しました。

盛平はここで、わずかの弟子と共に武農一如の生活にいそしみ、『和の武道』としての合気道の完成を見ました。

開祖自身、ここを「合氣道の産屋」と称しており、日本古来の武術から発展し、心身鍛練のための武道「和の武道」として今や世界各地に広がりを見せる合気道の中でも、聖地といわれています。

 

私は合気道に入門したことすらありませんが、触発されるものが少なくありません。そこで私は2020年(令和2年)7月24日に妻園子と共に、はじめて合気神社を訪ねることにし、子忍びの森への往路と帰路に立ち寄りました。

 

純然たる武道や格闘技ですらないはない水氣道と合気道とは性格を異にするものの、現在の水氣道の弟子たちをそのまま合気道に委ねてみたならば、ということを道すがら考えてみました。

 

基礎的体力のある人であれば、きっと合気道で充実した稽古を経験できるのではないかと思います。

しかし、骨粗鬆症、関節リウマチ、麻痺が残っているような人たちはどうでしょうか。

私には合気道での稽古方法の想像がつきません。また、現在すでに後期高齢者の方、生涯エクササイズを施行するうえでの継続可能性は、と考えると、やはり、そうした方々のためには水氣道を続けていただく意味が少なくないのではないかと再認識することになりました。

 

このとき盛平のそば近く仕えた弟子が斉藤守弘である。斉藤は盛平の死後も合気神社の守人として盛平晩年の技を岩間流として伝えました。

 

1

合気神社と道を隔てた向かいに広がる道場の敷地の入り口になる表示
2001年(平成13年)第3代道主植芝守央と斉藤守弘の両氏によって合気神社の修復がなされ、記念の石碑が建立されました。この石碑の『合氣神社』の文字は盛平の弟子であり書家の阿部醒石によるものとされます。

 

2

国道沿いの裏手から望む合氣神社の遠景
2009年(平成21年)開祖像建立実行委員会(磯山博代表)が中心となり境内に植芝盛平の銅像が建てられました。 合氣神社は現在植芝家の所有物であり、合気会茨城支部道場が管理しています。

 

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うえしば もりへい
植芝 盛平

3

 

生誕
1883年(明治16年)12月14日
和歌山県西牟婁郡西ノ谷村


死没
1969年(昭和44年)4月26日
東京都新宿区若松町17-18 合気会本部

 

国籍
日本

 

別名
「開祖」、「大(翁)先生」、号「守高(もりたか)[1]」、「常盛(つねもり)[2]

 

職業
武道家、合気道創始者、合気道初代道主

 

身長
156 cm (5 ft 1 in)

 

体重
75 kg (165 lb)(20歳時)

 

子供
植芝吉祥丸

 

親戚
井上鑑昭(甥)、植芝守央(孫)

 

受賞
正五位勲三等瑞宝章、勲四等旭日小綬章、紫綬褒章

 

植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年(明治16年)12月14日 - 1969年(昭和44年)4月26日、享年85歳)は、日本の武道家(合気道家)。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。

和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(現在の田辺市)の富裕な農家に生まれた。大東流を初めとする柔術・剣術など各武術の修行成果を、大本教や神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、『和合』、『万有愛護』等を理念とする合気道を創始した。

身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝が有り、また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の達人」と謳われた。太平洋戦争(大東亜戦争)中は軍部に有用性を認められ、陸軍憲兵学校・海軍大学校などで武術指導を行う。 

 

終戦後息子で後継者の植芝吉祥丸と共に合気道の社会普及に務めた。合気道は日本国内だけでなく世界的に大きく広まり、柔道・空手道などに次ぐ国際的武道に育った。

盛平の功績は社会的に高く評価された。

 

 

植芝 吉祥丸(うえしば きっしょうまる、1921年6月27日 - 1999年1月4日、享年77歳)は武道家。日本の合気道の二代目の継承者。父は合気道開祖植芝盛平。次男は三代目道主植芝守央。

略歴[編集]
1921年6月27日、京都府何鹿郡綾部町(現綾部市)に植芝盛平の三男として生まれる。

1946年、府立六中(現東京都立新宿高等学校)、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。

1948年、開祖盛平に代わり合気道本部道場の道場長となる。大学卒業後は新日本証券でサラリーマンの傍ら合気道を指導していたが、のちに合気道に専念するため会社を退職。

