これからの「聖楽院」(くすし歌声・くすりの音色の原点)、音楽する心の起源を探るNo4

6月28日(日)

 

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―声がある。希望がある。可能性がある。―

 

存在が見えない、よくわからない相手と、いつまでお付き合いしたら良いのか、
さっぱりわからない状況の中で、私たちは数カ月を生きてきました。

そのような得体のしれない相手と和平交渉を試みるなどは思いもよらなかったからです。

相手が話にならないと決めつけてしまうと、一挙に交渉可能性を失ってしまいます。
解決策を必死で探し求めようとして、あれこれ動きすぎてしまうことによって、
かえって精神的に追い詰められていくことは是非さけたいものです。
ストレスフルな状況がますます増強されてしまい、
私たちの免疫力は危機的な程度までに消耗し、感染の機会や重症化の素地を準備しててしまいかねません。

 

なぜウイルスが歌っているといえるのか?ウイルスが生物ではなくともウイルスは歌っています。宇宙も絶えず交響曲のように演奏しています。銀河系も、太陽系も、地球自身も、

そして無言の私たちも、五臓六腑が歌っています。五臓を構成している様ざまな組織も歌っています。その組織の構成員である細胞も歌い続けています。・・・分子も、原始も、素粒子も歌っています。その素粒子はエネルギーと質量を持っています。あるときは粒子として、またあるときには波動として、歌を歌い続けています。回転したり、揺れたりしながら、決して休むことなく歌っているのです。


 
人間が造物主の神から無償でいただいた歌は、神とのコミュニケーション手段であるばかりではなく、ウイルスとのコミュニケーション手段にもなるものと思われます。人間の発する芸術的な声ほど美しいものはありません。なぜなら、くすし歌声は、くすりの音色を持っていからです。歌はくすりであり、歌い手だけでなく、かかわりのあるすべての相手への癒しの力をもつからです。相手がウイルスだとて例外はありません。