1967年、財団法人合気会理事長に就任。

1969年、開祖逝去により合気道二代道主を継承。

1996年、財団法人合気会会長に就任。他に国際合気道連盟会長、全国学生合気道連盟会長、財団法人日本武道館理事その他多くの要職を務める。

1999年、1月4日死去。

 

業績[編集]
昭和20年代の合気会は新規の入門者が中々集まらず、塩田剛三の養神館道場に対して劣勢であった。 吉祥丸はこの状況を挽回するために、

1950年(昭和25年)、機関紙『合気会報』(後の『合気道新聞』)を創刊し、全国の弟子に道場の動向や盛平の思想を伝える。

1956年(昭和31年)、百貨店・髙島屋東京店(日本橋店)屋上で、合気道初の一般公開演武会を開催。更に 1960年(昭和35年)には「第1回合気道演武大会」を開催。

1962年(昭和37年)、盛平監修・吉祥丸著による初の一般向け技術書『合気道』を出版。

 

昇級・昇段審査要項の制定…それまでは盛平が日頃の稽古を見て随時免状を与えていたが、審査で行う技・受審に必要な稽古日数を定めることで、地方でも独自に昇段審査が行えるようにした。また具体的な内容は西尾昭二が講道館の審査規定を基に作成した。

 

大学の部活動やカルチャーセンターを中心とする合気道の普及。
ハワイ・フランス・ビルマといった海外各地への指導者の派遣。
といった当時としては革新的な試みを行い、合気道の全国的な普及に成功した。現在合気会は合気道界で最大勢力の合気道統括組織であり、日本国内100万人・世界全体で160万人ともいわれる合気道人口の8割を占める。

 

 

植芝 守央(うえしば もりてる、1951年4月2日 - )は武道家、現合気道道主。父は二代道主植芝吉祥丸。祖父は開祖植芝盛平。

1951年(昭和26年) 合気道二代道主植芝吉祥丸の次男として生まれる。
明治学院大学経済学部を卒業。財団法人合気会専務理事、本部道場長を経て、1999年(平成11年) 吉祥丸道主死去により合気道道主を継承。

2002年(平成14年)下肢障害等で普通審査基準を満たす事の難しい人々を対象に「障害者合気道」の段・級位認定制度を新たに創設する等(現在は制度停止中)、合気道の理念を世界に広げる活動をしている。

2006年11月現在、合気会理事長、国際合気道連盟会長、財団法人日本武道館理事、国際武道大学評議員ほか。

 

 

 

水氣道稽古再建発展計画 令和2年8月

 

8月から単回払いの皆様に対しては『完全予約前払い制』を導入致します。

 

月曜日 8月3日からオープン!

1:00~2:00pm 本部主催(スバル会場)定員5名限定
監督指導者:飯嶋正広<幹部候補生修錬担当>
訓練生(修錬生候補):田辺幸子、濱屋幸一、野口将成

 

2:00~3:00pm 杉並支部主宰(スバル会場)定員5名限定
修錬生(支援員候補):中西正子<訓練生担当>

 訓練生(修錬生候補):野口将成<体験生担当>

 

 

火曜日 2:00~3:00pm 中野支部主宰(新宿ハイジア会場)
     支援員:林亮博<訓練生担当>
     訓練生(修錬生候補):植田栄喜<管理・記録担当>
     9月から移動 8:00~9:00pm 中野支部(鷺宮会場)定員5名限定
     支援員:林亮博<訓練生担当>
     修錬生:坂本光昭<体験生担当>
     訓練生(修錬生候補):植田栄喜<管理・記録担当>

 

 

金曜日 10:00~11:00am中野支部(鷺宮会場)定員5名限定
9月から 再開
     支援員:林亮博<訓練生担当>
     修錬生:細谷健太<体験生担当>

 

 

土曜日 3:00~4:00pm 杉並支部主宰(新宿ハイジア会場)定員20名程度
     監督指導者:飯嶋正広<幹部候補生修錬担当>
     支援員:中川良子、林亮博<訓練生担当>
     修錬生:細谷健太、高橋千晴、坂本光昭<体験生担当>

 

 

日曜日 8月23日からオープン(予定)月1~2回程度

1:00~2:00pm 本部主宰(スバル会場)定員5名限定
監督指導者:飯嶋正広<幹部候補生修錬担当>
訓練生:野口将成<管理・記録担当>

 

2:00~3:00pm 三鷹支部(スバル会場)定員5名限定
      修錬生(支援員候補):未定